02/悪魔が家を買った日
サインのくだりはさすがのリリスも予測していなかったのか、少しきょとんとした表情を浮かべていたが、だからこそ面白いと感じたようで、シャルロットにヴラドを起こさせて、少年は無事目的を達成することが出来た。(ちなみに寝起きのヴラドは非常に機嫌が悪そうだったが、一瞬で青ざめた少年に追い打ちをかけるほどではなかったようだ)
そんな少年の話によると、かなり良く似た似顔絵付きの傭兵カードなるものがザーラッハでは流行っているらしい。ちなみに、一番人気はクーレ・サーランタのカードで、ヴラドは四番人気との事だった。
二番と三番がなんだか気になるところだったが、ともあれ長い移動が終わり、送獣は首都へと到着する。
「ちょうど二百五十日前、か。半年以内にというスケジュールはなんとか守られたわね」
安堵の吐息を零したリリスは、先陣を切ってぱたぱたと駆け出し、正門を潜り中へと入っていった。
一応護衛という名目のシャルロットも、慌ててそのあとを追いかける。
そうして足を踏み入れた首都アンシェルの第一印象は、とにかく建物が高い、だった。どれもこれも百階以上はありそうだ。おかげで空が少し狭く感じる。今日が曇りだった事も、そこに拍車をかけているようだった。
「色々とごちゃごちゃしてるわね。得物持っている奴も多いし、街中に送獣があるってのも凄いし」
シャルロットと同じように周囲に視線を巡らせていたプレタが、若干呆れ気味に呟く。
それから彼女は、ある一点で目を細め、
「……まあ、なんにしても、退屈はしないで済みそうね。それじゃあ、ここからは別行動。なにか用が出来たら、あそこの冒険者ギルドを通して」
と、軽く左手をふって、颯爽と歩き出した。
その後ろ姿に、リリスが茶々を入れる。
「あまり蜜月に溺れすぎてはダメよ。人間同士と同じで、がっつきすぎると嫌われるから」
「う、うるさいっ! 公の場で変な事言うな!」
顔を真っ赤にしながら叫んで、プレタは小走りに逃げ出した。
あっという間に姿が見えなくなる。
「ほんと、初心な娘ねぇ。まあ、それも、もしかしたら見納めか。そう考えると名残惜しいわね。お前もそう思うでしょう?」
「まずは宿の確保だが、ここでは拠点も買うんだったな」
リリスの発言を完全に無視して、ヴラドは懐から手のひらサイズの布袋を取り出し、そこから宝石を二個ほど選んで、そこに結構な量の魔力を注ぎ、彼女に差し出した。
アダマンにミスルル、どちらも超がつく希少石だ。シャルロットも貴族時代に図鑑で見たことがあるくらいで、実物を見たのは初めてだった。
「活動に必要な魔力の方は十分だけど、軍資金はもう少し欲しいわね。半年近く使う予定の住処だもの。妥協は嫌」
「……」
吐息を一つ零して、ヴラドは布袋から更に一個宝石を取り出し、少し嫌そうにリリスに手渡す。
「よろしい。では、お前たちにはわたしのお城が手に入るまでの、つなぎの宿の手配を任せるわ。素晴らしい戦果を持ち帰るわたしの気分があがるような、上等なものを用意しておくように」
弾むような声で話を締めくくって、リリスは軽やかな足取りで移動を開始した。
(……あ、スキップした。よろめいた。……またスキップした)
本当に機嫌が良さそうだ。
でも、だからこそ少し不安で、
「あ、あの、リリスさん一人で大丈夫なんでしょうか? その、見た目は子供なわけですし、あんな高価なものを持っていたら危ないんじゃ……?」
「その時は、そいつらを皆殺しにして終わりだ」
きっぱりとそう答えて、ヴラドもまた宿探しへと足を踏み出した。
§
そうして、二人して街を歩く。
入口の異様には圧倒されたが、商店街や今居る繁華街の建物はそこまで高く聳えてはいなかった。せいぜい十階程度の高さだ。空はよく見える。
どうやら、外周にある格安の居住区だけがああいう造りをしていて、外壁に近い役割を与えられているらしい。
ちなみに、この首都アンシェルは大きく三十のエリアに分けられており、その内の八つが居住エリアとして宛がわれているという事が、結構な頻度で設置されている地図から知る事が出来ていた。
地図には他にも送獣乗り場や秩序管理機構の派出所なんかも記されていて、初めて此処に足を踏み入れた人でも、なんとか目的地に辿りつけそうな配慮がされている。
ただ、逆に言えばそれだけ迷いやすい構造をしているということでもあって、事実シャルロットは既に地図なしでスタート地点に戻れる気がしなかった。似たような建物が非常に多く、目印になるようなものもないためだ。
(ヴラドさんは、問題ないのかな?)
少しだけ歩調を早め、少し前を行っていたヴラドの隣に並んで、ちらりと様子を窺う。
この瞬間は、未だに緊張する。目が合ってしまったら頭が真っ白になるし、それが怖いのだ。
なので、本当に慎重に横目に見るわけだが、そんなシャルロットの怯えを知ってか知らずか、ヴラドはこちらに一切視線を向けることなく、絶えず周囲に魔力の波を放ちながら真っ直ぐ前だけを見て歩いていた。
これはいつも通りの振舞いではあるが、いつも以上にピリついた感じがするのは、街の空気に呼応しての事だろうか。
新聞にも示唆されていたけれど、この国の実情は外から見た平和には遠い。
実際、いたるところに治安維持の騎士の姿があったり、賞金首の似顔絵のコピーが建物のあちこちに貼られていたりして、厳戒態勢である事を主張していた。
もう空の狭さを感じる場所にはいないのに、どうにも息苦しい。
そんな中で、ヴラドがカードにも描かれている有名な傭兵だと気付いて興奮を滲ませる二人組の、十四、五歳くらいの少年少女の姿は、余計に微笑ましく見えた。
もっとも、ヴラドにそう見えていたかどうかは判らない。
彼は鋭い気配を維持したまま、足を止めて立ち話の体を取りながらこちらを窺っている二人を素通りして、そのまま繁華街の奥へと進んでいく。
「やっぱ、本物だよね? ……ってか、あれでモデルとかじゃなく傭兵って反則じゃない? ってか、モデルでも反則でしょ。カッコ良すぎ。……あぁ、声掛けたかったなぁ」
垢抜けた感じの少女が、背後で呟いた。
「止めとけよ。それこそモデルみたいな芸能人じゃねぇんだから。なにされっかわかんないぞ?」
怒ったようなトーンで、やんちゃそうな少年が言葉を返す。
見た目に反して、地に足が着いているタイプのようだ。だとしたら、見た目の方も、少女の好みに合わせているのかもしれない。
「大丈夫でしょ。ここ別に戦場じゃないし、女の人とも一緒だし。ってか、やっぱ、彼女とかなのかな?」
「まあ、そうなんじゃねぇの?」
「やっぱそっかぁ……ま、そうだよね」
そのあたりで距離が離れ過ぎて、言葉はただの音としてしか聞き取れなくなる。
一応、魔力で聴覚を強化すればまだ聞くことは出来るだろうが、さすがにそんな事をする理由はないし、そもそもそういった思考に至ることが出来ないくらいに、シャルロットは今動揺していた。
(そ、そんな風に見えてるんだ……)
彼等と同じように、またちらちらとヴラドの横顔を窺う。
片割れの少女が言っていた通り、彼の容姿はちょっと現実とは思えないほどに美麗だ。
最初に会った時は、それが凄味のある怖さとして強調されていたけれど、時間を経てそういった印象が弱まると、その埒外の美貌に目を奪われる事が増えた。
それほどの相手の恋人に少しでも見えているというのは、体重も増えて、多少は身体にメリハリもついてきた証拠として、素直に喜んでいい事なんだと思う。
でも、そういう感情が湧いてくる事はなかった。それはきっと、彼には既にルナという大事な人がいる事を知っているからだろう。だから、むしろ申し訳ない気持ちになってしまう。
ただ、それと同時にどんな人なのかという好奇心もあって、そういう意味では、シャルロットもミーハーな少女と同じといえた。もちろん、それを話題に出す事はないだろうけれど、想像はしてしまう。
(やっぱり綺麗な人なのかな、可愛い人なのかな、それとも素朴な感じの人とか……?)
今自分のいる位置に、本当なら居たかもしれない人。
もしかしたら、ヴラドが笑いかけたりするような相手……。
(……なんだろう)
そこまで考えを巡らせたところで、急に気分が沈んだ。
理由は、よくわからない。こういう妄想は最近の楽しみで、誰にも迷惑かけないし、なにも気にする必要なんてないはずなのに……
「ぼけっとするな」
不意に、鋭い声が飛んだ。
「え?」
間の抜けた声が漏れた時には、それは既に起きていた。
耳を劈く轟音と衝撃。左手前にあった建物の二階部分が爆発したのだ。
瓦礫が無数の弾丸のように飛び散り、熱が肌を焼く。
根元を折られた十階相当の建物がそのまま倒壊して、向かいの建物の眼前にひれ伏し、地響きと共に窓の割れる鋭い破砕音を鼓膜に殺到させた。
シャルロットは爆発地点のかなり近くにいたが、被害は軽度の火傷だけで済んでいた。理由は、ヴラドが身に纏っているコートでシャルロットの身体を覆い隠すようにして庇ってくれたからだ。
服越しでもわかる硬質でいてしなやかな筋肉の鎧が、頬に当たっている。肩には手が回されていて、息を呑むほどの接近だった。
……もし、これが平和の只中であったのなら、頭の中は大変な事になっていたのかもしれない。けれど、このシチュエーションでは、そのような呑気に溺れる事は出来なかった。
「――あれか」
破片の一部を掠めたのか、こめかみから微量な血を垂らしながら、ヴラドは足元に転がっていた建物の残骸を拾い、そこに魔力を込めて、爆発の中から飛び出し建物の壁を蹴って中空を駆ける何者か目掛けて投擲した。
覆面をした、おそらくは男だ。そのような不審な格好をしている時点で、元凶かそれに準ずる者なのだろう。
「――!?」
後頭部に直撃する寸前で気付いた覆面は咄嗟にそれを躱し、ほぼ同時に放たれていたナイフもまた、掌で受け止めてみせた。
そして、そのまま速度を殺さずに視界から消え去る。
相当な手練れだ。並の相手なら間違いなく本命のナイフで命を落としていた事だろう。
「一本無駄になった」
ため息交じりに呟き、ヴラドの身体がシャルロットから離れる。
心臓が、遅れて早鐘を打ちだした。
「あ、ありがとうございます……」
若干上擦った声で言う。
ヴラドはそれを聞いているのか聞いていないのか、鋭い眼差しで周囲を見渡し、瓦礫の山の前に歩を進め、それを持ち上げた。
露わになった瓦礫の下には三人ほどの民間人がいた。
一人は押しつぶされて絶命している。でも、その少し大柄な男性がスペースを作った事で、小柄な二人は無事だった。
無数の悲鳴と怒号が、思い出したように耳に届く。
色々と呆気に取られていたシャルロットもそこで我に返って、周囲に魔力の波を放った。他にも助けられる人がいるのではないかと考えての事だ。
「他は手遅れだ」素っ気ない口調で、ヴラドが言う。「騎士共も来た。行くぞ」
「……はい」
消沈気味に頷き、シャルロットは足早にこの場を去る事を決めた彼を追いかけて、小走りに駆けだした。
§
目的の宿は程無くして見つかり、手続きも恙なく完了した。
本来なら、そこで一息をついて、のんびりとした気持ちに落ちついている頃合いだ。でも、先程の光景が否応なく影を落としていた。
外はまだ騒がしい。ここは爆発が起きた場所からはそれなりに離れているが、それでも余波は届いている。
一体誰が標的にされていたのかは知らないけれど、犠牲になった人の多くは無関係な一般人だ。そこにあったのは間違いなく理不尽で、どうしても気が重くなる。
そんな中に帰ってきたリリスは、大変にご機嫌な様子で、
「ここでの宿泊はキャンセルよ。とんとん拍子に全部決まったから。ほら、ぼけっとしていないで出発の準備」
と、二人を急かしてきた。
よほどいい物件が見つかったようだ。
「ここより静かならいいがな」
若干苛立った様子で、ヴラドが呟く。
「そういえば平和主義者が出たらしいわね。それで、建物が吹き飛んだ。……なに? もしかしてお前、巻き込まれたの?」
眉をひそめたリリスは、そこでヴラドのこめかみの傷(もう治りかけ)に気付いたようで、
「明日はトルウォラト傭兵学院に足を運んで、アルタ・イレスへの口利きを取りつける予定がある。たかがテロリストに手傷を負わされたというのは印象が悪い。まさかとは思うけれど、一匹も殺せなかったなんて事はないわよね?」
「確かめるか?」
ヴラドの左手が、リリスの方へと差し出された。
「……いいわ。今は機嫌がいいもの。それにお前になにかを言うより、そこに難癖をつけてきた誰かを嬲り殺しにする方が愉しいでしょうしね。という事で、この話は終わりにしてあげる。だから、ほら、早くわたしが見つけてきたお家に帰るわよ。そしてちゃんと、到着までにわたしの事を称える言葉を用意しておくように、ふふん」
そう言って、リリスは颯爽と歩き出し――
§
「最悪だな。想像以上だ」
屋敷内に一通り見たところで、ヴラドはそう吐き捨てた。
「…………え?」
まったくその返しを想定していなかったのか、リリスの表情が固まる。
それから、困惑を浮かべて、
「待って、なにが不満だというのよ。これ以上ない物件でしょう? 広い敷地に、周りから切り離された立地、それがたったの五百万リラで手に入ったという事実。完璧じゃない。お前もそう思うわよね?」
「え、ええと……」
同意を求められたシャルロットは、思わずを眼を逸らした。
リリスの言っている事に嘘はない。たしかに、郊外に建てられたこの豪邸は庭を含めて素晴らしく広く、値段に見合わないもののように思えた。
ただ、裏を返せば、何故そんなものが低価格で売り出されていたのか、という話でもある。
「……わかった。そうね、認めてあげる。翼のない人間には多少住みにくいかもしれない」
その理由の一端を、リリスは口にした。
この屋敷、どういうわけかところどころ床が無く、場所によっては最上階の三階から地下二階までが直通で、しかもそういう場所に限って灯も皆無。あげく空間もずれているようで、一階のドアを開けた先が三階の窓と繋がっていたりと、とにかく常軌を逸した有様だったのだ。正直、翼があろうと住みにくいと思う。
「あの、ここって、どういう方が以前は住んでいたんですか?」
素朴な疑問を、シャルロットは口にしてみた。
「一代で財を成した商人よ。出張中に自分以外の家族全員が心中したらしくて、幽霊が住みやすい家にするんだって改装に改装を重ねたみたいね。地下には儀式場もあるわ。まあ、無知が作った代物だから、場としての価値はないに等しいのだけど、なかなかに良いデザインをしていてね、付加価値も高かった。色選びもいいし、多少住みにくいかもしれないけれど、大丈夫、そんなものはすぐに慣れるわ」
「……改装費込みで妥当か」
ため息交じりに、ヴラドが呟く。
瞬間、リリスの表情に険が走った。
「は? 改装? なに、それはどういう寝言かしら?」
「寝言を並べているのはお前だろう?」
懐から取り出した宝石を捨てるようにリリスに投げつけながら、ヴラドは言った。
その資金でさっさと改装の手続きをして来いという無言の圧力が、屋敷内を支配する。……物凄く怖い。シャルロットとは比べ物にならないくらい、彼はこの場所が気に入らなかったという事なのだろうか。
「これだから殺し合いしか知らない奴は、美意識がなくて困るわ。ねぇ?」
シャルロットの後ろに隠れながら、リリスが同意を求めてくる。
これまた非常に困った板挟みだった。
その現状に、ただただおろおろとしていると、
「明日から三日間、この屋敷の中でずっと実体化していられたなら、これでいい」
と、ヴラドは瞬き一つの間にリリスとの間合いを詰め、その額に中指と人差し指を押し当ててから、左手にあった部屋へと入っていった。
そうして二人きりになり、二十秒ほど沈黙に浸されたところで、
「……この屋敷、凄くお洒落で可愛いわよね? お前も思うでしょう?」
不安そうな眼差しで、リリスがそんな事を訊いてきた。
ヴラドはよく「あの女の言動の九割は悪意か嘘だ」と言うけれど、この反応もその九割に該当するものなのだろうか? 案外、本当に自身の感性が否定されたことにショックを受けているように見えるのだが……
「……嘘でしょう? お前もあれと同じなの? も、もしかして、わたしが選んであげた服も、人間共の眼からしたらセンス皆無の痛々しいものだったりした、とか? つまり、わたしもそう見られていた……?」
「い、いえ! そんなことは。リリスさんが着ている服はいつも凄くお洒落ですし。わたしも、この服、凄く好きですし」
シャルロットが慌ててそう言うと、リリスはジト目でこちらを見つめて、
「……嘘は、言ってなさそうね。けれど、やっぱりこの家を選んだのはどうかしているって思ってる。そうよね?」
「え、ええと、それは……」
「いいわ。取り繕う必要はない。でも、わたしはこの家が気に入ったの。特に屋敷内の魔力の流れがね。絶対に改装なんてさせないわ。だから、たった今残酷なご主人様のせいで、自力では実体化を解除できなくなったわたしが、うっかり落下死しないように、三日間わたしをエスコートしなさい。もちろん、ご褒美はあげるわ。そうね、なにがいいかしら……」
唇に人差し指をあてて数秒ほど思案してから、リリスは言った、
「お前、学生に興味はある?」
「え?」
「なんでも学生というものは青春を象徴する存在らしいし、お前やった事ないでしょう? それにトルウォラト傭兵学院は文字通り傭兵を育成する機関、あれは戦いの天才ではあるけれど、教える事に関しては専門家に劣る。強くなりたいのなら、そのあたりでノウハウを得るのも悪くはない。この都市には半年いる予定だしね。どうかしら? あぁ、もちろん、その期間やり遂げろと言う話ではないわよ。まずはお試しというくらいの気持ちで挑めばいい」
「……そ、それなら、その、興味あります」
「契約成立ね」
リリスは幼艶に微笑んでから、こちらに手を差し出してくる。
「では、まずはわたしたちの眠る部屋を決めましょうか」
「は、はい」
その手をおずおずと取って、シャルロットのエスコートは始まった。




