4 二人で2
日が暮れる前に、と二人は足早に街の古着屋へむかった。
眼鏡はこの世界にもあるが、高価で珍しいと古着屋の親爺からきいていたので外してきたそうだ。
おかげで客引きがよってこない。むしろ避けられた。
「問題はこの服がどれだけ高値でうれるかだよね。普段着だし」
と、自分の姿を見下ろした。
着慣れたVネックのカットソーと、最近気に入っていた濃い緑のロングカーディガン。下はごく普通のデニムのスカートとスパッツだ。
オウタの服装も似たようなもので、いつものジーンズに長袖のTシャツ、上から半袖のシャツを重ねている。割と新品に近いことだけが救いだ。
唯一の持ち物はナイロンのリュック。
中には財布と携帯、キシリトールのガムと眼鏡のケース。筆記具に、オウタの学校関係の本と小説本。それくらいだった。
「どうだろうなあ、店の親爺の見立てじゃ俺の服は頑丈そうなのが取り柄だとしかいわれなかったしなあ」
「こんなことなら一張羅着てきたのに…」
値の張ったワンピースを思い出して、いや、と頭をふる。あれだったら金にかえることはしなかったかもしれない、と思い直したのだ。
「あ、あそこだ。よかったまだ店開けててくれた」
オウタの指差す先には、こじんまりとした古着屋が、店の表戸を半分しめていた。
「ああ、さっきの兄さんかい。どうする?買うのかい?」
少々迷惑そうな顔をされたが、かまう余裕はない。
二人は頷いて中へ入った。
色とりどりの布が並んでいるんだろう、という予想に反して、どの服も色味が控えめだった。藍色、茶色、など暗い色か、生成りの色か。赤や紫も少々見える。庶民の服だからだろうか。そこまで考えて、カサネははっとしたように顔をあげ、店主を見た。
「あの、この服、買い取ってもらえませんか? 結構貴重だと思いますよ」
そういって上着のカーディガンを脱ぐ。貴重かどうかはわからないが値段交渉にはったりは必要だ。手渡されたそれをちらっと見て、店主は目を見張った。やはり、とカサネは確信する。
「こりゃあ、滅多にない緑だね。ここまで鮮やかで濃い色は初めて見た! どこで手に入れたんだい? 素材もよくわからないな、西の衣装ににてるかねえ…」
「人からの贈り物だからちょっとよくわからないんです。でも軽くてとっても温かいんですよ。一度洗ったけれど少しも色落ちしないし」
不審気なオウタを目で制して、ここぞとばかりにアピールする。
「なるほど。このふわふわした糸で織ってるわけか。…ちょっと検分するからまっててくんな」
店主が奥にひっこむと、オウタが首をかしげた。
「なんであれが売れそうだってわかった?」
にやっと笑ってカサネはあたりを指し示した。
「ここに緑の服ってあんまりないでしょう? 前に本で読んだんだけど、日本でも昔は緑の染料ってあまりなかったみたいなの。藍染めの触媒によっては萌葱色とか出せたみたいだけどね。で、私のカーディガンの濃い緑なら売れるかな、と。今の話からすると羊毛もないみたいね、このあたり」
なるほど、と感心しながら周りの服を見る。男物らしい大きさの服は大体、ズボンと膝あたりまでの上着だった。女物はデザインの幅こそ広いが基本はワンピースのようだ。
「待たせたね、これなら70ハール出そう」
「冗談でしょ? 70なんて。それだけのものなら200は欲しいわ」
憤然とした様子でカサネは言い募った。
金の単位も感覚もよくわからないオウタは目を丸くする。
カサネももちろんわかってなかった。
ただ、古着や中古品は元値の三割くらいが相場だったような…と曖昧ながら記憶していたので、もう少し交渉の余地があると踏んだのだ。一か八かである。
「おや、嫌ならいいんだよ。他をあったってくんな。今日はもうどこも店じまいだろうがね」
「そうさせてもらおうかしら。今日のところはこの上着以外を売ってもかまわないし。そんな安値じゃ贈ってくれた人に悪いですもんね」
わざとらしく困り顔でオウタを見上げてくる。すると店主は慌てて交渉に応じた。
「わかった。それじゃあ100出そう。古着にしちゃ破格の値段だろう?」
カサネは首をふってため息をついた。
「悪いけど、今日のところはこっちの服を…」
と、オウタのシャツに手をかけると、更に店主の声がとんだ。
「よし、130だ。これ以上はだせないよ」
「200よ」
「…ひゃ、150」
「200」
「…170」
「200」
遂に店主はため息をついて、首を縦にふった。
「わかったよ…しっかりした嬢ちゃんだな。200で買い取ろう」
「ありがとう、おじさん。助かるわー」
妹の見事な手腕に、オウタはこいつと一緒で良かったな、としみじみ感じていた。
それ以外の服もそれなりの値(といってもどれくらいの価値があるのかわからなかったが)で買い取ってもらい、いよいよ古着を選ぶ段になって、カサネは意外なことを言い出した。
「私も男物にする」
「なんだって? 嬢ちゃんだったらこの辺の小奇麗なのでも着りゃ男がほっとかんだろうに」
「だからです。この街に来てさっそく変なのに絡まれたの」
言いながらも視線は服に向けたまま猛然と衣装を選んでいる。やっていることは女そのものだ。
「そうかい、ちょっとこのあたりは物騒だからね。それにしても、その髪じゃ意味がないんじゃないかい? 逆に目を引いちまうよ」
「え?」
その後、世間話に紛わせ、注意深く聞き出すと、女は皆髪を伸ばし、男はよほど身分の高いもの以外は長髪を禁じられているそうだ。
女の短髪は尼僧か、貧しさに髪を売ったものときまっていた。
「そう…。おじさん、悪いけど髪切るのに何か道具かしてもらえませんか」
「カサネ!」
慌ててオウタが止める。
「そこまでしなくたっていいだろ?」
「そうだよ、勿体無い。そんなに綺麗な髪してるのによ」
カサネ自身はそうは思っていなかった。この世界の庶民に比べて艶があるのは栄養状態が良くて、風や日光にさらすような仕事がないからだ。髪質自体はどうということのない、普通のもの、と思っている。
「いいんです。…あ、この髪も売れませんか?結構長さあるし」
その生活力溢れる言葉にもはやオウタはぐうの音もでなかった。
「わかったよ。俺が切ってやる。親爺さん、なんか貸してもらえます?」
本当にいいのかい、といいながらも店主ははさみを持ってきてくれた。はさみが存在するだけありがたかった。短刀ではどうなっていたかわからない。
オウタは慣れない刃物に、ごくり、と喉を鳴らした。
「いくぞ…」
「いいけど変な頭にしないでよ」
そう言っても実は大して心配していなかった。
オウタは見習いとは言え美容師だし、彼女自身、長い髪に未練はない。
面倒だから伸ばしていただけ、という怠惰の象徴のような髪型なのだ。
むしろ妙に引き止める二人の男の様子が可笑しかった。髪は女の命、とこちらの人も思っているのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、後ろから聞こえていたざくざくという音がきえた。
「できたぞ」
手をやると、首筋に直に手が触れた。久々の感覚だ。
気をきかせた店主が鏡を持ってきてくれた。銅か何かで出来たそれは、はっきりとした像をうつしてはいなかったが、大体の髪型はみてとれた。
「ショートボブってとこか。もっと短くしてくれてもかまわなかったのに」
「それ以上やったら猿だろ。ちょっと女らしさを残してみました」
得意げな兄に、一応礼を言って店主に顔をむけた。
「男にみえます?」
すでに男物に服を変えていたためか、店主は頷いた。
「そうしてると良く似てるなあ。あんたら兄妹かい」
「ええまあ。奉公にでることになったもんで、田舎から出てきました。この辺りは詳しくないんです」
珍しくオウタが嘘をつくと、店主は首をかしげた。
「奉公に出るにしちゃいい服着てたじゃあないかね。それに髪きっちまってどうすんだい。女中は無理だろう」
もっともだ。カサネは焦った。
「親がなくなったもので、働かなくちゃならなくなりまして。もう家財はうっぱらってしまったんですよ。妹は今までお嬢さん暮らしだったからしばらくは働かせるつもりはないんです」
慌てて更に嘘を重ねる。
「そうかい大変だな。まあ二人でならなんとかなるだろう。…今日はここ泊まりかい?」
「そのつもりです。まだ宿をとってないんですけど」
「そりゃちょっと難儀するな。宿場町だから数はあるが、安くて良心的なところから埋まってくもんだ。今の時間からじゃあなあ…」
渋い顔をする。何気なさを装ってカサネは聞いてみた。
「この辺りでは一泊いくらになりますか」
「そうさな…。素泊まりで二人なら30ハールってとこか」
「30…。実はあんまり路銀がなくって。掃除と片付けくらいできるのでもっと安いところ知りませんか?」
カサネの考えではこういった旅人の多そうな街では、宿が多い分、競争が激しい。
宣伝料を払って他の商売の店で客の斡旋をしてもらっていてもおかしくない。この店主がそうかどうかはわからないが、宿の話題を出したのも彼だ。おそらくつてはあるのだろう。
「俺の知り合いのとこなら、20で泊まれるぜ。料理屋もやってるからそこの手伝いしてくれりゃ賄いもつけてもらえるだろ。どうだい?」
先ほどの男二人を思い出して、警戒心がもたげたが、こう短髪になってしまっては水商売にまわされることはないだろう。カサネは兄と目で会話し、よろしくお願いします、と頭を下げた。
本文にあります『古着や中古品は元値の三割くらいが相場だったような…』というのは全く根拠のない適当な想定です。念のため。