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堕天狗物語  作者: 現読
2/2

堕天狗物語 2話 --回想--

薄暗い雨雲が、山の空を低く這っていた。

濡れた枝葉の匂いが、冷えた風に混じって漂ってくる。

その日の私は、哨戒任務の最中だった。


この山は、妖が集まることで知られている。

中でも天狗は、太古から群れをなし、人の子に畏れられ、他の妖と争いながら生き延びてきた。


だが、時代は変わった。


人間の技術が飛躍的に進み、山は切り拓かれ、自然は後退する。

動物と同じく、妖たちの居場所も狭まっていった。


我々は、人間に近すぎても遠すぎてもいけない。

距離感を誤れば、存在そのものが脅かされるのだ。


しかも近頃は、居場所の縮小によって他の妖が我々の領域に迫り、いざこざも絶えない。

中には天狗に匹敵する技術を持つ一派まで現れ、状況は不穏さを増していた。


それを憂いたお上が私に命じたのが、哨戒任務だった。


勤務は三交代制。昼夜を問わず、持ち場に立ち続けて異常を監視する。

夏は炎天下、冬は吹雪。動くことも許されず、ただそこに居続ける。

報酬は驚くほど少なく、自由もない。


それでも、暮らしが安定するなら

そう思って、私はその任を受けた。


……だが、あの日。


秋の終わり、冷たい雨の中。

葉の残る木の枝に身を預け、周囲を見張っていたとき。

枝の上は雨に濡れて滑りやすく、羽毛もじっとりと重く感じられた。


変わらない景色。湿った風。雨粒が視界を曇らせる中で ふと、視界の端に“何か”が動いた。


(……枝でも落ちたか?)


そう思ったが、妙な違和感が残る。

ゆっくり視線を向けると、そこには人影があった。


距離があり、はっきりとは見えない。だが肩に長いものを担いでいる。


「……マタギ、か?」


様子をうかがっていたが、その人影はしゃがみ込んだまま動かない。

まるで彫像のように、ぴくりとも身じろぎしなかった。


(妙だな……)


規則では、持ち場を離れる場合、必ず連絡を入れて交代を待つことになっている。

だが私は、そのとき面倒を省こうと考え、独断で現場に向かった。


木陰に身を隠しながら近づくと、姿が明瞭になっていく。

くすんだ服に、背に担いだライフル。間違いなくマタギだ。


だが、その男は突然、がくりと倒れこんだ。


慌てて駆け寄り、状態を確かめる。

顔は青白く、意識は朦朧。唇は乾き、呼吸は浅い。脱水症状の末期だった。


(……西に、人里の集落があったはずだ)


彼を担ぎ上げる。濡れた衣服が想像以上に重く、肩にずしりとのしかかる。

羽ばたきに合わせて雨粒が弾け、体力を削っていく。


それでも私は、超低空で飛び立った。

できるだけ他の天狗に見つからぬように。


木々の間を縫うように、雨の筋を裂いて飛ぶ。

枝葉がかすめ、時折羽に当たり痛みを覚えた。

ひたすら西へ、西へ。


飛び続けておよそ一時間ほどで、舗装道路が見えてきた。

車の通る音が聞こえる。


道に出る前に人影がないことを確かめ、彼を道端に下ろす。

私はすぐには飛び去らず、道外れの木の枝に腰を掛けた。


濡れた枝がきしみ、冷たさが足に伝わる。

ここまでしてしまった以上、もう吹っ切れていたのだろう。

人が彼に気づくまで見届けてから帰ろう


やがて一台の車が通りかかり、マタギに気づいて停車した。

人間の手に委ねられたのを確認すると、私は音もなく枝を離れ、再び持ち場へ戻った。


再び持ち場へと戻ると、辺りには誰の気配もなかった。

安堵と少しの罪悪感が交錯する中、私は何食わぬ顔で業務を続けた。


だが、全てが終わったその帰り際。


隊舎の玄関を出ようとしたとき、背後から声が飛んできた。


隊長「葛城、ちょっと時間あるか?」


哨戒部隊の隊長だった。目元は笑っていたが、声には微かな硬さがあった。


葛城「ええ、大丈夫です」


そう応じると、隊長は無言でくるりと背を向け、そのまま隊長室へと歩き出す。


部屋に通され、戸が閉まった瞬間。空気がわずかに冷たくなった。


隊長「単刀直入に聞こう。今日、持ち場を離れていたな?」


葛城「……はい。日報を忘れてしまって、一度自宅に ──」


隊長「連絡もなく、か?」


言葉が重なり、逃げ道を塞がれる。


その目は、もう笑っていなかった。


葛城「申し訳ありません……」


隊長「……それだけなら、まだよかった」


隊長は机に肘をつき、組んだ指の先で唇をなぞった。


隊長「別の持ち場の哨戒から報告があった。低空を飛行するお前の姿と肩に担がれていた“人間”の姿が、な」


沈黙。


葛城「すべて……事実です」


隊長「……ふぅ」


深く、長い溜息。


隊長「気持ちはわからんでもない。だが ──」


立ち上がった隊長は、ゆっくりと窓の外に目を向けた。


その背中越しに、言葉が落ちてくる。


隊長「我々天狗は、人間にとって“境界”にある存在だ。


あまりに近づけば、それだけで妖怪と人間の均衡が崩れる。


一歩間違えれば、お前は、我々の存続そのものに火種を投じていたかもしれん」


静かだった。怒りではない。


ただ、冷ややかな現実を噛みしめるような声だった。


隊長「残念だがここには置いておけん。すまんが、お前には相応の処分を受けてもらう」


その言葉が、淡々と下された結論だった。


飛行する力を封じられ、しばらくの間、幽閉された。


やがて異動の辞令が下りた。


任地は北の地の山深い地にある、天狗たちの中でも特異な経歴を持つ者ばかりが集められた「防衛部隊」への配属。


(……まるで、島流しの先にある駐屯地だな)


そう思いながらも、私は命令に従い、この地へ来たのだった。


私はすべてを話し終えると私は静かに湯呑みに口をつけ、冷めかけた茶の渋みを感じながら、目の前の男に視線を戻す。


鞍馬玄翁は頷きながら、お茶をすする音だけを響かせていた。


「なるほど。……よく話してくれた。お主がここへ来た経緯、よく分かった」


その口調には、責めるような色はなかった。ただ、静かな肯定があった。


「ここにはな、似たような“過去”を背負った者が多い。わしも含めてな。……だからこそ、頼らせてもらうぞ。葛城奏人」


私は無言で、軽く頭を下げた。


翼を失って、墜ちた者たちが集まる場所。


その意味が、少しずつ輪郭を帯びていくのを感じていた。



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