堕天狗物語 1話 --着任--
飛ぶ力を失った天狗──葛城奏人は、処罰の末に辺境へ追われた。
今は晩冬の終着駅「霧樽」へ向かう列車に揺られている。
ガタン、ゴトン。
連結部の金属音が、背骨の芯にまでじわりと響く。
薄曇りの窓の外は、山影が塗りつぶしたように黒い。
汽車のブレーキの制動がかかり、減速するにつれて体が前へと持っていかれた。
──チクリ、チクリと。
古い傷がシートとズレ、痛みが走る。
──雨の日の山道。濡れた木の幹に凭れ、腕に人の重さを抱いた記憶が疼く。
ジリリリリ……
キンコン、キンコン……
意識が急速に浮上してくる。
眠りと現の現実の境目が、霧のようにほどけた。
「お忘れ物のございませんよう……」
くぐもった男性車掌の車内放送。
冬の夜気が扉の隙間から差し込み、頬の熱を冷ます。
汽車がホームに到着し、扉が開くと、各々の乗客が降り始める。
他の乗客の邪魔にならないように、私は棚上のボストンバッグを引き下ろす。
金属の革の取っ手が妙に冷たい。
ホームに降り立つ。
空気は澄み、鼻腔の奥が痛いほど冷えている。
遠くで除雪車の回転音が、鈍い低音で喉の奥に当たった。
階段を降りた先の赤レンガの通路を歩くと、濡れた煉瓦の匂いがした。
待合室に到着し、腕時計を見る。
まだ時間があることを確認し、もうひと眠りしようとベンチに深く座り込む。
ベンチの木目は乾いて固く、背中に角が当たる。
目を閉じる。
視界の裏側に、雨の色がじわりと滲む。
──あのとき、私は。
「葛城様、葛城奏人様」
肩に、軽い指の圧。
目を開けると、黒いコートの若い女天狗が立っていた。
感情を見せない凛とした目と、どこか柔らかい声が印象的だった。
葛城「……っ、あ、すみません」
寝ぼけた返事に、自分でも苦笑する。
柚木「鞍馬玄翁様より、お迎えを命じられました。私、柚木楓と申します。
お待たせしてしまい、申し訳ありません。お荷物をお持ちしますので、お車の方へどうぞ」
私は少し躊躇したのち、変な寝相で寝ていたせいで肩が痺れていることに気づく。
思うように動かないことに苦渋の決断とばかりに、軽いほうの手荷物を渡し、立ち上がった。
改札を出ると、夜の気配は駅舎の外で更に濃くなった。
階段を降り、小さな丸い車へ向かう。
乗り込む際に天井に頭をぶつけかけて、身を滑り込ませる。
エンジンが静かに回る。
吹き出し口の風に、微かな甘い芳香剤の残り香。
柚木「遠かったでしょう」
葛城「……まあ、少し、ですね」
柚木「お疲れのようですので、到着までゆっくりお休みになっていて大丈夫ですよ」
葛城「お気遣いありがとうございます」
柚木はそれ以上は問わなかった。
ハンドル操作は無駄がなく、視線の動きも一定だ。
やがて市街地の灯りが途切れる。
道路標識の青い板が、ヘッドライトに浮かんでは通り過ぎる。
舗装が終わった。
小石がタイヤハウスへ当たる乾いた音。
ペダル操作が柔らぎ、車は速度を落とす。
〈この先私有地につき立入禁止〉と描かれたプレートの門の前で、車が停車する。
門の裏手には、立派な鳥居が鎮座していた。
柚木「少々お待ちください」
柚木は車から降りて、ポケットから鍵束を取り出す。
門はさび付いているのか、開ける際に低い金属がこすれる音が聞こえ、扉が左右に開いた。
夜の冷たい空気が胸いっぱいに入ってくる。
車が通過する。
柚木は扉を元に戻し、再び運転席へ乗り込み、車を発進させる。
闇は濃く、樹影は太い。
路肩の雪が硬く締まり、薄い氷皮をかぶっている。
揺れが一定のリズムになって、まぶたが重くなる。
意識が沈む直前、彼女の横顔を盗み見る。
無表情ではあるが、無関心ではない。
役目と距離。
その二つの線の上に、正確に立つ顔だった。
柚木「葛城様、到着いたしました」
車は、大きな建物の前で止まった。
三角屋根。厚い外壁。
北の雪に耐えるための、合理的な造形。
柚木は門の守衛に軽く会釈し、私を促して中へ進む。
廊下は乾いた木の匂いがした。
暖気と冷気の層が交差する境で、一瞬、肌に膜が張る。
応接間に案内され、あてがわれた席に座る。
柚木「それでは少々お待ちください」
柚木はそういうと一礼して退室する。
しばらくして襖が開く。
背の高い男が現れた。
年のいった外観ではあったが、体は大きく、意外なほど活発そうな印象を受ける。
男はにかっと笑い、軽く会釈した。
鞍馬「鞍馬玄翁じゃ。……お主が新任の者か?」
葛城「はい。葛城奏人です」
そう言いながら立ち上ろうとするが鞍馬はそれを手で制止する。
鞍馬「うむ、よろしく頼む。長旅ご苦労であったな、座ったままで良いぞ」
そのタイミングを見計らったように、柚木が盆にお茶を載せ、部屋に入ってきた。
鞍馬「ああ、柚木もすまんな。余計な仕事を頼んでしまった」
柚木「いえ、これも職務ですので、お気になさらず」
鞍馬「まあ、ついでの話で悪いが、明日空いてるときにでも、葛城を町に案内してやってほしい。ここでの生活物資などを整えにな」
柚木「承知いたしました」
柚木はそう返事をしながら、盆のお茶をテーブルに置くと、頭を下げ部屋の外へ出て行った。
湯気の向こうで、玄翁は湯呑を一口。
茶の香りが鼻腔へ細く立ち上がる。
彼は湯呑をテーブルに置くと、真っ直ぐこちらを見る。
声を張るのではなく、落とすような口調で言った。
鞍馬「さて、お主がなぜこの基地へ送られることになったのか。報告は来ておる。じゃが、一度、お主の口からも聞いておきたい」
喉が、からりと鳴る。
心臓が一拍、遅れる。
玄翁は、ほんの少しだけ目を細めた。
追い詰める視線ではない。
鞍馬「──お主、なぜ“人間”を助けた?」




