01
このクリスエレスという国の冒険者ギルドには、大抵閑古鳥が鳴いている。
賑わうのは特定の時間だけで、そのかきいれ時だって一人で受付を切り盛りできる程度のものでしかない。もちろん内容も小さなものばかりで、なんのドラマもありはしなかった。
そんな退屈な国の退屈なギルドの受付をやるために、はるばる本部のあるザーラッハから左遷されてきた彼女だが、今日は久しぶりに欠伸を零さず受付としての一日を終えられそうという期待に活気づいていた。
二体の飛龍の目撃報告が、騎士団からあがって来ていたためだ。
どちらも、首都付近から国境沿いまで伸びているブラス山脈付近に降り立ったとの事。もしかしたら繁殖期なのかもしれない。つまりはタマゴを生む可能性がある。
この情報を他の国にもばら撒けば、きっと有名な冒険者がこの国にもやってきてくれるだろう。飛龍という存在には、それだけの価値があった。
(問題は、どうやって情報漏洩するかだよなぁ……)
特に規制がされているわけではないので許可を得れば問題はない筈だが、その許可が通るまでがやたらと遅いのがこの国だ。他の国と比べてあまりにも冒険者ギルドに影響力がない。当然、ここで活動している冒険者の質も酷いの一言だった。というか殆ど民兵のバイト先みたいな扱いなのである。
(本部に居た頃は良かったなぁ、上位の冒険者にも簡単に会えたし、新人冒険者も皆熱気があって……はぁ、どうして私こんなところに居るんだろう?)
もちろん、それは違法賭博というやらかしの所為ではあるのだが、それでもため息は零れる。
零れたタイミングで、受付正面から見て左手側にある入口のドアが開かれる音がした。
今、ギルドの中には馴染みの冒険者が三人いて、毎日来る面子は全て揃っている。なので入ってきたのは客だろうと判断し、彼女は足元の引き出しに入っている白紙の依頼書をごそごそと取り出して、応対の準備を済ませてから視線を入り口に向け、
「――え?」
自身の読みが外れたのを知ると共に、その眼を大きく見開く事となった。
悍ましいほどに美しい長身の男が、そこに悠然と佇んでいたからだ。
冷たい銀色の髪に褐色の肌、そして醒めるような深い紫の瞳が特徴的な、研ぎ澄まされた妖刀の如き威容。
(…………まさか、このレベルの大物が来るなんてなぁ)
暴力的なまでの美貌と、腰にぶら下げている鍔なしの長刀が、彼が誰なのかを教えてくれていた。
ヴラド・ギーシュ。
つい最近この大陸にやってきた、外では既に圧倒的な戦果を得ている傭兵だ。
冒険者としても一流で、ギルドは彼を『黒潰石』――上から二番目の位に相応しい存在であると認定していた。
(……あれ? でも、この人ってたしか連れがいた筈よね)
リリスという名の、冷ややかな金色の髪に真紅の瞳をもった、それはもう可憐な姿をしているらしい十二歳くらいの少女。
どういう関係なのか正確にはわからないが、その少女が主に彼の窓口をしているという話だった……が、見当たらない。
(もしかして、人違いとか?)
いや、それよりも資料にあった少女の情報に更新があったと考える方が自然だろう。ずっと一緒にいる相棒ではなく、一時的な付き合いでしかなかったとか。
まあ、いずれにしても、彼女がこの冒険者ギルドにやってきてから初めての大物である。それも超がつくほどの大物。
(だっていうのに……)
信じられない話だが、今居る冒険者たちは、誰も彼を気にしていなかった。この静謐極まりないある種異様な気配にすら気付かず、必死に割のいい依頼を探しているのだ。
というか、そもそも彼を知っているのかどうかも怪しいところだった。
笑えないレベルの知識量に、どうしようもないくらいの意識の低さ、冒険者という言葉が本当に相応しくない連中である。
その無残な現実にウンザリしているあいだに、ヴラド・ギーシュが受付の前にやって来た。
冒険者の資格証であり『黒潰石』の位の証でもある紋章をこちらに示しながら、ボードにピン刺しされていた依頼書を差し出してくる。
ばら撒き依頼だ。立場問わず誰でも引き受けられる類で、おそらく民兵団なんかにも配られている。
ただ、今回の難度は非常に高いものだった。
なにせ、その内容は『死人繰り』と呼ばれる高位の魔物、リディッチの討伐だったからである。
§
「物静かで良いギルドだったわね。まさに最底辺」
外に出たところで、隣で漆黒の翼をゆったりと羽ばたかせてヴラドと目線を合わせていたリリスが愉しげに吐き捨てた。そして、膝丈のシックな黒のワンピースをひらひらと揺らしながら、ギルド前の広場の中央に向かって移動する。
その際、真正面から男が向かって来ていたが、彼女は避けることなく文字通りその顔面をすり抜けて、噴水の前に降り立ち、視線を噴水の中心に佇む六枚の翼をもった女性の白亜象に向け、微かに目を細めた。
「……天使の国、か。息苦しそうで嫌ね。問題が起きなければ良いけれど」
「どの口が言う」
ぼそりと呟きつつ、ヴラドは彼女から視線を切って仕事場に向かって歩き出す。
その声に引かれるように、リリスが戻ってきた。
「聞こえているわよ? 陰口をするならもっと静かにしなさい。傷付いてしまうでしょう?」
「陰口に聞こえたのか?」
言葉を返すと、近くにいた誰かが微かに驚いた反応を見せた。
それを嗤いながら、リリスは言う。
「独り言は目立つわよ? お前はただでさえ無駄に目立つのだから」
「だったら喋りかけてくるな」
刺すように告げ、ヴラドは歩調を速めた。
§
標的が居を構える盆地が見えてきた。
そこは、二十七日前に敵対国であるエンシェとの戦闘が行われた一帯だった。
そこにリディッチが現れて戦死者たちをゾンビに変えたのが十日ほど前。それにこの国が気付いたのが三日ほど前。そして今日の朝、ギルドを含めた複数の民間組織に討伐の依頼が配布されたらしい。
なんとも杜撰な対応である。或いは、それだけ些末な問題という認識なのか。
「騎士団に余計な被害が出るのを渋った感じね。それで戦力分析の為にまずは民兵を犠牲にする事にした。わたしたちが来なかったら、このあと何人死んだ事かしら?」
リリスはいつもの如く愉しげだ。
その視線の先には、こちらに向かって敗走してくる複数の民兵の姿があった。
どいつもこいつも深手を負っているようには見えないが……まあ、無駄死にをするよりは良い判断なのだろう。
両の瞳に魔力を込めて視力を強化し、彼等の奥に居る標的を見据える。
黒いフードをかぶった骸骨。両手には巨大な鍵を持っている。その鍵を大地に刺して一帯に特殊なルールを付与し、死者を自身の手駒に変えているのだ。
現在、取り巻きの数は百程度。殆どはクリスエレスの騎士の姿をしている。この戦場がどういうものだったのかは、それで大体判った。
長刀を引き抜きつつ、ヴラドはゆったりとリディッチの元に向かう。
急ぐ理由はない。その間に何人民兵が死のうが知った事でもなかった。いや、むしろ死んでもらった方が都合が良いというのが現状だろうか。
「た、助け――」
息も絶え絶えの男が、背後に迫る二つの動く死体から逃げられない事を悟ってか、こちらに向かって手を伸ばそうとして、投擲されたナイフによって頭部を穿たれ即死した。
そうして地面に倒れたそいつは、数秒後にむくりと立ち上がり、こちらよりも離れたところにいた他の民兵に襲い掛かる。
「なかなかの影響力ね。獲物に出来そうな奴を嗅ぎ取る程度の知性も残しているみたいだし、それなりに強力な個体みたい。まあ、わたしたちには関係ないけれど――と、見つけたわ」
「あれか?」
視線を左手に少し動かし、ヴラドは大きな斧によって左肩を切り落とされた少女を見据えた。
拘束服のようなものを身に纏い、傷んだ長い黒髪を太腿まで伸ばしている。ずいぶんと華奢――いや、そのような言葉では表せないくらいに痩せ細っている。とてもではないが、まともに戦いが出来る肉体には見えなかった。このままでは胴体を両断されるか、背面を取った奴の槍で心臓を貫かれて終わりだろう。
その読みのままに、後者の未来が少女には訪れた。
だが、少女はその状態で目の前の斧を持っている敵の頭部にナイフを突き立て、前に踏み込んで突き刺さっていた槍を引き抜き、槍兵に向き直る。
間違いなく死んでいなければならないのに、まだ動いているのだ。そのうえで、お仲間になっている筈の死体に刃を向けている。
「どうやら噂は本当だったようね。ほんと、無駄足にならなくて良かった」
高揚をわずかに滲ませた声で、リリスが呟いた。
既に名声を得ている傭兵兼冒険者が、わざわざどちらの地位も低いこんな国に来た理由は、まさにこの不死性を帯びた何者かにあった。その力を手に入れる為に、ヴラド達はこの天使が治める国にやって来たのだ。
「もちろん、まだ大当たりとは言い切れないけれど、わたしが視認しなければ感知できないあたり、瑕疵はないと見てもいいでしょう。あとはどの程度の強度をもっているのか――」
答えを得たのなら、悠長にしている理由はもうない。
リリスが言葉を終える前に地を蹴り、少女の傍らにいた二体の首を刎ね、そのままの勢いでリディッチに肉薄し、逆袈裟の太刀をもって鍵もろともに両断する。
反応の暇すら許さない瞬殺劇。
「……まあ、今ここで試す事ではないのかもしれないけれど。それでも、わたしの意見を聞くくらいの時間は設けても良かったんじゃない?」
試したかったらしいリリスがため息をつくが、そこに尾を引くような怒りはない。
鍵の破壊によって死体もただの死体に戻り、この戦場が片付いた事を示していた。
その余韻を残心の時間としつつ、ヴラドは危機が去った事に安堵したからか意識を手放した少女の元に歩み寄る。
断たれた左肩は既に完治していた。心臓も然り。けれど、こけた頬や、罅割れた唇はそのままだ。遠目から確認した輪郭以上の危うさが、そこには残っていた。
そんな少女を背負って、帰路につく。
「あら、ずいぶんと優しいのね。驚きだわ」
腕や足でも掴んで引き摺って帰るものだとでも思っていたのか、リリスは苛立ちとも嘲りとも取れる温度感でそう言った。
それを否定する理由は、特になかった。
§
夢の中に居る。
過去の夢だ。初めての実戦で、前日よく眠れなかった事が原因か体調不良で上手く身体が動かなくて、それほど驚異でもない魔物を相手にずいぶんと苦戦した日の出来事。
最終的に片足を犠牲になんとか勝利して、ちょうどその場に同席していた父に背負われて医者の元に向かっていた。
こういう明晰夢を、シャルロットは最近よく見る。
この時は、自分の惨めさとか初めて味わう激痛に震えていて、だけど泣くわけにはいかなくて、必死に歯を食いしばっていた。父をこれ以上失望させたくなかったのだ。
それが功を奏したのかどうかはわからない。ただ、いつもだったらきっと最後まで無言を貫いただろう父が、ぽつりと零した。
『……私も、いい加減前を向かなければな』
噛みしめるような声だった。
それから少しだけ歩き方が変わって、身体にかかる揺れが抑えられた。判りやすいものではなかったけれど、それは確かに父の優しさだった。
「おとう、さま」
あのとき、自分はどんな言葉を返したのだったか……思い出す前に、夢から覚めた。
濃密な血の匂いが真っ先に届けられて、次に微かな上下の揺れが身体に伝わる。どうやら、誰かに背負われているようだ。
「あ、やっと目が覚めたわ」
右手の方から声がした。甘くて高い、けれど同時に凛とした少女の声。
シャルロットはつられるように視線を向け、驚きに身体を強張らせる。
「あ、悪魔っ……!?」
小柄なその体躯より大きい蝙蝠のような漆黒の翼が、そこに居た少女には生えていたのだ。朱色に濡れた瞳とサイドテールに纏められた金色の髪が、酷く蠱惑的に映っていた。
「なに? 御同類の『契約者』に会ったのは初めて? まあ、こんな国だものね。珍しい話でもないのか。でも、警戒する必要はないんじゃない? お前のような貧相で薄汚れた死にぞこないを、わざわざ背負って街まで連れ帰ってあげるような相手なんだから。このヴラド・ギーシュという物好きは」
十一、二歳くらいの少女の姿からは想像もできないような酷薄な微笑。
その、ぞくりと背筋を粟立たせる異質な甘美さに恐怖を覚えるが、彼女の言っている事は正しい。
気を失う前の事は覚えているのだ。彼は圧倒的な速度と業をもって、シャルロットの被害を最小限に留めてくれた。
まずはその事に感謝を伝えようと慌てて背中から降り、自分の血で汚れていたコートを前に反射的に頭を下げて謝罪の言葉を吐きだしたところで、怒声が響き渡る。
それはよく知った声で、案の定視線を向けた先に居たのは、この国の傭兵たちだった。正しくは、騎士になれなかったので形式上傭兵という立場に置かれている者達だ。外部の傭兵とは少し扱いの違う、民兵組織の一つ。
シャルロットはそこの備品であり、彼等の身の安全を守ることを責務としていて、
「この役立たずが!」
近付いてくるなり、一人の男がシャルロットの顔面を思い切り殴りつけた。
衝撃でよろめいたところ髪を掴まれて引き戻され、もう一度殴られる。
ぶちぶちと髪がちぎれる音と共に、踏ん張りの効かない身体がそのまま地面に崩れ落ちた。
間髪入れず、別の誰かの爪先が鳩尾につき刺さる。
胃液を吐いている途中で、後頭部を踏みつけられた。
唾と共に、無数の罵声が浴びせられる。
……いつもの事だ。我慢できる。我慢しなければならない。何故ならここは天使の国で、自分は到底許されるわけもない罪人なのだから。
けれど、そんなこと部外者にはきっと判らないし、傍から見て彼等の行いは気分の悪いものでしかない。空気が軋むほどの圧力の発生が、それを物語っていた。
その嫌悪の感情に引っ張られるように、彼等の視線がヴラドに向けられる。
同じように、シャルロットも自分以外にそれを向ける稀有な存在に視線を奪われ――同時に、呼吸も奪われた。
奇蹟のようだと思った。或いは幸せな悪夢のようにも感じられた。
思考が溶けて身が凍りそうなくらいに、その艶やかでありながら厳然とした美しさが、恐ろしかったのだ。
きっと彼等もそうだった。ただ、彼等の方が先に我に返ったのは、本能が身の危険を覚えたからだろう。
「が、外国の方でしたか、貴方にはずいぶんと無駄な事をさせてしまったようだ。こんな薄汚い悪魔憑きを人のように扱わせるだなんて、この国の人間として申し訳ない」
冷や汗を垂らしながら、そのくせ顔を赤らめながら軽く頭を下げる。余所の人間を毛嫌いしている彼等が下手に出たのだ。
しかし、その繕いは色々な意味で手遅れだった。
「……無駄、か。お前たちも同じだろう」淡々とした口調で、ヴラドは言う。「あの程度の戦場で死ぬような生ゴミの為に怒りを抱くなど、無駄もいいところだからな」
瞬間、空気が凍りついた。
同じ民兵の仲間の死をそんな風に言われて、浮足立っていた気持ちも吹き飛んだのだろう。そうなったら彼等は一直線だ。あっという間に剣呑な雰囲気で場を覆い、暴力の気配を匂わせ出す。
彼等の数は七人。背後からさらに五人ほどがやってきていたので、じきに十二人。普通に考えれば圧倒的に優位だ。
でも、あの戦場に誰か一人でもいたのなら、そんな愚かな発想は抱けなかったに違いない。
「ねぇ、問題を起こしてもいいのなら、リリスのことも実体化させない? その方がもっと酷い事になるだろうし? あっはは」
少女が愉しげに嗤いながら、何故漆黒の翼をもったその身が誰にも触れらなかったのかを教えてくれた。
おそらくだが、同類にしか認識できない状態にあるのだ。たしか『悪魔の特権』と呼ばれている、悪魔全般が有する力の一つにそんなものがあったはず。
「――」
リリスの言葉を受けてか、ヴラドの左手が太腿のあたりの高さにぶら下げられている長刀の鞘に触れる。これ以上ないくらい自然に、敵をすぐに殺せる段階に辿りつく。
民兵たちはまったく気付いていない。その時点で、残酷なほどの実力差だった。
このままでは彼等が殺される。
だから、咄嗟に声をあげようとして、
「なにをしているのですか? 貴方たちは」
横から飛んできた男の声が、その機会を奪った。
皆の視線が一斉にそちらに向く。
そこに居たのは、この国において知らないものが居ないほどに有名な元将軍の、元部下の執事だった。
「彼はオルガ様の客人です。用がないなら、もう去りなさい」
有無を言わせない口調。
民兵たちはバツの悪い表情を浮かべ、逃げるようにこの場を離れて行った。
「貴女もだ。外での贖罪は、もう終わりでしょう?」
冷たい視線と共に告げられる。
まだヴラドに感謝の言葉を伝えられていなかったのが心残りだったけれど、逆らう事は出来ないので、シャルロットもぺこぺこと頭だけ下げ、足早に帰路につくことにした。
「強引な誘いになって申し訳ありません。ですが、十分な報酬を用意できる依頼です。ついて来てくださいますか?」
「……あぁ」
背中から二人のやりとりが聞こえる。
オルガ元将軍は、一体ヴラドになにをさせるつもりなのだろう?
興味に後ろ髪を引かれて振り返ると、ちょうどこちらに視線を流した彼と目が合った。
深い紫色の憂いを帯びた瞳。
それに射抜かれた瞬間、どうしてだろう、激しい羞恥心が全身に広がった。と同時に、強い後悔にも襲われる。
シャルロットは溢れ出した理解不能な感情の渦から逃げるように慌てて視線を外し、自宅に向かって駆けだした。
§
上等そうな酒場に到着した。
争いの火種を踏み消した余計な男は、この店で一番高い酒を一つ注文し、それがヴラドの目の前に置かれたところで依頼話を切り出してくる。
「四日後、隣国のエンシェがベルナ荒野から進軍してくるという情報が届きました。同時にナーブ平原にも戦力が投入させるとの事で、現時点において我が国は両方に対処出来る状態にありません。片方には体裁を保てる程度の兵力しか用意できないでしょう。そこで、貴方様にはそちらの穴埋めをお願いしたいのです」
「穴埋めですって。物は言い様よね」
小馬鹿にするように、リリスが嗤う。
一瞬だけだ。彼女はすぐに冷ややかな表情を浮かべ、口元に手をあてて、
「でも、どうやらこいつはわたしたちの事を知っているみたい。反面こちらは彼らの事情に乏しい。いろいろと情報が欲しいわ。というわけだから、今からわたしの言う内容をそのまま口にするのよ?」
と、面倒な指示を出してきた。
まあ、その手の駆け引きは得意ではないし、断る理由もない。
小さく頷くと、リリスは満足そうに眼を細めて、
「その前に、お前の主のオルガ様とはどこの誰なのかしら?」
「その前に、お前の主のオルガ様とはどこの誰なのかしら?」
「……」
特におかしな質問をしたとは思わないのだが、何故か誰かの従者らしい男は困惑の表情を見せて押し黙った。
「ば、莫迦! わたしの口調まで真似てどうするのよ?」
「ば、莫――」
「黙れ喋るな」
ぴしゃりと言い放ってから、ごほん、と咳払いを一つして、リリスが言う。
「あぁ、そういえば、ここにはそういう風習はなかったな。混乱させたのなら申し訳ない。前にいた大陸では男女共にこのように話す必要があってな」
これも普段の言葉遣いとは違うが、ここではヴラドが交渉もする必要があるので、その言葉遣いで通すつもりなのだろう。
少し気持ち悪いが、まあ面倒な調整をしなくて済むのならなんだっていいと、その言葉をそのままなぞると、執事は一応の納得を見せてから質問に答えた。
「オルガ様は、クリスエレスの将軍だった方です。今は退かれ、軍の名誉顧問の役に付いております」
「影響力の方は?」
「無論、今も健在です。少なくと現将軍よりはずっと」
「それが事実なら、本当にまともな報酬も期待できそうだな」
「ええ、もちろんです。そちらの相場は重々理解しておりますので」
「ならいい。契約成立――いや、その前に、もう一つだけ聞かせろ」
「なんでしょうか?」
「さっきの奴は何だ? 何故あのような扱いを受けている」
その質問に、執事はわずかな間をおいてから、
「悪魔と契約した罪人だからですよ」
と、答えた。
「ここは天使の国だろう? 何故生かしている?」
「生かしているのではなく、殺せないのです。彼女は不死ですから」
「では追放すればいい。それをしない理由を訊いている」
「それは……」
答える事を渋る執事を前に、ヴラドは席を立った。
そのまま帰ろうとしたところで、焦った彼が言う。
「彼女はただの悪魔憑きでも、いわゆるただの不死者でもないのです。……彼女は、この国にとって最も特別な英雄の娘であり、神子でもあるので」
「神子ですって?」
リリスが驚きを露わにする。
それからすぐにこっちを見て、
「違うからね」
と言ってきた。
もちろん判っている。だから、静かに彼女の次の言葉を待って、
「なるほど、政治的な理由か。……次の戦場には出てくるのか?」
と、その言葉だけをなぞった。
「はい」
「そうか。気にする必要は?」
「特にありません。ですが、あまり近付かない事を推奨します。穢れた血は周囲にどのような悪影響を齎すか判りませんから」
「わかった。では、今度こそ契約成立だ」
淡々とした口調で話を絞めくくり、手を付けていなかった酒を一口飲む。
酒の良さはまったく判らない。契約においてのマナーというか、場所によっては手続きの一つらしいので仕方なく飲んでいるが、こんな甘くもないモノのいったいなにがいいのだろうかという疑問はいつも抱いてしまう。
ともあれ、これでもう煩わしい仕事は終わりだ。
視線を執事から完全に外す。用が済んだのなら、さっさと消えろという意志表示である。
「ありがとうございます。では、私はこれで」
察した彼は安堵の気配を漏らしつつ、こちらに深々と頭を下げ、前金といくつかの情報を記した紙片を置いて、最後に支払いを済ませ、酒場を出て行った。
その後ろ姿を最後まで真剣な様子で見送っていたリリスが、テーブルの上に腰を下ろし、左右の足をぶらぶらと前後に揺らしながら言葉を躍らせる。
「穢れた神子を使う事に懸念を覚えているようだけど、備えが甘い。だから、こちらで色々と用意してあげないとね。ふふ、あは、あっははは!」
よほど機嫌がいいのか悪いのか、珍しく腹を抱えてわらっている。
(……いや、珍しいどころか初めてか)
そんな気付きに微かに目を細めつつ、ヴラドはちびちびと時間をかけて酒を飲み乾してから、静かに店を後にした。
§
シャルロットが屋敷に帰って真っ先にする事は、穢れ落としだ。
戦場で纏った汚れ、自身の内側から滲み出た淀みを『浄化の水』と呼ばれているもので清める。
触れただけで肉を溶かし、剥き出しになった骨を青く染め上げ、特に不浄とされる臓器を燃やす、水のような炎。
それは毎日何度も何度もシャルロットの命を奪うと共に、いかにその不死性という名の呪いが常軌を逸した強度を持ち、また生命を冒涜する悍ましい存在なのかを教えてくれる。
「……ぅ、ぁ、ぉ」
最後に口の中に注ぎ込まれたそれが胃と肺を破り、溶けた肉から外側に全て出たところで、本日の浄化が終了した。
今日は八回死んだ。死ぬたびに元通りになるので、既にこの身体に大きな損傷はないが、当日の一番いい状態に戻るだけなので、慢性的な傷みは全ての箇所に残っている。
「……うぅ、が、ごほっ」
僅かに残った水が、元に戻った肉体を再び焼いて血反吐を吐かせた。
鼻と耳から血が垂れる。片耳が聞こえない。身体もまだ痙攣を続けている。これらの軽傷は自己治癒能力で解決しなければならない問題なので、しばらくはこのままだ。
そんな有様の中で思う事は、この罰について。
母を殺して生まれた自分が穢れていたのだから仕方がないという自責の念と、自分が望んで悪魔を選んだわけでもないのにどうしてという怒り。
最初の頃は前者が強くて、でも痛みが重なる事に後者が膨らんできて……今は、いつまで続くのだろう、という嘆きだけが胸の内を占めている。
それに浸るのも辛くて(頭をからっぽに出来たらいいのに)と思っていると、この清めの浴室の扉が開かれた。
ぼやけた視界を動かすと、そこには見知らぬ二人と父の姿があった。
二人はきっと新入りだ。扉を開けた際に外に漏れた人肉の溶けた臭いに、明らかに動揺を見せていたから。
ただ、そんな事はどうでも良くて、父が此処に来た事にシャルロットは驚きを覚えていた。
今年はもう半分が過ぎていたけれど、今年になって初めて顔を見たからだ。
懐かしいという気持ちと、どうしようもない罪悪感が混ざり合って、苦しくなる。
自分が悪魔憑きになった事で、グウォン本家は最上位の貴族から下位の貴族にまで転落した。あげく、汚らわしい悪魔憑きの管理も任せられて、父のダノラウトもまた苦境の中に居るのである。
その現実を直視するのが嫌で、思わず視線を逸らしてしまった。……そういえば、前に会った時も、同じような事をした気がする。
「……次の戦いは、国の情勢を変えるほどに重要な一戦となる。お前にはその要として頑張ってもらいたい。上手く行った暁には、お前の扱いにも変化が生じる事だろう」
感情を押し殺したような硬い声で、父が言った。
「変、化……?」
かろうじて、喉が言葉を紡ぐ。
疑問に対する答えは無かった。代わりに一人分の足音が近付いてきて、大きな両手がシャルロットの頬に触れ、俯いていた顔を持ち上げる。
そうして、昏く沈んだ父の瞳と目が合った。
「これより儀式を施す。多大な痛みを伴うが、お前はより多くの者を守れるようになるだろう。……やってくれるな?」
「……はい、もちろんです。お父様」
少しだけ嬉しさで泣きそうな気持ちになりながら、シャルロットは赤い涙を零すと共に静かに微笑んで――
§
ベルナ荒野には、五万を超えるエンシェの兵が集まっていた。
対するクリスエレスの方は一万五千。数の上で約三倍の差だ。……もっとも、深刻なのは数ではなく質の方だったが。
「想像していた以上の雑魚共ね。これで国の兵をやれるなんて驚きだわ」
いっそ感心したように、傍らで浮遊するリリスが言う。
おおよそ正確な認識だ。それくらいに乏しい魔力の群れ。
「まったく、これ以上ないくらいの負け戦。お前が居なければ、ただの虐殺で終わりだったわね」
「どうだろうな」
誰にも聞こえないような小さな声を返しつつ、ヴラドは鞘から長刀を引き抜き、敵軍に向かってゆっくりと歩き出した。
一歩近づくごとに高ぶる神経と魔力が周囲を強張らせ、この戦場にあった温い空気を殺していく。
「……あぁ、なるほど、気を張るほどの戦場でもないと思っていたけれど、向こうにも居るわね。厄介な、本当に厄介なのが」
リリスの視線が、その元凶を捉えた。
こちらの気配に呼応するように険しい表情を浮かべる敵軍の中にあって、ただ一人晴れやかな表情を浮かべている存在。
腰まで届く太陽の如き金色の髪と、澄んだ青色の瞳を持った細身の麗人だ。
周りから明らかに浮いているその華やかさは、こんな戦場ではなく大劇場の舞台などに立つ方がよほど相応しく思える。
クーレ・サーランタ。
ヴラドと同格の数少ない傭兵である彼は、この大陸の戦場はもちろん、大陸の外でも何度も殺し合ってきた、いわゆる腐れ縁の相手だった。
「やぁ、ヴラド、それにリリスも、今回は敵だね」
そのクーレはこちらに気付くなり軽く手を振り、にこやかな笑顔を向けてくる。
やはり男と認識するには無理がある、甘く柔らかな声。
魔力を乗せたその声は、生半可な距離という障害を容易く乗り越えて、ヴラドの耳にまでしっかりと届けられる。
「相変わらず目障りな男。……まあ、御付きの不細工はもっと目に障るけれど」
リリスが悠長に呟いている間に両軍が接敵を果たし、殺し合いが始まった。
まともに相手の力量も計れない雑兵の一部が、凛々しくも柔和な女性にしか見えないクーレに襲いかかる。
もちろん自殺行為だ。
御付きの不細工と呼ばれたガジャという名の悪魔が彼の真後ろに姿を見せ、その巨大な腕を実体化すると共に、迫る脅威を叩き潰す。
「聞こえてるぞ? クソ淫魔がっ!」
怒声に呼応するように、岩のようにごつごつとした巨腕が紅く熱し、そこから立ち込めた湯気が悪魔の一部を瞬く間に覆い隠した。
「暑苦しいな、まったく」
微かに眉を顰めて、クーレがぼやく。
その一言にガジャの表情は少し強張ったが、また敵が迫って来ていたので不可抗力だと自分に言い聞かせたのだろう。さらに叩き潰し、周囲の温度を高めていく。
それに対して今度は盛大なため息を零しつつ、クーレはのんびりと視線を左右に動かし、こちら側の兵の質を確認して、
「それにしても、ここは良くない戦場だ。ここでの勝敗は今後の展開を決める恐れすらあるという話なのに、やる気がまったく感じられない。ずいぶんときな臭いことだね。……でも、まあ、おかげで君だけに集中できる。それは、きっと良い事なんだろう」
最後にこちらに視線を戻し、淡く微笑んだ。
得物である鎖に繋がれた長短二本の槍を握る手に力を込めて、静かに重心を落とす。
直後、吹き荒れた魔力が近くにいた雑兵の呼吸を奪うほどの圧力となった。……普段のこいつからすれば、ずいぶんと投げやりで乱暴な気配だ。
「クーレ、お、俺はなにをする? なにをすりゃあいい?」
主の機嫌が悪い事を察してか、ガジャがやや怯えたトーンで訪ねた。
「なにもしなくていい。そのまま他と遊んでなよ。僕のやる気がこれ以上損なわれないように、邪魔にならないように、ね」
「相変わらず、これっぽっちも信頼がないのね、お前。――あぁ、可哀想」
憂いを帯びた表情をつくりながら、リリスが小馬鹿にする。
判りやすい挑発だ。だが、短気な悪魔にはそれで十分だったようで、周囲の湯気が一気の燃え上がり、ガジャはここで完全な具現化を果たした。
全長五ヘクテル(五メートル程度)の巨体が全ての人間に認知され、特にクリスエレスの兵達に恐怖を撒き散らす。
「男咥えるしか出来ねぇ能無し下等種が、調子づいてんじゃねぇぞ……!」
「あらあら、そんな大きな声で、自分は咥えることすらさせてもらえない醜悪な木偶でしかないだなんて、いつから自虐を覚えたのかしら? でも、それ、全然そそらないわ。まあ、その見てくれだものね、当然だけど。あっはは!」
可憐な美貌が、どこまでも甘い声で、悪意を全開に嗤う。
「――殺すっ!」
それが、戦闘開始の合図となった。
嘲笑に憎悪が弾け、常人の三倍近くある巨体からは想像もつかない速度でリリスに迫ったガジャの拳が叩きつけられる。
もちろん、実体化していないリリスに触れる事は出来ない。近くにいたヴラドもまた、彼が踏み込んだのと同時にクーレに肉薄し、斬撃のついでに難なく回避を果たしていた。
大地が爆弾花のように弾け、巻き添えをくらった危機管理の出来ていない間抜け共をミンチに変える。
「――討てっ! 全てを賭して悍ましき悪魔を討滅するのだ!」
なにかのスイッチが入ったみたいに、周囲に居たクリスエレスの兵士たちの矛先が一斉にガジャに流れた。
攻撃的な魔法を宿した矢が殺到し、ガジャはさらなる爆発の中心点となる。そこに斧や剣を持った連中が突貫して、届きもしない刃を岩の肌にぶつけて行った。
見事なまでの特攻である。
その愚行を鼻で嗤いながら、リリスは身に纏うシックなドレスワンピースの裾を両手でつまんで軽く持ち上げ、優雅に会釈を一つ、
「暇が無くなってなによりね。では、わたしもそろそろ失礼させていただくわ。おバカな悪魔さん」
翼を広げ、ゆったりと戦場全体を見渡せる上空へと避難した。
§
……大体、体感で二十分くらいが経過しただろうか。
ヴラドの感覚を少し借りている程度なので、そこまで時間が引き延ばされている感じはしないが、それでも実時間にして約六分。
化物と魔法が渦巻く戦場なんてものは、長くて三十分、早ければ五分で勝敗が決するような世界なので、もう佳境といってもいい頃合いだろう。
「ふぁ、ぁぁ……」
両手で口元を隠しながら欠伸を零し、リリスは目尻に溜まった涙を拭う。
今のところ特に期待している動きはなし。両者の戦力差にも大きな変化はない。
(でも、そろそろの筈)
それまでに眠ってしまわないようにと、退屈凌ぎにリリスは自身の半身であるヴラドに視線を向ける。
雲の上まで明らかな異音として届く凄まじい剣戟の音色に、心地良く肌を叩く魔力の猛りに、俯瞰視点でも目で追う必要があるくらいの尋常ではない移動幅。
まったくもって同じ生き物同士とは思えないほど、クーレ・サーランタとの戦闘は周りのそれとは隔絶したレベルにあった。
凶悪な魔力の衝突の余波だけで人が死ぬ死ぬ。そこから少し離れたところで暴れているガジャの癇癪によっても、山ほど死んでいた。
現状、舞台の主役はその三名だ。
万が一ヴラドが死ぬような事になればこの戦場は一気に片付くだろうし、クーレが死んだ場合も、一気にクリスエレス側の優勢に傾くことだろう。
とはいえ、どちらかに転ぶ事は絶対にない。両者ともまったく本気ではないからだ。現に、ヴラドもクーレも戦闘に魔法を一切使用していなかった。ただの魔力操作に、ただの武芸、誰もが扱える共通項目の練度で競っているだけ。
先程の言葉からも判明しているが、クーレもこの戦場で起こるであろうなにかに備えているというわけである。
その読み通りに、妙な動きが始まった。
荒野の地中に仕込まれていた魔法陣がゆっくりと脈動するのと同時に、外へ情報を漏らさないための遮断結界が静かに形成されていく。そして、それらの中心は、同じく戦場に駆り出されていた、ただ死なないだけの通常戦力であるシャルロットだった。
元凶である彼女自身は、まだ異変に気付いていない。つまり、彼女の意志でそれが行われようとしているわけではないという事だ。
「ヴラド、ヴラド!」
待っていた機会が訪れたので空の上で実体化しつつ、用意していたものを要求すると、寸分違わない精度で映像を保管する『記録石』がこちらに向かって飛んできた。
胸元に、どすっ、という鈍い衝撃が走る。
痛覚なんてものは入れていないが、それでも「うっ」と思わず呻き声を漏らしてしまった。醜態だ。
「加減しなさい、莫迦者!」
「落とすなよ、のろま」
こちらをろくに見ることなく放たれた屈辱的な言葉が、契約者同士のリンクによって明瞭に届けられた。いつになく生意気だ。それが非常に気に入らなかったが……まあ、怒っても仕方がない。
不満をため息で吐き出しつつ、菱形の記録石の色のついた方の角をシャルロットに向けて、石と一緒に寄越されたヴラドの魔力をもって記録を開始する。
程無くして、地中に仕込まれていた魔法陣が起動し、身体の内側に刻まれていた刻印(先日はなかった)と連結されていたシャルロットの身体にも異変が生じはじめた。
彼女は内側から溢れだしてくるものを必死に抑え込むように自身の身体を抱くが、そこに意味などなく、敵味方問わず戦場全てを消し飛ばす爆弾に変えられた肉の塊は、真紅の輝きを一瞬光らせたのち、その効果を発動し――
「……素敵な光景ね。ほんと、嗤えるわ」
破滅の音が戦場の全てを呑みこむ間際、どこまでも白けた気持ちでリリスはそう呟いたのだった。




