第26話 ギプスの取れた解放感と違和感って、こう、言い表せないよね
ふわふわとした浮遊感と定期的な振動を感じて、アディは目を覚ました。頭がぼんやりする。
慣れ親しんだ香りに、アディはそれが誰か気づいた。
「……セレ兄、さん?」
「あぁ、目が覚めたかい」
アディはセレーヌスを見上げる形になっている。兄の深緑の髪に朱がかかっていた。
――夕焼け、放課後?
アディは瞬きを繰り返し、思考を起こそうとした。セレーヌスに抱かれていると、気づいたからだ。
「俺、歩ける……」
「身体強化に頼るのは止めなさい。熱があるんだ。アディは、しばらく半日登校だよ」
セレーヌスにピシャリと言われ、アディは押し黙った。けれどうとうとしながら、思考がポツリと溢れた。
「……大、丈夫なのに」
「兄が弟の心配をするのは当然だろう? 良いから寝てなさい」
ぐっとセレーヌスによってアディは力強く抱えられる。
とくとくと、アディの耳に触れるセレーヌス身体から、規則正しい心音が聞こえた。
ゆらゆらとした揺れも相まってアディは再び、眠りに落ちた。
◇◆◇◆◇◆◇
実技の見学も禁止され、座学のみを受ける半日登校を数日続けたある休みの日。アディは侯爵家に帰ってきていた。
「おおー!」
アディは、包帯が取れて解放感溢れる右手に感動していた。
そのずっと包帯が巻かれていたアディの右腕を、メイドたちが丁寧に清めてくれる。
その傍ら、マーレが回収した包帯やらを片付けていた。
それを見ていたアディはふと、一つ気づく。
「マーレ。腕が曲がんない」
「当たり前です。ずっと固定してたから拘縮してるんですよ。これから痛みのない範囲で、少しずつ動かしていくんです。
あ、身体強化で無理やり曲げるの無しですからね! 治りませんよっ!」
――ちっ。
アディは、マーレに先手を打たれ忠告される。
アディは不服を隠さず確かめるように、伸びたままの右腕を左右に捻ったりして観察する。
「そんな顔してもダメです。言いましたからね!
実技もしていいですけど……無意識に身体強化で曲げないように、また包帯ぐるぐるしますから!」
アディが曲げようとしても、全く曲がらない右腕。それなのにやっと取れた包帯を、実技ではまた巻き直すとマーレは言う。
「俺、信用無さすぎ」
「そう思うなら、私生活を見直して無茶を止めてくださいね」
アディが不満をそのまま声に出せば、マーレは正論で返した。
「別に俺、目覚ましい才能に溢れた天才とかじゃないし。無茶してない。
いつも、ほどほどの平凡だったと思うんだけど……?」
アディの左右の腕、元々筋肉質でもなかった。
少しほっそりしたかどうかくらいの違いしかない、非力そのものの女みたいな腕。
身体強化しないと、剣なんか振り回せない腕。
――この腕は、本当に元のように曲がるのか?
不服そうに眉を寄せて、アディはちょっと意固地になった。けれど曲がれと思っても、全然曲がる様子はない。
――自分の腕なのに、自分の腕じゃないみたい。
そう、考えてしまった。言い知れない不安に駆られてアディの伏せた目に、影が宿る。
「……怖い」
アディの口から出た不安を、アディの耳が聞き取った。胸の内までをも、その暗い影が落ちて広がった。
ここは乙女ゲームの世界。"私"はチュートリアルのサポートキャラ。初期強化で消えるキャラ。受け入れたはずの男の子のキャラ。
周りの皆は、とてもキラキラと輝いてる。Aクラス、特に攻略キャラたちは皆。
アディの目の前の人たちは、それぞれに今を生きている。
前世がある"私"だけが、異質。そこにいるのかいないのか。
元の"私"は、前世でいったいどうしたのだろう。
「"私"……」
学園に通いだして理解した。やはり自分は平凡だと。前世知識があるからAクラスにいるだけだ。
前世で培った人生があるから。
――怖い。
正しいと思うことをして、男の子として生きて、けれど、どこか自分であって自分ではなくて、その行き着く先は、はたしてあるのか。
いつか突然ガラガラと、足元から崩れていくのではないか。前世の人生を失ったように。
「腕もちゃんと元通りになりますから、アディ」
マーレの声がひどく遠くに聞こえる。アディはそう感じられた。
腕の違和感が、不安が、飲み込んだはずのこの世界の不確かな自分と重なって、アディは俯いて膝を抱えた。




