11 旅へ1
窓から入る陽光の眩しさに、オウタは目覚めた。
朝には弱い。ぼんやりとした頭のまま、外をみると、太陽は中天にあった。この世界でも太陽を時間の目安にしていいならば、今は昼過ぎだ。
「寝たの、遅いもんな…」
軽く首をまわして、床に降り立つ。二段ベッドなんて子供の頃以来だ。
カサネはまだ、眠っている。顔色はそう悪くないので、近々起きだすだろう。
身支度、というほどでもないが、脱いでいた上着とズボンを身につけ、ドアの外に出た。
「あ、おはよう」
ドアのすぐ傍には、昨日オウタを捕まえた少年、セゼが立っていた。
オウタはどう見てもロウティーンの彼に気安く挨拶したのだが、彼のほうではそれは気に入らなかったらしい。精一杯いかめしい顔、と思われる表情を作って、低く言った。
「まだ、尋問の刻ではない。室内にいるように」
どれほど少年が兵卒らしく振舞おうとしても、オウタの肩にも届かない身長では無理がある。ふ、と笑って、オウタは自分の要求を伝えた。
「それなら、水もらえる? 顔くらい洗いたいしさ。あと、食事もほしいとこなんだけど。簡単でいいから頼むな」
笑われたことにむっとしたセゼはますます態度を硬くした。
「ずうずうしい。お前らは囚人だぞ!」
その言葉尻をとらえて、オウタは反論した。
「違うね。任意同行だろ? 俺たちはなんの罪状も確定してないし、現行犯でもない。わざわざここに留まってやってるのさ。そうだろ?」
実際そんな現代の(としても随分都合の良い)言い分が通用するのかわからなかったが、セゼの表情をみるかぎり、否定はできなそうだ。
「…」
「それに、カサネのこともあるしな。倒れるまで追い詰めておいて、食事も無しとは、ちょっと非人道的じゃないか?」
カサネのように頭の回転がはやいわけではないが、オウタも十分いい性格をしていた。人当たりもよく、幾分カサネよりも社交的だが、やんわりと確実に自分の意志を通す。そういうタイプだった。
「…。わかった。スウガ様に伝えよう。部屋でまっていろ」
オウタは室内に戻された。
みれば、カサネはすでに起きていた。ベッドの端に腰掛けて、こちらをみている。
「子供相手に小難しいこと言って、要求とおしたでしょ」
どうやら聞いていたらしい。苦笑して頷く。
「まあ、対応は悪くないと思うよ。こっちが起きるまで待っててくれたし」
こればかりはありがたかった。
カサネも顔色を見る限り、大分回復したようだ。直接具合はどうか、と尋ねても、正直には答えないだろう。その問い自体がストレスを感じさせてしまうかもしれない、とオウタはいつも体調を言葉でたずねることはしなかった。
「ふああ、よく寝たー。トイレ行きたい」
「ああ俺も」
セゼにまっていろといわれたことなど意に介さず、二人は表に出た。宿と同じように、便所は建物の裏手にあるのだろう。
兵舎はそっけない造りをした箱形の建物の集まりだった。
すでに日も高いせいか、兵士はあまり見られない。それでも時々二人とすれ違う者は、武骨な周りの人々から浮いた雰囲気に足を止めた。
用を足して、近くの水場で手を洗っていると、後ろから駆け寄ってくるセゼの姿が目に入った。一目で怒っているのがわかる。
「待っていろといったろう! 勝手に出歩くんじゃない」
「そう言われても生理現象だしさ」
「そうそう。粗相があっても困るでしょ?」
臆面もなく漏らす可能性を仄めかされて、セゼは面食らった。
「な、なんてこと言うんだお前!」
しもの話題はそれほどタブーなのだろうか。それともセゼの育ちがいいのか。
判断に悩んだが、からかうのもあきたので大人しく先ほどの部屋に戻った。
二段ベッドの傍らにあった小さなテーブルには簡単ではあるが朝食の載ったトレイが置いてあった。スープが少々こぼれているところをみると、セゼが持ってきて二人がいないことに慌て乱暴に置いたに違いない。
昼近いから食欲もある。
さっそく手を伸ばすと、スウガが入ってきた。後ろにはもう一人男を伴っている。
「よう、具合は良さそうだな」
「・・・おかげさまで」
カサネは軽く頭をさげて食事を続けた。オウタも特に反応を返さない。当然だが。
「そのままでいいから、少し話をさせてもらえるかい?」
初めて見るその男は、昨日少しぶらついた街でもあまり見ない金茶色の髪をしていた。美形というわけではないが人好きのする笑顔を浮かべていて感じがよい。
「どちら様?」
オウタがパンを齧りながら問う。昨日から思っていたがこちらの食べ物もまあまあだ。
「私はヨルキエという。こいつの友人だ。兵士ではないから、そう警戒しないでくれないか」
確かに兵士にしてはやや線が細い。背はカサネとオウタのちょうど中間くらいだから、この辺りの人間としては標準だろう。服装もたっぷりとした上着を着ていて、商人の格好に近いようだ。
「別に兵士かどうかで警戒しているわけじゃないんで。そっちの人は昨日のこともあるから邪険にあつかってるだけ」
そっけなくオウタが答える。
カサネはただもくもくと食事をし、時々オウタと会話している。
昨日の応対の仕方とはまったく別だ。
「なんだ、今日は大人しいなお前」
思ったままに口にしたのだろう、二人から冷たい視線を受けスウガは少したじろいだ。
「食事くらいゆっくりとりたいんですけど。それにものを口に入れて話すほど無作法じゃありませんから」
カサネは顔をあげずに言った。
暗に『食ってるときに話しかけるな』ということだ。
そんな作法がこちらでも通じるのかよくわからないが、きて二日目でもそれなりに生活できているのだから習慣は同じようなものだろう。
予想通り、スウガもヨルキエもあっけにとられはしたがおとなしく同じテーブルの椅子に座った。
「そんな作法まで気にするなんてな。やっぱり育ちはいいようだ」
「労働をしらないわけでもなさそうだが」
と、ヨルキエはオウタの手をみてつぶやいた。
オウタは美容師見習いでそのバイトもしているからさすがに指は荒れている。しかしカサネの指は、家事をするとはいえ、家電の発達した現代社会であるから綺麗なものだ。
その二人の差も不思議なものだ、とヨルキエは言った。
これが逆ならまだわかる、と。
主婦の手が荒れ、事務職の夫の手指がきれいなことは中流家庭ならよくあることだそうだ。
「まったく素性の予測がたたないな」
自分にもお手上げだ、とヨルキエは肩をすくめ、ようやく食事が終えたオウタとカサネは顔を上げて二人を見た。
「あらためて話すことなんてありません」
とりつくしまも無い。
オウタは少々シスコンの気があると過去言われたこともある。妹が倒れてスウガへの対応は格段に悪くなった。
しかし、今は丁寧な受け答えをしているとはいえ、彼らは兵士でこちらは尋問を受ける身だ。
あまりたてつくのはまずいと思ったのだろう、カサネはオウタの腕をひいてとがめた。
「ちょっと兄ぃ。まずいんじゃない?一宿一飯の恩もあるしさ」
「当然だろ?宿からひっぱったのは奴らの勝手」
「そうだけどさー、つっぱってても解決しないでしょうが」
「…まあな」
狭い室内のことだから、兄妹の会話も自然残る二人には聞こえていた。その内容はまあ他愛もないことだからいいとして、スウガは気になったらしく口を挟んだ。
「カサネ、といったか。お前兄にむかってずいぶんはすっぱな口をきくな。下町の坊主みたいだぞ」
「そうですか? これがいつも通りなんですけど」
「そうやって丁寧に話している分にはいいんだがな。砕けた口調で話してみろ」
いちおう年上だから、と敬語を使っていたが、カサネは遠慮なくため口をきいた。
「こっちではどんな風に喋ればいいの? 兄ぃの口調は問題ないの」
こちらは日本語の感覚しか持ち合わせていないが、言語によっては性差がはっきりでるものとそうでないものがあるのはわかっている。
敬語だってそうだ。
英語に比べれば日本語は敬語や表記の複雑さで勉強しにくいらしいし、女言葉・男言葉の区別がないと聞く。
今二人は普通に話しているつもりだし、口の動きも日本語のそれにしか見えないが、こちらの話し言葉はどのようなものか興味がわいた。
「特別柄が悪いということはないが、男の話し方だろうが。子供っぽいしな」
「ふうん」
別にこの先も男装するなら問題ない気もするが。
そこで遠慮がちにセゼが話にはいってきた。
「あのう。そこの子供が男の話し方をしてなにがおかしいのですか」
自分のほうが子供のくせに、とカサネがつぶやいたが、それよりも彼はカサネの性別にいまだに気付いていなかった。
「…」
「…」
「…まあ、そう考えるとそのままでいいのかもな。見た目にあわせるならば」
スウガの言葉に無言で頷く三人。セゼだけが事情がのみこめずに困っていた。
その後、ヨルキエが出したいくつかの質問から、彼の知識がスウガのそれよりも数段上であることがわかった。
それに、極力主観をくわえずに話を聞こうという姿勢が感じられたので、おおむね協力的に話をした。
「これはずいぶん難しい文字のようだが、読めるのかい?」
「確かに私の知る外国語よりも複雑らしいけど。ちょっと読みます?
…手代はついっと手をあげて川向こうを指差した。
『あちらになんとか言う長屋がありましてね。ああ、見えているでしょう。あの坊主のたっているあたりです。そこに元々住んでいたようでございますよ』
手代が丁寧に教えてくれたことに礼を言って、その方向へ向かった。
馴染みのない顔に警戒しているらしい。
周囲の子供たちから幼い視線を向けられて、数馬は苦笑した…」
それはオウタが持っていた時代小説だった。趣味まで渋いんだから、と苦笑いして兄に渡す。
まだ読み終わってないのに、とオウタはぶつぶつ言いながら、ぱらぱらめくっている。
「なんの本だ?」
「物語。だいたい三百年前くらいの時代設定のフィクションだよ」
「こっちはなんの本だい?ずいぶん鮮明な絵が載っているが」
「それは俺の教科書。美容師…髪結いか髪切屋とでもいえばいいのかな?そういう職業の勉強をする学生なの。それは絵じゃなくて写真」
細かいことは自分でもわからないので、省略しながら説明した。時々カサネの補足が入る。写真については仕組みも知っているようで、わが妹ながら感心した。
「そんなことが可能なのか?」
「たぶんいずれ開発される技術なんだろうね。こうやって先取りみたいにばらしていいのか疑問だけど」
そういう割にはこだわっているようにみえない。
その技術云々はともかくとして、ヨルキエはようやく彼らのいうことの一端を信じ始めていた。
気がついたら居た、というのはどうかと思うが、少なくとも彼らがここよりもはるかに発展した場所からきたことは間違いない。そしてそんな場所は彼には思いつかなかった。この国だって周辺国のなかでは平均的に文化的水準が高い。
長年の優位に驕って、古臭さを慣習といいなおして改めもしない隣国よりはよほどうまくいっている、と旅の実感をもってもいる。
しかし、彼らのような人間はみたことがない。うわさにすら聞かないのだ。
「…率直に言うと、君らの言うことを全て信じられるわけではないけれど。どこか遠くの発展した国から攫われてきた、というふうに考えておいてもいいかな? それ以上は理解不能」
と、諦めたことを示して、ヨルキエは肩をすくめた。スウガも、とうとう音をあげた。
「仕方がないな。ただし、胡散臭いことに変わりはないから、監察下に置かせてもらう」
「しつこいなあ・・・」
「別にいいんじゃない? わからないことがすぐ聞けるし」
好奇心の強いカサネはあっさりと言い切った。
「それで、これからどうするつもり?」
ヨルキエが面白そうに目を細めて尋ねた。
至極もっともな問いだった。
そんなことを考える前にスウガに囚われたので、特に思いつかない。ただ、しなくてはいけないことはわかる。
「なんの当てもないけど。とりあえず食い扶持をかせがなきゃな」
「そうだよね。私たち、古着売ったお金しか持ってないし」
その古着も、多分スウガが手を回して取り上げたのだろうから、金も使っていいものか悩む。
「じゃあさ、私と一緒に王都へいかないか」
「王都?」
首都のようなものだろうか、と首をかしげていると、オウタが昨夜仕入れた情報から説明してくれた。
「ここはサガルって宿場町で、この大陸の東のほうにあるらしい。王都は西の山抜けたあたりだってよ。昨日、おっさんたちが教えてくれた」
大陸の大きさはわからないが、一国が支配している範囲だからそれほどでもないだろう、とあたりをつける。
「でも、どうして?」
二人を連れて行ってもなにもいいことはないと思うが。
「私はもともと王都の生まれでね。昨日里帰りしようと思ったんだが河の増水で足止めされていたんだ。まあ、それで君らみたいな拾い物と出会えたんだからよしとしておくか」
と、軽やかに笑った。言っている内容は結構失礼なのだが。
「私はいいとこのぼんぼんだからね。多少王室にも顔が利く。他にも君らのような人間がいないか尋ねてみよう、と思っているんだけど?」
自分でぼんぼんだというのも珍しければ、わざわざそんな申し出をしてくれることにも、驚きと警戒心が芽生えた。
「なんのつもりでしょう」
カサネの声は自然とかたくなる。オウタも無言ではあるが眉間にしわが寄っていた。眼鏡はかけているがやはり目つきは悪い。
「そうあからさまに警戒しないでくれないか。どのみち、このままこの町にいても遅かれ早かれ捕まって国外退去だよ。君ら戸籍もないし、通行証も持っていない。それでは不法入国と同じだからね。いま、この国は貿易制限がかかっているし」
もっともな言い分だった。鎖国しているのは昨日聞いていたし、どんな国でも戸籍はあるだろう。難民とみなされればろくな扱いをうけないのは目に見えていた。
黙り込んでいると、ヨルキエが更に駄目押しした。
「嫌ならスウガ、二人は王に処分を委ねよう。君がつれてくればいい」
「なんで俺が。出世につながるかどうかもわからないんだぜ?厄介事はごめんだ」
とても利己的で単純な理由で、スウガは拒否した。
「少なくともマイナス要因にはならないさ。私が責任をとるよ。それに、そろそろ飽きただろう?この土地も。望んだような機会にめぐまれないみたいだし」
含みをもった言葉に憮然となるが、結局のところヨルキエのいうことに従うのはスウガも自覚していた。
「君らを野放しにするのは君ら自身にとってもこの国にとっても危険だ。それは確かだよ。その知識も持ち物も容姿もね。だからなるべく手元においておきたい。それをわかってくれ」
お願いのような口ぶりであったが、実際は命令だった。
ヨルキエに悪意はない、と思う。しかし全面的に信用すべきでないのもまた察していた。彼のすがしい風貌とは不似合いの眼光がそれを警告していた。
ちらっとオウタと視線をかわすと、カサネは小さく頭を下げた。本意ではなかったけれど。
「「よろしく、お願いします」」