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『口口口 -ろろろ-』~大食い少女が異世界から来た脅威を食べて駆除する話~

作者: 白楠 月玻

 江戸中期。山陽地方のとある山村――。


「はぁ……」


 大きなため息は、青い空に溶けて消えた。


 豊かに実った夏野菜、穂を出しはじめた青い稲。小さな集落を囲む山々には松の若木が見える。のどかで少し退屈な農村の日常だ。


「おなかすいたな」


 あの大きな入道雲(にゅうどうぐも)が食べ物だったら良いのに。そんなどうでもいいことを考えながら、どうでもいいことを呟く。何か意図があって発したわけではない、ただの(ひと)り言。そのはずだった。


「わかる!!」


 予想外の返事。あまりに想定外すぎて、太陽が返事をよこしたのかとおかしなことを考えてしまったくらいだ。しかし、声の主は地上にいる何か。背後の茂みが動く大きな音に、僕は慌てて振り返って――。その瞬間、目の端で何かが動いた。


「うわ!」


 この村では久しく見かけないすばやい動きに、僕は驚きの声を上げた。

 何が出たのか。声が聞こえたのだから人間か。いや、声だと思ったのは空腹による幻聴で、畑を荒らす獣の可能性もある。それくらい突然の現れだった。背後の木に背をあずけてくつろいでいた僕は、一気に緊張を高めた。腰を上げ、いつでも逃げられる体勢になるのも忘れない。


「やっほー」


 前(かが)みで警戒する僕の目の前に飛び出して来たのは、両腕いっぱいに食べ物を抱えた少女だった。こげ茶色の旅装束と見慣れない顔の。


「はいっ」


 厳しい顔で状況を理解しようとする僕の鼻先に、少女は(うり)を突き出してきた。


「おなかすいてるんでしょ?」


と言う陽気な笑顔とともに。


 僕は表情を変えずに、少女の差し出す作物と彼女の顔を見比べた。長い黒髪を頭の高い位置で一つに束ねた十代後半の少女。化粧っ気のない顔は良く日に焼けている。敵意は、感じられない。


「あの……、これはどこから?」


 僕は次に、彼女が抱えている食物を確認した。瓜にかぼちゃに芋に青菜──。そのどれもが今収穫してきたばかりのように土で汚れている。


「腹ペコだったから、取ってきたの!」


 彼女は悪びれずに答えた。


「つまり盗んだ、と」


 僕は情報を整理しながらあたりを見回した。案の定、野菜泥棒を追って駆けて来る村の衆が見えた。「いたぞ」「あいつだ」と声を掛け合っているのも聞こえる。

「ほら」と僕が追手を指差して、少女はやっと事態を理解したらしい。それでも、彼女の口から出たのは、「ありゃまー」と言う気の抜けた言葉だったが……。


「こりゃ、逃げなきゃだね」


 言葉と同時に少女は駆け出していた。……なぜか僕を連れて。僕の両足が地面を離れ、少女とともに移動していく。


「なんで僕まで!」


 僕は下に見える少女の頭に向かって叫んだ。というか待て。これはどういう状態だ?


「だってキミ、あたしの瓜を受け取ったじゃん」


「受け取ってない!」


「そうだっけ?」


 間の抜けた返事。思わず彼女のペースに乗せられそうになったが、重大な疑問を忘れてはいけない。

 僕は慎重に自分の足を動かした。しかし、足先に当たるものはない。僕の足は完全に宙に浮いている。荷物か何かのように運ばれている状態だ。この少女は僕を持ち上げられるほど怪力なのだろうか。


「君は……」


 尋ねようと話しかけたものの、次の言葉は続かなかった。


 少女が両手に農作物を抱えたまま走っているのを見てしまったから。僕は少女の手で運ばれているわけではないらしい。それなら、僕の胴に巻き付いているこれは何だ? 腹に感じる圧迫感。ここに僕の体を支える「何か」があるはずなのだ。


 恐る恐る、僕は視線を自分の体に向けた。本当ならばもっと慎重になるべきだったのかもしれない。しかし、この時の僕は陽気で敵意を感じさせない少女に少し油断していた。


「ちょ……! これ!!」


 僕が絞り出せた言葉は、それだけだった。


「元気でよく食べる髪の毛!」


 それでも、少女は僕が尋ねたかったことを正確に理解したようだ。とっさの叫びにすぐの返答。しかし僕の頭は混乱する一方だった。


 胴に巻き付いているのは少女の頭から伸びる黒いもの。それは彼女の言う通り髪の毛なのかもしれない。しかし、そいつはいくつかの束になって分かれ、意志を持ったようにうごめきながら僕の胴を持ち上げているのだ。


「あ、あやかし!!」


 僕は叫んだ。

 こいつ、人じゃない! 一刻も早く彼女から離れなければ!


 僕は慌てて身をよじった。しかし、空中に持ち上げられた僕の体は、思うように動かせない。


「あやかしじゃないもん! それと、動かないで!!」


 暴れる僕を支えようとしたのか、少女の体が均衡(バランス)を崩す。その拍子に、彼女の腕からたくさんの農作物がバラバラとこぼれ落ちた。


「あー、もう!」


 少女の意識が地面に転がった芋を向く。逃げるなら今がチャンスだ。

 僕は常に携帯している小刀を抜いた。真っすぐ一閃。僕を縛り付けている蛇のような髪の毛へ。その瞬間、ばさりと太い毛束を断ち切る感触があった。


「あっ!」


 少女の叫びと短い浮遊感。地面に転がって着地した僕は、その刃を少女に向けた。一つに束ねられた長い黒髪は不格好に一部が短くなっている。地面に切り落とされた髪の毛には、もう意志を持って動く力はないようだ。


「ひどい!!」


 僕を糾弾(きゅうだん)する少女の大きな目は、涙で(うる)んでいた。


「髪の毛切るとかひどいよ、キミ! 確かにちょっと呪われてるかもしれないけど、あたしはニンゲンだもん!!」


 文句を言いつつも、彼女に反撃の意思はないらしい。それでも、僕は警戒を解かなかった。少女の髪の毛はすでに普通の毛に戻っているが、いつまた蛇の姿になるかわからないのだ。


 僕は少女を視界に収めたまま、すばやくあたりを見回した。誰か応援に来てくれそうな人はいないかと。しかしいない。先ほどまで少女を追いかけていた村の男たちは、すでに走り疲れてしまったらしく、道の真ん中で膝をついていた。この村の人間はみんなそうなのだ。疲れやすく、常に空腹と戦っている。


 僕もそう。今は死と隣り合わせの極限状態だから立っているが、本当ならば地べたに座り込んでぼんやりしていたい。この少女と出会う直前までしていたように。


「おなかすいてるんでしょ?」


 少女が明るい声で問いかけてくる。


「黙れ」


 僕は腹に力を込めてできる限り威圧的な声を出した。


「この村はここ数年豊作続き。それなのに、村の人たちは食べても食べても満たされず、常に空腹と戦い続けてる」


 それでも彼女は話し続ける。説明するように、確認するように話した内容は、まさにこの村が直面している状況そのものだった。ここの土地には何を植えてもよく育つ。稲も野菜もくだものも。まったく世話をしなくても早く成長し、大きな葉や実をつける。その一方で、村の人間は空腹だった。食べても食べても腹が膨れない奇病として町の医者を呼んだこともあったが、いまだ解決に至っていない。


「まさか、この(やまい)は君のせいなのか?」


「違う違う違う! なんでそうなるの!?」


 少女は両手をぶんぶん振って否定した。しかし、そうでなければなんだというのだ。どう見てもこの村の者ではない、見慣れない顔。なぜかこの村の状況に詳しいこと。乱世が終わったとはいえ、あたりは若い女性が一人旅できるほど安全ではないはずだ。そしてあの髪の毛。何をどう判断しても、彼女は危険だ。


「あたしは時の大将軍『凄居偉蔵(すごい えらぞう)』の命を受けて『怪異』の調査をしてる、ただのニンゲンの女の子だもんね!」


 警戒を解かない僕の目の前で、少女は荷物から木の板を取り出して見せた。旅の許可証である通行手形だ。そこには、はっきりと三つ葉(あおい)の紋が彫り込まれている。狭い村で育った僕でも知っている。それはこの日ノ本の国を統治する将軍家と、その親類のみが使用を許可された特別な模様だ。


()がたかーいってやつ? なんなら、紙の命令書もあるから見せようか? キミ、文字読める?」


 僕の目が丸くなるのを見て、少女は得意げに口の端を釣り上げた。


「将軍の名前は『すごいえらぞう』じゃなかったと思うけど……」


 そうツッコミを入れてみたものの、彼女の持つ手形は本物らしかった。


「そうだっけ? 確かに松平(まつだいら)なんちゃらとか言ってたような……」


 それも将軍家の名字ではないが、彼女にとって大きな問題ではないのだろう。ブツブツ呟いて当代の将軍を思い出そうとする少女を見ながら、僕はよろよろとその場に座り込んだ。まだ彼女が本来の持ち主から通行手形を奪った線も残っているが、彼女の間の抜けた様子にすっかり緊張が解けてしまった。少なくとも彼女からは一貫して敵意を感じない。今すぐ何かしらの危害を加えられることはないだろう。


「大丈夫?」


 僕より一拍遅れて、少女も膝をついた。その手に食料を差し出して。この村の農作物ではない干し肉だ。いつ腹の虫が鳴ってもおかしくない空腹感に、僕は小さく手を伸ばした。その手に少女はしっかりと干し肉を握らせてくれた。毒見するように少しかじると、食べ物が自分の血肉になっていく満足感が口の中を満たす。


「おいしいでしょ」


 得意げな少女の笑顔を横目に見ながら二口目。


「ちょっと待っててね」


と立ち上がって駆け出す彼女を無視して三口目。僕は農道の真ん中で力尽きている男連中に食料を配りに走る少女の背中を見ながら、残りの干し肉をじっくり味わった。この村の作物と違い、しっかりと腹にたまる感覚がある。


「んで。キミ、名前は?」


 しばらくして戻ってきた少女は、再び僕の前に座り直した。あいかわらずの能天気な様子を纏って。


「……六郎」


 僕は正直に名乗った。


「ロクロー? じゃあ、イチローとジローとサブローとシローとゴローもいるの?」


 冗談で聞いているのか、本気で気になるのか。いちいち彼女の言動の意味を考えると疲れそうなので、僕は再び正直に答えることにした。


「次郎は隣村に婿入りして、三郎と五郎は作物を売りに近くの宿場(しゅくば)へ。四郎は病で……。一郎はそこに」


 僕は野菜をほおばる男連中の一人を指さした。


「まさか本当に六人兄弟だったとは……」


 少女は驚きに目を丸くしている。


「で、君は?」


 僕だけ名乗るのは不公平だ。


「あたしは鈴奈(すずな)。『スズちゃん』とか、『お鈴』とかかわいく呼んでね」


「……スズ」


 これ以上彼女の調子に乗せられたくなくて、僕はあえてそっけなく呼んだ。


「それも良し」


 しかし、スズはまったく機嫌を損ねた様子もなく、にっこり笑っている。


「じゃあ、自己紹介も終わったことだし、あたしたちもう同盟関係だね」


 それどころか、いきなり謎の同盟を宣言されてしまった。


「は?」


 僕の不満の声を気に留める様子もまったくない。


「ちょっとキミにお話聞いてもいいかい?」


 スズは腰に手を当てて仁王立ちしている。彼女なりの決めポーズらしい。


「お話?」


 僕はオウム返しに尋ねた。彼女と同盟を結んだつもりはないし、三つ葉(あおい)の紋でごまかされてしまったが、彼女が普通の人間でないことは間違いない。ある程度の緊張と警戒は維持するべきだ。


「あたしは大将軍様の命令で、全国各地の怪異(かいい)の調査と駆除をしている者なんだけど、ここの村は怪異でお困りだよね?」


「『怪異』って?」


 尋ね返したが、心当たりはある。


「あたしがズバリ言い当ててあげよう!」


 スズの細い指が、ビシッと僕の鼻先に突き付けられた。


「この村は数年前から豊作続き。それなのに、食べても食べてもお腹いっぱいにならない。そうでしょ?」


 その通りだ。だから村の衆は少し走っただけで疲労し、僕たちは作物を近隣の町に売って外の食べ物を買うことで飢えをしのいでいる。


「──ってこれ、さっきも同じこと言ったっけ? あはは。まぁ、そう言うときもある」


 スズの明るい笑い声があたりに響き渡った。僕の警戒心も不信感もまったく意に介さず、ふざけているようにも見えるハイテンションを崩さない。


「それを解決できるの?」


 僕は眉間にしわを寄せた状態でスズを見上げた。


「たぶん? できそうならやるつもり」


 小さく首をかしげる彼女に、信頼に足る自信は見られない。


「どうやって?」


「どうやってって――。と言うか、ここで長話するつもり?」


 スズは先ほどよりも深く首を傾けた。首どころか上半身ごと傾ける勢いだ。

 しかし、彼女の指摘はもっともかもしれない。ここは村はずれの農道の真ん中。あたりには騒ぎに気づいた人々が徐々に集まりつつあった。


「六郎、その女性は――?」


と、先ほどまで盗人スズを追いかけていた村の衆たちも、厳しい表情でこちらに近づいている。


「兄さま」


 僕は話しかけてきた男性の顔を見た。


「君がイチローかぁ。よろしくね!」


 すぐさまスズが一郎兄さまに近づく。


「あ、ああ」


 兄さまの右手はスズによってブンブン振り回されていた。握手にしては勢いが良すぎる……。そして自分勝手に振り回したあと、急に関心を無くしたように手を離すのだ。


「うーん……」


 次にスズはあたりを囲みはじめた老若男女を見て。


「人がいっぱいいるならここでもいっか」


と勝手に何かを結論付けたようだった。周りを囲む人々の多くはげっそりやつれ果て、杖や農機具を支えにしないと長時間立っていられない者もいる。


 輪の中心で、スズは再び葵の紋が入った通行手形を取り出した。


「あたしは幕府の命を受けて各地の怪異調査を行っている、平坂鈴奈(ひらさか すずな)と申す者である!」


 手形を掲げ、芝居がかった口調でそうのたまう。しかし、その紋章も、権威ある者を装った口調も集まった人々には効果てきめんだったようだ。驚きと期待に満ちたざわめきに、スズは満足そうな笑みを浮かべている。

 この村は何年も飢餓に苦しんできた。誰もが(わら)にも(すが)る気持ちなのだ。おなかいっぱいごはんを食べられるなら、僕だって嬉しい。しかし、彼女が人ならざる存在であること。それが気がかりで、僕だけは素直に喜びを見せられなかった。


 唯一笑顔を見せない僕とスズの視線が交わった。


「ついては、数日間村と周辺の調査を行いたい。その許可と、案内人としてこの六郎をお借りすることはできるか?」


「は?」


 スズの手のひらがまっすぐ僕を指すのを見て、僕の眉間のしわは深くなった。


「調査はご自由になさってくださって結構です。しかし、六郎を案内人とするのは、おすすめいたしかねます。もっと適した者をご用意いたします」


 そして、スズの言葉に難色を示したのは僕だけではなかった。声をあげたのは一郎兄さま。兄さまはこの村の有力者の一人だ。


「その人は村中を歩き回る体力を持っておられるか?」


「……いえ」


 しかし、スズの堂々とした問いかけに、兄さまはすぐうつむいた。


「それなら、やはり六郎をお借りしたい。彼はあたしの髪の毛を、ばっつり切り落とすくらい元気なのだから」


 穏やかな笑顔を浮かべつつも、皮肉めいた言い回しをする彼女の目は笑っていない。そこで初めて、スズが髪の毛を切られたことに怒りを感じているのだと気づいた。


「しかし、彼は呪われておりまして……」


「あたしも呪われてるから問題ない」


 スズはきっぱり言い切って、僕の方へと歩み寄ってきた。


「手伝ってもらえるかい? ロロ」


「ロロって?」


 僕はスズの差し出す手と彼女の顔を見比べた。


「キミのあだ名」


 スズは片眼を閉じてみせた。最高の名づけをしたとでも言うように誇らしげだ。たぶん、僕が拒否してもそう呼び続けるのだろう。彼女とは知り合ったばかりだが、なんとなくそんな気がした。


「それならせめて、宿泊場所をご提供いたしますので」


 僕と向かい合うスズの背に、一郎兄さまが再度声をかける。どうやら兄さまは僕にスズを任せたくないらしい。


「お気遣いなく。あたしは旅慣れているので」


 僕が答えを出す前に、スズは無理やり僕の手をつかんだ。がっちりと元気よく。空腹で力の入らない僕は、されるがまま彼女に引っ張られていくしかない。


「しかし、何かあれば協力を頼むので、ご助力いただきたい」


 最後まで芝居がかった口調を貫いて、スズはずんずん歩きはじめた。彼女の歩みに合わせて僕たちを囲んでいた人垣が割れる。彼女の言葉通り、僕を引き連れて怪異調査をはじめるのだろう。


 とんでもないことに巻き込まれてしまった。強い力で手を引くスズの後頭部を見ながら、僕は思った。村の衆に僕たちを追う気力はないようだ。振り返ると、不安と期待が混ざったたくさんの視線と目が合う。


「あんな大口叩いて、本当に解決できるわけ?」


 彼らの視線が痛すぎて、僕はスズに目を戻した。


「たぶんね。たぶん。でも、あたしひとりで無理そうなら仲間を呼ぶから安心して」


 スズの横顔は笑っている。僕を安心させようとしているのだろうか?


「と言うか、キミ呪われてるの?」


 しかし、すぐにそうやって話題を変える彼女には不安を感じてしまうのだ。不誠実な気がして。


「兄さまがそう言っているだけ。たぶんね。たぶん」


 僕はわざと彼女の口調をまねしてやった。少し大人げなかったかもしれないが、この妖怪少女と付き合うならこれくらいの雑さがちょうどいいだろう。


「ふーん」


 スズはあいた手をあごに当てている。何かを考えているようにも見えるが、考えているふりをしているだけかもしれない。


「まぁ、呪われてるって言う人のほとんどはただ運が悪かったり、周りが意地悪だったりするだけだから、大丈夫だよ。時々、本当に呪われてる人もいるけどさ」


 彼女は僕を安心させようとしているのか、不安がらせようとしているのか。本当にわからない。


「君みたいな?」


 ちょっとした好奇心といたずら心から、僕はそう尋ねてみた。


「んー、まぁ……、そう。この子は『呪い』と呼ぶにはお役立ちすぎるけどね」


 スズの長い髪の毛がひと房、しゅるりとまとまって蛇の形になる。その様子はやはり不気味だが、手や指の代わりとして扱えるのなら確かに「役立つ」のだろう。


「何で呪われてるの?」


「それは、な、い、しょ~」


 明るい口調で、はぐらかされてしまった。冗談めかしてはいるものの、触れられたくない話題らしい。


「それじゃ、日没までまだ時間あるから、君にはこの村を案内してもらおうかな」


 そしてまた話題が急転換する。


「なんで僕が……」


 僕は勢いで巻き込まれてしまっただけで、一言も承諾していないのだが。


「だって、キミが一番動けそうだったんだもん。みんなおなかペコペコでへなちょこよろよろだけど、君だけは杖なしでしゃんと歩けてるし」


「僕もこれ以上歩きたくないんだけど」


 身の危険を感じて気張っていただけで、僕も空腹なのだ。


「でも歩いてるじゃん」


「君が引っ張るからだろ」


「じゃ、あたしがしっかり引っ張ってあげるから、しっかり歩いて」


「はぁ?」


 僕が眉間にしわを寄せるのは今日何度目だろう。


「嫌?」


 スズが僕の顔を見上げた。その表情は珍しく笑っていない。眉をハの字に下げ、心配そうな面持ちだ。


「嫌」


 そんな顔をされると多少の罪悪感があるものの、僕は意志の力で拒絶を示した。


「それなら、調査は明日からにしよっか? 今日は腹ごしらえー」


 それでも、彼女が折れるとは思わなかった。今まで勝手に髪の毛で僕を持ち上げ、勝手に同盟を組み、勝手に案内人として引っ張ってきたにもかかわらず、なぜこのタイミングで僕の顔色をうかがうのだろう。自分勝手なのか、思いやりがあるのか。気まぐれな妖怪少女の扱いには困ってしまう。


「ほら、ロロ。キミの家に案内したまえ」


「なんでうち?」


 スズが僕を案内人に指名したときから薄々察してはいたが、彼女はこの村の怪異調査をする間、僕の家で寝泊まりするつもりらしい。


「その方が効率良いじゃん? あ、もしかして、奥さんとか家族の邪魔になる?」


「……家族はいない」


 僕にたくさんのことを教えてくれた猟師の師匠は数年前に他界してしまったし、僕にはまだ妻も子どももいなかった。


「じゃあいいじゃん。たまには家族ごっこも楽しいかもよ? 『ほらあなた、今夜は何を召し上がります?』」


 声色を変えて若妻を演じるスズに、僕は大きなため息をついた。怒るべきなのかもしれない。笑うべきなのかもしれない。しかし、彼女の行動一つ一つにリアクションをしていては疲れてしまう。


「……僕の家に泊まったら後悔するよ」


 何を言っても彼女は自分の意見を押し通すはずなので、僕はせめてもの抵抗としてそう忠告した。


「後悔するかどうかは、泊ってから決める!」


 スズには全く効いていなかったが……。前向きなのか、考えなしなのか。


 これが僕とスズの初めての出会い。


 スズはお調子者で、自分が決めたことを曲げなくて、竜巻のように周りのすべてを巻き込んで駆け抜けていく。「全国の怪異調査と解決」と言う重大な任務を負っているのだから、きっと有能で見た目の若さに見合わない多くの経験をしていて、信頼もされているのだろう。その片鱗はこれっぽっちも見せないが、それもある意味彼女の才能なのかもしれない。

 髪を切られたことに怒ったり、自分の身の上を隠したがったり、一応空腹の僕を気遣ってくれているらしかったり──。明るく陽気な態度で隠しつつも、その笑顔の裏に隠した「価値観」は僕とさほど違わないように思える。彼女の明るさと勢いは少しうらやましくもあるし。


「絶対後悔するから」


 もう一度言って、僕はその足を近くの山道へ向けた。ここから先はスズに引っ張られて歩くのではなく、僕が案内するのだ。


「じゃあ、いっぱい文句言う準備しておくね!」


「ばーかばーか!」「あほー!」「オマエんち、お化け屋敷ー!」


 スズは文句の予行演習をはじめている。それらをすべて聞き流しながら、僕は彼女の隣を自分の足で歩いた。頭の中は疑問でいっぱいだ。どうしてこんなことになったのか。彼女の正体は何なのか。これから何が起こるのか……。


「もしかして、おうち山の中にあるの?」


 これは予行演習ではなく、本当の文句らしい。


「そうだけど」


 僕はスズを見ることなく答えて、足を速めた。


「まぁ、それも良し」


 僕との同盟を諦めてくれないかと期待したが、スズはすぐに納得しを示して僕を追いかけはじめている。機嫌も悪くなさそうだ。むしろ諦めるのは僕の方なのかも。自宅へ向かう山道を歩きながら、僕は小さくため息をついた。


 この村の山は、大きく分けて三種類ある。幕府や藩が所有する「御建山(おたてやま)」、個人の土地である「腰林(こしばやし)」、そして村人が共同で管理している「入会山(いりあいやま)」。


「ここらへんの入会(いりあい)は、(たきぎ)の切りすぎでつるっぱげな場所が多いけど、ここは松が青々としてるねぇ」


 日の良く射す山道を歩きながら、スズがそんな感想を述べている。入会山の主な目的は、家で消費する薪をとったり、生えている下草を農地の肥料にしたりすることだ。村の人口が増え、人の手が入れば入るほど山々は貧相になっていく。


「ここでは作物だけじゃなくて、木も早く良く育つ」


 飢餓(きが)の苦しみさえなければ、この村は過ごしやすいのだ。


「この村の怪異を解決したら、あたし村の人たちに恨まれちゃうかも。植物の成長も普通と同じに戻っちゃうはずだから」


 スズが濃い緑に染まった松葉を引きちぎりながら言った。少し不安そうな声色だ。


「飢餓だけを取り除くことはできないわけ?」


「そういう研究をしてる仲間もいるけどね。今のところうまくいってないっぽい。やっぱり、利害は表裏一体だから」


 スズは摘んだ松葉を光にかざし、匂いを嗅ぎ、最終的に元気な髪の毛でぱくりと食べた。蛇のようにまとまった髪の毛の先が口のように割れ、松葉をひと飲みにしたのだ。


「!!」


 僕は目を丸くした。確かに彼女は「良く食べる元気な髪の毛」と言っていたが、本当に髪の毛から食物を摂取できるらしい。いや、松葉は食物ではないか。


「うーん……。そこそこ濃い黄泉(よみ)味。でも、間違いなく現世の植物だね」


 困惑する僕の隣で、スズは思考を巡らせるように首を傾げた。その髪はすでに普通の毛に戻っているが、髪の毛に飲まれた松葉はどこにも見当たらない。本当に食べてしまったようだ。


 次に彼女が目を付けたのは数歩先に生えているタンポポ。すばやく駆け寄り、丸い綿毛を付けた茎を摘むと、その勢いでふわりと白い種が舞った。


「おっと」


 小さな驚きとともに、スズの髪が再び蛇の形になる。一つに束ねた髪全体が五つに分かれて、散った綿毛をぱくぱく食べていく。舞う綿毛を空中で捕まえる様子は、遊んでいるようにも見えた。


「これも黄泉の影響を受けてる。どこからだろ……?」


 どうやら味見することで何かを探しているらしい。


「『黄泉』って……?」


 先ほどから彼女が口にする単語が気になって、僕は尋ねた。


「死んだ人が行く世界。いや、人だけじゃないけどさ」


「それは知ってる」


 物語でよく聞く、死後の世界だ。


「黄泉の国がこの『飢餓の怪異』と関係してるわけ?」


 まだ調査という調査ははじめていないはずだが、スズにはすでに何かしらの()()があるのかもしれない。


「怪異の多くは異界のものが関わってるんだ。鬼や妖怪、(のろ)い、幽霊なんかもそう。本来あるべきじゃないものが存在するせいで、世界の(ことわり)が乱されて変なことが起こっちゃう」


 スズは野ばらの花びらを味見しながら説明してくれた。


「ロロは、ヨモツヘグイって知ってる?」


 そして、突然の問いかけ。その質問で、僕の脳裏に今は亡き師匠の言葉がよみがえった。


 ――わしら猟師は、ヨモツヘグイして殺した魂を黄泉に送ってやらにゃならん。特に心の臓は魂が宿る場所だ。大事に残さず食え。


 獲物を狩るたびに、そう言いながら動物の死骸をさばいていたっけ。


「あれだろ? 死んだ生き物の肉体を食べてあの世へ送るって言う」


「……なにそれ?」


 僕の完璧な答えに、スズは首を傾げた。


「え?」


「いや、この村ではそういうことなのかもしれないけど、あたしが言いたいのは違うんだよなぁ」


 思わず戸惑いの声を出した僕にフォローを入れて、スズはゆっくりと口を開いた。


「あたしの言いたい『ヨモツヘグイ』は黄泉の国、つまりあの世の物を食べちゃうことなんだ。まぁ、あたしたちはもっと広義に『黄泉をはじめとする異界のモノの影響を受けること』って定義してるけど、小さな違いだから気にしなくていいよ」


 彼女が言うには、この世とあの世を繋ぐ場所は、いたるところに存在しているらしい。もちろんその出入り口の多くは小さく、生者があの世に迷い込んでしまうようなことは稀だ。しかし、小さな虫や植物の種などは時々二つの世界を行き来している。あの世の生物がこちらの世界に根付き、人々や生態系に影響を及ぼすこと。スズはその『ヨモツヘグイ』問題を解決するために旅をしているのだと言う。


「『ヨモツヘグイ』にはいいこともあるよ。でも、悪いこともいっぱいある。もともとこの世界にはなかったものだから、この世界の生き物を脅かす危険もあるし」


「それじゃあ、この村の人たちがいつもおなかをすかせているのは――」


「あたしは黄泉から来た何かの影響じゃないかって思ってる」


 スズは大きくうなずいた。意外にも彼女の見せた表情はまじめだ。


「今日、畑の作物を盗み食……、いや味見させてもらったんだけどさ」


「盗んだ自覚はあったんだ……」


「ええい、うるさいっ! ……でね、味見したんだけど」


 僕の呟きに律義にツッコミを入れて、スズは説明を続ける。


「作物はほんのり黄泉味。でも、れっきとしたこの世界の植物っぽい。ただ、普通よりも大きく早く育ってる。んで、それを食べてるこの村の人たちはみんな空腹っと」


「育ちが良い代わりに、作物の栄養が薄まってるとか、そんな感じ?」


「賢いね、ロロ。あたしもそう思ってる!」


 スズがぱちんと指を鳴らした。


「これは黄泉の影響を受けた植物が時々起こすものでね。あたしは『幽霊作物』って呼んでるよ」


 どうやら彼女は、かつて同様の怪異を経験したことがあるらしい。


「どこかに元凶となる黄泉のモノがあるはずなんだけど。ロロ、何か心当たりは?」


「心当たり、って言うと?」


 あまりに漠然(ばくぜん)とした質問に、僕は問いを返した。


「見たことのない植物や動物がうろついてるとか、旅の人が土地に何かを()いていったとか。昔の話でもいいよ。この怪異がはじまる前後に起こった変なこと」


 スズに言われて考えてみた。しかし、特に変わったことは思い浮かばない。村の衆が飢えるようになったのは突然のことではなく、小さな倦怠感や空腹感が何か月も何年も積み重なって今の状態になっている。これがいつからはじまったことなのかさえ定かでない。


「どうだろう?」


 僕は正直にわからないことを告げた。


「それなら地道に味見して、黄泉味が濃い場所をたどっていかなきゃだね」


 スズはあいかわらず、道中の目につく植物を髪の毛に食べさせている。あたりは共有林の入会山(いりあいやま)から個人所有の腰林(こしばやし)に変わって、大きな木が増えた。植えられている木の種類も違う。腰林は他人に手出しされない土地なので、果物の木を植えたり、建材用のスギやヒノキを育てたり、竹林があったりと持ち主の需要を満たすように整備されているのだ。


 ちなみにこの土地の所有者は、僕の師匠。なので、師匠亡き今は僕の土地であるはずなのだが、なぜか僕と僕の実家の共有地になっている。もしかすると、僕の両親や兄さまはこの土地が欲しくて僕を猟師に弟子入りさせたのかもしれない。しかし、あまり考えると不幸になりそうなので、僕は元気に動きまわるスズを見ることで思考を中断した。


 あたりに植えられている木は、コナラにクヌギ、栗や柿。コナラとクヌギは「どんぐりの木」と呼んだ方が有名だろう。どんぐりは動物のエサに、大きな葉は腐葉土に、幹や枝は(たきぎ)として売ることができる。最近は獣害が少ないので、僕の貴重な収入源は林業だ。


「やばー、まだ夏なのに柿の実がなってるじゃん!!」


 そしてこの場所もスズの言う『幽霊作物』の被害範囲内だった。汗ばむ陽気の真夏であるにもかかわらず、栗も柿もどんぐりも実を熟しはじめているのだ。しかも枝にはまだ若い実や花も多い。夏から冬までの、通常ではありえない長期間実り続けるだろう。


 驚きの声を発したスズは、次の味見先を柿に決めたらしい。低い枝の実に手を伸ばし、慣れたしぐさで枝からねじ切った。


「いただきます」


 行儀よく号令をかけながら、実の表面を袖で磨き一口。髪の毛ではなく、顔にある口でだ。


「果汁少なめのサクサク柿だ。うまい」


 カリコリと柿を咀嚼(そしゃく)する音が、僕のところまで聞こえてくる。


黄泉(よみ)の味は?」


 僕は、前方をゆっくり歩きながら柿を味わうスズに尋ねた。


「そこそこ濃いめにするけど、うまいもんはうまいんだよ。食べる?」


 スズは僕の答えを聞く前から、柿を二つに割ろうとしている。しかし、彼女の小さな手のひらからあふれそうなほど大きな柿は、そう簡単に割れない。


「貸して」


 歯を食いしばって力をこめる少女を見かねて、僕はスズの手から柿を奪い取った。常に持っている小刀で真ん中に切り込みを入れ、力を込めて半分に。だいだい色の果肉には、小さな黒い斑点が無数に散っている。甘い柿である証拠だ。


「はい」


とスズの歯形がある方を返して、僕も柿の実をかじってみた。彼女の言う「黄泉味」は良くわからないが、確かに歯ごたえが良く、甘くておいしい。


「ねぇ」


 柿を味わいながら歩きはじめた僕を、スズが呼び止めた。僕の鼻先に一度受け取った柿を突き出して。しかし、僕にくれるわけではないだろう。


「なに?」


 僕は不機嫌に問いかけた。なんとなく嫌な予感がしたから。


「むいて!」


 スズは僕の小刀の便利な使い道に気づいたらしい。

 幼い子どもを相手している気分だ。僕は小さくため息をつくと、自分の柿をくわえて、スズの手から柿の実を受け取った。手早くへたを落とし、皮をむいて返してやると、スズは満足げに破顔した。


「ありがとう!」


 彼女の口からお礼の言葉が出るのは少し意外だ。


「別に」


 僕はそっけなく答えて、自分の柿もむくことにした。その方が食べやすいのは間違いないから。

 その間にスズは柿をぺろりとたいらげ、最後の一口を自分の髪に食べさせようとしている。


「それ、何か違うの?」


 僕はすっかり見慣れはじめた彼女の髪の毛を指さした。


「違うよー。こっちの方が異界の味にビンカン。歯がないから小さくしないと食べられないのが玉にキズだけどね」


 だから最後の一口にしてから食べさせたのか。スズの元気な髪の毛は、少しの間口らしき部分をもごもごさせたあと、さらりと解けて普通の毛に戻った。


「でだよ、ロロ。もしかして、あの小屋がキミの家なのかい?」


「そうだけど」


 またもや突然の話題転換だったが、今回はすぐに対応できた。僕も同じことを言うタイミングを探っていたから。道の先、少し開けた林の間にある山小屋。あそこが、僕の暮らしている場所だ。


「予想以上にボロ屋でびっくりしたよ」


「だから後悔するって言っただろ」


 事前に忠告はしたはずだ。


「でも、ここには来れてよかったかも」


「はぁ?」


 小屋周りの空き地にしゃがみ込むスズを見て、僕は小さくあごを上げた。


「ここに生えてるの、半分くらい黄泉の植物だよ」


 それは、衝撃的な報告だった。


「は?」


 僕は問い返しながら、見慣れた風景を眺めた。クヌギの林にアケビのつる、タンポポにオオバコに、名前も知らない草花。特に変わった植物はないが……。


「見た目はほとんど一緒だけどね、これは黄泉(よみ)の国から来た植物だよ。このタンポポもホトケノザも、野ブドウも。この桃の木はきみが植えたやつ?」


「違うけど……」


 いつの間にか生えていた桃の若木。来年あたりには実をつけるだろうと、ひそかに楽しみにしていたのだが。


「黄泉の桃はやばいよ。神話にもそう書いてある」


 スズ曰く、この世とあの世は表裏一体で、それぞれの世界で生きる動植物はよく似た姿をしているそうだ。ただ、黄泉の世界の生き物は「魂」を栄養に成長する。この世界の生物が水を飲み、栄養を得るために食事をするとしたら、黄泉の生き物は命そのものを得るために食事を行うのだ。僕にとってはどちらも同じ原理に感じられるが、スズが言うにはこの二つは大きな差らしい。


「この辺にお墓とかあったりする?」


「お師匠がそこに眠ってる」


 僕は空き地の一角にある小岩を指さした。師匠の遺言で寺や神社で(とむら)わずに、ここに埋めたのだ。


「あと、動物の死骸も良くこのあたりに埋めるかな」


 スズの質問の意図はわからなかったが、彼女が知りたい情報はこれくらいだろう。


「じゃあそれかな。死肉や骨に残る魂を栄養にしてるんだと思う。動物は時々違う場所に埋めて、魂の場所を分散した方がいいかも」


「……わかった」


 一応、彼女の助言は素直に聞いておこう。


「キミが埋めてるの?」


 驚いたようにスズの目が丸くなった。


「言ってなかったっけ? 僕は猟師だから」


「聞いてないよ!」


 スズの唇が尖る。機嫌を損ねたのだろうか。

 しかし、聞かれていないし、話す必要がある情報でもなかった。怒られるいわれはない。


「六男の僕には継げる土地がなかったんだよ」


 だから、年老いた子なし猟師に弟子入りさせられた。


「農家の子なら、小作人(こさくにん)になればよかったじゃん」


 スズが首をかしげる。確かに土地を継げなくても、実家の土地を耕して生計を立てることはできたかもしれない。しかし、僕にその選択肢は提示されなかったのだ。


「僕が耕した畑は、なぜか悪いことが起きる。病気が流行ったり、害獣に荒らされたり。だから、僕を小作人として雇おうなんて人、この村にはいないよ」


 だから兄さまは僕のことを「呪われている」なんて言うのだ。


「はえー、不思議!」


 スズは僕の生い立ちに興味を惹かれたようだ。


「んで、猟師としては成功してるの?」


「まぁ、そこそこ。ここ数年はもっぱら林業ばっかりしてるけど」


「それでこの辺はドングリの木だらけなわけね」


 スズは周りの風景に納得を示している。僕が腰林(こしばやし)に植えているコナラとクヌギが、(たきぎ)として良く売れることを彼女も知っているのだろう。間抜けに見えるが、無知ではないようだ。


「……ここの黄泉の植物はどうすれば良い?」


 僕は見慣れた風景を眺めながら尋ねた。これが黄泉の植物だなんていまだに信じられない。しかし、この場所に飢餓の怪異の原因があるなら、僕のためにも村のためにも取り除くべきだろう。


「キミ、めっちゃ急に話題変えるじゃん」


 スズの能天気さは、僕のやる気をしぼませる。


「……君にだけは言われたくなかったよ」


 僕は肩を落とした。それと同時に気合いや緊張感まで消えていく。今まで無視していた空腹感が、ずしりと胃にのしかかった。目の前の我が家が恋しい。僕はこの疲労感を癒すべく、足を速めた。毎日踏まれて硬くなった草が草履を押し返す感触。土と青臭い匂い。


「黄泉の植物は全部駆除しなきゃだね。あたしに任せな!」


 後ろでスズが先ほどの問いに答えているのが聞こえる。小さく振り返った僕を確認すると、旅装束の袖をまくり上げて、力こぶを作るジェスチャーまでつけてくれた。


「どうやって?」


 僕は好奇心からそう尋ねた。まさか一つ一つ抜いていくのだろうか。それはなかなか大変そうな作業だ。


「それは、な、い、しょー」


 眉根を寄せていぶかしげな顔をする僕とは対照的に、スズは意地悪く笑んでいる。秘密にすると言うことは、僕の想像外のことをやるつもりなのだろう。


「今すぐやっても良いけど、キミの腹ごしらえが先でしょ。さぁ、お家に入った入ったぁ!」


 スズは突然駆け出すと、その勢いのまま僕を小屋の中に押し込んで行く。


「僕の家だけど……」


と言う小言は完全に無視して。


「お(かま)はあるかい? あたしが持ってるお米を炊いてあげるよ」


 スズはさっそく室内の物色をはじめている。かまどと水瓶のある土間(どま)に、そこから一段高くなった板敷の居室。その先のちょっとした押し入れ。この小屋の間取りはそれでおしまいだ。


「ロロは本当に猟師さんなんだねぇ」


 壁にかけられた猟銃と動物の毛皮を見て、スズは感慨深げにつぶやいた。


「危ないから触るなよ」


 僕は注意を促しながら、炊飯用の釜を取り出した。スズにひっかき回される前に彼女が望むものを用意するのだ。


「それくらいはわきまえてるもんね」


 スズは芝居がかった動作で自分の胸を叩くと、食事の準備をはじめた。と言っても、荷物から出した米を炊くだけだ。かまどに残してある火種から炊事用の火をおこす動作は手馴れており、僕の助けは必要なさそうに見える。


 すぐに、かまどに乗せられた釜がぐつぐつ煮え、蓋の隙間から白い泡を膨らませはじめた。粘度の高い気泡がはじけるたびに漂うのは、米の炊ける甘い匂いだ。

 この米はスズが持ち込んだ村外のもの。腹に溜まるものを食べられる予感に、期待が膨らんだ。喜んでいる様子をスズに見られたくなかったので、できるだけ仏頂面を心がけたが。


「お(かゆ)にしたからねー」


 火を起こして三十分も経たないうちに、食事の準備ができたらしい。居間の囲炉裏に運ばれた釜の中には、真っ白い米のかゆがたっぷり入っていた。


「茶碗。あと、お漬物か佃煮(つくだに)かある?」


「瓜のぬか漬けならあるけど」


 粥の()()を求めているスズに、僕は答えた。


「じゃ、それと一緒に食べよう!」


 スズは上機嫌だ。


「この村でとれた瓜だよ」


「大丈夫。幽霊作物は栄養が少ないだけで毒じゃないし、やばそうなときはあとで浄化してあげるから」


 小さな漬物樽を覗き込みながら確認したが、スズが言うなら問題ないのだろう。少し不穏なことを言っていたような気もするが、空腹には耐えられなかった。ここまで準備できれば、夕食まではもうすぐ。それを目の前に我慢できるほど僕の気は長くない。


「いただきます」


 数分後、たっぷりのお粥と刻まれた瓜漬を前に僕たちは手を合わせた。僕は両手をぴったり合わせて、スズは薬指と小指を曲げ、残りの三本だけを合わせて。


「?」


 見慣れない作法だが、この村の外では一般的な動作なのかもしれない。僕は気にしないことにした。


「お茶碗欠けてる」


 その間にも、スズは合わせた手を解き、茶碗を目の高さに掲げている。茶碗の縁にあるヒビと欠けを目ざとく見つけたらしい。「欠けた食器は縁起が悪い」と言われるのは知っているが、この家にはそれしかなかったのだ。


「うちに客人が来ることなんてないから、余分な食器はないんだよ」


 僕は熱い粥をすすりながら答えた。スズが何か言ったかもしれないが、それを意識できないほど食事に集中している。

 甘い湯気と塩気のある漬物。柔らかい食事がしっかりと胃にたまっていく感覚。流れる汗も今は心地良く感じられる。あっという間に茶碗一杯のかゆを食べきって、僕は顔を上げた。たしか、釜の中にはまだ粥があったはず。そちらを見ようとして、ニコニコしているスズと目が合った。


「なに?」


「多めに作ったからいっぱい食べなー」


 その表情は本当にうれしそうで……。彼女は母親ごっこでもしているつもりなのだろうか。粥をすくうひしゃくがスズの手の中にあることに気づいて、僕は眉間にしわを寄せた。給仕する気マンマンだ。


「…………」


 彼女のペースにのせられるのは不本意だ。しかし、食欲に勝つのも難しい。


「……おかわり」


 短い葛藤(かっとう)の末、僕は自分の茶碗を突き出した。気恥ずかしさを隠すために、あえて不機嫌な様子を装って。


「あいよー」


 スズは僕の態度など全く気にせず、新たな粥を入れてくれる。茶碗からこぼれそうなほどなみなみと。彼女の陽気な態度の前では、恥じらいもプライドも意味をなさないのかもしれない。


「……ありがと」


「イイってことよ。明日は村中いっぱい案内してもらいたいから、しっかり食べて動けるようになっといてねー!」


 明るく言いながら、スズも自分の椀に粥を注ぎ足している。


「ロロは生まれも育ちもこの村?」


「そうだけど……」


 食事しながら、おしゃべりに興じるのはいつぶりだろう。少なくとも、師匠が死んでからはなかったことだ。


「山が多くて良いところだね」


 確かにこの村は四方を低い山に囲まれた小さな盆地にある。


「町が遠くて不便だよ。(たきぎ)を売りに行くのも、猟銃の弾や火薬を仕入れるのも一苦労だ」


 それが僕の正直な感想。しかし、不満を感じつつもこの村の片隅で生き続けているのだから、心のどこかではこの場所が気に入っているのかもしれない。もしくは、村を抜け出す勇気が持てないか。たぶん後者だろう。


「それはちょっと困るねぇ」


 スズは僕の不満に話を合わせてくれている。


「君の出身は?」


 今度は僕が質問する番。


「ここからそんなに離れてないよ。でも、旅人の基準だからキミからしたらめっちゃ遠いかもね」


 ちゃんと答えてくれているようにみえて、よくわからない解答だ。


「その髪の毛とか『呪い』ってなに?」


 次に僕は、彼女に会ってから最も気になっていた疑問をぶつけた。


「それは今日会ったばかりの女の子にする質問じゃないかな」


 低い声でそう解答を拒否されてしまったが。


「話したくないこと?」


「話したくないこと!」


 陽気でおしゃべりなスズがこれほどまでに隠そうとするのだから、本当に触れてほしくない秘密なのだろう。


「じゃあ、あたしからも聞いていい?」


「……なに?」


 そんな感じで、僕たちの会話は日が暮れるまで続いた。内容はこの村が直面している怪異とは関係のない、たわいもないものばかり。この村の話や、スズの旅の話。そういえば、僕たちは同い年らしい。それなのにスズはもう三年も旅を続けていると言う。旅をして、怪異の調査をして、時には大きな町でのんびりしたり、仲間に会ったり。それは村の暮らししか知らない僕には、とても魅力的に聞こえた。いつか僕もそんなふうに旅できたらいいのに。そんな夢に胸を躍らせてしまう。


 満足感のある食事とスズの明るい雰囲気に、気づけば僕の口元は(ほころ)んでいた。最初は迷惑で自分勝手な少女だと思っていたが、少しだけスズに心を許せるようになってきたかもしれない。食料を分けてくれたり、粥をよそってくれたり、こうやって話しかけてくれたりするのを嬉しく思っている僕がいる。ただ物珍しい非日常に好奇心を刺激されているだけかもしれないが。もしくは、餌付けされているか……。


「お茶碗はどこに片付ければいい?」


「板間の下にある桶の中」


「お皿洗いに使ったお水は?」


「外に適当に流して」


 食後のちょっとした家事の間も、僕たちはことあるごとに会話した。そんな時間が就寝前まで続いた。話過ぎてちょっとのどが痛い。


 日が沈み、普段より早く床についた僕は、布団の中で自分の首をさすった。この調子で明日からの調査が務まるだろうか。肉体労働よりも、スズとのおしゃべりで体力を消耗してしまうかもしれない。

 静かに目を閉じると、今日起こったことが脳裏を駆け巡る。蛇のような髪を持つ少女。小屋の周りに生えた黄泉(よみ)の植物。温かい食事。たくさんの会話――。


 ちなみに、スズは事前に宣言していた通り、僕の家に対する文句を山のように言って眠りについた。


「この小屋個室ないの!? キミと同じ部屋で寝なきゃなの!?」


「ここお風呂ないの!? お湯をたらいに溜めて体をふくだけ? キミ、野生動物か何かなの?」


「便所ここ? ぼろ板で囲んであるだけじゃん。お空丸見えじゃん。これじゃ野グソと変わんないし!」


「お布団カビ臭い!」


「隙間風!!」


「虫ぃっ!!」


 そんな明るい声の記憶に、僕は声を出さずに笑った。僕には当たり前の生活が彼女には非日常で、彼女には当たり前の旅が僕には興味深い。新鮮な思い出があふれ出して、休んでいるはずなのに疲れてしまいそうだ。


 文句を言いつつもどこか楽しんでいるようなスズが、天井から大きなムカデが落ちてきたときだけはひどく取り乱していたっけ。それでも自慢の元気な髪の毛でムカデをくわえると、戸口からものすごい勢いで放り投げるくらいの才能はあったが。この時の記憶だけで、あと三日は笑えるだろう。


 明日もこのにぎやかな少女と過ごすのかと思うと、憂鬱なはずなのに楽しみなのだ。平凡でちょっと孤独な日常に突然割り込んできた突風。たまには日常を乱されながら生きるのも、悪くないのかもしれない。


「おやすみ」


 僕はスズの眠っている方向に背を向けたまま、小さな声でつぶやいた。


「…………」


 返事はない。すでに眠ってしまったのか、僕の声が小さすぎて届いていないか。あたりは秋の虫が鳴きはじめ、甲高いざわめきに満ちている。朝になれば、望まなくてもあのにぎやかな声を聴けるだろう。眠りに落ちれば朝まではすぐ。僕は体の力を抜いて、ゆっくりと息を吐いた。


「う……、ん」


 どれくらい寝ていただろう。小さな揺らぎに、僕は目を覚ました。雨戸の隙間から月の光が漏れている。まだ真夜中だ。一瞬そのまま寝なおそうと考えたが、僕を起こした何かが少し気にかかった。この小屋には隙間風が入るので、そのせいだろうか。しかし、今日は何かが違う気がした。スズがいるからかもしれない。僕は静かに寝返りを打って、彼女が眠っている方向を見た。


「……?」


 闇に覆われた世界に、彼女の黒髪は見えない。木の葉のざわめきと就寝前より少し遠くなった虫の声。僕はゆっくり体を起こして、視線を高くした。


「スズ……?」


 布団の中にスズの姿はなかった。便所だろうか? それともひとりで怪異の調査に出てしまったのか……。


「…………」


 まぁ、どちらでも構わない。僕は彼女の保護者ではないのだし。彼女が一人で出ていったのなら、僕がやるべきことは何もない。

 そう自分に言い聞かせて再び横になろうとしたが、やはり隙間風が気になる。狭い小屋を見回すと、戸口が細く開いていることに気づいた。


「ちゃんと閉めていけよ」


 思わずそんな愚痴(ぐち)が漏れる。勝手に出ていくのは構わないが、戸締りはしてほしいものだ。僕は静かに布団を抜け出した。そっと履物に足を入れながら土間(どま)へ降り、引き戸の取っ手に手をかけ――。息を潜めて外をのぞく。


「!?」


 その瞬間、大きな影が見えた気がした。僕はとっさに壁の猟銃へ手を伸ばした。獣か何かが現れたのかと。しかし、まばたきを一つして違うことに気づいた。少し離れたところにスズが立っている。夜着(やぎ)を大きくはだけさせ、ぼんやりと前を向いて。もしかして、寝ながら出歩いてしまう迷惑なタイプなのだろうか。


「スズ……?」


 僕は慎重に彼女の名前を呼んだ。それに呼応して、束ねていないスズの髪の毛がざわりと動く。次の瞬間、陽気な笑顔がこちらを振り返った。


「おはよ、ロロ。と言ってもまだ深夜だと思うけど」


 はっきりした口調で、冗談を言う余裕もある。どうやら彼女の目はしっかりと覚めているらしい。


「何をしてた?」


 僕ははだけた着物を直しながらこちらに歩み寄ってくるスズに問いかけた。その口調が厳しいのは、彼女に対する不信感のためか、眠りを妨げられた怒りによるものか。


「ここら辺に生えてた黄泉(よみ)の植物を全部片づけてたんだー」


 スズの答えは意外なものだった。


「は?」


 僕は疑問を浮かべながら小屋を出た。


 ざりり。


「?」


 違和感に僕は二歩目を出すのをためらった。自分の足音であるにもかかわらず、聞きなれない響きだった。土を踏む感触も。いや、おかしい。ここはたくさんの草が生えているのだから。


「っ!!」


 足元を確認して、僕は絶句した。寝る前まで生えていた草が一本もなくなっている。足元だけではない。小屋の周り一帯の植物すべて。たんぽぽも、野ぶどうも、桃の若木も、名も知らぬ草花も――。


「びっくりした?」


 スズはいたずらが成功した子どものように意地悪く笑った。


「食べ分けるのが面倒でこの辺の植物全部まとめて食べちゃったけど、まぁ、仕方のないことだよね」


 いったいどうやって? そう思ったものの、驚きで声を出せなかった。


「あとさ、ここら辺の植物を片付けてて気づいたけど、キミ口寄(くちよ)せ体質だね。しっかり呪われてる側の人間だったね」


「……ふぇ?」


 やっと出せたのは、そんな息と声が混ざったような音だけ。ほんの数分前まで眠っていた頭では処理できない量の情報が流れ込んでくる。


「何その反応。うけるー」


 スズはけらけらと笑った。


「あはは。まぁ、とりあえず寝なおそう。あたし疲れちゃった」


 スズは「ふぁ……」とあくびを噛み殺しながら、僕を小屋の中に押し込んでいく。思考を整理するために脳を起こそうとがんばる僕を置いて、スズはまっすぐ布団に向かって行った。さっきまで僕が使っていた布団に。


「そっち、僕の――」


 今の思考力ではそれだけ言うのが限界だった。


「だって、あっちの布団めっちゃかび臭いんだもん」


 スズは首まで布団をかけ、すぐにでも眠りに落ちる態勢だ。何が何やらわからない。


 本当ならもっと文句を言うべきだったのかもしれない。しかし混乱している僕は、吸い込まれるように空いている布団に潜り込んだ。まだほのかにスズのぬくもりが残っている。彼女が外に出ていたのはさほど長い時間ではないらしい。そんな短時間で、あの量の雑草をどうやって? 考えても結論は出てこない。夜が明けてスズから直接答えを聞くほかなさそうだ。


 僕は思考をあきらめた。


 ――今は眠ろう。


 そう自分に言い聞かせる。夜が明けたらいろいろ聞けば良い。空き地の植物を消した方法。僕のこと。スズのこと。


 顔まで引き上げた布団は、確かにカビの匂いがした。


  * * *


「『口寄(くちよ)せ』は、幽霊とか異界のものを呼び寄せちゃうことだよ。キミはそういう性質みたい。このおうちの周りに生えてた黄泉(よみ)の植物は、たぶんキミに引かれて根付いたんだろうね。キミが畑を耕すと病気や害獣の被害にあいやすいって言うのも、何か悪いものを呼び寄せちゃってたのかも」


 起きたらスズに説明してもらおうと考えていたが、僕はその行動を少し後悔していた。だってそうだろう? 僕が関わると起こっていた悪いこと。それが本当に僕のせいだったと知ってしまったのだから。


「もしかして、今この村を悩ませている飢餓(きが)怪異(かいい)も……」


 僕のせいなのかもしれない。怖くて全てを声に出すことはできなかったが。


「キミはその答えを知りたいの?」


 スズの問いかけは、彼女なりのやさしさだったのかもしれない。しかし、すぐに否定しなかった事実が、僕のせいだと物語っていた。


「キミだけのせいじゃないよ」


 あからさまに僕の表情が曇ったからだろう。スズの顔を見れずにうつむいた僕に、穏やかな声が降ってきた。


「この村の怪異を起こしてる幽霊作物には、二つの原因があってね。一つは、空気や土地が黄泉のものに汚染されて起こるもの。もう一つが、人の魂が黄泉のものに汚染されて起こるもの」


 スズの説明を要約するとこうだ。


 黄泉のものは「魂」に直接作用して、魂のあり方を強化する。「魂」とはその生き物の根底にある「望み」と言い換えることができる。多くの生き物が望むのは子孫繁栄なので、植物がより早くより多く実を結んだり、動物がより多くの子を産んだりするようになる。ただ、成長のために使える栄養は無限ではない。だから、見た目ばかり立派で、中身の伴わない幽霊作物が生まれるのだという。


 そして、黄泉が現世の人間に作用する場合は、さらに複雑だ。人間の魂のあり方――「望み」は人によって大きく違うから。


「でも、基本的に人間ってのは堕落した生き物だよ」


 二つ目の説明は、そんな哲学的な導入からはじまった。


「できるなら働きたくないし、ずっと寝ていたいし、ごはんを食べていたい。そう考えてる人って多いんじゃないかな」


 まぁ、わかる話だと、僕はうなずいた。


「そう言う考えを持った人がヨモツヘグイ……、黄泉のものを取り込んで影響を受けると、その堕落した魂が強化されちゃうんだよ。そして、魂の形にあった特殊能力が開花することもある。たいして働かなくても、作物が大きく丈夫に育つとか。無限にご飯を食べられる体になるとか。でね、この能力で育った作物も栄養が薄いことが多いんだ。ろくに肥料をあげてないやせた土地でもたくさん大きく育つんだから、そうなるのは当たり前だよね」


 それが二つ目の幽霊作物ができる理由。


「過程は違うけど、結果は同じってこと?」


「そういうこと」


 僕の視界の端でスズがにっこり笑うのが見えた。


「この地域に飢餓の怪異になる原因を呼び寄せたのはキミかもしれないけど、それをここまで強くしちゃったのは村人たちの魂のあり方それ自体だよ。だから、キミだけが悪いわけじゃない。みんながもっと働くのが大好きで勤勉なら、こんなことにはならなかったんだから」


 スズは僕を励ますように肩を叩くと、その勢いで立ち上がった。


「じゃあ、怠惰な人間の尻ぬぐいに行こうぜ!」


 そう親指を立てて笑うスズは、きっと僕がこれ以上気負わないようにしてくれたのだろう。旅装束と、頭の右上で束ねられた長い髪。外出の準備は万全だ。

 昨日僕が切ってしまった左側の髪は顎のラインで切りそろえられている。これも良く似合っているが、左右非対称な髪形を見るたびに申し訳ない気持ちになった。謝るべきなのだろうが、昨日のことを蒸し返すのは気が引ける……。


「ほら、ロロ。早く村の案内をしなさいっ!」


 すでに小屋の外まで駆けだしたスズが僕を呼んでいる。彼女はもう髪のことを気にしていないのかもしれない。


「わかった」


 いろいろ悩んでも、最終的には彼女の勢いに流されてしまう。僕は腰をあげると、急いでスズを追いかけた。


 この日は村の中を歩いてまわる。スズが昨日大勢の前で名乗りを上げたおかげで、村の衆の多くが彼女のことを知っていた。作物を分けてもらい、道端の雑草を摘み取り、人目を盗んでスズの髪の毛に味見させていく。そうすることで黄泉の影響が強い場所を探すのだ。


「ロロ、ちょっとあたしの頭をよしよししてくれるかい?」


「なんで?」


 突然の要求に戸惑いつつも、僕は彼女の頭に手を伸ばした。僕たちの体が近づく。その隙にスズは手に持っていた雑草を数本髪の毛に食べさせた。どうやら僕の体と着物を死角にして、髪の毛を変化(へんげ)させたかったらしい。村人の目に触れないよう注意を払っているようだ。それならば、なぜ昨日はあんなに目立つ方法で僕を運んだのか疑問だったが、ただの気まぐれかもしれない。彼女はそういう人間な気がする。


「キミ、頭()でるのヘタだね」


 考え事をしていた僕は、スズのそんな感想ではっと我に返った。


「君の髪の毛を隠せればいいんだろう?」


 僕はスズの髪の毛が毛束に戻っていることを確認して、手を離した。


「あれれ~? もしかして照れてる?」


 意地悪な笑みを浮かべて僕の顔を覗き込もうとするスズ。


「違う。村に変な噂が広まるから」


 僕は慌てて顔をそむけた。僕の言葉は本音だったが、一日中見知らぬ旅人の少女と村を歩けば、それだけで噂が立つのは避けられないだろう。さいわいなのは、僕が村はずれの山中に住んでいて、村人とあまり交流していないこと。何を言われても僕の耳にはほとんど入ってこないだろうし、「呪われた」僕はすでに腫物(はれもの)のような扱いを受けている。噂が広がったとしても、これ以上困りようがない。

 結局は、スズの言う通り、頭を撫でるという行為に慣れておらず、恥ずかしかったのだろう。それを彼女に伝える気は一切ないが。


 スズは村の農地、家の庭、井戸の水までくまなく味見していく。


「全体的に薄く黄泉の味はするけど、原因は村の中にあるものじゃない」


 一日中村を散策したあと、スズは僕に今日の成果を報告した。


「それじゃあ、次は周りの山を調べる?」


「うん。村人の魂が汚染されてる可能性もあるけど、それを確かめるのは全部の可能性をつぶしてからだね。……ちょっと長丁場になりそう」


 スズはしばらく僕の家に滞在することになりそうだ。気ままなひとりの時間が減ってしまうのは嫌だが、不思議とうれしくもある。


「明日は宿場(しゅくば)にお買い物に行こう。キミも来る?」


 そう誘われて、僕は少し考えた。留守番すれば、スズのにぎやかさに煩わされることなくのんびりできる。


「……僕も良く」


 しかし、僕はスズとともに行くことに決めた。山を下りた街道沿いにある宿場は、村では手に入らない品を買える栄えた町だ。早朝に出て急いで買い物を済ませれば、その日中に帰れる距離ではあるものの、ひとりで気楽に行ける場所ではない。せっかくなら、僕も欲しいものを買い足そうと思ったのだ。換金用の(たきぎ)も溜まっていたし。


「あたし、こう見えて力持ちなんだよねー」


 薪は僕だけが背負って行くつもりだったが、スズも薪を一山運んでくれたので、僕は宿場町で普段の倍近いお金を手にすることができた。


 僕はそのお金でちょっとした食料と日用品、あと少し悩んで来客用の茶碗も買うことにした。スズに欠けていると文句を言われたことが印象に残っていたから。


「奥さんに贈り物ですかい?」


 ひとりで茶碗を選ぶ僕に、焼き物屋の店主が尋ねる。


「いや、客人用」


 僕は冷静な口調を心がけて彼の間違いを訂正した。


「でもお客さん、さっきから女性物ばっかり手に取ってますぜ」


 確かに僕は先ほどから小さめでかわいらしい模様のものばかり見ていたかもしれない。


「……それでも、客人用」


「じゃあ、意中の女性と言うわけですな」


「違う!」


 もう二度とこの焼き物屋は使わないでおこう。僕はそう決めて、白地に青で四つ葉の描かれたかわいらしいものを購入した。あまり高価なものではないので、色むらが目立つがどうせ使うのはあの妖怪少女だ。

 焼き物屋の店主には怒鳴ってしまったが、改めて考えると確かに来客用の割には使う人を選ぶデザインだ。でも仕方ない。スズには似合うだろう。僕の家を訪れる客人など、彼女くらいなのだから。


「いい買い物できた?」


 宿場の入り口で合流したスズは、たくさんの食料を背負っていた。僕も似たようなものだが。


「まあね」


 僕はそっけなく肯定して、抱えていたぼろ布の塊をスズに押し付けた。


「なに?」


 驚いた顔で包みをほどくスズを置いて、先に帰路につく僕。


「めっちゃかわいい茶碗じゃん! どうしたのこれ?」


 スズが全速力で駆け寄ってくる足音が聞こえる。


「来客用。君が使うんだから、君が持って帰ってよ。欠けてるの、嫌だったんだろ?」


 僕は全力で冷たい声を出した。顔を見られたら照れているのがバレてしまうので、スズが追い付きにくいように速足で歩く。


「ありがとう!」


 スズの声は斜め後ろで聞こえた。もう横に並ばれそうだ。


「あと、薪を運んでくれた駄賃と、……髪を切っちゃった、お詫びも兼ねて」


 僕はスズとは反対方向に顔を向けた。


「あー、髪ね。あれはマジであり得なかったよ! ()()だよ()()!!」


 やはり、話題にしないだけで髪を切られたことはまだ怒っているらしい。


「……悪かったよ」


 しかし、彼女が怒りをあらわにしてくれたので、謝りやすくもあった。彼女はまだ許してくれないかもしれないが、謝罪の言葉を口にできたことで僕は少しだけ安心した。


「今度やったら、キミの髪の毛むしゃむしゃするからね!」


 スズの言葉は冗談なのか本気なのか。まぁ、彼女の髪の毛を切ることは二度とないはずなので、どちらでも良い。


「あんまりはしゃぐと疲れるぞ。村までは結構遠いんだから」


 僕はそう言うと早歩きを少し緩めた。


「んもう! 話題勝手に変えないでよ!」


 忠告しても、スズの元気の良さは変わらなかったが。


「君にだけは言われたくない」


 僕はため息交じりに言って、前方の山を見た。このあたりは宿場町で多量に消費する薪を()っているので、木がほとんど生えていない。村まではまだまだだ。


 宿場(しゅくば)町に行った翌日は長距離歩行の疲労を癒すための休養日となった。天気が良かったので、僕はかび臭い布団を干したり、(たきぎ)を割ったり、水瓶の水を補充したりと家事に(いそ)しんだ。日没前には、山の(ふもと)にある民家にスズを連れて行く。宿場で買ってきた菓子と引き換えにお風呂を貸してくれるよう頼んだのだ。スズが湯に浸かりたそうにしていたから。


「最初は冷たいタイプの人かと思ったけど、めっちゃやさしいじゃん」


 スズは新しい茶碗を喜んでくれたし、お風呂で全身綺麗に洗えてご機嫌だ。


「別に……」


 僕はどう答えるのが正解かわからなくて、不機嫌な声を出した。スズの言葉を否定して冷たい人間だと主張するのは違う気がするし、だからといってやさしい人間だと肯定するのも自信過剰だ。スズのように冗談めかして笑いに変える技術もない。


「うふふ、ツンデレさんなんだからぁ。あたしのために色々してくれてありがとね」


「……どうってことない」


 僕はスズの笑顔から顔をそむけた。確かに茶碗を新調したのも、お風呂を借りに行ったのもスズのためだ。僕一人ならそんなことしない。でもそれを彼女の前で認めるのは恥ずかしかった。


「油がもったいないから、もう寝よう。明日は山歩きするんでしょ」


 これ以上スズと話していると顔から火が出そうだったので、僕は冷めた口調でそう提案した。


「そうだね。ロロが言うならそうしよう」


 僕の照れ隠しを知ってか知らずか、スズはすぐさま昼間干した布団に飛び込んでいく。


「まだちょっとかびっぽいけど、お日様の匂い!」


 それなら良かった。僕は布団に潜り込むスズを見ながら、燭台の炎を吹き消した。


「おやすみ、ロロ」


 暗闇の中で、スズが僕を見ているのがわかる。


「……おやすみ」


 壁の隙間から差し込む星明りでキラキラ光る大きな目に、僕は就寝のあいさつを返した。



  * * *


「こりゃ、立派なシシ(がき)だねぇ」


 日が昇り暑さを感じはじめる頃。朝食と簡単な家事を終わらせた僕たちは、村と山の境目を歩いていた。この村の怪異がどの方向から来ているのか確かめるためだ。


 スズが感心しているのは、畑をイノシシやシカから守るシシ垣だ。土を掘り、石を積み上げ、イノシシやシカが人里に入り込まないようにしてある。


「この辺のはね。本当は村全体をこれで囲う予定だったのに、最近の豊作続きで中止されてる」


 スズの言う通り、人間は怠惰な生き物なのだろう。必要に迫られないと動かないのだから。


「それにこれくらいの石垣なら、飛び越えてくるやつもいる」


 昔、巨大なイノシシが畑を荒らしたことがあった。僕と師匠でシシ垣に追い込んで仕留めようとしたが、あのオオイノシシは一メートル以上ある石垣を飛び越えて山に逃げたのだ。


「イノシシって強いからねぇ。足速いし、力も強い。しかも海を泳ぐらしいよ!」


「本当に?」


「本当本当。少し南に行った島村(とうそん)もシシ害がひどくて、ある島は村の男連中全員が一列に並んで島の端から端までイノシシを狩って歩いたんだって。その時は完全にイノシシがいなくなったけど、数年後にはまたイノシシの姿を見るようになって、海から来たとしか考えられない! ってなったんだよ。魚釣りしてた漁師の中には、海を泳ぐイノシシを見た人がいるとか。あたしは見たことないけどね」


 僕が普段相手にしている獣は、想像以上に強いようだ。


 そうやって他愛もない会話をしながら村の周りや山を歩くこと数日。時にはスズ一人で出ていくこともある。それでも日没までには戻り、僕が買ってきた茶碗でご機嫌な夕食を食べ、「まだちょっとかび臭い」と文句を言いながら眠るのだ。


「……今日は何をしてきたの?」


 夕食時、僕は満足げに茶碗を眺めるスズに尋ねた。今日も午後から一人でどこかに行っていたから。


「気になる?」


 悪だくみするように口の端を上げて笑うスズの顔はすっかり見慣れてしまった。僕をからかいたいときと、隠したい何かを冗談でごまかすときに見せる表情だ。


「一応」


 彼女への関心を見せるのは少し恥ずかしかったが、僕は素直に肯定した。


黄泉(よみ)から来た植物をむしゃむしゃしてきたんだよ」


「ひとりで?」


「ひとりで」


 彼女の答えに僕は顔をしかめた。怒りに似た黒い感情が胸にある。僕はスズから怪異調査の手伝いを頼まれたのではなかったか。それなのに彼女は僕を置いて、勝手に解決へ向かおうとしているらしい。


「明日は僕も行く」


 僕は顔を上げてスズを見た。彼女の目は驚いたように一瞬大きく見開かれ、しかしすぐに白い茶碗へと伏せられた。それは彼女には珍しい、ためらいのしぐさだ。


「びっくりするよ?」


 その声にいつもの陽気さはない。


「構わない」


 逆に僕が覇気のある声を出した。


 彼女の様子。きっと、彼女と共に行った先に、彼女が隠したがっている何かがあるのだろう。それを知りたいと思った。


「……じゃあ、おいで」


 短い間のあと、スズは笑顔を見せた。


()()()()()しても知らないからね!」


 冗談を言うような明るい声と、脅すように伸ばされた彼女の髪の毛。蛇の頭にコツンと鼻を叩かれても僕は動じなかった。スズに試されているような気がしたから。


「ちゃんと僕を連れて行くのを忘れないでよ」


 それどころか、気の抜けた声を出して、まったく驚いていない風を装った。


「キミが、ちゃんとついてくるんだよ」


と笑みを含んだ声に言い返されてしまったが。


「あはははは」とスズの明るい声が暗くなりはじめた小屋の中に響き渡る。それにつられて僕も笑みを浮かべた。


「最初のロロはずーっと眉間にしわ寄せてたけど、最近は結構笑うようになったよねー」


「うるさい」


 僕は慌てて笑みを消そうとしたが、それにスズが変顔で対抗してくる。唇を尖らせ、ほほを上げ、白目をむき、髪の毛を放射状に逆立てて。しかも、頭の上には聖杯のように大切そうに掲げられた白い茶碗があるのだ。描かれた四つ葉模様が良く見えるように方向まで調整して。


「ぅぷ……、っくははははは!」


 さすがに耐えきれなかった。うつむいて笑い顔を隠したあと、もう一回スズを盗み見る。


「あっはっはは!」


 その瞬間、再び笑いが噴き出した。彼女が唇と髪の形を変え、また違った変顔をしていたから。


「もう……、やめ……」


 しこたま笑わされたあと、僕は床にうずくまって息も絶え絶えに懇願した。何度も違うパターンの変顔を見せられ、変顔での笑いが薄くなりはじめたら今度は髪の毛でのくすぐり攻撃を加えられた。おなかが痛くて引きつりそうだ。


「うんうん、その顔が良いよ」


 スズは顔の穴と言う穴から汁を出す僕を見て、満足そうに笑っている。


「黄泉から来たものは、魂のあり方を強化するって言ったでしょ? 怠惰な魂が強化されて幽霊作物を作っちゃうって。でも、魂の強化は悪いことばっかりじゃないんだよ。魂が生真面目ならその人はより真面目で勤勉になるし、魂が陽気で明るければ、もっともっと元気に明るくなれる。だから、毎日元気で前向きに、ね!」


 最後の仕上げとばかりに、スズの両指が僕のほほを笑顔の形に持ち上げた。


「だから、君はそんなに陽気なわけ?」


 僕はスズに作られた笑顔を維持したまま、彼女の顔を見上げた。スズは、「えへへ」と照れたように笑っているだけだが、きっとそうなのだろう。彼女の迷惑なまでの陽気さは、ヨモツヘグイと戦うために身に着けた技術なのかもしれない。そう考えると、少しだけ彼女を見る目が変わった。彼女の能天気さの裏にある思慮深さを見た気がして。


「笑ってごまかすなよ」


 僕は楽しい雰囲気を維持するために、ツッコミを入れた。


「笑ってれば、黄泉の悪い影響を受けないんだよーん」


「あははは」と笑い声をあげながら、スズは両手で茶碗を掲げて土間へ走っていく。夕食で使った食器を片付けるのだろう。


「こら逃げるな!」


 その背中を僕も空になった食器と釜を持って追いかけた。二人で楽しい時間を演じるのだ。この楽しさのどこまでが演技で、どこからが本当の気持ちなのかわからなくなるくらいに。


  * * *


 夜が明け、簡単な朝食をとったあと、スズは約束通り僕を連れて小屋を出た。

 木々のまばらな山道を歩き、いつものように目についたものを元気な髪の毛に食べさせていく。


「どこまで行く気?」


 僕は横を歩くスズに尋ねた。


「この入会(いりあい)のはずれまで案内を頼む!」


 スズは答えながら駆け出している。横を歩いていると思ったら、突然前方の下草を摘みに走ったり、脇の木の実に気を取られたり、彼女は相変わらず自由だ。

 このあたりまでくると、村人もあまり近寄らない。はげ山でも良く育つ松の木の他に、大きな葉をつけた広葉樹も混ざりはじめた。通っている山道には、ときどき木の杭が打ち込まれている。僕やほかの猟師が道を見失わないよう整備しているものだ。


 この先にあるのは、村の入り口を守る小さな(ほこら)。スズが確認したいのもそれだろう。


「この中身は?」


 祠に到着すると、スズは案の定その中身を気にした。


「数年前に狩ったオオイノシシの頭」


 僕は正直に答えた。


「この村では畑を荒らす害獣の頭を入会山(いりあいやま)の入り口に(まつ)る風習がある」


 殺した獣を祀り、村の守り神になってもらう。そうすることで、新たな獣が村の土地に入り込むのを防ぐと言われているが、それが実際どれほどの効き目を有しているかは不明だ。ただ、このオオイノシシは、何かしらの神かがった力を期待できるかもしれないと思うほど大きかった。そして実際に、ここにオオイノシシの頭を入れて以降、この方向から来る害獣はめっきり減った。


「へぇー」


 興味があるのかないのか、スズは気のない返事をしながら祠の扉に手をかける。祠の中身を気にするあまり、陽気な演技を忘れているようだ。


「あまり見ない方がいいよ」


 その背に僕は忠告した。新しい頭と入れ替えるために、何度か同じような祠を開けたことがあるが、その中身はひどい状態であることが多いのだ。


「うひゃぁ……」


 案の定、スズは心底気持ち悪そうな声を上げている。僕は彼女の肩越しにちらりと祠の中を覗き込んだ。まばらに抜け落ちた灰色の毛の隙間からのぞく茶色い頭骨。床板には血や肉の名残だと思われる汚れが黒くこびりつき、小さな風でカビとほこりが舞い上がった。幸い乾燥しているおかげで虫は湧いていないようだが、見て楽しいものではない。


「これは、味見したくないなぁ……」


 ここに来るまでの道中であらゆるものを「元気な髪の毛」で食べてきたスズでさえもためらう代物(しろもの)だ。


「やめた方がいいよ。これでもこの村の守り神だから」


 そう言いながら、僕はかつてこのオオイノシシを倒したときのことを思い返していた。

 あれはまだ僕の師匠が生きていた頃。師匠でさえ見たことがないと言うほど大きなシシだった。銀色の長い毛と三日月のような長く鋭い牙。何発鉛球を打ち込んでも動きを止めず、僕と師匠が命がけで組みつき、のどをかき斬ってやっと絶命させたのだ。その腹の中にはたくさんの木の実と村の衆が育てた作物が詰まっていた。もしかすると、師匠が病がちになって死んでしまったのは、この時の無理が原因だったのかもしれない。そう思うと、この頭骨が憎らしく思える。


「そう言う大切なものこそ、食べないわけにはいかないんだけど……」


 スズが髪の毛を伸ばした。流木のようにささくれだって朽ちはじめている牙の先へ。普段よりも細いそれは、彼女のためらいの表れだろう。


 パク、と。蛇の口のように二股に割れた髪束の先が牙の先を小さく挟む。はもはもと毛先が動いた。静かに見守る僕の前で、スズの表情が変わっていく。しかしそれはいい変化ではなかった。怯えと不安の入り混じる顔から、嫌悪とあきらめの表情へ。


「スズ……?」


 おしゃべりな彼女が沈黙している。僕は様子をうかがうようにその名を呼んだ。


「……正解じゃん」


 スズの口から小さなつぶやきが漏れた。


「え? ってことは……」


「こいつだよ。黄泉から来た生き物」


 牙を味わっていた蛇がしゅるりと解けて、髪の毛に戻った。


「処理するから下がってて」


 スズが祠から一歩離れるのを見て、僕もそれに(なら)う。しかし、それだけでは不満だったのか、スズは腕の動きでさらに下がるよう示した。


 二歩三歩とスズと祠を視界に収めたまま下がる僕。その目の前で、スズは自分の着物の帯をほどいた。


「目を閉じた方がいいよ」


「いったい何を?」


 予想外の行動に、僕は思わずスズに手を伸ばした。しかし、スズの動きは止まらない。帯を投げ捨て、着物の前がはだけると同時に、両手を合わせて――。


「いただきます」


 五本の指をぴったり合わせて彼女がそう呟いた瞬間。


「っは……?」


 僕はとっさにスズに向けて伸ばしていた手を引っ込めた。その勢いのまま後ろに下がろうとしたが、足が言うことを聞かない。


 腰を抜かした僕の目の前で、小柄なスズの体がゆがんでいく。胴が伸び、ふくらみ――。足も腕も頭も長い髪も変わらない。ただ彼女の胴だけがどんどん大きくなっていくのだ。その色や輪郭は黒くかすみ、影や闇でできているようにも見える。ばくり、と。闇色になったスズの胴が上下に裂けた。それは巨大な口のようで……。そこだけ違う生き物のように動いたかと思った瞬間。オオイノシシの頭を祠ごと丸のみにした。


「ごちそうさま」


 そのつぶやきは間違いなくスズの声だ。スズの顔を確認しようと、僕は闇色の口の上を見た。と同時に、膨らんだ時と同じようにスズの体が戻っていく。見慣れた少女の形に。あっという間の変化に、今見たものがすべて幻だったのではないかと思えた。しかし、目の前にあったはずの(ほこら)は完全に消え失せ、草の生え方の違いがかつてそこに何かが建っていたことを証明しているだけだ。


「おなか一杯になっちゃった」


 いつもの陽気な様子で振り返るスズを、僕は地面に座り込んだまま見ていた。


「もしかして、見たの? 目を閉じてって言ったじゃん」


 放心状態の僕に、少し怒った口調で話しかけるスズは、いつもと変わらない。


「君は、いったい……」


 僕はなんとか疑問を絞り出した。


「だからちょっと呪われちゃってる普通の女の子だって」


 スズは不満そうに唇を尖らせている。その着物はまだはだけたままで、下に着ている衣装が丸見えだった。胸部分を隠す短い上着と、スカート状の下履き。僕はうっすら筋肉の浮かぶ彼女の腹にくぎ付けになった。普段隠されているそこは、日に焼けた顔や腕に比べると白く滑らかで、中央やや下にへそがある。


「あんまりじろじろ見ないでよ、変態!」


「でも……、さっきのは……」


 スズに怒られても、僕は彼女の腹から目が離せなかった。先ほどイノシシの頭を祠ごとのみ込んだ口の名残はない。


「まぁ、わからなくもないけどさ。あたしのおなか素敵でしょー? でも、いかがわしいこと考えちゃだめだからね!」


 けらけらと陽気に笑うスズ。


「でも……」


 僕は旅装束の襟を合わせ、帯を巻きなおす彼女を見ながらそう言い続けることしかできなかった。


「人には触れてほしくないことがあるの! キミだって、急にキンタマ握りつぶされたら嫌でしょ?」


「あれは、君にとって金玉なわけ?」


 スズの言動のせいで下腹部に変な力がこもってしまったが、僕は何とか言葉をひねり出した。ここで食い下がらなければ永遠にはぐらかされ続けそうだったから。


「女の子にキンタマとか言っちゃだめだもんね!」


「自分が最初に言ったんだろ」


 反射的にツッコミを入れた。スズがいつも通りなおかげで、僕も少しずつ冷静さを取り戻しはじめたようだ。


「これを見せたくないから、時々一人で出歩いてたわけ? それはつまり、君自身もその姿が普通じゃないって理解してるってことだろう?」


 スズのことをもっと知りたい気持ち。スズに隠し事をされていた怒り。その両方を込めて、僕はスズの目を見返した。その眼光に、スズの笑顔が次第に消え、負けを認めるように視線をそむけた。小さなため息とともに。


「まぁ、キミの言う通りだよ……」


 ささやくような小声は、スズらしくないほど弱々しかった。


「あたしも時々、自分が何者なのかわからなくなる。あたしは人間のつもりだけど、この体も能力も人とは違うもんね……。あたしは知らない間に黄泉の者になってるのかも」


 僕はスズが陽気な笑顔の裏に隠す不安を見た。聞きたかったはずなのに、いざ聞くと何と答えればいいのかわからない。僕は自分ができることを探して、彼女の首筋へ手を伸ばした。


「なに?」


 戸惑うスズに触れた指先から、とくとくと確かな鼓動を感じる。


「黄泉の者って、死者ってこと? 心臓が動いてるから、それはないと思うけど」


 スズは人間ではないのかもしれないが、血の通った存在であることは間違いない。


「……ありがとう」


 スズが浮かべた笑顔は、花がほころぶように柔らかかった。


「でも、これセクハラだからね。エッチ!」


 そしてすぐにいつものスズに戻った。


「仕留めた獲物が本当に死んでるか確認する時と何も変わらないけど」


 だから僕も冗談を言ってやった。


「はぁー!? あたしのことイノシシやシカだと思ってるの!」


「似たようなもんだろう。うるさくて、猪突猛進で、なんでもよく食べる」


「ひどいひどいひどい!」


 地団太(じだんだ)を踏んで怒りをあらわにするスズ。その髪の毛がうねうねうなって逆立つが、その姿にもはや恐怖は感じなかった。彼女が恐ろしい存在ではないと知っているから。


「……でも、ありがとね、ロロ」


 そして、最後にはそう言って笑いかけてくれるから。


「別に……」


 僕はできるだけそっけない口調で、それに応えた。


「照れなくてもいいのにぃ~」


 スズの顔を見なくても、彼女が例のニヤニヤ笑いを浮かべているのがわかる。


「照れてない」


 僕はスズからツンと顔をそむけた。


「それで? このあとはどうするの? これで解決?」


 愛想悪く問いかけつつも、僕は少し寂しかった。この村の怪異が解決したら、スズはきっと旅立ってしまうから。


「このイノシシの他のパーツって全部埋めるか燃やすかした? お肉を食べた人とかいる? もし毛皮とか骨とかがどこかに残ってるなら、それも一応処理しておきたいんだよね」


 スズに言われて僕は少し考えた。いや、正確には考える振りをした。このオオイノシシ討伐は本当に大変だったので、こいつを倒し、解体し、供養するまでのことはよく覚えている。


「肉は僕や兄弟や村の衆で分けて食べたと思う。毛皮は村長(むらおさ)の家に納めた。骨や残った部分は神社で燃やして供養してもらったはず……」


「なるほど。たくさんの村人がヨモツヘグイしちゃった系か……」


 スズの声は普段よりテンションが低い。


「食べない方がよかった、とか?」


 平静を装いつつも、僕の内心は少し不安だった。


「そりゃ、食べないに越したことはないんだけどさ。でも食べちゃったもんは仕方ないよね」


「黄泉の影響を受けると魂のあり方が強化されるんだったっけ」


 僕はスズの説明を思い返した。


「そうそう。特に食べちゃうのは良くないね。黄泉と肉体と魂が繋がっちゃって、長期的に黄泉の影響を受けることになる。神話では、ヨモツヘグイをした者は黄泉の者になるって言われてるけど、実際それに近いと思う」


 だから、黄泉のものを食べまくっているスズは、自分が黄泉の者になっているのではないかと不安を見せたのか。あれ、待てよ……。


「もしかして、僕の口寄(くちよ)せ体質も――?」


 ヨモツヘグイの結果なのだろうか。


「口寄せ自体はキミの魂の性質だと思うけど、それが発現したのはヨモツヘグイのせいかもね。キミもあのイノシシのお肉食べたんでしょ?」


「肉と、心臓を――」


 狩った獲物の心臓を食べるのが、師匠の流儀だったから。


「心臓はヤバヤバだね」


 言葉とは裏腹にスズは笑っている。


「でもたぶん、僕の口寄せ能力は、オオイノシシを食べる前からあったのかも。いつから……?」


 僕は視線を落として考えた。子どものころから「呪われている」と言われてきた。しかし、きっかけとして思い当たるものはない。


「もしかすると、このオオイノシシを呼び寄せたのも僕かもしれない……」


 考え始めると、悪いことばかり浮かんでしまう。


「びっくりするかもしれないけど、あたしもいつからこの体になったのか、わからないんだー。仲間だね!」


「え?」


 湧き続ける不安に飲み込まれそうだった僕の意識を引き戻したのは、スズのそんな自分語りだった。何度聞いてもほとんど口にしなかった身の上を自分から伝えてくれた彼女に、僕ははっと顔を上げた。


「でも、手に入れちゃった能力は、ラッキーと思って使わなきゃ! 悪いことばっかり考えてたら、魂がそれに引っ張られちゃうでしょ? ほら、笑顔笑顔!!」


 僕の目の前でスズは笑う。


 彼女自身、自分の体が()()なったきっかけを知らないと言う。僕の口寄せは目には見えない能力だが、彼女の場合は――。気づかずにこの世ならざるものを食べ、知らないうちに体が変わっている。それはすごく怖いことのように思えた。それでも、スズは明るく元気に生き続けている……。


「あとは、そうだね。毛皮があるならそれは回収しておこう。案内して」


 スズの声にはまだいつもの陽気さが足りていなかった。内心では様々な葛藤や不安があるのかもしれない。それでもその足は村の方へ進みはじめている。


 僕の未熟さが、彼女の心を乱してしまったようだ。申し訳なさを感じるが、スズはきっとその感情を求めていない。


「わかった」


 笑わなければ。僕は自分のほほを両手で叩いて暗い表情を消すと、急いで彼女の後を追いかけた。



  * * *


 オオイノシシの毛皮は僕の予想に反して速やかに回収された。銀色の毛で覆われた巨大な皮は、非常に珍しいものだ。それを村長(むらおさ)が手放すとは思えなかったのだが、スズが三つ葉(あおい)の紋が刻まれた通行手形と彼女に怪異調査を命じる(むね)が書かれた書簡(しょかん)、そして神社のお(ふだ)を見せた瞬間、村長の態度が急変した。


出雲大社(いずもたいしゃ)伊勢神宮(いせじんぐう)熊野本宮(くまのほんぐう)高野山(こうやさん)金毘羅山(こんぴらさん)――。旅のついでに有名な神社やお寺のお札やお守りを買っておくと、こういう時すごく便利なんだよねー」


 スズは持っていた伊勢神宮のお札と交換することで、いともたやすくオオイノシシの毛皮を手に入れていた。伊勢神宮は多くの人が訪れたいと思う崇高な場所。そこのお札は村長にとって非常に価値のあるものであったに違いない。獣臭くて毛がボロボロ抜ける敷物よりも。


「楽に片付いてよかったよかった。あとは、一応骨とかを納めたって言う神社も確認に行かなきゃね」


「……そうだね」


 僕は毛皮を抱えて彼女の隣を歩きながらうなずいた。この村を脅かす怪異の解決は目前だ。僕とスズの別れの時も。僕の足は重かった。


 神社に寄り、土や神社周辺に生える植物の味を確認し、山小屋に戻ったら腹の口で毛皮を食べる。そんなスズを僕は口数少なく見守っていた。夕食の準備を行い、食べる間もいつ彼女がそれを切り出すのかと身構えていた。


「あたし、夜明け前に最後の仕上げをしてこの村を出ていくね」


 そう、この言葉をずっと覚悟していた。


 あたりはすっかり暗くなり、あとは寝るだけになった時間。夕食に使った食器を片付ける僕の背にかけられた声は、いつもと変わらず明るかった。


「え?」


 慌てて振り返ると、スズは板間の端で土間(どま)に両足をたらして座り、……僕を見てはいなかった。先ほどの明るい声に反して、その横顔に見慣れた笑顔はない。


「この村の周りに根付いていた黄泉(よみ)の植物はだいぶ処理できたと思う。まだ残ってるかもしれないけど、幽霊作物を作るほどの力はないだろうし、一応半年後か一年後くらいにあたしか仲間が確認に来る予定。だから、最後に村人の体に残った黄泉の力を食べて、あたしはこの村を去るよ。村の人たちがあたしの姿を見たら『ばげもの』だって思うだろうから、大騒ぎになる前に村を離れないと」


「スズはばけものじゃない!」


 自嘲気味に笑う儚げな横顔に、僕は叫んだ。食器を置き、大股にスズへと歩み寄る。


「君はちょっと呪われちゃってるだけの、良く食べる普通の女の子だろう?」


 僕はスズの隣、彼女の顔が向いている方に座った。


「わかってきたじゃん」


 スズが笑う。その笑顔はまだ少しひきつっていて、無理をして浮かべたように見えたが。


 きっと、自分のことを一番人ならざるものだと思っているのは、彼女自身だ。それでも、自分は明るく元気な人間の女の子だと信じようとしている。


 僕が、彼女に助けられてばかりの僕が彼女のためにできることはあるだろうか。


「君はこの村を救ってくれた、素晴らしい人間だ。心から感謝してる」


 まずはちゃんと感謝を述べること。あとは――。


 僕はスズの体を抱き寄せた。そうすると、見た目以上に彼女の体が小さくて驚いた。

 ただ、この行為は彼女のためではなく、自分を慰めるためのものであったかもしれない。この十日ほどの期間で、僕はすっかり彼女と過ごす日常が好きになってしまったようだ。別れが寂しい。彼女がいなくなった明日からの暮らしは、きっと以前と違って暗く孤独なものになるだろう。


「口寄せの人は、あたしのことぎゅってするのが好きだねぇ」


 スズは抱きしめられたことに嫌悪を感じていないようだ。それどころか僕の背に両腕を回して、抱き返してくれた。


「他にも口寄せの知り合いがいるの?」


「いるよ。出雲に住んでる仲間でね。強い術師なんだけど、甘えんぼさん」


 彼女の答えで、胸の中心に沸き起こる黒いものは何だろう。僕は嫉妬心を押し隠して、スズから離れた。そのまま土間へ降り、洗ったばかりの食器を手に取る。


「これ、持って行っていいよ」


 そうスズに突き出したのは、以前来客用に買った茶碗だった。


「いいの?」


 白地に青で四つ葉の模様が描かれたかわいらしい茶碗は、彼女の手の中にあるのが一番よく似合う。


「いいよ。うちに客人なんて来ないから」


 口には出さないが、彼女が僕との思い出の品を持っていてくれれば、僕の嫉妬心と孤独も少しは和らぐだろう。


「ありがとう」


 スズはにっこり笑って、茶碗を自分の荷物に入れた。大切に包んでくれる仕草が本当にうれしい。


「今日は僕の布団で寝て構わない。その方が休まるだろう?」


 別れの時は迫りつつある。


「ありがとう!」


 スズは別れの感傷などないように、部屋の対角に敷いた僕の布団へ飛び込んでいく。旅慣れた彼女にとって、こんな別れは日常茶飯事に違いない。


「おやすみね、ロロ」


 ああ、彼女はもう寝てしまう気なのか。


「……おやすみ」


 布団にもぐりこむ彼女を見送って、僕は部屋の明かりを消した。ゆうげの残り香と火の匂い。聞こえるのは秋の虫の声。スズの寝息は聞こえない。彼女は普段にぎやかな割に、静かに眠る。


 彼女の休息を妨げないように、僕は静かに寝床へと向かった。初日はあれほど臭かった布団から、カビの臭いがほとんど消えている。スズが来て起こった変化すべてが、明日以降の僕を憂鬱にする。

 一緒に行きたいと言えば、スズは僕を仲間に加えてくれるだろうか。でも、僕にそれを言い出す勇気はないだろう。この村での暮らしに不満を感じつつ、村を出ることさえできなかったのだから。


 悶々と考え込む夜が続く。この村を襲った怪異のこと、スズのこと、僕の今後のこと――。それでも、僕はいつの間にかまどろんでいたらしい。小さな物音と隙間風に、僕ははっと目を覚ました。


「どこに行くの?」


 戸口に見えた人影に、僕は詰問した。驚いた顔で振り返ったスズは、すでに夜着から着替えている。まさか僕に何も言わずに旅立つつもりだったのだろうか。そう考えると怒りが湧いてくる。


「『最後の仕上げ』だよ。大丈夫、終わったらちゃんと帰ってくるから」


 暗がりの中でも、スズがほほえんでいるのがわかった。


「僕も行く」


 そう言うや否や、僕は上着を羽織って土間に飛び出した。


 時刻は早朝と言うにはまだ早い深夜。

 星明りしかない夜の山の中を、スズはずんずん歩いて行く。彼女が明かりを持って歩くことを拒否したのだ。あたりは木々のまばらな共有林。明かりがあれば村から容易に見えてしまうだろう。


「ロロのおうちの近くで『仕上げ』をはじめちゃったら、ロロが怪しまれちゃうかもしれないから、少し離れなきゃね」


 この移動は、そんなスズの気遣いによるものらしい。


「気にしなくていいよ。もともと僕は(はず)れ者だから」


「そ、れ、で、もー!」


 僕のすれた言葉に、スズはいつもの明るい調子で返してくれる。


「この辺にしよっか」


 しばらく歩いてスズが足を止めたのは、村全体が見下ろせる山の中腹だった。


「『いただきます』するから、少し離れてて」


 スズは自分の帯をほどきながら言った。


「わかった」


 三回目にもなれば、僕もやるべきことを理解できる。彼女の邪魔にならないよう距離を取るのだ。


「帯と上着を預かってもらっていいかな」


「もちろん」


 新たな指示にもすぐ対応。僕はスズの体温が移った上着と帯を受け取って、さらに数歩下がった。胸元を隠す上着と膝上丈のスカート。僕は胴体部分をさらす格好になったスズの白い背中を見守った。


 スズが体の前でゆっくりと両手を合わせる。


「いただきます」


 その瞬間、スズの体が黒く大きく――。霧のように広がって山裾へと流れ出していった。


「スズ!?」


 彼女の初めてみる姿に、僕はあたりをよく見ようと数歩前に出た。明かりの消えた山村(さんそん)を黒い霧が舐めるように通過していく。あれが本当にスズなのだろうか。異様な光景に僕は目が離せなかった。


 一周隅々まで村を撫でた霧は、再び集まりながら僕の方へと迫ってくる。そこから先は一瞬だった。黒い霧を目で追った僕の鼻先で、それが再び少女の形をとる。


「うわ!」


 彼女の頭と僕の唇が触れそうな距離間に、僕は慌てて身をのけぞらせた。


「ロロ、下がっといてって言ったのに、進んだでしょ」


 見慣れた顔が、怒ったように唇を尖らせて僕の顔を見上げる。


「あぶないよ。ごっちんこするよ」


「……女の子が『ちんこ』とか言うんじゃない」


 僕は焦りと驚きを隠すために、そんなことを言っていた。


「そんなこと言ってないもん!」


 スズがほほを膨らませる。

 普段と変わらない彼女の様子。これで、本当に終わったのだろうか。


「何をしてきたの?」


 僕は預かっていた上着を彼女の肩にかけながら尋ねた。


「村人全員ぺろぺろしてきた。これでみんなの中にあった黄泉の力は薄まったはずだよ」


 僕の予想以上にすごいことをしてきたらしい。


「でもやっぱり何人かには見られちゃったかも。妖怪退治がはじまる前に早く逃げなきゃだね」


 スズは上着にそでを通しながらすでに歩きはじめている。


「あの、僕の口寄せの力は消さなくていいわけ?」


 それを慌てて追いかけながら、僕は声を張り上げた。


「口寄せの力は消せない。それはキミの魂に刻まれた能力だから」


 スズは足を止めた。僕が追い付くのを待ってくれるらしい。


「あたしにできるのは、キミの体にたまった黄泉の力を吸い出して一時的に口寄せを弱めてあげることくらいかな」


 彼女に追いついて預かったままだった帯を渡そうとした僕の手を、スズは両手でとった。


「スズ?」


 とてもあたたかい手だった。


「キミの力は空き地の植物を片付けたとき、一緒に食べてあるんだけど、不安ならもう一回、ね」


 スズの髪の毛が蛇の姿になって僕に近づく。しかし、まったく怖くない。たとえそれが僕の手に噛みついたとしても。


「痛くはないはずだけど」


「大丈夫、平気」


 彼女の言う通り痛みはない。刷毛(はけ)で撫でられるようなくすぐったさがあるだけだ。スズは僕の右手を両手でつかんだまま、髪の毛で手のひらや指を挟んでいく。はもはもと動くその口は、本当に僕の体から黄泉の力を吸い出しているのだろうか。


 僕はその様子を無言で眺めた。細い髪の毛。小さな手。こんなに小柄でか弱そうな少女が一人旅をして大丈夫なのだろうか。いや、スズは髪の毛で僕の体を持ち上げられるほど、強くて頑丈だ。僕より強いかもしれない。それでも心配してしまうのは、僕が彼女と共に行きたいから……。彼女には僕が必要だと思い込みたいのだ。


「おしまい!」


 しばらくして、スズの髪の毛が僕の手から離れた。


「早く帰らなきゃ。夜が明けちゃう」


 そう言ってスズが見た東の空はまだ暗い。しかし、目に見えなくても着実に夜明けが近づいているのは間違いない。


 先を急ごうと、スズの手が離れる。その手を今度は僕からつかんだ。


「ロロ?」


 再びこちらを向いたスズの手を引いて、自分の腕の中に閉じ込めた。こんなことをしても、別れがよりいっそうつらくなるだけだ。そうわかっていても、やめられなかった。


「よしよし、あたしがいなくなったら寂しいもんね」


 スズはこの抱擁(ほうよう)が僕自身のためのものであると理解しているようだ。


「……うん」


 絞り出すようにうなずくと、スズの手が僕の背をやさしく叩いてくれた。励ますように、慰めるように。


「ロロ、あたしと一緒に来るかい?」


 それは予想外な問いかけだった。しかし、僕が心の底で願っていた提案。


「……え?」


 僕は驚きのあまり聞き返すことしかできなかった。腕を緩めて、見下ろしたスズの顔はこちらを向いてない。彼女の気に障ることをしてしまったかもしれないと、僕は慌てて姿勢を正した。スズは言葉を探すように眉間にしわを寄せている。


「残酷な言い方ではあるけど、口寄(くちよ)せはやっぱり一ヶ所にとどまらないべきだよ」


 そして、ゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。


「とどまるにしても、場所を選ぶべき。この村は、町から遠くて、閉鎖的で、……口寄せが暮らすには向いてないと思う」


 彼女が僕を傷つけないように言葉を選んでいるのがわかる。


「キミが嫌じゃなければ、もっと適した場所に連れて行ってあげるよ。キミが何を呼び寄せても、すぐに対処できる場所に」


「ありがとう」


 感謝の言葉を言いながら、僕は自分の中の勇気を総動員した。


「僕は、君と一緒に行きたい」


 少し震えた声で、自分の望みを口にした。


「決まりだね」


 スズは見慣れたいたずらっぽい笑みを浮かべている。


「そうと決まればダッシュだよ。別れのあいさつとか必要だったら、急いでやっといで!」


 スズは言い終わる前に駆け出していた。何のためらいもない様子で。


「そうだね。兄さまの家には手紙を入れておかないと」


 それを追いかけながら、僕は頭の中で手紙の文面を考えた。村を離れる願望はあったが、その運命を目の前にすると、やはり少し寂しい。


 ――一郎兄さまへ。僕はこの村を出ます。腰林(こしばやし)と山小屋は好きに使ってください。六郎。


 これで良いだろうか。理由などを添えるべきだろうか。

 理由……。僕の口寄せ体質のことは書かない方がいいかもしれない。ただそれを避けて、スズと一緒に行きたいからと書けば、どんな邪推をされるかわからない。


「……ふっ」


 女の子と旅をしたいから村を出る、なんて言ったら兄さまは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするだろう。僕はそれを想像して笑ってしまった。やはり、理由は書かず、短く簡潔にまとめた方が良さそうだ。


「なに一人で楽しくなってんの?」


 僕の笑い声に耳ざとく気づいてスズが振り返る。


「この村を出たら、どこに向かう予定?」


 僕はそれに答えず、質問を返した。


出雲(いずも)だよ、出雲。『大社参り』ってことにすれば、君の旅券を取りやすいでしょ。それに神在月(かみありつき)(十月)前には出雲に戻らないといけないし。少し寄り道はすると思うけど」


 スズは今後の段取りや予定をすでにいろいろ考えているらしい。


「……楽しみ」


 僕は素直に沸き起こる感情を言葉にした。


「でも、本当にいいの?」


 喜びと不安を。


「大丈夫! キミが一緒に来るかもしれないってことは、だいぶ前から分かってたしね」


「え?」


 困惑する僕の目の前で、スズはニンマリ笑った。


「口寄せの人は、魂の本質が『寂しがりやさん』なんだもん! だから、いろんなものを呼び寄せちゃうんだよ」


「は……? はぁ?」


 僕が、寂しがりや? スズの言葉を理解した瞬間、僕は急に恥ずかしくなった。心の底の弱い部分を見透かされたような気がして。いや、彼女は僕が口寄せ体質であると知った時から、理解していたのだろう。それなのに、僕は内心を知られたくなくてずっと不機嫌な顔をして、ぶっきらぼうに接して――。


 ――穴があったら入りたい。


「顔真っ赤っかだよ」


 スズがからかうように笑っている。


「なんでこの暗闇で顔色がわかるんだよ」


 僕は怒った声を出したが、ダメだ。全部スズにバレているような気がする。


「ほら、そんな顔しないの! 笑顔笑顔!!」


 スズが鼻の穴を膨らませて変顔をしている。


「ぶふっ……。それ卑怯だろ!」


 僕は吹き出しながらスズを捕まえようと手を伸ばした。スズはすばやく髪の毛を頭上の枝に巻き付けて、空中に逃げてしまったが。彼女の髪の毛にはそういう使い方もあるらしい。


「卑怯じゃないもーん。あたしの使命は口寄せ少年の孤独な魂をマシな状態にしてあげることなのです」


 空中に倒立したスズの右手人差し指が、真っすぐ僕を指さした。


「できるもんならやってみやがれ!」


 スズの芝居がかった言動に、僕も悪役を演じることで応える。そうすることで生まれ育った村を離れる感傷もまぎらわせるだろう。


「うん、いい感じ」


 僕の態度はスズのお眼鏡にかなったようだ。満足そうな言葉とともに地上に帰ってきたスズは、再び歩きはじめた。今度は僕の隣を。


「これから、いっぱい楽しい思いをさせてあげるよ。寂しさなんて忘れちゃうくらいに! そうしたら、口寄せの力も消えるだろうから。普通の人間に戻れるよ。いや、普通よりも幸せな人間かもね!」


 スズの明るい横顔。


「…………。できるもんなら……、やってみやがれ」


 感謝の言葉を述べるのが恥ずかしくて、僕は先ほどのセリフを繰り返した。


「それは減点!」


「何の採点だよ」


 これが呪われちゃってる口寄せの僕と呪われちゃってる悪食(あくじき)少女スズの出会い。


「君の口寄せ体質脱出ポイントだよ。すなおーに、かわいーく生きなきゃ」


 どうやら、僕の力は悪いものを引き寄せるだけではないらしい。スズとの出会いも、この不幸な呪いのおかげ。そう考えるとこの先の未来がさらに楽しみになってくる。

 たくさんの仲間と、冒険と、不思議な出来事が僕の周りに集まってくるだろう。もしかすると、危険な目に合うこともあるかもしれない。それでも、スズや仲間たちがいれば絶対に何とかなる。僕が希望と幸運を引き寄せる。


「良いものだけを引き寄せる口寄せ能力ってあるかな?」


「そんな便利な能力あるかなぁ?」


「スズの能力だって便利すぎるほど便利だろ」


「それは確かに」


 僕たちは山道を並んで歩きながら雑談する。


「……それならあるかもね」


「良い目標ができたな」


 スズの笑顔に僕もにんまりと笑い返した。

 僕たちの怪異譚(かいいたん)は、続いていく。

「短い小説大賞」用に短編におさめないといけなかったので、1ページに4万字を詰め込んでしまいました! 読みにくかったらゴメンネ!!


「短い小説大賞」の選考期間が終わって準備が整ったら、続きも書いていこうと思います。


スズの大きなお口でばくりとされるのが大好きなヘンタイおじさんにドン引きするロロや、

スズガチ恋勢の陰陽師兄さんと火花をバチバチ散らすロロや、

人魚の肉を食べて不老不死になった色っぽいお姉さんにかわいがられるロロが出てきます。


派手なバトルはあまりせず、キャラ同士のギャグっぽい様子を交えつつ、民話や怪談にも近いようなお話を書きたいです。


続き書く用連載版のURLはこちら。ブクマしてもらえると、喜びます。

 ↓↓

https://ncode.syosetu.com/n8036ia/

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