第4話
虹音が霊獣国を訪れてから、5日経った。
今日は霊獣族国王、伽羅が見合い相手を尋ねる日だ。
「僕だけ西の塔で、他の方は北にいるのね?」
虹音が上目遣いで見る相手は日向だ。その横に霧雨が立っている。
今日は、伽羅と虹音が初めて会う日。万全を期すため、日向はここにいる。
霊獣族のふたりは背が高く、虹音の身長は彼らの腹の辺りだ。これは虹音が低いわけではなく、齧歯族全体が小さいのだ。現に虹音の見送りに来ていた琥珀の身長は、日向の胸の辺りだった。琥珀は齧歯族の中でも高身長であるにも関わらずだ。
「その通りです。虹音様以外の他部族の王子は、北側の客室をご用意しております。伽羅王はそちらの方々を先に訪れてからまいりますので、予定より遅くなる可能性もございます。申し訳ございません」
「いいよ」
にこりと虹音は笑う。
(もう少しだけ美味しいお菓子を食べたいもの)
この五日間は虹音にとって楽しいことばかりだった。
見たことのない豪華な部屋。筆舌に尽くしがたい料理の数々。更に用意された煌びやかな衣装。
今日の対面の為に、身体は綺麗に磨かれた。身体に塗られたオイルは金木犀の香りで、虹音が大好きなものだ。
整えられた爪は、さわやかな青色に染められ、軽く化粧をしてもらったら、かわいい顔が更にかわいくなった。
金糸の刺繍が施された豪奢な衣装に身を包むと、最高の死に装束だと感嘆の笑みが漏れた。
(みっともない悲鳴を上げないようにしなきゃ……)
美しい死に方をすることで、満足して頂けるだろうと虹音は決意を胸に刻む。
「ねぇ、伽羅王はどんなひと?」
「どんな方……そうですね。霊力にあふれた素晴らしい方です。御年170歳。氷の術が得意なので、氷柱姫と呼ばれることもあります」
「つらら――って何?」
「棒状に伸びた氷ですね。鋭く尖っていて、当たり所が悪ければ死にます」
「へー。そんなのあるんだね。面白いね」
日向と虹音の会話を聞きながら、霧雨は内心ため息を付く。
(まるで幼児と大人の会話だ)
虹音は想像を超えた、もの知らずだった。だがその反面、好奇心旺盛で、あれは何か、これは何かと聞きたがる。
「明日にでもお目にかけましょうか?」
「ん?それは大丈夫」
だが未来の約束はしない。それが霧雨には不安でならない。
死ぬ運命を受けいれているようにしか見えないのが怖い。
ただでさえ、齧歯族は3人続けて亡くなっているのだ。これ以上の失態は、霊獣族の権威の失墜につながる。
今もこの部屋には何重にも渡って、守護の結界が張られている。この空間は霊獣族の霊力を吸い取る。平気な顔で相手をしている日向は、霊獣族の中でも霊力が高い。かなりの負担のはずだ。霊力が霊獣族の中では低いと言われている霧雨ですら、辛いのだから。
霊力が封じられると、日常生活に支障が出る。故に霧雨が虹音の侍従に選ばれた。普段から霊力が弱いからこそ、この空間でも平気で働けるからという理由で。
3人で話し始めて、それなりの時間が経った頃、扉をノックする音が聞こえた。
想像よりも早い時間に、3人は顔を見合わせる。
「えっと、僕がどうぞって言うんだよね?」
「はい、この部屋は虹音様のお部屋ですので」
「虹音様、お気持ちが落ち着いてからで問題ございません。良いですか?何があっても、何を感じても、平静にいらしてください。はい、深呼吸して!」
霧雨と共に、深呼吸をした虹音は扉に目を向ける。
(かわいく死ななきゃ!みっともなく悲鳴を上げちゃダメ!)
「どうぞ」
虹音の声を合図に、扉はゆっくりと開かれた。
◇◇
「よ――――――良かった!今度こそ殺さなかった!!」
伽羅が喜びと共に声を上げると、日向もその場で、どっと崩れ落ちた。
「何重にも結界を張って、虹音様にも守護の指輪を与え、伽羅様の霊力を封印して、これでダメなら打つ手がないと――ああ、よかった。始祖神に感謝を!今回こそ、無事に帰せます!」
虹音と伽羅の対面は、無事終わった。
その後二人が、執務室に移ったのが今の状況だ。
「しかし――あれは何ですか?伽羅様」
「は?あれとは?」
「あれとは、あれです。ずっと親鳥が雛鳥に餌を与えるように給仕し続けて!虹音様は幼く見えますが、立派に成人した男性ですよ?」
「い――いや、分かっているぞ?でも虹音も楽しそうに食べていたじゃないか!」
「まぁ――そうですが――」
ブツブツとひとりごちる日向をしり目に、伽羅は虹音との対面を思い出す。
部屋に入った時、目に入ったのは、想像よりはるかに幼い見合い相手だった。
白いふわふわした髪を、ぐりぐりと撫で回したい衝動にかられるほどに、かわいかった。
大きな赤い瞳が何度もぱちくりと瞬き、じっと見続けていると、「おかしいな」とひと言漏れた後に首を傾げた。
その行為を疑問に思ったが、聞きただすことなく「霊獣国王伽羅だ」と名乗ると、「齧歯族の虹音です!」と子供の様な返事が返って来た。
日向や霧雨より、言動が幼いと聞いていたので、そこは驚かずにテーブルに着くことを促した。
甘いお菓子を好むと聞いていたので、持参した土産を渡すと、その赤い瞳がルビーの様に輝いた。
小さな手で菓子を摘み、食べようかどうしようかと悩んでいる姿がいじらしく、気が付いたら彼の口に菓子を運んでいた。
「あれは――――母性本能というやつだな?」
「ああ、それは分かります。私も虹音様には父性本能がおそろしく湧きます。我々霊獣族に子供が生まれることは稀ですからね。かわいくて仕方がないです」
「そうだな、今までの齧歯族とは顔を合わせる状態でもなかったから、なおさらだ。次に会う時にはもっと美味しいお菓子を用意させよう」
「できるならば、私も彼の口にお菓子を運びたいです。伽羅様にお菓子を食べさせてもらっていた虹音様は、本当にかわいかった!」
「ああ、あの、両手を頬に当てて満足そうに目を瞑る姿!ああ、私に子供がいたら、あんな風な姿を見せるのだろうか!?」
「伽羅様が幼いころ、お口にお菓子を運んだ先王は、氷漬けにされていましたけどね」
「――――お前も、氷漬けにされたいのか?」
分が悪いと思ったのか、日向は会話を替える。
「それにしても予定より早い時間のお越しでしたね?」
「仕方ないだろう。心動かす相手がいなかったのだから。兎形属は怯えて話にならないし、有鱗族はあざとい瞳で誘惑してくる。最悪は霊長族だ。裏がある顔をしながら媚びてくる。絶対に女で王である私を馬鹿にしているぞ?あれは」
「まぁ、ほとんどの部族に女性の王はいませんしね」
「鳥綱属だけだからな。鳥綱属の王子は現女王の息子で、優雅で美しい姿だったが……なんというか興味がわかなかった。だが、女王の話で盛り上がった分、滞在時間は長かったな」
「そうですか、まぁ1回だけでは番と分からない例もあります。ましては御身は霊力を封じていますから、もう何回か邂逅の機会を設けましょう」
「虹音は最後にしてくれ。癒しだ」
「委細承知いたしました」
次はどのお菓子にしようと、伽羅は極上の笑みを浮かべる。
その姿を見れば、普通の人なら分かるかのような……。
◇◇
「…………死ななかったなぁ」
部屋で虹音はひとりごちる。
西の塔には窓がある。その窓は高いので、虹音は椅子の上に載って、夕陽を見ている。
「綺麗だったなぁ…………」
伽羅の姿を思い出し、虹音は一面の野に咲く可憐な青い華を思い浮かべる。
「ネモフィラの絨毯みたいだった」
虹音の一番好きな花。香りは金木犀、色はネモフィラが一番好きだ。要するに虹音は小さく可憐な花を好む。
死ぬ覚悟を持って「どうぞ」と言った。
開かれた扉の先には、豊かな青い髪の美しい女性が立っていた。
瞳の色は夏の鮮やかな空の様で、鋭い視線に射抜かれた虹音は、言葉を失ってしまった。
心臓がギュッと掴まれたように痛くなったので、このまま死ぬのかと思ったが、無事だった。
どうしてだろうと悩んでいたら、伽羅が名乗った。その声はそよ風の様で、名前を名乗られただけなのに、心が大きく飛び跳ねた。
今まで自分が世界一可愛いと思っていたのに、世の中には上がいる。自分よりかわいい存在を見つけてしまった感激で、嬉しくて元気に返事をした。彼女の驚いたように見開いた瞳は、美しかった。
席に案内され、贈られたお菓子は宝石箱の様だった。彼女は「そんなにお菓子が好きなのか」と微笑んでいたが、それは違う。彼女から贈られたお菓子だったから、嬉しかったんだ。
食べたい気持ちと、食べたくない気持ちで悩んでいたら、食べさせてくれた。
それが嬉しくて、嬉しくて、催促したら更に食べさせてくれて、ああ、死ぬ前にこんな良い思いができるとはと感動した。
きっと、前に来たおじさんも、その前に来たおじいちゃんのおじさんも同じ思いをしたのだろう。
嬉しくて、背に羽が生えるような気持ちで、死を迎えられたのだと知ると、羨ましくなった。
「今日は殺されなかった……じゃあ、きっと明日かな?」
ずきりと痛む気持ちを不思議に感じながら、虹音は夜に代わる空を見上げる。
次に伽羅と会える日を楽しみにしながら。