19 戦い3
道から木々の中へ入ると、茂った草や蔓に脚をとられた。
もともとアウトドアの経験などほとんどないカサネだ。
慣れぬ山歩きですぐに息があがった。
いまだ、追っ手らしい気配はないが、盗賊たちのほうが気配を殺すのに長けているだろう。
それを思えば安心できない。
そして、カサネ自身、山のなかで迷ってしまわないかが心配だった。しるしを残す事もできない。
ただ、太陽の方向だけを確認しながら、登った。
スウガは山道自体はそう長くない、と言っていた。
高低差が激しいので、徒歩では困難だが、山の端をかすめるように進むので、難所さえ越えれば、すぐに平地の街道に出る、と。
このまま、登り続ければ、街道に出るどころか、山深くに迷い込んでしまうことはわかっていた。だが馬鹿正直にさきほどの道を行くわけにはいかなかった。
「…地図でもあれば…」
詮の無い事と知りつつつぶやいた時、遠く下手からかすかに男の声が聞こえた。
一瞬、スウガたちかと思ったが、先に戻ってくる可能性が高いのは野盗のほうだ。
カサネは怯えを顔に出し、少しでも遠くへ逃げようとした。
しかし、頭の中の冷静な部分が自身を引き止める。
カサネの歩いた道は、踏み荒らした枯葉や、折れた枝の様子などから敵に簡単に悟られてしまうかもしれない。
なんといっても奴らはこの山を狩場とする盗賊なのだ。
カサネよりもずっと詳しいはず。
一か八か、とカサネは周りを見渡し、勾配が最も急な岩場まで、なるべく跡を残すように進んだ。
息をきらして、せりでた岩場から下を覗き込むと、くらりと眩暈を覚える。
山の端を進んでいるはずだが、見渡せるのは木々ばかりで平地は少しもみえなかった。
時間がない。
カサネは周囲になにか手ごろなものはないか、と探す。ここは跡が残らないように注意する。
あった。
雪だるまの頭くらいの、ごつごつした岩だ。
しっかりと土がついて、動きそうになかったが、力いっぱい押すとどうにかころがった。
それを岩場の端まで転がす。
そこまでしてから岩を転がした跡、岩のあったへこんだくぼみを隠した。
そして、一気に岩場から岩を落とした。
岩は勢いを増しながら下に転がり落ちていった。まわりの木々をへし折り、土埃をたてるすさまじい勢いだ。
これは盗賊たちにも聞こえただろう。
急いでカサネはその場を離れ、注意深く選んだ一本の木によじ登った。
幸いこの辺りの木々は暖かな季節柄、よく繁っており、カサネの身ぐらいかくしてくれそうだ。
何年ぶりかの木登りに四苦八苦するうち、今度こそ男たちの声が間近くなった。
怒声の交じった、野太い声。
やはりスウガたちではありえない。
震える体を木の幹に押し付け、自分の子供だましの細工がなんとか通じてくれることを願った。
「・・・おい、この辺りじゃねえか?」
かすかに低い、男たちの声が届く。
下を除いた瞬間に、目が合うのではないか、と怯えて様子を伺うことすらできなかった。ただ、出来る限り息を潜めて、自分の幼稚な細工の成功を祈る。
「おかしら! あのガキ、こっから落ちたんじゃないのか?」
そうだ。お前らが追っていたガキは、焦るあまり崖から足をすべらせた。
切り立った崖から落ちたのだ。
探しにさっさと山を降りればいい。
念じるように、何度も何度も思い描いたシナリオを頭の中で繰り返す。
「・・・そうさな。育ちのいいガキのことだ。滑ったのかもしれねえな」
おかしら、と呼ばれた頭領らしい男が大きな声で返事する。
その内容にほっと息をついた瞬間。
「ガキが!下手な小細工して死にてえのか!」
震え上がるような怒声とともに、カサネが身を隠していた木が大きく揺れた。
「ひっ」
思わず目を開けて下を見ると、男たちがその木を取り囲んでいた。
カサネの細工はあっさりと見破られたのだ。
絶望的な気分のまま、しかし木を降りることも出来ずにただ身を固くする。
焦れた男たちは、先ほどそうしたように、次々と幹を蹴飛ばし始めた。
激しい揺れに、カサネは必死で枝にしがみついた。
しかし段々に腕がしびれ、その力が弱くなっていく。
もう駄目だ、と思ったときには、カサネの身体は宙に浮いていた。
地面にたたきつけられる痛みを予想していたが、実際には男たちの一人が落下したカサネを軽々と受け止めていた。
八方に伸びる枝の間を落ちたのだから、大きな怪我がないだけましかもしれない。
だが、汗と酒と血の臭いを纏った男たちに囲まれ、なかばパニックをおこしたカサネには死んだほうがましとしか思えなかった。
「手間とらせやがって」
野盗のかしらは憎々しげにカサネの顎をとり、上向かせた。
「確かに稀な美形だがな。ひひ爺の嗜好ってのはわからねえもんだ、こんな貧弱な身体よか女の方が・・・」
と、カサネの腕を取り、眉根を寄せた。
「あん? お前、女か?」
周囲の男たちの視線がとたんにぎらついたものに変わる。
「かしら、本当か? 短髪じゃ尼じゃねえのか」
一番年若らしい男が言うと、隣の男が小馬鹿にしたように笑った。
「尼だったらどうしたってんだ。お前がそんなに信心深いとは知らなかったぜ」
他の男たちが一斉に笑い、それもそうだ、と年若の男がおどけると、更に笑った。
寺の鐘の中に入ったような頭に響く割れ声。
性別を確かめるように、無遠慮に身体をまさぐるいくつもの手。
下卑た笑み。
カサネのパニックは極限まで高まっていた。
かろうじて焦点を結んだ先にあったものは、まだ新しい血の付いた刀身。
「そ、その血は・・・」
かすれ、震えた声でもどうにか問うことは出来たらしい。
賊の頭は、ちらりと自分の持つ剣に目をやると、自慢げにそれを構えた。
「ああ、ご明察。お前のお仲間のもんだ。中々やるようだったが、所詮ここいらじゃ俺の敵にならねえよ」
誰の。スウガか、ヨルキエか。オウタか。それとも全員か。
最悪の想像に、ついにカサネの精神に限界がきた。