第7話
その日、霊獣国王城に衝撃が走った。
なんと伽羅が見合い相手の一人と、一晩過ごしたからだ。
◇
「あほですか?」
開口一番に暴言を吐く日向に、伽羅はにらみを利かせる。
「仕方がないだろう!虹音が離れなかったのだから!!」
「仕方ないですませないでください。成人した男女が同じベッドで何もないなんて――あなたの欲求不満はその程度ですか?!」
「――――そっちなのか?そこは、何もしなかった私を褒めるところじゃないのか?」
「欲求不満だ、発情期だと言っておきながら、何もしないなんて――虹音様が番じゃないと確定したようなものじゃないですか。まったく、私的には虹音様を番認定するチャンスだったのに」
「お前は虹音が番でいて欲しいのか?」
「ええ、あれだけかわいらしい存在は、霊獣族である限り現れないでしょう。それは城のものもおなじようで、料理長は3段重ねのケーキを用意していました。なのに、何もしないなんて――この、いくじなしめ!」
「お前は――私を王だと思っていないだろう!?そもそも意気地なしってなんだ!?仕方ないだろう!その気にならないんだから!」
「あ、やはりそうなんですね」
「そうだ。一晩一緒に寝たが、虹音のかわいい寝顔を見ているだけで満足だった。あの無垢な存在を襲う?考えもしないな。愛らしくて、愛おしくて、それで終わった」
「………………ちっ」
「お前、いつか不敬罪で罰っすからな?」
伽羅の脅しを聞き流し、日向は思考に耽る。
伽羅は霊獣族屈指の霊力の持ち主だ。上位の存在である霊獣族でも、伽羅と慣れ合うことはない。日向は幼馴染だから軽口を叩けるが、それでも「伽羅ちゃん」など怖くて呼べない。
見合い相手として来訪した、他部族の反応は更に顕著だ。伽羅は霊力を抑えていても恐怖の対象で、誰もが逃げ出したい衝動を王族と言うプライドで隠しているように見える。
そんな中、虹音だけが伽羅になついている。伽羅も虹音の無礼は許す。
これが番でなければ、何だと言うのだろう。
だが、共寝しても何もないなら、やはり違うのだろう。そもそも伽羅は発情期だ。番のホルモンに引き付けらるはずだから。
「成人年齢に達しないと男性ホルモンは出ない……まさか、虹音様は未成年?」
「馬鹿な、過去の手紙は伝わっていなかったとしても、今回送った手紙には成人男性を寄越すよう書いてあるのだろう?」
「まぁ、そうですが…………盛大に勘違いしていた齧歯族が、更に勘違いしていないとは言えないのではないかと」
「そんなに気になるなら、調べてみたらいいじゃないか?」
「そうですね、少し探ってみます。下界に降りる許可を頂けますか?」
「ああ、分かった。ただし、城中の誤解を解き、料理長のケーキを処分してから行け!」
敬礼を返事とし、日向は駆け足で部屋を出た。
「私だって、虹音が番だったら…………」と伽羅が言いかけた言葉に確信を得ながら。
◇◇
「きりさめたん……」
「どうなさいました?あ!これは!」
声を掛けられ、振り向いた日向は、さっと虹音の額に手を当てる。
すごい熱だ。頬が赤いわりに、全体的に顔が白い。
「お熱ですね?お風邪ですか?昨日は、伽羅様とご一緒でしたので、もしや霊力当てられて……」
「わかんない。ぽわぽわする――頭が痛いし、身体がギシギシするの――――」
「まずはベッドへ。医師を呼んでまいりますので、少々お待ちください」
「………………うん」
日向に横抱きにされた虹音は、素直にベットに運ばれる。
「うう゛、きゃらちゃん……伽羅ちゃんに会いたいよぅ」
「伽羅様にも伝えますのでお待ちを。ほら、私の手を放してください。伽羅様にいつまでも会えませんよ?」
「心細いの……伽羅ちゃんに会いたい、抱っこして欲しい。頭をなでて欲しいよぅ」
虹音がしくしくと泣きだしたので、霧雨は戸惑うが、それでもやるべきことをやるために、虹音の手をそっとはずす。
「すぐに戻ってまいりますので」言葉と同時に走り、西の塔を駆け降りる。
◇◇
塔を降りた霧雨は、兵士に声を掛ける。
ひとりは伽羅王の元へ、もうひとりは日向を探すように伝え、自身は医者を呼びに行く。
西の塔を守る兵士は3人。1人残るなら問題ないと思ったからだ。そもそも守る兵士も霊獣族。これにかなうものなどいるはずがない。
だが、絶対などこの世にはない。
手薄になった西の塔に、ひとりの男が忍び寄る。
「齧歯族の王子が、霊獣族の王配だと?」
ぎりっと爪を噛むと、プライドがきしむ音がした。
父王に、兄妹に、霊獣族の王配になると宣言して国を出た。このまま帰っては恥さらしだ。
しかも最下位である齧歯族に王配を奪われたと知られると、嘲笑の的になることは間違いない。
「何度も我が部族から王子を招集しておきながら、誰も選ばないあのクソ女め」
口には出せても、心が伴わない。
伽羅は誰もを魅了する美貌の持ち主だ。威風堂々とした姿は、目に焼き付くほど美しい。
「あれだけ私のすばらしさを語ったのに、霊獣族のくせに。我ら霊長族より劣る存在のくせに!」
そうは言いつつも、勝算がないことなど分かっている。
圧倒的な霊力、寿命、更にこの都市の荘厳さを目の当たりにして、勝てる要素などない。
自分たちの始祖神が、最も想像神の姿に近しいと優越感に浸っていた一族を、恥ずかしく思うほどに。
「霊長族の王子様……ここへは何の御用でしょうか?」
気配を消しながら近づいたのだが、さすが霊獣族なだけはある。西の塔の入り口を守る兵士に声を掛けられた。
心の中で舌打ちをし、何でもない風に語り掛ける。
「随分と騒がしいようなので、気になってね?何かあったのかな?」
「なにもございません」
ニコリとも笑わない兵士に苛つきながら、それでも言葉を選びながら隙を探す。
「なにもないってことはないだろう?昨日、いきなりここを守る兵士の数が増え、早朝に慌てて、この塔からでる伽羅王を見かけた。ここには齧歯族の王子がいる。伽羅王の王配がこちらにいらっしゃるのだろう?」
「私は一兵士です。詳しい事は存じ上げません」
「ああ、武骨な返事をする兵士は嫌いだ。私を甘く見ているところもね?」
兵士が気が付いた時には遅かった。神羅は兵士を塔へと押し込む。
塔には霊獣族の力を奪う結界が張られている。兵士の霊力は一気に吸われ、対処できない。
更に神羅が指を打ち鳴らす。すると一気に眠気が襲ってくる。
「霊長族の霊力を舐めてもらっては困るな。これでも王族。お前ら兵士より私の方が上だ」
実際は違うのだが、神羅にはそれが分からない。
(もう後戻りはできない)
倒れた兵士に目もくれず、神羅は塔への一歩を踏み出した。
◇◇
虹音は熱にうなされながら、その手を天井へと伸ばした。
「伽羅ちゃん……」
奇しくも今日は虹音の誕生日だ。
霊獣族の誰にも言うなと言われた日。
自分には来ないと思っていた日。
そんな日の朝、目が覚めると伽羅が横にいた。
ネモフィラの様な髪が枕に散らばり、同じ色をした長いまつげが頬に影を落としていた。
規則的な寝息が耳に届けられ、心臓が激しく脈を打ち、なんだか妙な罪悪感を感じてしまう。
この人と一緒に生きていきたい!と今まで思ったことのない感情が、身体を駆け巡り、その感情の行き場を探して、身体を小さくゆすっていると、伽羅の目が開いた。
鮮やかな瞳に見ほれていると、「すまない!」と声を上げ、伽羅は走って部屋を出ていった。
(もっと一緒にいたい、ずっと横で生きていたい)
心の中の欲望はどんどんあふれ出し、パンクしそうだ。
今まで生きていたいなんて、思ったことはない。いつか死ぬのだから、後悔しない生き方をしようとばかり思っていた。
死ぬのは明日か、明後日か、もしくは今日か。今まで死ぬことは怖くなかったのに、今は怖くて仕方ない。
あの人を残して死ねない。それしか考えられない。
そんなことばかり考えているせいだろうか。頭がズキズキと痛み、もう前が見えない。
「死にたくないよう。伽羅ちゃん、ここにきて」
その時、扉の開いた音がした。