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君>世界   作者: 雪ノ雪
第二章『災禍の恵み』
11/23

05/素晴らしき共闘

 雲の真下くらいの高さで静止し、こちらを見降ろす災王という名の化物は、一見すると鳥のような姿をしていた。

 羽の上に無数の羽を重ねて生やして、あり得ないほど巨大な二つの翼を模っている。広げた長さは優に四十ヘクテル以上ありそうだ。翼を除いた全長が大体五ヘクテル程度と考えれば、いかにそのバランスが崩れているのかが判る。

(……まあ、でもそれだけなら怪鳥の類か)

 災王という存在は常軌を逸した魔力を浴びて変異した存在ゆえに、必ず生物としての異様を持つ。

 こいつの場合は、重たそうな頭部がそうなのだろう。

 一般的な鳥のように胴体の上についている一つの他に、この災王には二つの首と頭があったのだ。しかもそれは、本来足が生えている筈の箇所にあった。

「不便そうな奴ね。嘴が足代わりだなんて」

 率直な感想を並べつつ、リリスは思考を巡らせる。

 こいつに注がれた天泪(てんるい)は『飛翔』に纏わる権能を持っていた可能性が高い。

 そして、災王になった魔物の種族が貪食たる性質を持っていたために、それに呼応して頭も増やしたのだろう。口を増やすついでに。

(胴体は色々と分厚そうだし、頭を潰して殺すことになりそうだけど、やっぱり一つじゃダメなんでしょうね。なかなかに面倒そう)

 とはいえ、面倒なだけで、それ自体は脅威とまで言えない。

 脅威なのは、歪な造形ではなく中身の方だ。

 極めて高い魔力出力に、圧倒的な魔力量。肉体への浸透率も申し分なく、全てが高水準に纏まっている。

 さすがに隊商の攻撃が何一つ届かないほどの強度はないが、突破は容易ではないだろう。苦戦は必至。全滅だって普通に考えられた。

(……まったく、なんて理想的な脅威度なのかしら? 最高ね)

 これなら核の価値にも大いに期待が持てるし、こちらの思惑も綺麗に嵌ってくれる事だろう。

 思わず笑みが零れそうになったが、嗤うのはもう少し後の方がいいと自身に言い聞かせて、リリスは視線を秘書に向ける。

「あれが、災王……」

 彼女は呆然とした様子で呟き、それから全身を震わせて、その場にへたり込んでしまっていた。戦士でもない人間が晒されていいような圧力ではないのだから、まあ自然な反応だ。

 そんな彼女の元にスキップをするような軽やかさで戻って、リリスは言う。

「吃驚した? ――ふふ、次にお前たちに訪れる感情はなにかしら? 怒り? それとも恐怖? 或いは絶望なのか。ねぇ、お前はどう思う?」

「な、なにを言って――」

「有名な殺し屋を雇って、他の商人共が揃えた傭兵や冒険者を買収して、当然自前の戦力も用意して、凄い投資よね。それだけでも本気具合は十二分に伝わるわ。だったら、一番肝心な標的の動向に対しても、相応のコストを払っていると見るのは自然な事。――ええ、わかるわ。災王はひとまずおいて依頼主の救出を優先するというのは、一番の側近が現場で耳にした話だものね。鵜呑みにするのも仕方がない。おかげで、とっても利用しやすかった。素敵だったわよ、お前たち。だから御礼に、こうしてタネを明かしてあげているの。――え? 他にも耳は用意してあった。でも、そんな情報は何も出てこなかったって? そうよね、お前たちは召喚物の耳も借りていた。だから、特定の場所以外の音は問題なく拾えていたでしょう。特定の場所以外の、普通の音ならね」

 つらつらと笑い声交じりの言葉を並べてから、リリスは未だ呆然としている秘書に向かって、

「間抜け面」

 という一言と共に、その鼻っ面を中指ではじいた。

 ぺちっ、と迫力の欠片もない音が鳴る。

「そろそろ理解なさい。自分の目と耳が利用されていた事に。思い当たる節もあるでしょう? 本当に記憶が飛ぶまでお酒を飲んでいたのかどうかは知らないけれど。……でも、それにしても、許可をしていない相手に『共有』を組み込むだなんてね。色々と混ざるから機能させるのは結構難しいはずなのだけど。まあ、だからせいぜい一人が限度なのもわかっていたから、楽でもあったのだけど……と、話す事はこれくらいかしら」

 そこで、リリスは片目を閉じて、

「ええ、そいつらよ。良く見つけてくれた。素敵ね。だから、ご褒美をあげる。――さぁ、ディア、どうぞ召し上がれ」

 と、甘い声で囁いた。


                §


『――さぁ、ディア、どうぞ召し上がれ』

 ローマンの秘書である女の耳が、その声を彼等に届けた直後、左手に居た二人の身体が千切れ飛んだ。

 凄まじい風圧に髪がはためき、痛みを伴うほどの勢いで鮮血がたたきつけられる。

「――グゥ、グゥウウッ!」

 飛龍の呻り声が、鼓膜を埋めた。

 金縛りにあいそうな身体を奮い立たせて首を左に向けると、巨大な瞳と目が合う。

 それが引き金となったのだろう。同じ光景を目の当たりにしていた二人が背を向けて駆けだした。生物の本能に従った真っ当な逃走だ。此処に居るのは裏方ばかりで、戦力として使える者は一人もいなかったのだから。

 結果、飛龍の尻尾によって、二人の胸は貫かれた。

 当然即死である。この状況において、それはまさに最善の結末だった。

 そうして、一人きりになった男に、

『意趣返しよ。わたしも見て、聞いていてあげるわ。最期まで』

 というリリスの声を合図とするように、人間の腕くらいの大きさはある牙の並んだ飛龍の口が開かれて、

「ひっ、や、やめ、たすけ――!」

 命乞いなど届くはずもなく、暗闇の訪れと共に胴から下の感覚が無くなった。

 激痛と共に絶叫が溢れる。飛龍の体液に触れた身体の至る所が溶けだし、さらなる痛みが全身に蔓延する。

 十数秒に渡るの地獄。

 その嚥下の暗闇の中で男が最期に見た光景は、(おぞ)ましいほどに美しい少女の、あまりに無邪気な笑顔だった。


                §


「……さて、前座は終わり。本番と行きましょうか」

 裏から物事を操ろうとしていた敵の排除を確認したところで、リリスは懐から一つの魔石を取り出した。ローマンの部屋から拝借した拡声器だ。

「わ、私が、情報を漏洩していた……」

「後悔するよりも先に、する事があるでしょう?」

 ショックを受けている秘書に、冷たく言い放つ。

「見て判らない? 実体化をしたり解除したり無駄に魔力を使いすぎた所為で、身体に力が入らないの。ほら、足もプルプルしてる。椅子になりなさい。早く」

「は、はい」

 動揺と圧力の同時作用によってだろう、秘書はおずおずと四つん這いになった。

 その上になんの躊躇もなく腰を下ろして、座り心地のいいポジションを探りつつ、なんとなく四つん這いに移行する際に揺れていた箇所を掴んでみる。

 突然の奇行に、秘書は「ひゃ!?」と素っ頓狂な声を上げた。

(今ので注目を集めても良かったわね)

 拡声器をオンにしておくべきだったと軽い反省をしつつ、大多数の人間のオスが好む感触を堪能しつつ、リリスは拡声器に魔力を流して、


「あー、あー、人間諸君、聞こえるかしら?」


 と、気怠そうな声を、この戦場にいる全ての人間に届けた。

 その大音量に、災王はこれといった反応を見せない。聴覚がそもそも乏しいのだ。それは元となった種族からそうだった。まあ、仮にこの音に不快感を覚えてこちらに敵意を向けてきたところで、リリスの表情が揺らぐ事は微塵もなかっただろうが。

「お前たちにはまず、この災王がどのような存在なのかの説明をしましょう。あぁ、大丈夫よ、難しい話じゃないから。こいつは今凄くお腹を空かせていて、誰一人見逃すつもりがないという事だけ知っておけばいい。お前たちが頭を悩ませる必要があるのは、それを知った上でどうするか。あまり掛けられる時間もなさそうだから、わたしが二つの道を提示してあげるわ。戦力差をろくに理解せずに三つ巴を始めて仲良く災王のお腹の中に入る道と、手と手を取り合って烏合の衆になる道の二つ。難問ね。果たしてどちらが利口な選択なのか。ねぇ、お前たちには判る?」

 くすくすと、リリスは嗤う。

 此処に居る連中の大半は、目先の欲望に釣られた者達ばかりなのだ。にも拘らず、この状況で、提示されなければこんな最善も見つけられないというのだから、滑稽にも程がある。

「ほら、急いで、前菜選びが終ってしまう」

 嗤いながら、リリスは言った。

 それに合わさせたわけではないだろうが、災王が咆哮を上げる。

 魔力を帯びたそれは、相手を金縛りにする威圧だ。だが、戦場に居るのは傭兵や冒険者といった専門家である。さすがにそこまで脆弱な者はおらず、意図した通り共闘の構えが出来上がった。

 双子の殺し屋含め、戦える者達皆が災王に武器を向けたのだ。

 これで消耗品が増えた。邪魔も減った。まさに理想的な展開。あとは――

「――」

 シルフィの声が、リリスの耳にだけ届く。

 言葉と呼べるほど高度ではない感情の伝達。けれど、情報としてはそれで十分だった。


                §


 耳を劈く剣戟の音が、いよいよプレタの頭に痛みを齎してきていた。

 音が鳴るたびに掌が痺れて、徐々に他の骨にまで伝播していっているのがわかる。

(なんとか、守れてるけど……)

 余裕は既になく、刻一刻と追い詰められていっている。

 対するデービスの方は、汗一つ掻いていなかった。

 鏡合わせのように長短二本の剣を構えて、裏切り者は軽やかに踊る。

「どうした? こんなもんか? あんたのお得意様も見てるんだ。もっと頑張らないと、呆れられちまうぜ?」

「……」

 少し離れたところで縄に縛られ、何かを言いたそうな表情でこちらをじっと見ているローマンに怪我はない。近くに魔物もいないし、今のところ時間を掛ける事に大きな問題は生じていなかった。

 だが、それがじきに終わることをプレタは知っている。リリスの仕掛けがいつ発動してもおかしくないからだ。

 いつ到着するかまではさすがに調整できなかったが、災王は必ずここに訪れる。

 出来れば、その前に決着をつけたい。

(こいつは、あたしの底を知った気になってる)

 プレタが契約者になった事には、気付いていない筈だ。

(後悔させてやるわ……!)

 自分とシルフィの魔法を同時に運用する事はまだ出来ないが、シルフィの攻撃魔法だけなら十分扱えるのだ。これは必ず刺さる。

「舐めるなよ!」

 震えた怒声を返しつつ、長剣を振り払い距離を取って、自身の魔法を発現させる。

 強度や伸縮性を自在に変えられる糸の生成。

 それは、色格の関係上殺傷力には欠けるが、対応力には非常に優れている魔法だ。ただ、建物内や森の中なんかでは色々と使いどころも多いが、こういう何もない平坦な場所では、あまり効果的ではない。

 事実、今プレタがこの魔法で出来ることは、重たい長剣を手放さないよう自身の手を縛りつける事くらいだった。

「おいおい、もう握力が尽きたのか? こっちはまだウォーミングアップが済んだばっかだってのに、よっ!」

 横薙ぎの一閃が放たれる。

 ここまでの戦いの中で、最も強く鋭い踏み込みから放たれた重撃。

 おかげで反応が少し遅れて、下手な受け方をしてしまった。

「今の手応え、手首も折れたようだな。……はぁ、残念だ。まさか、魔法を使うまでもなく終わるなんて」

 失望のため息と共に、追撃が振り下ろされる。

 これはギリギリ受け流せるが、次はないだろう。

 無論、この男にも次などはないが。

(終わるのはあんたよ!)

 大気を操る精霊の力は、すでに静かに周囲に撒かれている。あとはそれを集約させて、風の刃として解き放つだけ。

 プレタは糸の魔法を解き、折れた手首がつかんでいた長剣を牽制に投げつけながら無様なバックステップをしつつ、シルフィの魔法を行使する。

 背後から襲いかかる不可視の一撃だ。タイミング的にも必ず当たる――筈だった。

 だが、それはむなしく空を切った。見苦しい延命を図る相手を仕留めんと踏み込むべき場面で、唐突にデービスが距離を取ったから。

「なるほど、それが切り札か。まさか契約者になってるとはな。いや、これは驚いた。あのまま攻撃を選んでいたら死んでたかもな。魔力の隠匿は見事なもんだったよ」

「なん、で……」

「なんでって、その眼だよ。絶望に満ちたその色。それを先に見せないと駄目だろう? ずっと宿してたぜ、あんた、勝てない相手前にしてるとは思えないような、希望の色をさ」

「――は」

 思わず、笑みが零れる。

 そんなの知るか。それは突出した感覚をもった天才の話だ。おそらくヴラド・ギーシュにも備わっているであろう、戦士としては秀才でしかない自分には判らないセンサー。

 契約者になったところで埋まらない差があることを、嫌というほど突き付けられた気分だった。

「……まだ、よ。まだ――」

「いや、遊びは終わりだよ。災王が来た」

 その言葉の直後、あまりの威圧感に全身が粟立った。

 常軌を逸した魔力が、頭上から降り注がれたのだ。

「あれもヤバいな。早く逃げた方が良さそうだ。時間があれば、あんたを最後に女にしてやっても良かったんだけどな、そこは少し残念か」

 災王の魔力以上に悍ましい言葉を吐きながら、デービスがトドメを刺さんと腰を落とした。

「……勝手に、終わったつもりになってんじゃないわよ!」

 絶望を塗りつぶすように、怒りを捻りだす。

 短剣を両手に構え、折れた方の手を糸でがちがちに固めて防御を整え、必死の延命を図る。

 微々たる抵抗だ。それでも、こんな奴に屈して終わるつもりはなかった。

 その最後の足掻きが、命運を分ける。

「無駄な事を。数秒程度、死を引き伸ばしたところでどうなるって――」

 デービスの言葉が、止まった。

 そしてその視線は、体内から飛び出してきた己が心臓と、それを握る右手へと移される。

「……賭けは、大商人の勝ちか。でも、おかしいな。あんた、今の今まであそこにいたじゃないかよ? ずっと、警戒してたんだぜ? あんただけは。なのに、どうして、こんな近くに、いるんだい?」

「死人に教えてどうなる?」

 これ以上なく冷たい声と共に、ヴラドは手にしていた心臓を握りつぶして、貫いた身体から右腕を引き抜いた。

 死体となったデービスが左に倒れ、乾いた音を立てる。

「なにをぼけっとしてる? 早く依頼主を連れて安全な場所に行け」

 こちらを気遣う素振りもなく、ヴラドは淡々とした口調で言ってこちらに背を向けた。そのまま踵を返して、災王の元に向かうつもりのようだ。

「待って! ……あたしも、疑問なんだけど?」

 デービスの嗅覚は天性のものだった。死ぬ間際の言葉も嘘ではないのだろう。

 悔しいが、奴はヴラドを最大限に警戒しながら、片手間でプレタの相手をしていたのだ。そんな奴が、致命傷を負うまでまったく気付かなかった。明らかにおかしな話である。

「……大半の魔力を預けた中で、役割以上の事もこなした精霊にでも感謝しておけ。気が向いたら悪魔の方にもな」

 ちらりとこちらに視線を向けてからそう言って、ヴラドは駆けだした。

 その言葉で、プレタは理解する。

 シルフィの魔法は大気を扱う。空気の壁を作って光を屈折させる事も、音を完全にその中に閉じ込める事なんかも出来る。それらの能力を用いて、彼女はヴラドの位置を誤認させていたのだ。そして、その悪知恵をリリスという名の悪魔が授けたという事なのだろう。

 情報の伝達で今は近くに居ない可憐な相棒に、あとで最大限の感謝をしようと心に決めつつ、プレタはローマンの元へと駆け寄った。

「……まさか、契約者になっていたとはな。出来ればその経緯を知りたいところだが、今はそれどころでもないか」

「ええ。生きて街に戻った後にでも、その話はしたいところね」

 縄を切り、状態を改めて確認する。

 目立った外傷はない。縄の痕が少し痛ましいくらいか。

「まずは本隊に戻ろう。それが完了したら貴女も災王の討伐に当たってくれ」

「あれを前にしても、逃げっていう選択はないわけね。まあ、わかっていた事だけど……ところで、賭けって何の話?」

 これも今聞くべき事ではないのだろうけれど、なんとなく訊いておいた方がいい気がしたので、その直感に従うと、ローマンは少し困ったような表情をしてから、

「貴女と奴のどちらが勝つのか賭けないかという話を持ちかけられてな。私は、どちらも条件を満たさない。きっと悪魔が勝つと答えた」

「下手したら殺されるような解答ね」

「だが、奴は私を殺さなかったし、賭けにも勝った。おそらく、奴自身も捨てきれない可能性として見ていたのだろう」

 と、そこで、地面が揺れた。

 ニルの放った渾身の矢を災王が弾き返し、それが大地に叩きつけられた結果に生じた揺れだ。

 それを合図に、災王との戦闘が始まる。

「……凄まじいものだな。災王というのは。そして、そんな怪物を相手に渡り合っている彼等は、私のような一般人からすれば等しく怪物に見える」

 静かな口調で、ローマンが呟いた。

 そして、どこか苦しげな表情をこちらに向けて、

「だが、それでも尚、私にはリリス殿の方が恐ろしく見える。……それは、いったい何故なのだろうな?」

「……」

 その問いを前に、プレタは何も言葉を返すことが出来なかった。

 ただ、彼女と交わした契約が、より重く苦しいものになったような気がして、身体が震えだすのを抑えることが出来なかった。

 魔物版の神子とでも言うべき災王を前にしているというのに、ただの淫魔への恐怖の方が勝ってしまったのだ。


                §


 ニルの矢を脅威として受け取ったのか、災王は真っ先に彼を殺す事にしたようだ。

 超高速で周囲を旋回しながら、剣に匹敵する大きさの無数の羽根を弾丸のように射出して遠距離戦を仕掛けてくる。

 並の戦士なら、あっという間に穴だらけとなっている事だろう。しかし、前衛を務めるゼルがそれらの攻撃を全て弾いてみせ、ニルは悠々と次の一手を放つ。

 相手の速度を読み切った完璧な偏差撃ち。

 だが、災王も負けてはいない。矢が弓から離れた直後に軌道を変えて、理不尽な回避性能を披露してみせる。

 このまま行けば消耗戦になりそうだ。もしそうなれば、確実に災王が勝つだろう。もっている魔力量が違いすぎるためだ。故に、こちら側は出来るだけ早く勝利条件を手にする必要がある。

 幸い、此処に居る傭兵の三割程度はそれなりに優秀だ。一人ではニルの矢に匹敵する威力を用意出来なくとも、複数人で魔力を束ねる事でその問題は解決出来る。

 ただ、それをやると今度は殺しやすい奴から狙われていくだろう。今はニル一人が脅威として映っているために無視されているが、無差別攻撃に移行すれば多くの者は為す術もない。

 使いどころが重要だ。決定打にしなければならない。たしかな連携も必要だった。

 リリスでもその役をこなすことは出来ると思うが、士気の面が心配だ。こういう場面では、やはりローマンのほうが断然いい。

(――お前の心の声、とてもよく聞こえているわよ? わたしじゃ士気が低下するってどういう事かしら? あの商人だって別に、戦術的な理解があるわけでもないでしょうに)

 不満げなリリスの聲が、脳裏によぎった。

 少し共有の管理が甘くなっていたか、思考が覗かれたらしい。

(依頼主が戻ってきた事実が伝わるのは十分プラスだろう。逃げるという選択が消える。それに、戦闘中に無駄話をされるのは鬱陶しい)

(それ、お前の主観じゃない。普通は可愛いうえに色香まである声を聴いて、元気が出るとか、やる気がみなぎるとか、そういう感じになるものなのよ。特に女に困っているような、むさくるしい男共は)

 くすくすとリリスは嗤う。自信満々だ。

(でもお前、他人の応援なんてできるのか?)

 率直に、一番の問題点を口にしてみる。

 するとリリスは少し押し黙ってから、

(がんばれ生贄共、死んでもいいから手傷くらいは負わせなさい。ほら、盾になって、お前よりそいつのほうが価値があるんだから。よくやった、上出来よ、もう死んでいいわ。……ふむ、完璧ね)

 と、この状況下で吐き出しそうな言葉を羅列し、本気とも冗談とも取れないトーンで自画自賛してみせた。

 果たしてこのエールを受けて、何割の人間がそれを力に変えることができるのか、ヴラドには皆目見当もつかなかったが、幸いなことにその点を突き詰める必要はなくなった。

 ローマンが戻ってきたのだ。随分と遅かったが、まあ彼の身体能力を考えれば、プレタは急がせたほうなのだろう。

 いずれにしても、情勢を見極める時間は終わり。

 ヴラドは近場に転がっていた死体の剣を手に取ってそこに魔力を込め、災王に向かって投擲する。

 ちょうど射手が矢を放ち、それを災王が回避した直後のタイミングだったのだが、これもあっさりと回避された。あげく、左足の顔がこちらに照準を合わせて無数の羽根を矢のように放ってくる。

 周りの奴等が死んだら困るので、とりあえず的の位置は限定させた方が良さそうだと、ヴラドは殺し屋の元に向かって駆けだした。

「うわ、こっちくんじゃねぇよ!」

 ゼルが凄く嫌そうな表情をするが、双子の兄の方のニルは無表情のままだ。

 互いが一呼吸の間に剣が届く間合いに入れる距離まで近づいたところで、ヴラドは足を止めて空を見上げた。

「連携を求めるのか?」

 ニルも災王に視線を向けたまま、静かに訪ねてくる。

「お前たちには必要だろう?」

 こちらには飛龍がいる。そして依頼主を絶対に見捨てられない事情があるわけでもない。シャルロットと自分の二人を乗せて、安全圏まで離脱するのはそう難しい事でもなかった。そういった事情は、この殺し屋共も当然把握しているだろう。

「そちらの魔力を提供してくれるなら、翼を射抜いてみせよう」

「何人だ?」

「三十」

 此処に居る面子の中で一番の射手は間違いなくニルだ。他の射手に任せるよりは、彼を本命にした方が確実。

(……リリス)

(聞こえているわよ。乗るの?)

(あぁ、対空戦力が乏しい今、落ちて貰わないと困る)

(翼なんて言わずに、いっそ心臓を射抜かせたら? 核を壊せない程度の出力で)

 確かに全員の魔力を束ねれば、分厚い肉の壁を貫けるだけの一撃を放つ事も可能かもしれない。だが、

(届かなければ終わりだ。翼より的も小さい)

(そこまでは信用していないというわけね。わかった)

 リリスの聲が途切れる。ローマンとの交渉に移ったのだろう。

 降りそそがれている翼を弾き飛ばしながら、ヴラドは言う。

「契約成立だ。外すなよ」

「誰に言ってやがる? てめぇこそ、外させんじゃねぇぞ?」

 ゼルが獰悪な笑みと共に軽口を返し、凶器の羽根を災王に向かって打ちかえしてみせた。

 直撃コースに乗ったのは偶々だと思うが、ある程度はコントロールしての事だろう。

 おかげで災王の注意がより一層こちら側に傾く。距離を取って、あからさまに攻撃より見る時間を増やしだしたのだ。

 そのタイミングで、周囲の部隊の動きにも変化が訪れた。

 魔力の糸が、地中から静かに近づいてくる。三十人分の魔力と繋がった細い糸だ。それはニルの足元に絡みついて、彼に魔力を提供する。

「足りるな?」

「あぁ、問題ない」

 ニルが魔力の矢を構築し、ゆっくりと弦を引き始めた。

 虹色に染まった矢がじわじわりと輝きを増していく。

 それらは複数の魔力の混合物だ。一つの色に統一させなければ効果はあまり期待できない。なので他の色を落としてからそれらを一つに染めていく作業が必要になってくるのだが、ニルはさすが射手といった練度で、二十秒もあれば完全に自身の色に染め上げることが出来そうな勢いだった。


「――キィ、キィィイイイィイイイィイイイイ――――!」


 脅威を察知してか、硝子を爪でひっかいた音を何重にも重ねたような咆哮が、災王の三つの口から響き渡る。

 威嚇というよりは怯えの発露だろうか。変異した身体が安定して飢えから解放されていたら、災王は逃げるという選択を取ったのかもしれない。

 だが、時期がそれを許さなかった。

 翼を最大限に広げて、災王は一斉に羽の雨を降らしてくる。

 集中豪雨だ。ゼルだけでは、ニルを守る事は叶わなかっただろう。

「共闘甲斐のある絶望だな、おい!」

 愉しげに吠えるゼルと共に、猛攻を凌ぐ。

 そんな状況が三十秒ほど続いたところで

「準備が完了した。他に成功率を上げる手段があるのなら、出し惜しみはしない方がいい。これが代えの利くプランの一つでしかないのなら、構わないが」

 と、ニルがつまらなそうに言った。

 出来れば余力を残して、災王を片付けた後を優位に進めたいところだったが、どちらの優先順位が高いかは明白だ。

「……やれ」

 ため息交じりにヴラドが口を開く。

 その直後、複数の集団が密かに束ねていた魔力を解き放った。

 ニルが集約に三十秒もかけたのは、おそらく彼等を待っての事だろう。まったくもって健全な協力関係だ。仕掛けどころはシビアになりそうだった。

 まあ、それでも徹せるだろうという確信を、舌の裏に置いてある核のざらついた感触に覚えつつ、ヴラドは右手の刀に魔力を収束させていく。

 傍らに居るゼルも、こちらに合わせるように魔力を高めながら、

「……当たらねぇな」

 地上の弾幕を華麗に躱し続ける災王に、舌打ちをついた。

 避けている時点で脅威として見ているのだから十分望ましい展開の筈なのだが、この男はそれでは満足できないらしい。

「右の翼を撃ち抜く」

 弾幕によってある程度行動が制限されている災王の回避ルートに先回りするように、ニルが矢を放った。

 極限まで引き絞られた魔力は、まさに閃光だ。

 威力は十二分、速度も申し分ない。タイミングも完璧だった。

 だが、そこで災王はあり得ない動きを見せた。最大速度の旋回から突然、真後ろに弾けたのだ。急ブレーキをかけて減速した上での後進ではなく、それはこれまでのベクトルを全て無視したかのようなスムーズな移行だった。

(今、この世界のルールに干渉が入ったわ。物理、魔力両方にある摩擦なんかを筆頭に、この世界で飛行するのに邪魔になるもの全てを無視して、あれは空を駆けまわっている。まだ馴染みきってはいないようだから、翼という認識を壊してやれば落とせると思うけれど、完全に同化したら、あらゆる状況下で機能する魔法となるでしょうね。本当、素晴らしい翼。絶対に手に入れなさい)

 意図されたものではない高揚を覗かせたリリスの聲が、頭に響く。

 外れた事に対しては特に触れないあたり、それが既に成立している事を確信しているのだろう。

 渾身の一撃を避けた災王が、最大反撃を喰らわさんと、これまた異様な軌道で距離を詰めてきた。

 大体七十ヘクテルくらいだろうか、この距離で翼を殺到されたらさすがに対処は厳しくなる。翼だけではなく、その巨体そのものも脅威として警戒する必要があるためだ。

 だが、その心配はたった今なくなった。

(条件は目視の時間と魔力干渉か)

 ニルが操る魔法はやはり『必中』。視界の中心に対象を十秒以上入れたうえで、相手の魔力に少しでも干渉する事で成り立っているのだろう。後者は簡単だが、前者はなかなか難しい。

 しかし、その難度に見合う強制力を物語るように、外れた矢はちょうど災王が大きく翼を広げたところで舞い戻り、背後からその翼に巨大な風穴を開けてみせた。大きく旋回する事によって速度や威力を落とすこと無く、見事役目を果たしたのだ。

 金色の鮮血を噴く災王の口から甲高い悲鳴が届き、彼我の距離が迫ってくる。

 それが五十ヘクテルにまで近づいたところで、ヴラドは災王目掛け跳躍した。

(照準)

(判ってるわよ。何かした瞬間に撃たせる)

 リリスの指示に従って、次弾を装填している集団の矛先が一斉にゼルとニルに向けられる。これで背後からの奇襲はそれほど気にしなくて良くなった。

 先ほどコートに突っ込んだ剥き出しの核を、ヴラドは傷口から流れる自身の血に溶かし、やや乱暴な方法で定着を完了させる。

 完了と同時に、デービス・ウルジルカの魔法が明るみとなった。

 それは『爆発』という大雑把かつ強力な性質。ただし、核に問題があったようで指向性の方はかなり怪しい。要は自爆のリスクが高いのだ。

(災王の傍だという事を忘れては駄目よ?)

 制御はより慎重に、という忠告がリリスから届けられるが、言われるまでもない。

 こちらを叩き落とそうと振われた翼を蹴って、頭上を確保し、右翼の中心に出来た大穴の傷口に爆発の魔法を宿したナイフを投擲し、根元まで刺さったのを確認したところで起爆する。

 やはり指向性に問題があり、熱波が少しこちらにも届いたが、大半は災王の体内に向けられ、無事その片翼は半分ほど消し飛んだ。

 これでもう即座の立て直しは不可能だ。姿勢も大きく崩れ、墜落しか道は無くなった。

 災王はその喪失に更なる悲鳴をあげつつ、こちらを食い殺さんと、右足に該当する箇所にある首を伸ばし、大口を開けてくる。

 緩慢な動きだ。なんの問題もなく、その首を長刀で斬り落とす。

 飛び散った血がコートを濡らした。肌にもいくつか飛び散る。

 痛いほどの熱。火傷は避けられないだろう。けれど、この程度なら、まだ無視しても構わない。

 気にせず次の刃を翻す――が、それは半壊した翼から射出された羽根によって防がれた。その際の衝撃によって身体も押し流されて、少し距離ができる。

(撃たせろ)

(はいはい、わかっているわよ)

 ヴラドの指示に従って、リリスが周囲の銃口を災王に戻した。

 束ねられた魔力の砲弾が、災王の墜落に合わせて一斉に放たれる。

 全弾直撃。どれも致命傷には遠い。

 だが、皮膚を破り血を流させる程度の損傷は与える事が出来た。その糸口を執拗に突けば、非力な者でもダメージの蓄積には貢献できるだろう。

「災王狩りの名誉は、今後の活動にも大いなる恩恵を齎す事だろう! ――総員、気合を入れて掛かれ!」

 拡声器を用いたローマンの鼓舞に従って、地上戦力が一斉に攻撃を開始する。

 並の魔物なら、あっという間に片が付く数の暴力。

 しかし、相手は災王だ。そう簡単にはいかない――どころか、むしろここからが本番だと言わんばかりに、災王は傷だらけの翼を大きく広げたのだった。

 


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