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適応

5投目

 鹿のインパクトのせいで生き残った二匹のゴブリンの存在など頭から抜け落ちてしまっていた。


 仲間が殺された怒りをぶつけるように俺を恨みがましく睨みつけてくる。


 「八つ当たりにもほどがある……!」


 理不尽な展開に俺はあのお高く留まった鹿に、最後まで責任を持って全滅させろよ、と心の中で怒りをぶちまける。


 素早くナイフを構え、奴らの動きを伺う。


 見るからに冷静さを欠いている様子。


 初めて出会ったゴブリンとは違い、火蓋が切られた後はお互いどちらかが死ぬまで油断を見せることはなさそうだ。


 その上、敵の数は二匹。


 こちらがかなり不利だ。


 じりじりと近寄ってくるゴブリン。


 緊張が視界に高い集中力をもたらし、僅かに映像の流れが緩やかになる。


 そして一触即発、集中の中にあるにも関わらず、頭の中に時々挟まれる蘇る先ほどのワンシーン。


 角が光り、移動し、玉が揺れ動く。


 そして現れた超常現象。


 そんなシーンが頭に何度もリフレインしてしまう。


 目の前の敵に集中しなければならないにも関わらず、俺の中の何かが必死に気付けと訴る。


 思い出す、牡鹿の何かを言いたげな流し目を。


 その後の動きは捉えようによってはパフォーマンスだった。


 そこに何かがあると感じた俺は徐々に集中力が目の前の脅威からあの牡鹿の強烈な魔法の記憶へと吸い寄せられいく。


 そして同時に気付く。


 俺はあの時何を考えたか。


 魔法の存在を肯定するために担保とし、裏付けの根拠とした違和感。


 ゴブリンやあの小さなウサギの信じられない身体能力。


 行使された超常たる魔法。


 それらの根本。


 光の正体。


 それらが齎す答えは俺の人生には縁遠いものだった。


 それを分かりやすく呼ぶとするならすなわち魔力。


 俺は魔法を行使するために必要なエネルギーの正体にやっとの事でたどり着いた。


 もしかしたら他の人間だったらとっくに気付いていたかも知れない。


 しかし、そう言った娯楽コンテンツに多く触れてこなかった俺にとって見れば晴天の霹靂と言えるものだった。


 頭が固いと言われればそれまでだ。


 そして、妙に調子の良い目に意識を向ければ、何か熱いものが感じられる。


 じりじりと距離を詰めてきていたゴブリンが突然呆然とし始めた俺を怪訝な様子で観察し始めた。


 俺はそんな事にも気付かず、意識がこの熱いものにすべて吸い寄せられてしまう。


 危険だが止められない。


 何となく、間に合うと確信があった。


 目に感じられる熱を動かしてみよう。


 ゆっくりとしたそれは中々思うように動いてくれないが、徐々に徐々に、身体の中に虫が這うように腕へと動き始める。


 初めての感覚に不快感を感じるが、これが生死を分ける行動だと本能的に感じていた。


 後少し。


 「ギィィィイイイイイイイ!!!」


 遂にしびれを切らした二体のゴブリンが大声があげて跳躍。


 俺の眼前まで涎を撒き散らしながら左右から迫ってくる。


 「間に合った」


 移動が終わった腕には感じたことのない熱が纏われている。


 未だ集中が完全にゴブリンに集められない俺は、焦点が奴らへと定まらないまま首へと迫ったナイフを身を捩じって紙一重で避け、腕を振るった。


 鋭い風切り音が鳴る。


 直後に奴から漏れるくぐもった汚い声と血飛沫音。


 「ハハッ───」


 俺は力任せの一振りがゴブリンの喉を骨ごと断ち切った感触に乾いた声を漏らした。


 その一撃で瞳に光を失い倒れる姿を見届けることなく体を反転させもう一体に意識を向ける。


 そこにあるのは怒りに喚き散らす片割れの姿。


 体勢を整えている間に追い打ちをかければいいものを、感情の発散を優先して機を失う知能の低い生物に、所詮はゴブリンかと気持ちが冷める。


 今度はこちらから攻める。


 脚には魔力を持ってはいけない。


 脚まで移動させるには時間が足りないからだ。


 人間の当たり前の速力で、距離を詰める。


 怒りに震える奴に、逃げる判断も避ける判断もできそうにはなさそうだ。


 先にこちらにナイフを当てれば勝てると思っているに違いない。


 それだけ脚に違いがあるからそれも仕方ない。


 俺が強化できるのはこの一本の腕だけだ。


 あいつの速力には敵わない。


 互いのレンジの中で先ほど見たいな奇跡的な神回避を狙ってできるとも思えない。


 ナイフを持つその腕を振りあえば奴の攻撃の方が先に俺に届くだろう。


 それでも俺は距離をさらに一歩詰める。


 それに応えるように奴が動く。


 体を沈め、その足に魔力を溜めて驚異的な跳躍を俺へと見せつける。


 同時に振るわれる痩せた腕。


 器用な事にその手にも魔力だと思われる靄が纏われている。


 俺には出来ない二か所同時の強化。


 ナイフが軌道を描く。


 俺の突進上のラインを断つように。


 首元にピッタリと。


 「アハッ」


 しかし、俺はそのライン上には既にいない。


 駆ける途中、力を抜きブレーキを掛けた俺は後ろへとステップを踏んでいた。


 首元スレスレに空を切ったナイフ。


 ナイフを十分に振るうためその場で踏ん張っていたゴブリンに下がる俺を瞬時に追いかかるための重心は残されていない。


 俺のナイフも奴のナイフもギリギリ届かないアウトレンジ。


 次で決めようとするゴブリンがその僅かな距離を無くすため、一歩踏み込んだ。


 俺の体は後ろに流れたまま反撃の体勢も取れない。


 それを本能的に理解したのか、奴が笑う。


 二手、いや三手、俺の行動は後手に回っている。


 止まって、踏み込んで、振るう腕。


 その通りに動けば奴の追撃の到着が先。


 それが奴の考える、残る棋譜。


 「ひっくり返して悪いな」


 俺はナイフの届かないアウトレンジから腕を振るう。


 体の外から内へ。


 鳴った風切り音は奴へと真っ直ぐに突き刺さった。


 「ギ──────」


 残ったゴブリンは眉間に突き刺さるナイフを見上げるように白目を剥いた。


 力なくうつ伏せに倒れるゴブリン。


 俺の投げたナイフが勝負を決めて、何とかこの戦いを生き残ることに成功した。





 ◆





 戦いを終えた後に残る余韻は複雑なものだった。


 殺し合いを制して生き残った事自体は胸を撫でおろす気分だ。


 しかし、生き物を殺した事に対する言葉にするのも難しい罪悪感は最初に比べればマシになったものの、変わらず気分のいいものではない。


 そう、気分なんて優れるはずがない。


 この森で戦いを生き残るための新たな手段の確率は素直に嬉しい。


 そこは素直に認めるべきだ。


 だが、戦いの中、命が失われる一寸先。


 俺はそのスリルを楽しんでいた。


 極限の集中下にあった戦いの中の記憶など、鮮明には残っていない。


 しかし、俺の耳には楽しそうな笑い声が確かに残っていた。


 そしてなおも刺激し続けられる倫理観の裏に隠しきれない高揚が俺の中にはあった。


 「こんな環境だもんな……」


 俺は恐らく変わりつつある。


 現代人の感覚では超常的生物や現象が存在しているこの森で生き残ることなど到底不可能だ。


 だからこその適応なのかもしれない。


 こんな生活を続けていれば、俺は大切な人間性というものを失ってしまいかねない。


 俺は気持ちを落ち着かせ、動かなくなったゴブリンを持ち上げる。


 「……血抜きしないとな」


 俺は昼に調達した蔦をゴブリンの脚に結い、焚火の近くの樹へと吊るす。


 それをもう一回行って脳天に突き立っているナイフを抜き、首を裂いた。


 だらだらと流れる血の光景と血の臭いに嘔吐きそうになった。


 気持ちは悪いが、やることをきちんとやらなければ不味い飯になる。


 血を出し切った後、樹から降ろし、地面に横たわらせる。


 下腹部にナイフを浅く入れ、首元まで刃を入れていく。


 皮膚と脂肪の下にある白い膜が広がる。


 この下に内臓があるはずだ。


 俺は内臓を傷つけないよう慎重に刃先を入れる。


 ある程度切れ込みを入れたところで内臓がぶりんと零れてくる。


 「くっさ!」


 腹腔が空いた途端、そこに詰まっていた臭いが俺の鼻を刺激した。


 あまりの臭さに鼻を摘まみたくなるが、自分の手も同じように臭い血にまみれている事に気付いて、鼻に近づけた手を慌てて遠ざける。


 仕方なく我慢しながら内臓の処理を進める。


 顔をこれでもかと渋めながらの作業だ。


 手早く終わらせたいが、傷つけて(はらわた)の内容物を曝け出してしまえば状況はより最悪な事になる。


 俺は極めて慎重にならざるを得なかった。


 全部取り出したあと、もう一体に目を向ける。


 「まだあるのか……」


 溜息を零すが仕方ない。


 正当防衛とは言え、自分が殺し、さらには食べようとしている相手だ。


 せめて美味しく頂こうと思うのが良識のある人間だ。


 ただ不味いものが嫌なだけな俺はもっともらしい建前を持って作業を続けた。





 ◆





 内臓処理を終えた後、川で腹腔を洗い流し、汚れを取り、食べる部分を切り取ってようやく食事の準備が完了だ。


 前のゴブリン?


 あまりに臭すぎるからあれはもうごめんだ。


 血抜きと内臓の処理をキチンと終えたゴブリンの串焼きが完成した。


 俺はそれを恐る恐る口に運ぶ。


 ゴムの様に硬い肉を簡単に噛みきるために既に顎周りに魔力を回している。


 肉に歯が深く食い込んでいき、口元を捩じるようにしてようやく噛みきることのできる現代っ子殺しの肉。


 噛みきった部分から肉汁など溢れるわけもなく、繊維質っぽい肉が歯に挟める。


 口の中に納まった肉は尚も硬く、噛む奥歯あたりの筋肉が疲労する。


 噛むほどに口いっぱいに広がるのは、処理してなお存在感を主張して止まない臭み。


 これが食べ物であることを否定するかのように口の中の涎は消え失せ、飲み込むことを拒み続けている。


 魔力で歯ごたえがマシになり、十分咀嚼されたパサついた臭いゴブリン肉を一思いに飲み込んだ。


 ごくりと喉を鳴らし、食堂をつっかえながら胃へと強引に押し込まれていく。


 俺は顔を上げ一言。


 「うん!マシになった!!」


 きちんとした処理を行えばここまで味が変わるのかと俺は感動すら覚えた。


 これならばギリギリ営業停止処分レベルで済むお肉と言って過言ではない。


 今までの物を人様に出せば多分傷害罪や暴行罪あたりの犯罪に問われかねないからだ。


 実際俺はあれで体調を悪くしたのだから間違っていないだろう。


 それに比べこの肉は極めて不味いだけだ。


 臭みも意識が飛びかけるものではないし、硬さで顎を悪くすることもない。


 俺は焼いた分を平らげ、空を見上げた。


 一日を振り返り、今日だけでいろんなことがあったと思い返す。


 とりあえずあのウサギは今度あった際にはジビエに……いや耳を鷲掴んで説教くらいはしてやろう。


 そしてあの幻想的な鹿。


 大きく広がる幽玄な角を冠した姿はまるで神獣とでも呼びたくなるような神々しいものだった。


 そしてその姿に相応しく、有する力も強大だ。


 振りかざした自然現象の具現化はまさしく魔法と言える。


 それをヒントに魔力の存在に行きつき、奇跡的に自分の中にもそれらしいものを見つけ、ぶっつけ本番で使用した。


 それも上手く行き、二匹のゴブリン相手にも生き残る事が出来た。


 俺は体の中にある熱を動かして存在を確かめる。


 これからのこの森でのサバイバルに於いて、この力が最も重要になるだろう。


 それほどにこの魔力が齎す力は大きく、ゴブリンとの戦いでも結果を左右した。


 しかし、俺の操るこの魔力はまだまだ不出来だ。


 牡鹿に簡単に葬られたあのゴブリンですら、魔力の移動は俺よりもスムーズだった。


 俺は虫が這うようなスピードの魔力をもっと早く動かそうと意識を向ける。


 しかし、それは一向に早くなることはないし、もぞもぞとどこか不快感をすら感じる。


 「はぁ。まぁ元々魔力なんて存在しない世界の人間だしな。仕方ないか」


 俺は半ば諦めている。


 でもまぁ、そうやることもない生活だ。


 昼間ならまだしも陽が落ちた時間帯なんて飯食って夜空を見上げるくらいしかやることがない。


 眠くなるくらいまでなら暇つぶしに訓練してみてもいいだろう。


 それで成果が出れば、その時にまた考えればいい。


 今はまだ、明日の事だけを考えて居よう。


 俺は満腹になった腹に手を置いて、訪れた眠気に逆らうことなく意識を手放した。

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