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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ふゆのおわりに

作者: 藤倉 桃優

 3月にもなると気温が上がって、雪が解けてきた。道路はすっかりアスファルトが見えていて、路肩に土交じりの汚い雪のかたまりが残っているばかりだ。

 彩奈は正月ぶりに実家に帰った。一人暮らしのアパートから電車とバスを乗り継いで2時間。窓の外の景色に、春が近づいていることを感じた。温かな日差しが心地よい。

ガラガラの電車を降りて、人のいない駅から家へ向かう。鳥の鳴き声が盛んに聞こえる。小さな川の土手にはふきのとうが芽を出していた。暖かくなってくると、根暗な人間でも気分が良くなる。細かな氷の粒になった雪を蹴飛ばしながら歩いた。

 2ヵ月ぶりの実家には母と愛犬がいた。もうすぐ12歳になる愛犬のチップは眠たそうな目をして、ふんふんと彩奈の手の匂いを嗅いだ。わしわしと撫でてやると、面倒くさそうにごろんと横になった。おなかを撫でると、チップはゆっくりと瞼を閉じてしまった。

母が作った昼食を食べてから、衣替えをした。セーターや厚手のパーカーをタンスにしまって、春物のブラウスやTシャツを引っ張り出した。アパートから着てきた分厚いコートをしまって、代わりにもこもこしたフリースを取り出した。

ごわごわしていて暗い色ばかりの冬服よりも、軽くて白っぽい春夏用の服を眺めていると、春になったら何をしようかとワクワクした気持ちになる。お花見をしたり、旅行に行ったり、スイーツを食べたり。やりたいことがたくさんある。

服をリュックに詰めて、再び2時間かけてアパートへ帰った。この後は、久しぶりに高校からの友達の唯に会う。同じ大学に通っていても、学部が違うとなかなか会うことができなかった。最近は会うことが無くても、私にとっては一番の友達だった。

部屋に帰ると、待ち合わせまで一時間しかなく、急いで化粧をする。大学に入ってから始めた上に、見よう見まねで化粧をするせいで加減が分からないので、とにかく薄く化粧品を塗っていく。仕上げに、誕生日プレゼントで唯にもらった口紅を塗って終わりだ。

薄くナチュラルなメイクの平凡な顔のなかで、真っ赤な唇だけが目立っていた。

 外に出ると、すでに陽が落ちて暗くなっていた。白い街灯の明かりが学生ばかりの町を煌々と照らしていた。待ち合わせの3分前に予約していた居酒屋に着いた。

夜になると、まだ寒い。薄い水色のフリースに顔を埋めると、実家で使っている柔軟剤の甘い匂いがした。スマホを開くと、唯からもうすぐ着くとメールが来ていた。少しして、明るい茶髪になった唯が来た。

「おまたせー。」

「久しぶり。とりあえず、中入ろ。」

 店内は満席に近く、酔っぱらった人たちの声でざわざわしていた。飲み物を注文すると、大学の講義について話し始めた。相槌をうちながら、緩く巻かれた髪の何だかいい匂いに少し緊張した。

「バイトの先輩とは、まだ付き合ってるの?」

「うん。」

「すごいじゃん。結構続いてるね。」


 去年、バイト先の先輩に告白されて、付き合うことになった。付き合う前も付き合った後も、人としては好きだが、特に恋愛感情を抱くことはなかった。一緒に出掛けることも、身体を重ねることも抵抗感はなかったが、そうしたいと思うことも無く、頭の中は別のことで埋め尽くされていて、その片隅にはいつも唯がいたような気がする。


「春から4年ってことは、結婚とかも考えてるの?」

「え?」

結婚については考えたことも無かった。確かに大学卒業まで付き合っていたら、結婚するのが普通なのかもしれない。

「どう…なんだろう。考えたことも無かった。」

先輩と共同生活をすることに抵抗はない。むしろ生活費や家事を分担できるのは楽かもしれない。そうなると、いつかは子供ができて、更には孫がいたりして、歳をとってお婆ちゃんになって、その隣にはずっと先輩がいて。

 そこまで考えたときに、突然背筋が凍るような恐ろしさを感じた。唯はその中にいない。ただの友達として過ごしていって、もしかしたらどこか遠くへ行って、いつか連絡が途絶えてしまうかもしれない。ぐるぐると不安をかき回す思考を止めるために、アルコールを一気に摂取した。

「いいなー。彼氏ほしいなー。」

それなのに、唯はなんだかうれしそうな顔をしている。

唯の元彼の愚痴を聞きながら、それは彼氏が悪いね、と口をはさんでいると、唯のスマホの通知が鳴った。唯はしばらくメールを打った後、

「友達に呼び出されちゃった。飲み会はしごしなきゃ。」

と言って笑った。

いつだって唯は色んな人に囲まれていて、私はその中の一人にすぎない。私にとって、一緒に呑める友達は唯しかいないのに。


「東京で就職しようと思ってて、就活があるから、これからはこの辺りにはあんまりいないんだ。」

帰り際、唯はそう言った。

「え、あ、そうなんだ。」

突然のことで、適当な返事しかできなかった。

「この辺に帰ってきたら、また会おうね。」

そう言って、唯はいなくなった。

等間隔に街灯が並んでいる間を一人歩いて帰った。夜遅くになると気温がぐっと下がって、風邪を引きそうなくらい寒い。手をポケットに突っ込み、下を向いて歩いていると、頬に冷たい水滴が触れた。顔を上げると、小さく柔らかな雪がゆっくりと降っていた。

 そうだ、雪がどんどん降ればいい。もっと雪が積もって、ずっと冬になればいい。唯がいなくなるくらいなら、春なんか一生来なくてもいい。

 小さな雪の結晶は地面に落ちると、たちまち水滴になって溶けた。

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