石ころを重く詰めて
石ころを詰め込んで僕は歩く。
ありとあらゆるポケットと服の隙間と胸の中に。
持ちきれない瓦礫は、そのまま両の手に。
それを得意げに母へと差し出した僕は、何の感情も持たない手ですべて払いのけられた。
「あっつう」
「はいよ。あんだけ飲めば満足っしょ」
吐き捨てるように言ったアユムの手には、それでも水の入ったコップが握られていた。
「いい加減、飲むの止めな。あんまいい飲み方じゃないし」
絡むわけでもなく、わめき立てもしない。僕の飲み方のどこが悪いって言うんだ、この女は。
黙って僕のベッドへと腰掛けた彼女は、大して興味もなさそうにそっぽを向いて呟いた。
「なんかさ、うなされてたけど。遊びすぎて女にでも恨まれてる?」
「はん」
そんな柄じゃない、ただちょっと……厭な夢を見てたんだ。ダイヤだと想い、喜ばれるだろうと想い、どれだけ重くても身体を引きずるように歩いていったんだ。でもそれは、母親から忌み嫌われるがらくただった。
思うと想うは何か違う。想うはきっと誰か相手がいる。あの人のことを想いながら…それはおそらく笑顔を想い浮かべながら。
その想いが宙に浮く。行き場をなくしたそれらは、澱のように心の底へと溜まり続ける。決して消えることなく。心からは追い出せるはずもなく。
「ねえ」
くだらない質問をアユムへとする。ありきたりすぎてバカバカしい問いを。
手に持ちきれないほどの宝石と手に持ちきれないほどの石ころだったら、どっちが嬉しい?とね。
答えを期待しながらの質問ほど、相手をバカにするものもないんだろう。けれど問う側はいつだって真剣だ。背中を押されればいつでも崖下へと墜ちていく不安感を抱えながら。祈りながら。石ころを選んでくれるのをひたすら待ちながら。
アユムは…当然のように乾いた笑い声を上げた。何それ、石ころが大事だって言わせたいの?女だもん、宝石がいいに決まってんじゃん。
僕の心に傷ができていく。そうして僕は安心する。ほらね、誰も石ころを選ばない。誰も僕を顧みない。それは自分が愛されるに値しない石ころにすぎないから。
何度も何度も確かめる。ささくれをむしるかのように。かさぶたを爪ではぐように。
黙ってしまった僕に呆れたのだろうか、アユムは身体を少しだけずらした。
不意に額へとあてられる華奢な手。それは僕の前髪をくしゃりとかき撫でた。
「あんたってホント、わかりやすぅ。顔に全部出てるよ。欲しがってますよって言葉、言ってみようか」
目が笑ってる。嘲りの色は見えないけれど、面倒くさい相手だとは思っていることだろう。
わかるわけない。アユム、のびやかに生きるおまえには。
「あんたが石ころだと思ってるのは、ホントに石ころなの?もしかしたら世界にただ一つしかない貴重な宝石かも知れないよ…ってね」
滅多に動かない僕の感情に、音を立てて亀裂が入る。そんなこと考えたこともない!言い切ろうとして不快感に襲われる。ぐらりと日常が揺れる。
「残念でしたー。石は石。その辺に貴重な原石なんてごろごろ落ちてるわけない。触れば汚れる土まみれの石なんか触りたい女もいない。原石も本音じゃ要らない。磨き方も知らないし、そんな手間掛けたくないし。欲しいのはブランドの包装紙とバッグに入った、わかりやすい格好いいヤツ。あたしに買ってくれるんだったらそっちにして」
「わかり…や…すい…?」
人の本質を見抜くことこそ、素晴らしいことじゃないのか。表面で判断するのではなく内面を観ろと誰もが偉そうに言うじゃないか。
言葉に反してアユムは僕の頭に手を回し、引き寄せる。しょうもないんだからという表情が見て取れる。
「相手はこう思っているだろう、思っているに違いない、思わないはずがない。ねえ、だったらそれをちゃんと伝えた?」
僕は間近でアユムの目を見ていて、息が掛かるほど近くにいて、それなのに驚いた顔を隠せなかった。
何も彼女に話してない。一度も抱きしめたことなんてないと冷たく言い切った実の母親のことなんて。触ったこともないからと、それも人づてに聞いた言葉。
わかっていながらも温かいまなざしを期待して何度も持ち帰った石ころを、僕は庭に捨てられ続けた。触れることも厭なら、なぜ同じ家に居続けたんだろう。ねえ、こっちを見てよ。声を掛けてよ。抱きしめてよ。愛してよ!愛してよ!!
「伝えたって伝わらない…相手…だって……いる…」
押し出すように呟く。だからあんたってバカ。彼女の言葉は容赦がない。
「だったらさ、さっさとあきらめればよかったのに」
この石ころ、もらってくれる?って訊けばいい。もらってくれたら信じればいい。
要らないって言われたら、その人と関わるのを止めればいい。そんなのあんたの自由なのに。
石ころは石ころ。何かに変わる訳じゃない。変わることを期待してるってことは、石ころじゃダメってあんたも思ってるってこと。
中にはさ、石ころが好きって人も石ころでもまあもらってやるかって人もいるかも知れない。とっとと自分から訊いてもらってくれる人を探して回ればいいのに。
「付き合った女の話をしてる訳じゃない」
こんな歳になったって、無条件でもらえるはずの母親の無償の愛を信じたっていいじゃないか。
「だからあんたはわかりやすいって言ってんじゃん。相手が誰でも同じ。奥さんでも子どもでも親でも、もらえない人からはもらえない」
「勝手に自分から縁なんて切れない!」
離れろだなんて言ってないよ。アユムの声がひそめられる。それほど…近くにいるから。
「相手が愛してくれるだろう、くれるに違いない、くれないはずがない。どうしてそんなふうに決めつけるの?」
だって、だって……みんなはもらってるから。そう言いかけて自分で笑い出す。みんなって誰だ?何十人か、何百人か。直接訊いて回ったわけでもないのに、僕は自分以外のすべての人がもらっているはずだと思い込んでいたのか。
「詳しいことなんか知らないけどさ、あんたってクレクレ君じゃん。いっつもそんな寂しそうな目で女を見て、誰だって構いたくなって。そのうちウザがられてくると自分からさっさと別れて。そんな評判だけはいっぱい聞いてる」
「ひでえ言われ方」
もうさっきまでのようにせっぱ詰まった顔なんかしてないだろう。僕は自虐的に笑い出さないようにこらえるのを我慢しているくらいなんだから。
反対にアユムの表情から笑みが消える。まっすぐにのぞき込む瞳。
「どんなしんどいことがあったのか、そんなこと興味もないし訊かない。でもあんたはきっと何があってもあきらめない。それっていいことみたいに言われてるけど…きっと嘘」
「うそ?」
変わらないささやき声にアユムはゆっくりと頷く。
「みんな、たくさんのことをあきらめてる。あきらめることに慣れてる。だから平気な顔して毎日暮らせてる。あんたはあきらめない。だからしんどさから逃げられない」
「あきらめろって言うのか」
たくさんの石ころを全部持ったまま、いつまで歩いてるの?もう僕には、それがアユムの言葉なのか自分の内なる声なのかさえ区別できずにいた。石ころは石ころ。持っていて悪いことじゃないけれど、重いね。
思いは想うことでなおさら重いね。
「まあ、リュックしょって石ころ詰めて歩くんなら、それもあんたの自由ってこと」
「どうやったら、捨てられるってのさ」
さあ。
無責任な呟きと取り戻した微笑みを残して、アユムは二日酔いの僕の頭をそっと抱きしめた。
<了>
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