二十五
二十五
その、にこにことした顔のまま、鍬から離した手を揉みながら、
「なんとも、はい、ご親切にお教えくだせえやして、おかげさまで、私、えらいお手柄やったと、礼を言ってもらえたでござりやすよ」
「逆に迷惑だったなんてことはなかったかい」
と、落ち着き払って言った様子からすると、それまでぼんやりとしていた散歩者の風采も急に持ち直したように見えた。といっても、相手がなんの気兼ねもいらないこの爺さんだからなのだけれど。
「迷惑どころではござりましねえ、かさねがさね礼を言われて、私、大いに有り難がられました」
「じゃあ無駄にはならなかったのかい、お前さんがあいつを始末をしたんだね」
「竹ん先で押さえつけて、ハイ、山裾の藪のなかへ棄てたでごぜえます。女中たちが殺すなと言うけえ」
「生かしてくれてよかったよ、命を取られて、そこまでしなくてもと怨まれたら、そこにいたぞと訴えた私のほうに取り憑いたかもしれないからね」
「はははは、面と向かって言うのもなんだけど、やっぱりあれが苦手なようでがすな。奥にいた女中は、蛇が、と聞いただけでアレソレとぶっ騒いで、戸障子にぶつかっただよ。
私はまず庭口から入って、そこさ縁側で事情を知らせて、それから台所口に行ってあっちこっち探索したんだけど、なんのことはない、お前さまの考えどおりさ、湯殿の西の隅でべらべらと舌を出しとるだ。
思ったより大うがした。
畜生め。お前が水浴びしたいなら、蛙飛びこむ古池にでも行けさ。化粧部屋を覗いて白粉つけてどうするだい。白鷺にでも惚れやがったかと、ぐいっと押しつけて動けねえようにして。どうすべえなとしばらく思案しとると、遠くから足の先をつま先立てて、お殺しでない、うっちゃっておくれ、若奥様は病気のせいで何につけても気に病んでしまうからと、女中たちが口を揃えて言うもんだでね、面白がってやることでもなし、殺生するにゃ当たらねえでがすから、茂った藪に潜らせて追いやりました。
若奥様は、気分が優れねえからと、二階で寝てござらしましたが。
ところがお前さま、今しがた降った小雨が上がってお天気になると、雨よりも大きい紅色の水滴がぽったりぽったりしてる、あの桃の木の下のとこさに、裏口から紫色のこうもり傘を差して出てらした若奥様が、
『爺やさん、先ほどはありがとう。その嫌なものがいたことを、通りがかりに教えてくださったお方は、巌殿寺のほうへおいでなさったそうですが、まだお帰りになった様子はないかい』
って聞かさった。
『どうだかね、私、お宅に参ってたのはちょっとの間だし、雨に降られて駈け出しても来さっしゃらねえもんだで、まだ帰らっしゃらねえでごぜえましょう。
身軽にずんずん歩かっしゃる様子だったから、もしかしたら山を越して名越のほうさ出さしゃったのかも知れましねえ』
と言うたらばの。
『お見かけしたら、よくお礼を申してくださいよ』
ってよ。その溝さ飛び越して、その道を……」
散歩者がいるのと同じ道筋を示して、
「ハイ、ぶうらりぶうらり、谷戸のほうへ行かしゃった」
と言いながら、巌殿寺から橿原方面へ抜ける方向へと、身体ごと振り向いた。身のこなしが大仰で、さも何か言いたげなそぶりだったので、散歩者もつられてそちらを向いて……。それは帰宅の途上にある彼が、これから歩く方向にあたる。
「それ、見えるでがっさ。のう、あそこさ土手の上にいらっしゃる」
錦の帯を解いたような、雨のあとの薄霞が山裾にたなびく様子が、いかにも風流に見える草の上に、紫色の満月ほどの大きさのものが一つ、あるいは菫の花束と言えばいいのか。紫羅傘と書いてイチハツと読むが、その字のとおり紫の傘は美人の持ち物。
散歩者はひと目、その姿を見て、早くもその霞の端のあたりがひたひたと身に迫り、膚にまといつく気がした。
どこを見ても目を奪われる、春の景色が広がるなかの一点を、蕨のような爺さんの手が、無骨な指で指さして、
「あすこさ、それ、若奥様が傘の陰に憩んでらっしゃる。はははは、礼を聞かっせえ、待ってるだに」
