表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

二十六

二十六


 脇に置いた紫の傘には、あの()(おん)の花に引きよせられる、()(がね)(いろ)の昆虫の羽のような、きらきらとした日の光が射るように差していて、草の上に輝くかのように見える。

 その傘の(かげ)から伸び出した、よろけ(じま)のお(めし)(ちり)(めん)のしなやかな()(すそ)が、左右に続く土手の草の緑を、くっきりとではなく、(なま)めかしくも(ひん)よく仕切り分けていたが、油のようにとろりとした、雨で湿った(みち)との間に、かすかに見える細い(すそ)(さき)が、控えめに引きこんだ()()に柔くしっとりとかぶさり、そこから(ゆう)(ぜん)(じゅ)(ばん)が、大胆に(ひざ)まで割って見えている。片方の(せっ)()を土の上に脱いで、もう片方は、草に隠れた場所でしなやかに曲げた足のところにある。

 前を通り過ぎようとして、思わず足が止まった。散歩者は『今昔物語集』にある、()(にん)たちと肝試しの賭け事をして、鬼が出るという夕暮れの()()(ばし)を、ただ一人騎乗で東に抜けようとした話の、あの主人公になった気がした。

 そうして近づいた散歩者の足音は、例の紫の傘に隠れて、土手の途中にゆったり、かすむように投げかけられた――物語のなかでは女に化けた鬼が身につけていた――(なま)めかしくもゾッとする()(いろ)(はかま)を思わせる女の(すそ)に、(さざ)(なみ)ほどのかすかな響きさえ及ぼさなかったにもかかわらず、彼は身震いを一つすると、気を取り直して、思わず肩をそびやかすと、ステッキをぶんと振って、まじないの()()を切りかねない思いで、つかつかと通り過ぎようとした。

 鬼が脱いだ()きものを(また)がなければならないほど路が狭いのには(しん)(そこ)から困ったが、ふと見れば行く手の右は海のほうへ、反対側は橿(かしわ)(ばら)の山里へ、そして後ろは彼が歩いて来た、(いわ)殿()(でら)に至る路であって、()()()の出口にあたるこの(てい)()()は、芝居の鬼が手に持っている(しゅ)(もく)の形をしているではないか。そして目の前には、一面の麦畑が広がっている。

 その青麦を()()たりにして、散歩者の表情は、あたかも酔っているかのようであった。

 すると、なんたることか、鬼が声をかけてきた。それ、言わないことじゃない。

「…………」

 一目散に逃げるわけにもいかず、立ち止まった彼は、物語の主人公のように馬の尾に油を塗って、追いかけてきた鬼がわしづかみする手を滑らせようとした、そんな計略を立てなかったことを、なんと無念に思ったことか。

「私……」

 と振り返って、

「ですか」

 と言いながら目に留めたのは、毛髪が抜けて、歯をむき出して、という鬼のそれではなく、日の光を浴びた紫の傘の照り返しを受けた顔かたちは、()(ちょう)から透かし見える月影のようで、(びん)は雲のよう、(かんざし)は星、唇は紅い花、(まなじり)()(よう)、草にもすがりつくような柳の(ほそ)(ごし)で、咲き乱れるたんぽぽの花に彩られた姿が、虚空に浮かぶような(よそお)いである。

 (しら)(うお)のような指で、()(こん)(はん)(えり)をちょっと引き合わせると、美しい瞳を動かして、

「失礼を……」

 と言っただけで、にっこりとしている。

「はあ」

 とこちらも言ったきり、身辺を見回して、逃げ道を確かめている。

「あなた、お呼び止めいたしまして……」

 と、ふっくりとした胸を上げて、土手にもたれかかれ気味になって、寝そべるようにしていた上体を起こしてくる。

「はあ、何か」

 散歩者は真面目な顔をして、

「私ですか」

 と、そらとぼけた。

「あなたのようなお姿をしていた、とお聞きしました。先刻は、まことに御心配下さいまして」

 雪のような(しろ)()()で、脱ぎ棄てた(せっ)()をおもむろに引き寄せたとき、(ゆう)(ぜん)(すそ)はいっそうはらはらとこぼれ落ちて、模様の花の印象を残しながら、たきこめた(こう)の薫りがパッとただよう。

 その美女は真っすぐに立ち上って、

「おかげさまで災難を」

 と(えり)(くび)を見せながら頭を下げた。

 そのとき肝試しの武者は、ステッキを脇に挟んで、(かぶと)ならぬ鳥打ち帽を脱ぐと、

「ええと、なんのことですかね」

 とことばを(にご)す。

 美女は親しげに笑いかけて、

「ほほ、私にとってはまさに災難でした。災難ですわ、あなた。あれが座敷にでも入りこんで、気づかずに出くわしたとしたら、しばらくは(うち)を明け渡たして、どこかへ参らねばならないところでした。ほんとうにそんなことになれば、どうなったことでしょう。おかげさまで助かりましてございますよ。ありがとう存じます」

「それにしても、なぜ私だと……」

 と考えが思わず口へ出た。

 これはちょっと先走った問いに思えたので、また聞き直すように、

「ええと」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ