三十五
三十五
さて一時間ほどが経ったころ、散歩者の姿は、ただ一人、先刻の土手から鳩が舞うのを見た、浜辺にある藍色の西洋館の傍らにある、砂山の上に現れた。
そこまで来ると、浪打際までは行かないで、ひどくくたびれた様子で、ぐったりと腰を下ろすと、さっそく脚を投げだした。さて、あなたのために『ことづけ』の行方を見届けましょう。連獅子のあとを追って、ときっかけをこしらえて、まだ独りよがりな話を続けたそうに、話し相手が欲しかったらしい美女にさようならと別れを告げたが、飛ぶように駆けていった獅子たちに追いつけるはずもない。
ひとまず帰宅して寝転ぼうと思ったのだが、久能谷を離れて街道を見ると、おびただしい数の人々が激流をなしてステーションへと押しかけている。なかにはもうこのあたりから役者の仮声をしはじめた若者がいたり、上衣を肌脱ぎにして浅黄の襦袢もあらわに急ぐ女房もいたりという、芝居人気の恐ろしさよ。出し物は大江山の段か何か知らないが、とても町へは近づけたものではない。
それゆえ、宿のあるステーションのほうには曲がらず、人通りを横切って、田圃を抜けて来たのである。
正面には、雪の白さの霞をまとった山の女王が、くっきりと姿を現している。見渡す限り、海一色。浜に引き上げた船や、魚籠や、馬草のように散らばったかじめのようなものは、どれも海に対して主張をするものではないから、見慣れた海辺の風景の邪魔になりはしない。
かつ、人っ子一人いないから、この風景は真昼のような月夜のものに思われる。のどかなことにかけては野にも山にも勝って、浜に敷かれた白砂はすべて、暖かい霧がたなびいているように見える。
鳩は蒼空を舞う。ゆったりとした波にも誘われず、風にも乗らず、同じところを――そしてその同輩たちは館のなかで、ことことと塒を踏みながら、くくっと啼いている。
人はこんなのどかさのなかに身を置いても、胸の鬱憤が晴れるわけではなく、眠れぬ寝床にいるのと違いはない。
わけもなく手で砂をすくってみると、砂浜は窪むわけでも盛り上がるわけでもなく、他愛なく周囲からほろほろと崩れて、穴を埋めてしまう。水をつかもうとするのと同じで、埋まっていた貝殻が、ただはらはらと出てくるだけだ。
渚はいちめんの砂ばかりだが、砂のほかは何もないと思えるところでも、すこし掘れば貝が出てくる。貝のほかにも、何が棲んでいるのかわからない。手の届く周辺ですらそんなありさまだ。
水の底を捜したら、あの女に恋い焦がれて死んだという、久能谷の庵室の客人も、まだそこで生きているのかもしれない。
いや、生きていると思ったからこそ、君とそのみるめおひせば四方の海の……という歌に託して、あなたに逢うためなら水の底へでも潜ろうと、美女は『ことづけ』をしたのだろう。
この歌は、平安朝期に艶名を馳せた和泉式部の作で、時雨に降られたさいに、稲刈りをしていた少年に襖という雨具を借りたところ、その少年から、
時雨するいなりの山のもみじ葉は
青かりしより思ひそめてき
という歌を贈られて、自分にあこがれる若い男の情けに感じた式部は、彼を奥の部屋に呼び入れたという逸話もある。
言うまでもないが、君とその……の歌をノートに記したのは、御堂の柱にうたた寝の歌を落書きした人と同じ、玉脇の妻、みを子である。
深く考えるまでもなく、庵室の客人と玉脇の妻との間には、不可思議な感応があり、夢の契りを結んだらしい。
男は早くも、この世の外に別世界があることを知って、空想の恋を現実のものにするために、すぐさま身をもって冥界におもむいたようであるが、一方の女がまだ半信半疑でいることは、それとなく胸中の煩悶を漏らした、あの世というものがあるとわかって、霊魂の行く先が知れたら、すぐにあとを追うのにと言った、ことばの端にも表れていた。
ただ、それがはっきりとしないせいで、男のあとを追うこともできず、生き長らえる甲斐もないと悩むのだろう。
わけもなく門附を怖がって、冥土の使いのように感じていたところからは、いくぶん心が乱れていることがわかる。意地を張り通して、死んでみせようか、などと言ったことに到っては、ますます悩乱のほどが思いやられる。
また別の角度から見れば、門附の談話のなかにあった、神田あたりの店で、江戸紫の夜あけがた、小僧が門口を掃いている、納豆の声がした……などといった風物は、みをの幼いころの思い出と重なっていたのかもしれない。――その人生は、やがて暴風雨になったのだけれど――
とにかく気になるのは『ことづけ』の行方である。玉脇の妻は、それによってあの世というものがあるのかどうかを占なおうとしたようだったが――ずだぶくろに納めたわけでも、帯につけたわけでも、袂に入れたわけでもなく、それを預けた角兵衛獅子の子供が獅子頭のなかに封じて去った、というのも気がかりである。その角兵衛たちにしてみれば、為替を書いて銀貨をつかませ、苦しい芸を見せろとも言わない上得意を前に、ここが商売人の感謝のしどころだという大事な場面で、偶然に受け取った『ことづけ』だから持って行った、ただそれだけのことなのだろうが。
あの『ことづけ』がもし鳥にでも攫われたら、思い人は虚空にいるのだと信じて、夫人は羽を生やして飛ぶのだろうか。いやいや羊に食われたとしても、角兵衛たちは再び引き返して、どうなったのかを伝えたりはしないだろう。
砂を掘るにつれて手にたまった、いろんな貝殻にふと目をとめて、
君とまたみる目めおひせば四方の海の……
と、自分でも気づかないうちに口ずさんでいた。
貝は何も答えてくれない。
もしも貝殻が、大いなる海の物語を語れるなら、花吹雪のように渚に散り敷かれた小さな貝殻たちは、つねにささやきを絶やさないだろうに。ゆえに子供が拾っても、われら大人が砂から掘り出しても、黙っているのは同じである。
小貝をそこに捨てた。
そして横向きに砂の上に倒れた。腰の下の砂は崩れて窪んだが、そのままずるずると埋もれるわけではない。
しばらくして、散歩者がなかば閉じていた目は、斜め向こうの鳴鶴ヶ岬まで視線を走らせたが、その半ばあたりに、ひらひらと不知火のように燃え立つ色彩をとらえて、はっきりと見開かれた。
それは獅子頭の緋色の母衣だった。
二人がそろって現れた。鳴鶴ヶ岬から小坪の崕まで続く浜辺の、他には人影一つ見えない場所に。
ステーションで芝居の興業がある、町も村もそれに首ったけで、誰が角兵衛獅子など相手にするだろう。哀れにも、世間の荒波に揉まれるぼうふらのような、働きずくめのあの子らは、今日は必然的に閑なのである。
二人はここでも後になり先になりして、脚絆を巻いた足を入れ違いにしながら頭を並べて、白波をかぶるほどの浪打際を歩いていたが、やがて年長のほうは五、六尺ほど渚を離れて、そこに日影があるように散り乱れたかじめのなかで、草鞋ばきの脚を投げだして休んだ。
小獅子のほうはますます活溌になって、わっと波を追っては、さっと追われている。その光景は、世間一般の子供が遊んでいるようにはすこしも見えず、散歩者は以前、孤児院の子らがこの浜に来て、大人の監督の下で遊んでいるのを見たことがあるが、そのときと同じ印象で、まるで世の中の荒波に揉まれる姿を見せているようでいじらしい。ただ、頭の獅子が怒り狂って、激して戦う勢いを見せている。
負けるなよ!
すると小獅子は草鞋を脱いで裸足になると、横向きに歩きはじめた。足を濡らして遊んでいるようだ。
年上の子は母衣を敷いて仰向けになると、膝を小さな山形にして寝た。
波打ちぎわを横向きに飛び跳ねていたときは、草鞋を脱いだだけだった小獅子だが、やがて脚絆も取って、膝まで水に入り、静かに立っていたが、浜に引き返して次は袴を脱ぎ、着物をまくって腰まで浸かって、二、三度そっと海水を跳ね飛ばし、またちょこちょこと引き返すと、頭を払いのけ、着物を脱ぎ、丸裸になって一直線に海へ飛び込んだ。それほど暖かい日ではあったが、どうやらその子は泳げないようだ。ひたすら勢いよく、押しよせる波を跳ね返して遊んでいる。手でなぐって、足で踏みつけると、海水は稲妻のように幼児を包んでその左右へ飛んだ。――散歩者はその光景を、無音の映像のように見つめている――獅子はただ嬰児になり、日の光に頭を撫でられ、緑の波の胸に抱かれている。いかなる祝福を受けた子なのか、大自然の盥で産湯を浴びるとは。
散歩者はむっくと身を起こすと、ひそかにその幸福を祝するのだった。
あとで聞くと、子供心にもあまりの嬉しさに、この一幅の絵のような春の海に対して、恩返しをしたいと思ったのではないかという。いったん海から出ると浜へ上って、寝ている兄獅子の肩のところでしゃがんでいたが、相手が上体を起こすと、濡れた身体に獅子の頭だけをかぶった。
それからさらに海に入った。海水を分けた波脚が、ふた筋に長く尾を引いて、少し沖に出すぎたかと思ったときには、小獅子の姿は伊豆の岬の風景のなかで、ちょこんと小さな点になっていた。
浜にいる獅子が胡坐をかいたかと思うと、テン、テン、テンテンツツテンテンテンと、高らかに太鼓の音を波に打ち込み、油のような海面に綾模様を流すかのように響かせたとき、海のなかに立った獅子がその音とともに、頭を海に突っこんだ。
芸の合図の音に、我を忘れて反応したのだろう、海に潜ったのが、死者への『ことづけ』をしまい込んだ獅子頭だとはなんとも不吉だ、と思ったとたん、幼児の姿は見えなくなった。
まだ浮んでこない。
太鼓が止んだかと思うと、年長の子が浜で棒立ちになっている。
散歩者が砂山を越えて一直線に駈けつけたとき、どうしたことか、年長の子は、小獅子が浜に脱ぎ捨てた、干からびた海藻のような袴や着物、脚絆など、あらゆる形見といっしょに、太鼓も泥草鞋もひとまとめに引っかかえて、砂煙をあげながら町のほうへ一目散に逃げだしたのである。
波はのたりと打ち寄せている。
早くも二、三人が駈けて来たが、いずれも大声で高笑いしながら、
「馬鹿なやつだ」
「馬鹿野郎」
暢気そうに歩いてきた巡査に、散歩者が、すがりつくように訴えると、
「角兵衛が、ははは、そのようですなあ」
死骸はその日、ついに見つからなかったが、翌日の夜明けの引き潮のころに、去年の夏、庵室の客が溺れたのと同じ鳴鶴ヶ岬の岩に上がったときは、二人になっていた。幼児の顔を玉のような乳房にくっつけて、びっしょりと濡れた緋色の母衣を雪のような腕にからませたもう一人は、美しく艶やかだった。玉脇の妻は霊魂の行方がわかったのだろう。
さようなら、と言った土手の下で、別れぎわに、やや遠ざかってから見返したとき――紫の深張りのこうもり傘を帯のあたりで横にして、うつむき加減で、黒髪を重たげに見せながら見送っていた姿が忘れられない。あの髪は、どんなに海で乱れたろう。
渚の砂は、崩しても、積る、くぼめば、たまる、音もなく。ただ美しい骨が出る。貝の色は、日の紅、渚の雪、波の緑。
(了)