62 華舞8
なんで。嫌だ。
怖い。怖い。怖い。
カサネは混乱と恐怖の最中にいた。
担ぎ上げられた姿勢のまま、激しい揺れに悲鳴すらあげられない。
ただ身を固くして、歯を食いしばるのが精一杯だった。
身を切る向かい風の強さで、恐ろしいほどのスピードだとわかる。
カサネを担いだ男は、全く速度を落とさずに新月の闇夜の中を走り抜けていく。
手入れされた庭園はすでに抜け、森と言ってもいいような密集した木々の間に入った。
(どこに連れていく気なの)
自分は王女ではないのに。
それを知られたら、どうなってしまうのか。
絶望的な未来が突然に身近に迫り、我知らず体が大きく震えた。
少し時は戻り。
円舞を終え、広間の片隅に陣取ったカサネら偽王女一行は、ほっと一息ついた所だった。
「何か飲むかい?」
以前飲んだ酸味のある果汁を頼むと、ヨルキエ自ら取りに行った。
護衛が定位置についたのを見届けたから安心したのだろう。
少し歩いた先で、顔見知りらしい貴族達に話しかけられている。
残されたカサネは、なんとなしに気詰まりを感じていた。
スウガはシジマール側の護衛筆頭にあたる役割なので、カサネが腰掛けた椅子の傍らにたっていた。
その視線を頭上からひしひしと感じ、肩が強張る。
何か言わなきゃ、と思うほどに何も思い浮かばない。
ふ、と頭上からため息が聞こえた気がして、思わず振り仰いだ。
こんな、子供のような態度で嫌われたくない。
だが予想に反して、スウガは笑っていた。限りなく苦笑に近かったが。
「そんなに怯えるな。これでも、少しは傷つく」
「ごめんなさい…」
わかってはいるのだ。
だが、自分の気持ちすら整理できてないのに、どういう態度をとればいいのかわからなかった。
「わ、私ね。彼氏とかいたことないし、男の子と二人きりで話したことないし。
…つまり経験不足なの。ごめんなさい」
加えて言うなら、スウガはとてもじゃないが、男の子という雰囲気ではない。カサネにとっては大人の男で、お手上げ状態だ。
「別に謝ることじゃない。むしろ、嬉しいくらいだ」
そう言われても、カサネの表情は晴れない。
中学生の頃、男女複数人でグループデートしたのが精々で、カサネは恋愛に全く縁がなかった。
大人っぽい顔立ちとすらっと伸びた背、落ち着いた雰囲気が、同世代には敷居が高い、と友達には度々言われたことがあるが、要するにモテなかった訳だ。
そんな自分をスウガのような大人の男性が相手にするなんて、なにか勘違いしているのでは、と思ってしまう。
実際、容姿の価値観の違いは、少なからず影響しているだろう。
その時、わっと場内が沸いた。
座ったままでは見えないが、盛大な拍手と賞賛の声が凄まじい。
ようやく、王女が登場したのだろう。
「やった!これにてお役御免!」
と、カサネも晴れ晴れとした笑顔で心から拍手した。
「遅かったな。ま、助かった」
スウガもいくらか穏やかな顔をしている。
ふと、悪戯を思いついたようにニヤリと笑い、腰を折って、カサネの耳元でささやいた。
「もういっぺん踊るか?」
背後から間近に感じる低音と吐息に、ぶるりと体が大きく震えた。
顔がほてる。
そんなカサネの反応を見越して、色めいた声の掛け方をしたのだろうに、まんまと反応してしまったことが悔しかった。
きっと眼差しをきつくし、文句をいってやろうと振り向く。
が、スウガの後ろに貴人を見つけ、口をつぐんだ。
スウガもまた、カサネの視線を追い、姿勢を正した。
「妃殿下」
現れたのは、王妃とその連れらしい壮年の男性だった。