10 疑義5
向かいの建物の二階、中央の部屋の明りが消えた。
あの風変わりな兄妹―オウタとカサネと名乗った二人がようやく寝入ったのだろう。
二人はしきりにため息をついていたが、スウガもまたため息を連発していた。
テーブルに置かれた彼らの私物。
不思議な艶のある布袋、革の財布とどこのものとも知れない硬貨と精緻な絵の紙切れ、何で出来ているのかわからない、硬く、時に光るもの、妙な食べ物。読めない文字の本。
一つ一つについて、問いただしたかったが、あの少女が寝込んでしまったため手を引いた。
再び、彼らの部屋に目をむける。もちろん何も見えはしないが。
兵舎の一室を貸し与えて、セゼをつけた。
オウタが言うには、カサネの発熱の原因は、精神的な疲れだという。
そう説明した時のあの男の鋭い視線。瞳はなにより雄弁だった。おまえがカサネを追い詰めた、とスウガを詰っていた。
それだけではない、とわかってはいたが、それでも罪悪感はある。あの華奢な体にどれだけの圧力が…、とそこまで考えてスウガは思い出してしまった。カサネの体を抱き上げた時の感触を。
「…まずいな。女日照りだからな、ここんとこ」
自分の勝手で色街を避けているくせに、そんなことを言って頬を軽く叩いた。
続きは明日。それでいい。
割り切って、自分も寝ようと、立ち上がった。が、目の端に黒い影を見て、咄嗟に剣に手をやった。
一呼吸する間に相手はスウガの目の前に立っていた。
「…! ヨルキエか」
ヨルキエと呼ばれた男は、ふわりと口元だけで笑って、スウガの首筋にあてていた短刀をひいた。
「遅い。見回りでお疲れかい?」
月明かりの中でも、十分に輝く、金茶の髪。それを肩から払って、好奇心の強い瞳をまっすぐに向けてくる。『見回り』の本当の意味を知っていてこう問いかけるのだからたちが悪い。
「別口だ…。お前、ずいぶん早いお帰りじゃないか。実家はどうした」
「先の長雨で河川が増水しててね。渡れそうにないから戻ってきたよ」
三日降り続いた雨が止んだのはおとといの夜のことだ。川上から流れてくる分、今になってもまだ水量は衰えないらしい。
「そうか。…相家でも待ち侘びているだろうに」
「半年戻っていないんだ。今更どうってこともないだろう」
親不孝を悪びれる様子もなく、手近な椅子に腰をおろす。
もう寝ようとしていたのに、と文句をいいながらスウガも向かいに座る。
「おや、珍しい品だね。輸入品かい?」
先ほど広げたままのオウタたちの所持品を手にとって、しげしげと眺めた。しかし、すぐにその異常性に気付いたようだ。ヨルキエは眉をひそめてそれに見入る。
「…。輸入、ではないな」
「ああ。そんな布は国内には無いし、染料以外の輸入は許可されていない。それに、これを持っていた奴らは濃い緑の衣も持っていた」
ヨルキエは黙ったままだ。
スウガも何も言わずに、相手の言葉を待った。この友人の目利きは確かだ。先ほどちょうど、ヨルキエがいれば詳しいことがわかるかもしれない、と考えていたので、河川の増水はむしろ好都合だった。
「…その持ち主とは?」
「まだ若い兄妹だ。気付いたらこの国にいたと言っている。嘘をついている風でもないが、隠していることはありそうだった」
人を小馬鹿にしたような態度で煙に巻くつもりだったのかもしれないが、スウガは怒りながらも、一方で冷静な目を失っていなかった。
だからこそもう一度、尋問しなおしたかった。
「君は密輸を疑ってるのか」
「そうだ。…違うのか?」
じっくりと検分していたヨルキエの視線が、スウガに向けられた。その瞳には深い色の光がある。未知への恐怖と、持ち前の好奇心が。
「違う。これは…こんな素材は私も知らない。い草にも似てるが光沢があるし繊維が細かい。見事に黒く染まっているし…。素材の想像がつかない」
「お前でも、か。実は俺も薄々感じていることがあったんだ。この本を見てくれ」
オウタの持っていた一冊も本を渡した。
「どこの文字だか全くわからん。俺はあまり学があるほうじゃないからな。お前ならわかるかもしれないが」
ぱらぱらと数頁めくっていた手を止めて、ヨルキエは首を振った。
「いや、私にもわからない。大陸の文字は勿論、周辺の島のものとも違う。北の大陸の文字もいくつか知っているが…こんな複雑なものではなかった」
ヨルキエがかなり博識なことをスウガはよくわかっていた。だからこの答えには驚かされたが、同時にやはり、という気持ちもあった。
「あいつら…それの所持者は、どうも得体が知れない。今日の門番に聞いてみたんだが、あいつらは北と南、どちらの門も通っていない。そのはずだ、手形を持っていないんだからな」
「しかし、ここはただの宿場町だ。警備もゆるいし、森から抜けて侵入する方法もないわけじゃない」
「そんな荒くれどもとは明らかに違う。二人とも育ちがいい。南の門番が言ってたよ、気がついたらあの二人は門近くの街道脇に座ってたってな」
門から入ってきた記憶は無いから、きっと街から来て誰か待っているのだろう、そう思った、と門番の男は言った。そうかもしれない。しかし北から入った記録も無い。宿帳の記録は毎日兵舎に集められるが、昨日泊まってはいなかった。
「確かに門番はだらけてるし、手立てはいくらでもある。だが、あいつらは目立つ。詳しいことは明日、聞き込みでもしてみなきゃわからないが、街の連中が目撃したのは多分、今日…いや、もう昨日か、昨日の夕方か晩からだろうな」
「そんなに目立つのかい? 私のような髪だとか?」
ヨルキエの金茶色の髪は確かに目立つ。暗褐色か黒髪の多いこの地方ではスウガの赤茶けた髪でさえ浮いて見える。光を反射する濃い金茶色のヨルキエの髪は遠くからでもすぐわかった。だが、あの二人はそうではない。
スウガは首をふって答えた。
「そうじゃない。髪はふたりとも黒い。ただ、背が高い。なによりそこらにはちょっといない美形だ」
兄の方は自分と同じくらいの身長だ、というと、ヨルキエは目を丸くして驚いた。
「それはずいぶん高いな。ふうん、美形の兄妹か。…なあ、明日私にも合わせてくれないか?」
「ああ、もともと頼もうと思っていた。外国人にしてもどこの者だかさっぱり検討がつかない。お前ならなにかわかるかもな」
「正直、自信はないけどね。この品を見る限り…」
テーブルに広げられたものをちらっとみやると、二人はどちらからともなくため息をついて、そこをあとにした。