不死身の暗殺者
「ルクシフェリアお嬢様、お帰りなさいませ」
内側から重たい扉が開かれ、頭を下げるゾンビメイドさんの姿が現れた。
ぱっと見はボブカットでスタイルの良い可愛いメイドさんなのに、額の真ん中から顎先にかけた皮膚の縫い目と緑に変色した皮膚が痛々しい。そして、いつも死臭がする。
マルヴェリオスの根城である廃城で暮らすようになってから、わたしの身の回りの世話を担当するのが、このゾンビメイドさんだ。
「出迎えはいいから、さっさと紅茶を淹れて部屋に運んでくださいな」
わたしは悪役令嬢らしく、しっしと手を振ってゾンビメイドさんを追い払う。
身の回りの面倒を見てくれる人(ゾンビ?)に対して失礼な態度をとることを申し訳なく思うけど、悪役令嬢らしい振る舞いをしないと怪しまれてしまう。だって、この城の中ではいつも何処かから視線を感じる。見張られているのだ。
わたしは血のように真っ赤な絨毯の上をそそくさと歩きながら、与えられた西棟の自室へと向かう。
マルヴェリオスと初対面を果たして、この廃城で暮らす許可が出されたからといって、味方だと認められたわけじゃない。
原作では、ルクシフェリアの廃城での生活について詳しく書かれていないので正確なことはわからない。だけど、間違いなくマルヴェリオスはわたしを疑っている。付けてくれたゾンビメイドさんだって、監視役の一人なのだ。
もちろん彼の読みは正しくて、ルクシフェリアはマルヴェリオスや配下の力を利用しようと仲間に入ったフリをしているわけで。
ルクシフェリアにとってマルヴェリオスに利用価値があったように、わたしもマルヴェリオスにとって利用すべき価値がある人間であることを証明しないといけない。
城の階段をのぼって無駄に長い渡り廊下を歩き続け、ようやく与えられた西棟の私室に戻ると、真っ赤なベルベッド生地のソファーにダイブした。窓からの月光を浴びながら、目を閉じる。
暗くて冷たくて恐ろしく大きい廃城だろうと、住めば都。
あぁ、今日も疲れた。
悪役令嬢の日常は忙しい。
毎日が緻密なスケジュールで埋まっている。
早朝から起きて入浴、そして手早く身支度を済ませる。
朝食をかき込んだら、せっせといろんな社交界に顔を出して使えそうな駒をかき集め、戻ってきたら廃城で暮らすマルヴェリオスの配下たちになめられないため&聖女たちとの戦いに備えて魔術の鍛錬。昼食を軽く済ませてからは、また別の社交界に足を運んでマルヴェリオスに献上するための古代の遺物や聖女たちの情報収集、駒(仲間)集め。自室に戻っても夜明けまで戦略を練り練り……。
息を吐く暇もない。
ルクシフェリアには社交界で磨き上げられた話術と知性がある。
容姿も美しいから、人気を集めることは簡単だ。そもそも集めようと頑張らなくても、ルクシフェリアの容姿や魅力に引かれて人が集まってくる。そこに堕落の魔術もあるから操るのも簡単。
だからといって、そこから使えそうな駒役をしてくれる人を見つけるのは難しいし、大勢の駒役を管理することは大変だった。
それに、光の一族は、神の怒りを受けて没落した一族。
集まってくるのは権力に溺れた悪人ばかりで、善良で優秀な人たちはルクシフェリアに関わることを拒否するし、陰で悪口を叩く。
闇の魔術師の配下になったことはひた隠しているし、過去のルクシフェリアの努力もあって今では社交界の招待状も一応届くものの、両親や光の一族が生きていた頃とは全く違っていた。
ルクシフェリアは美しくて魅力ある女性だ。
賢くてカリスマ性があって、魔術にも長けている。
だけど、一人で出来ることには限りがある。
だからこそ、マルヴェリオスに疑われないように駒役を探すフリをして優秀な仲間——信頼できる力になってくれる人を見つけないといけない。触手の養分になってミイラ化ジ・エンドを避けるために!
信頼できる力になってくれる人を見つけて、ある程度マルヴェリオスの信頼を得られたら、こんな恐ろしい場所から一刻も早く逃げ出そう。
それから、ここから離れた遠い場所で一族のお墓を建てて、墓守をしながら平穏に暮らそう。
一族の教えを守って困っている人には優しく、誰かの役に立つような立派な光の一族になれるように生きていく。そうすれば、両親や弟妹たちが命を懸けてわたしを守ってくれた意味があると思うから。
ゾンビメイドさんが紅茶を運んできてくれたら、少しだけ休憩しようかな。
その後、今日得られた情報を整理して、新しい戦略を練って、それから……、
「あれぇー? 真っ黒いトドがいると思ったらお嬢サマじゃないですかぁ」
突然降ってきた声に、わたしはバネみたいに飛び起きた。
ノックもなく開けた扉の向こうから現れた人物に、戸惑いを隠すようにしてギッと睨みつける。
「しゅ、淑女の私室に入ってくるなんて無礼よ。用件ならメイドを通して」
視線の先に立っていたのは、〝不死身の暗殺者〟の異名を持つクラウレオンだ。
いつも全身黒の軽装をした赤髪の美青年。そう、見た目だけは美青年。
彼はニタリと嫌な笑みを浮かべて、片手にのせた銀の盆を前に出して見せた。
「そのメイドに頼まれたんだよ。お嬢サマに紅茶をお持ちしてくださいってね」
嘘だ。
「あなたが無理やりメイドから仕事を奪ったんでしょう? 彼女はどこ?」
「あぁ。ワガママなお嬢サマの相手をするのに疲れたからって扉の前でおねんねしてるよ」
もしかして、扉の隙間から床に侵食してきている緑色の液体は、ゾンビメイドさんの体液だろうか……。
きっと酷く痛い目にあわされ、扉の前で気絶しているのだろう。
何しろ、クラウレオンはいつも怖いことしかしない。彼がゾンビメイドさんたちや下級傭兵たちに暴力をふるっているのを城内でよく見かける。わたし付きのゾンビメイドさんは、前回、頭部と四肢を切り離されて頭部だけをボール代わりに蹴って遊ばれていた。
この廃城には美しくて怖くて残酷な人しかいないけど、クラウレオンはその中でも一番恐ろしくて危険な人物だ。
「それで、用件は?」
慎重に言葉を選んで短く尋ねる。
絶対に恐怖心を悟られてはいけない。彼はマルヴェリオスの優秀な配下の一人〝不死身の暗殺者〟。彼を怖がっていると知られれば、他の人みたいに乱暴にふるわれ、最悪殺されてしまうかもしれない。
クラウレオンはからりと笑って一言、「何も。遊びに来ただけ」と告げた。そのまま許可なく部屋へと入ってきた。
しかも、ずかずかと遠慮なく近づいてきて、あろうことか、わたしが座っているソファーへと腰を下ろす。向かい側にも二人掛け用の立派なソファーがあるのに。
呆気にとられるわたしの目の前で、銀の盆を置いた彼はわたしのために用意されたティーカップに紅茶を注いでずずっと啜る。クッキーをかじる。
美青年は何をしても美しいほど絵になるけれど、こんな至近距離に近づかれれば怖くてたまらない。
いざとなれば堕落の魔術が使えるけど、〝不死身の暗殺者〟相手に操作魔法が効くのか分からない。戦闘能力も経験値も圧倒的に彼のほうが上だ。術を使う前に素早く近づかれ、隠しナイフで首を掻き切られてしまえばおしまい。
早く追い出さないと。
「わたくしはあなたを相手にするほど暇じゃありませんの。用がないのならとっとと出て行ってくださらない?」
「やだね」
ぴしゃりと言い放ったつもりが一言で拒否されて、言葉を失った。
こんなことで動揺していちゃダメだ。
もっと強い態度と言葉で返さないと。
早く頭を働かせて、
「ねえ」
視界いっぱいにルビーみたいな煌めく瞳が近づけられた。
鼻先がくっついて、お互いの息がかかりそうなほど近い。
頭が真っ白になる。何も考えられない。
「おまえ、〝光の一族だった〟って本当?」
甘ったるくてぞっとするような猫撫で声で問われる。
わたしは必死になって想像した。
こんなとき、悪役令嬢ルクシフェリアだったらどうする? どんな風に答えるの?
「今も、わたくしは、光の一族よ」
きっとルクシフェリアなら、こう答えたに違いない。
神々に復讐を誓い堕落するぐらいに、光の一族に誇りと矜持を持つ彼女なら。
少しだけ赤い瞳が丸くなった後、「ふーん」とか「へぇ」とか言って、クラウレオンの瞳がギラリと煌めいた。
「俺、綺麗なものが好きなんだ。月とか、花とか、宝石とか。きらきらして、澄んでて、綺麗なものが、だぁあーいすき♡」
唐突に一体、何が言いたいんだろう。
彼の頬が興奮したように上気して見えるのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。
「おまえ、光の一族なんだ? 俺、光の一族も大好き♡ だって、たくさんの人々を守って、貴族として誇り高くて、綺麗な心を持ってるんだろ? 綺麗なものは何でも好きだ。手に入れて自分だけのモノにして、ぐしゃぐしゃにして壊したい! 残念なのはおまえが堕落してしまったことだけど、それもちょっと違う。多分、完全に闇に墜ちてないんだね。だって、近づいたらわかる。おまえの心は、まだ綺麗なままだ……!」
どんどん熱を帯びていく声音に、興奮を押さえつけるようにして彼の手が自分の顔半分を覆う。その隙間からのぞく赤い瞳が焔のように揺らめいて、何故だかものすごく恐ろしく感じた。
まともな人じゃない。彼は絶対に関わっちゃいけない人だ。本能的な声が脳内に響く。
「そ、そう。だけど、残念ながらわたくしは綺麗なだけじゃないの。薔薇にも棘があるでしょう? 安易に近づけば、痛い目に遭いますわよ」
「うん、うん。そうだね。おまえのコト、ワガママで役立たずのお嬢サマとしか思ってなかったけど、確認してよかった。光の一族なら別だよ♡ ここに来てくれて嬉しい。出会えて嬉しい。怖がりのおまえのこと、守ってあげる。他の奴らからも、マルヴェリオスからも。その代わり、俺のモノになって♡」
今のわたしには、助けてくれる人が必要だ。信頼できる力になってくれる人が必要。
だけど、絶対にクラウレオンは違う。選んじゃいけない、手を取ってはいけない人だってはっきりとわかる。
「嫌よ。わたくしは誰のモノにもならない。だから、今すぐ出て行ってちょうだい」
ガタガタと震える体を叱咤するように、はっきりと大きな声で告げた。
クラウレオンは少し残念そうに眉を下げた後、何かを思いついたように犬歯をのぞかせて笑った。
離れようとしない彼にもう一度、口を開けた途端、塞ぐようにして何かを口に入れられた。
甘い砂糖の味。クッキーだった。
「わかった、わかったからこれ以上、拒絶は聞きたくないな。今日は、おまえの言う通り帰ってあげる。でも、また遊びに来るね。今度は二人でゆっくりお茶しよう。まずはお友ダチから始めよう? 仲良くなろう、な?」
クッキーのせいで喋れない代わりに、ぶんぶんと首を横に振る。
ははっと軽く笑って、クラウレオンは立ち上がった。
「おまえにとっても悪い話じゃないはずだ。友達になったら、おまえが気に入らない奴は全部、殺してあげる。城のコワい奴らからも守ってあげる。知ってるよ、取り繕ってもおまえが毎晩ガタガタ震えて夜もまともに眠れていないこと。おまえにとって有益な情報を流してやったっていい。どう? 最高だろ? ……よぉく、考えておけよ」
それから、彼は背を向けて闇に吸い込まれるようにして扉の向こうへと消えていった。
彼が消えた後、呆然としてしばらく動けなかったけど、ハッと気づいてクッキーを飲み下し、廊下へと向かう。
そこにはゾンビメイドさんの手足と体が転がってバタバタと動いていた。ひとつひとつ集めてそっとくっつけてあげる。首から上の頭は見つからなくて、散々探し回ったあげく、地下のワインセラーに隠されていたのを見つけた。