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月と花番

作者: 月猫百歩

 この日の私はとにかく最悪だった。


 どれくらい最悪かっていうと、朝方に八年付き合った彼が浮気して後輩社員を妊娠させたことが分かり、別れを告げられる。


 そして傷心のまま出社した会社では部署異動が始まり、長年勤めていた部署を離れ、悪名高いお局様の下で働くことになった。


 その後親睦を深める為とか言って無理矢理人生初のホストクラブに連れて行かれ、そこでお局様とそれに群がるホスト達に散々晒し者にされ――

 終電を逃した私は今現在、無様に雨に打たれて歩いている。


 惨めすぎる。本当に……。いっそのこと全員に仕返しして死んでやろうか。

 でも一番消えて欲しいのは他でもない、何も言い返せなかった自分自身だ……。


「オイオイ。あんた何この世の終わりみてーに歩いてんの?」


 背後から声をかけられて顔を上げた。振り返れば消えかかった街灯の下に、酒瓶を手に誰かいる。

 

「あんたいいつらしてるな。一緒に飲まねぇ?」


 青白い街灯の光に浮かぶのは、安っぽい黒のジャケットを羽織ってにやりと笑う男がいた。

 男に向き直る。少し紫がかった濡れた黒髪に黒曜石のような瞳。肌は陶磁器のように白くて人形みたいだ。

 

「あんた……俺の花番はなつがいだ」


 男がゆっくり近づいて私の顎を掴む。

 鋭い八重歯にあやかし特有の揺れる眼光を含んだ瞳。ああ。この男は人間じゃない。でもそんなことはどうでも良かった。


「家まで送っていってやるよ。ほれ、歩こうぜ」


 妖の男はジャケットを脱いで私に被せると背中を押した。

 どうせ死ぬんだから今更怯える事もないだろう。私はされるがまま歩いた。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 




 電子腕時計のアラームが鳴る。無意識にそれを止めると寝返りを打って微睡む。

 テレビの音が聞こえる。ニュースの音声だ。


 ――のあやかしとの婚姻が結ばれ話題となっております――次に恋愛トラブルや結婚詐欺の予防と厳重化の声も挙げられ――

 ――傘は唐傘グループの丸下会社にお任せ――人と妖の繋がりを考えよう。困ったことは神役所にご相談を――


 またあやかし関連の報道だ。

 最近はこうしたニュースも芸能人のゴシップ並に珍しくない。


 アイドルでは化け猫や妖狐が耳や尻尾を残したまま人間に化けて男女問わず魅了しているし、IT企業では天狗が有名で、雪女は化粧品からファッションまでのブランド会社を設立して上場企業にまでなっている。


 勿論様々なトラブルはあるが、互いに共存するということで話が落ち着き、神社仏閣の力を間に挟んで、今はあやかしと人間の文化が混ざって生活しているのだそうだ。


 ……まぁ日々の生活に追われている私は詳しく知らないけど。

 妖の存在は珍しくなくなったけれど、身近ではそうそういない。私の会社でもいるにはいるけれど、違う部署だし会うこともない。 

 


 にしても頭痛い。ガンガンする。なんだか寒いし。やだ、風邪? 

 頭を押さえて目を開く。


「え……」


 ベッドの上。明らかに誰かが隣で寝ていた跡がシーツにある。毛布も抜け殻みたいになってるし。

 呆然と自分の布団の中を覗く。


「服着てない…」


 私なんで下着だけで寝ているんだろう? 昨日は雨に打たれて歩いて帰ったから全部脱ぎ捨ててベッドに入ったの?

 そんな事を考えながら体を起こすと、部屋の前を鍋を持った影が通った。

 

「幻覚?」


 そもそも私、昨日――隆也の浮気が分かって捨てられて、人事異動先の部署で上司にいびられて、極めつけに人生初のホストクラブでシャンパンかけられたんだ。みんなに笑われながら。

 それで雨の中歩いて帰ったんだ。知らない男に送られて。


 頭の痛みと共に気持ちも沈んでいく。 

 時計を見る。あぁ、会社遅刻確定じゃない。でもびしょ濡れのスーツは?バッグは?

 あの後どうしたんだっけ? どうやって帰ったんだっけ?


 下着姿の自分を見下ろす。

 どうしてこんな格好をしているのかさえ覚えていない。それに、昨夜私を送ったあの男は誰なんだろう……


「おい」


 頭に毛布がかけられる。

 途端に視界が暗くなって寒さが和らいだ。


「目のやり場に困んだろーが。それとも見せつけてんのか?」


 呆れた声に毛布をゆっくりと頭から下ろす。

 ベッド脇に立っていたのは綺麗な顔をした細身の男性だった。紫がかった黒のジャケットに白いシャツを着て、紫のラインが入った黒のズボンを履いていた。


「キッチン借りたぞ。飯作ったから適当に食ってくれ」


「え?」


「あとスーツは干しといた。シャツは風呂場で浸けて置いてるから後は自分で何とかしてくれ」


「あ、あの」


「しかもあんた、びしょ濡れのまま部屋に入ろうとするわ、靴は履いたままだわ大変だったんだからな」


「ちょっと」


「その腕の時計は防水だろ?だから外さなかったからな」


「あの!」


 大きな声で男性の声を遮る。

 すると艶めかしい眉を寄せて男性がこちらをうるさそうに見た。


「なんだよ? なんか文句あんのか?」


「あなたは昨夜私を送ってくれた人ですか? 私あなたのこと、詳しく覚えてないんですけれど……」


 私の言葉に男がニヤリと笑った。


「ほほう~? この俺と過ごした熱~い一夜を覚えてねぇんだ?」   


「……え?」


 昨夜のあの最悪な時間から雨に打たれて歩いた後のことがまったく記憶にない。私はどうしたんだろう。


「聞きたいか?」


 男がベッドに座って私の頬を撫でた。黒い瞳のふちが紫に揺れて笑った口元に八重歯が覗く。

 大きくて熱い手だった。男の人特有の大きな手に、私を捨てた男を思い出す。



 ――お前みたいな暗い女いらねぇ。最近は仕事の愚痴しか言わねぇし、鬱っぽくて面倒くせぇし。俺は治らねぇものに寄り添うつもりはないからな――



「……別にいい」


 俯いて呟く。


「別に、どうでも良い」


 そっぽを向いて膝を寄せた。

 腕の電子時計を見る。もうとっくに始業時間を過ぎていた。きっとあの女上司はカンカンに怒って怒鳴り散らしているんだろう。


「会社行かなきゃ……鍵はポストに入れておいて下さい」


「あ、そ」


 呆然と言う私の声に男はつまらなそうに息を吐いて立ち上がると、リビングに移った。

 ほのかにタバコとムスクの残り香がした。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 




 会社では案の定、上司である彼女が怒り狂い、専務が通りかからなければそのまま昼休みが来るまで怒鳴られていただろう。

 取り敢えずデスクで弁当を食べる上司に嫌味を言われながら昼食を抜いて仕事をこなし、終電間際まで残業すると会社を出た。



「お、帰ってきたか」


 最寄りの駅で降りると家にいた男が立っていた。


「遅いじゃねぇ~か。仕事? それとも男?」


 意地悪い顔で肘で腕をつついてくる。

 鬱陶しいと心の中で呟く。


「どうでもいいでしょ」


「お~怖い怖い」


 わざとらしくおどけて男は言った。


「スーパーで適当に半額セールの材料買って飯作ったから食べようぜ?」


「いらない」


「なんだよ。せっかく俺様が飯作ってやったのに」


 アパートに帰ってバッグを置く。

 私なにしてんだろう。今日一日仕返しのことばかり考えて死のうと思っていたのに、会社に行って上司に頭を下げて、知らない男アパートに入れあげて。


「ほれ、飯だ飯! 座れって」


 男が強引に私を座布団に座らせる。


「簡単に雑炊作ったからな。あんた顔色悪いしあの夜吐いたし」


「ふーん……」


「いや。あんたふーんって……。そもそも俺のこと怖くねぇの? 男で、こう見えてあやかしだぜ?」


 そう言って彼は耳を尖らせて牙を見せつけた。わざとらしく舌舐りをして笑うと、黒い目を鈍く光らせた。


「どうでもいい」


 私の呟きに男が不機嫌そうに顔を曇らせる。


「いつも男連れ込んでるようには見えねぇけど。部屋見りゃ分かるわ」


「そう」


「俺、ひびきって言うんだ。あんたは瑠奈るなだろ? 郵便とか身分証勝手に見ちった」


「そう」


「マイナー妖怪だけど狼の妖ってレアだと思わねぇ?」


「そう」


「あのさ、瑠奈って呼んでいいか? つーか勝手に呼ぶわ」


「そう」


「あんたバカだろ?」


「そう」


 急に鼻をつままれる。嫌な顔をして手を払いのけた。


「やめてよ」


「お! やっと反応した」


 男は……響は嬉しそうに笑った。綺麗な顔が綻んで笑みを浮かべると静かな月明かりが浮かんだようだった。別れた隆也とは違う笑みだった。


「なー俺仕事なくして家ないんだわ。ここに住まわせてくれよ。家事とかするからさ」


「しなくていいし、住まわせてあげられない。もうすぐ私も仕事辞めるし」


「死ぬからか?」


 響の言葉に思わず真っ直ぐ黒い目を見つめる。なんで知っているんだろう。これも妖の能力だというの?


「俺だったら死ぬ前に、たら腹美味いもの食って、可愛い女の子にちやほやされて、酒飲みまくって、豪遊三昧してから死ぬね」


 言って立ち上がると無遠慮に私のクローゼットを開ける。

 中を物色して何やらブツブツ言うと、振り返って私にニヤリと笑った。


「遊び方知らねぇなら俺が教えてやろうか?」




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 




「いいって言ってるのに」


 翌日、半ば無理やり会社帰りに待ち伏せしていた響にショッピングモールに連れて行かれる。


「あんたさ、地味なんだよ地味。遊びにもTPOあるんだぞ? それに金もたんまりあんだろ? 通帳見たんだぞ」


「そこまで行くと流石に何か言いたくなるわね」


 勝手に密かに貯めていた結婚資金の通帳をこの男は見たのか。

 呆れて響を睨むと彼が意地悪そうに笑う。


「ばーか。あの世に金なんか持っていけるか。生きてる間に使うんだよ」


 昔と違って夜間にも妖が営むお店がやっている。

 基本彼らは二三日眠らなくても平気だそうで、特に夜にはめっぽう強かった。おかげで夜遅くに仕事を終える人も、妖のショップに行けばサービスを受けられた。


「まずは髪! ただ切って伸ばしゃ良いってもんじゃないだろ」


 入った事もない高級美容室に放り込まれる。

 私が抗議するまもなく響によって椅子に座らされる。


「店長よろしくー。あ、妖割お願いね」


 店の奥から黒いマスクをしたオールバックの男性が現れる。腰には幾つもの鋏を携えて目元は妖特有の光る瞳を宿している。


「会計は俺が立て替えておくから後で払ってくれよな」


 響の声を肩ごしに聞いて私の髪が鋭い鋏に切られ始めた。

 一時間後、髪は綺麗に切り揃えられ香りのいいシャンプーとコンディショナーで洗われて艶も出た。

 別に美容室には行ってないわけじゃないのに、初めてモデルのような綺麗な仕上がりになっていた。


「さすが店長! 髪切り一族の中でも腕は上位だもんな!」


 気さくに響が店長の男性の肩を叩く。

 店長がマスク越しに笑うと手元の鋏を器用に仕舞う。


「人間が作る鋏がまたなかなか良い仕事してくれてね。自前の鋏とはまた違った切れ味だから助かるよ」


 店長が指先を鋏に変えて笑う。ということはこの店長も雇われた人間じゃなくて妖怪なんだ。妖が人間の姿に化けることは多いというか、九割はそうそうなんじゃないかと思う。

 なんでもその容姿に人間が驚くのと、人間が使う道具に妖怪達が姿形を変えるとどうしても人間の姿の方が融通がきくらしい。


「よし、髪終わったから次は服だな。俺が選んでやるよ」


「いいって」


「どうせ死ぬんだろ? 何してもいーじゃん。綺麗に着飾ってお洒落なバーで飲んでさ。嫌なこと忘れちまおうぜ?」


 そう言えば隆也との結婚資金貯め始めてからはお洒落も外出るのも忘れてたな。仕事の内容が変わってからは、遊びに行く時間も無くなっていたのも原因の一つだけど。

 ううん、今の私には必要ない。


「死ぬなら部屋も引き払わなきゃいけないし、仕事も引き継ぎや死んだ後の処理も考えないと」


「そんなの後で良いんだって。今日はもうやめろよ。ほら行くぞ、死にたがり屋さん」


 響に連れられて服屋を回る。自分だったら到底選ばないであろう華やかな服を選んで私に着せ、靴も強引に履き替えさせて最後にイヤリングとネックレスを付ける。


「本当はバッグが揃えば完璧なんだが、まぁ今日はそれで仕方ないか」


「マネキンにでもなった気分」


「どうせ死体になるんだから丁度良いじゃねーか」


 確かに。妙に納得しながら響に手を引かれて歩く。

 隆也と付き合い始めはよくこうして手をつないだな。いつも大きな手で握って歩いてくれて。

 いつからか私の手は隆也の手じゃなくて二人の荷物を持つようになった。隆也の手には私の手じゃなくて常にスマホを持っていた。


 きっともうその頃から私達は終わり始めていたんだろう。

 でもせめて、最後はあんな怖い顔して罵声を浴びせるんじゃなくて、ああなる前にさようならを言って欲しかった。浮気をするんじゃなくて。


「俺の隠れ家の一つ、行きつけのバーに案内するよ」


 響が半地下にある看板のない金属の扉を開けると、薄暗い店内が見えた。

 ガス燈のような煌々とした明かりが店内を浮かび上がらせている。  


「マスター、二名ね」


 いかにも寡黙そうなバーテンダーが「カウンターにどうぞ」と案内する。まるで異空間にでも入ったかのような不思議な感覚を覚えながら席に座る。


「なに飲む?」


「なんでもいい」


「分かった」


 響がオーダーをしているのを隣でぼんやり見る。

 スマホを見る。当然誰からの連絡もない。親とも縁を切り、友達もいない。職場で仲のいい人はいない。常に一人。

 別に孤独が好きだとか一人がいいって訳じゃない。どうしてもみんなが好きなものを好きと思えない。共通の話題がない。ただそれだけ。


「カシスソーダです」


 目の前に澄んだ深紅色の透明な液体が入ったグラスが差し出される。


「ありがとうございます」


 バーテンダーにお礼を言って受け取る。

 隣を見ると響がオレンジジュースのようなお酒が入ったグラスを持ち、こちらに向けていた。


「乾杯しようぜ」


 頷いてグラスを合わせる。涼しい音が鳴った。


「なあ瑠奈。あんたさ、あの日の夜どこまで覚えている?」


「あの日の夜って?」


「俺達が初めて会った日」


 ああ。あの最悪な日か。


「あなたに上着を被せて貰って、歩き出したところしか覚えてない」


 自嘲気味に笑ってカシスソーダを飲む。カシスのいい香りがする。

 響がオレンジ色のお酒を一口飲んで頷くと、コースターの上に静かに置いた。


「そっか。覚えてないのか」


「うん全く。だから別に何されてたとしても文句言えないし、言う気もないから安心して。あなたが未だにどこの誰かも分からないし、なんで連れ回すのかも、ホントどうでも良いの」


 どうせ死ぬからという言葉をカシスソーダで喉に流し込む。

 今更グチグチ言いたくなかった。


「じゃあさ」


 腰に手を回されて耳もとに響きの口が寄せられる。


「死ぬまでのあんたの時間、俺にくれよ」


 間近でオレンジとムスクの香りがした。

 響を見上げる。


「あんたは俺の花番はなつがいだ」


 艶めいた漆黒の眼差しが降り注がれる。私はそれを眺めて眉を寄せた。


「花番? なにそれ?」


「は? えぇー? あんた知んねぇの?」


 眉をひそめて響が腕を組んだ。

 

「なんだよ。せっかく決まったと思ったのによ」


 むすっとして頬杖をつく。


「花番って?」


「いま話題の妖の人間の伴侶だよ。妖同士ではつがいって言うんだけど、人間世界では花嫁だか花婿って言うんだろ? だから合わせて花番はなつがいって言うんだ」


 呆れながら響はグラスを傾けた。


「そう。でも私はあなたの花番なんかじゃない。知り合ったばかりだし」


「……あんたってホント俺らのこと知らねぇんだな」


 溜息混じりに言われる。心底呆れ果てた表情かおだ。

 怒らせたかな? 何か言ったほうが良いのかもしれない……


「あの」


「あれぇ? リキヤじゃない!」


 突然背後から女性ふたりがはしゃいで響に声をかける。

 でもリキヤって、響のこと?


「ねぇリキヤぁ。ホスト辞めるって本当? 今日店にいないからびっくりしたんだけど」


「番号は変えてないんでしょ? また一緒に飲もうよ」


 ホスト?

 横目で響をみると魅惑的な笑顔を浮かべて彼女たちに手を振っている。


「おう。ちょい事情が有ってな。近々辞めることにしたんだわ。で、今プライベートな時間だからまた今度な。まだ店に籍は残しているから――」


「えーまた“今夜の花番はお前にする”って言って欲しいのにぃ」


 ほんの一瞬、響が気まずそうにこちらに目を向けた。

 私は今どんな顔しているのか自分の顔が分からなかった。無表情なのかそれとも別の表情をしているのか。

 女性達のはしゃぐ声が大きくなる中、気が付いたら私は代金をカウンターに置いて立ち上がっていた。


「失礼しますね。()()()さん」


「お、おい……」


 理由もなく足早にバーの扉に向かって歩き、外に出た。

 履き慣れないヒールを鳴らして道を歩く。


「なぁ待てよ」


 背後から響の声が追いかけてくる。


「ホストのこと、黙ってたの怒ってんなら謝る。ごめん」


 すぐ後ろで響の少し乱れた息づかいが聞こえてきた。私が足を止めずに歩くと声も追いかけてくる。


「俺がホストだって知ったら、瑠奈が話してくれないと思って……その、悪かったよ。でもどうしてもあんたを助けたかったんだ」


 靴ズレして痛んだ足を止める。


「だってあんたは本当に俺の花つ――」


 思い切り財布を響に投げつけた。驚いた顔をして響は財布を手で受け止める。


「お金ならあげる。もうそれ以上言わないで」


「瑠奈……」


「何も言わないで!」


 涙が溢れてきて何度も手で拭う。隆也に別れを告げられても、上司に叱責されても、ホストクラブで笑いものにされても泣かなかったのに。

 こんな時に泣くだなんて……。なんて情けない。格好悪い。 


「言うよ。瑠奈が傷ついてるんだからさ」


 そっと背後から抱きしめられる。


「俺はあんたには嘘つかない。名前だって本当の名前教えたし、狼のあやかしだってのも瑠奈には正直に言った。職業のことは黙って言わなかったけど、嘘はつかなかった……ずるいけどさ」


 優しく頭を撫でられる。


「瑠奈は頑張ってるよ。頼むから死なないでくれ。これからは俺が支えるから。ホスト辞めて当分は無職になるけど、伝手(つて)はあるし、こう見えて金は結構持ってるからさ」


 響がそっと私の肩を抱いて振り向かせると、狼の耳と尾を生やして切なげに笑った。


「だから瑠奈は俺に寄り掛かれば良い。俺が瑠奈の分も背負うから。それに知ってるか? 俺達妖は花番を得ると花番の為に何でも出来るようになるんだ。俺は瑠奈の幸せの為に頑張るよ」


 おどけた口調で響が頬を撫でて私を強く抱きしめた。

 途端にムスクとタバコの香りに包まれて、あの日の夜を思い出した。


 ――大丈夫、大丈夫。俺が付いてるよ。もう絶対に傷つかせないから。あんたは俺の大事な花番。ずっとそばにいるよ。


 ベッドで泣く私を何度も頭を撫でて宥めた優しい狼の手。そう、雨が止んで月明かりが差した深い夜だった。


「瑠奈。俺はあんたを愛してるよ」


 

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