灰の錬金術師
〝不死身の暗殺者〟クラウレオン。
親に捨てられスラム街で育った彼は、人間が健康に暮らせないような汚染された環境で、心無い大人たちに囲まれて壮絶な幼少時代を送った。
彼が学んだのは、暴力と騙しとあっけない死だけ。
そんな彼が暗殺者を生業として生計を立てスラム街を出てからというもの、綺麗で美しいモノに異常な執着を抱くようになっていく。
そんな中で彼は、闇の魔術師マルヴェリオスの人間離れした容姿を気に入って、配下の一人となった。マルヴェリオスから殺されても死なない〝不死身〟の能力を受け取った彼は忠実な配下として、聖女たちと対峙する。そこで、身も心も美しい主人公リアナのことも気に入って、彼女を手に入れて壊すことばかりを考えるようになる。
それが、ファンブックに書かれていたクラウレオンの情報だ。
彼がルクシフェリアと関わりを持つシーンは、原作本やファンブックのどこにもなかった。
原作の『堕天使と聖女リアナ』において、ルクシフェリアはマルヴェリオスの配下たちと険悪な関係で、クラウレオンが光の一族に触れる場面は描かれていなかったし、そもそもルクシフェリアが光の一族だったことをクラウレオンが知っていたような描写もなかった。
それなのに。
あの夜以降、クラウレオンは頻繁にわたしの部屋を訪れるようになった。
というか、勝手に許可なく入ってくる。
ゾンビメイドさんに彼が来たら追い払うようお願いしようかと思ったけど、彼女が酷い目に遭わされるだけなのでやめた。だから、クラウレオンは我が物顔でわたしの部屋でくつろぐし、お菓子を食べて紅茶を飲んで、髪の毛を触ってきたり、背後からのしかかってきたりとちょっかいをかけてくる。
彼の真意を探ろうとしても、お友ダチだから一緒に遊ぼうと笑うだけ。
でも、わたしは彼が怖くてたまらない。夜は社交界で集めた情報を整理して戦略を練らないといけないし、一人で休みたいのに。このままだと何もかもが上手くいかない。
だんだん憂鬱な気持ちや不安が溜まっていく。
廃城に戻ってからも寝るとき以外は、いつの間にか自室を避けるようになった。
城内を探索しようと思ったけど、マルヴェリオスの配下と鉢合わせするかも。ここにわたしの居場所はない。だから、城の周りを囲む荒れ果てた庭や温室に行って秘密の作戦ノートに戦略を書いていくしかなかった。
今はそこまで寒くないからいいけど、もうすぐ冬がくる。そうすれば、夜は寒くて外で過ごすことはできなくなるだろう。それに、城内も不気味なのに、なおさら外は不気味で仕方がない。蝙蝠やカラスが多いし、ガラスが割れて荒れ果てた温室内が安全とは思えない。
そこで、わたしは、城の北にそびえ立つ円柱のように細長い塔を訪れた。
うずまき貝みたいな螺旋階段をのぼって辿り着いた頂上の部屋。
扉をノックして開ければ、たくさんの薬品の匂いと、うっすらと色づいた灰色の煙が流れてきた。緊張でどきどきと鼓動する胸を押さえて、おそるおそる部屋に入る。
フラスコ瓶を片手に持ったローブ姿の少年が振り返った。
「誰?」
眉を潜めた彼は、〝灰の錬金術師〟ラザル・フィエンド。
一見、灰色の瞳に、灰色がかったミルクティーヘアーの白皙美少年の彼もまた、マルヴェリオスの立派な配下。主には戦略担当で、兵器開発も担っている。
錬金術を使って強力な兵器や魔具を生み出すラザルは、自分の肉体も錬金術で強化していて、その右腕は魔術兵器「灰の刃」に変化する。
そして、ラザルは皮肉屋で傲慢、金のためなら何でもする。これらも全て原作とファンブックの情報だ。
一筋縄ではいかない相手。それでも、クラウレオンよりは話が通じるはず。
だから、わたしは彼と交渉するために、ここに来た。
「わたくしはルクシフェリア・ロウヴェル。あなたがラザル・フィエンドですわね」
「あぁ。最近、入ってきた新人か。ここは僕の研究塔だ。入室を許可した覚えはないよ。早く出て行って」
フラスコ瓶の中の液体を別の瓶に移し替えながら、ラザルはぞんざいな言葉でわたしを追い出そうとする。
だけど、こちらとて必死だった。表情に出さないよう、あくまで優雅に悪役令嬢ルクシフェリアを演じる。
「あなたにとって有益な提案をしにきたんです。話だけでも聞いてはいかが?」
「有益な提案? もしそれが嘘なら、どうなるかわかってる? 君には新しい実験台になってもらうから」
脅しじゃない。ラザルは本気で言っている。
かつては王国に仕える錬金術師だった彼は、人間を兵器に改造する研究の非倫理性から王国を追放された。自分の体でさえも改造する人間だ。彼がこの提案を気に入らなければ、わたしは五体満足でこの塔を出ることはできなくなるだろう。
それでも、きっと上手くいく。
自信があるように見せるため、胸を張って一歩前へと進み出る。
「〝科学と魔術の融合〟に興味はありませんか?」
ぴくり、とラザルの形の良い片眉が反応した。
どうやらわたしの選択は間違っていなかったようだ。
それこそ原作で、彼はルクシフェリアに科学と魔術の融合を持ちかけて、手酷く拒絶されていた。
科学と魔術は相反するもの。
歴史ある光の一族であることを誇っているルクシフェリアにとって、それは受け入れがたい提案だったのだろう。
だけど、今は違う。
「わたくし、光の一族ですの」
使える武器は何でも使う。
「光の一族……?」
「ええ。それに闇魔術も獲得しています。光魔術も闇魔術も使える。自分で言うのもなんですが、これほどまでにあなたの研究に協力できる優秀な人材はいませんよ?」
ようやくラザルが手を止めた。ふと考えるように眉根を寄せる。
それも数秒のことだった。彼はフラスコ瓶を置いて、怪訝な表情で問いかけてくる。
「それできみの要求は何?」
よし、食いついた。ゆっくりと微笑んで見せる。
「こちらの塔の一室を貸して頂きたいのです」
「それだけ?」
「ええ。少し訳ありで、私室と別に書斎が必要ですの。鍵付きの部屋だと有難いですわ。もちろん部屋代はお支払いしますし、研究費も援助いたします。どうです? 有益な提案でしょう?」
「僕は他人がいる場所で研究したくないんだ。……だけど、ちょうど一階の一室が空いてる。そこできみが過ごすぐらいならこの部屋まで問題が及ぶこともない。近くにいれば研究に必要なときに呼べるし、悪くはないかもね」
ひとつ、息を吐き出すようにして、それからラザルは僅かに口の端を持ち上げた。
「いいよ。その提案に応じよう」
その後の夜中。
久しぶりに寝台ですんなりと眠りに落ちることができたわたしは、ふいに真夜中、目を覚ました。
布団が異様に重たくて、寝返りが打てない。
真っ暗闇の中、やがて目が慣れてくると信じられない光景が見えてくる。
「え?」
布団の上、わたしに馬乗りになったクラウレオンの真っ赤な目がこちらを見下ろしていた。