せんりつ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
機械が生身に勝る要素には、何があると思う?
人によって答えは様々だろうけれど、僕はその再現性にあると考えている。
人間がハンドメイドで物を作る時、たとえ同じものを作ろうとしても、出来に差ができてしまう。
中には気分、モチベーションが大きくかかわるものもある。興が乗るなら、思わぬ傑作が生まれるかもしれないし、いわゆる魂のこもらないものなら、あらゆる駄作にすら劣るシロモノができるかもしれない。
その点、機械には気持ちがない。ここではいい方の意味でね。
気温その他の外部要素に影響を受けるのは、人間の職人と同じ。けれど、気分の上下がない彼らは、きっちり動きさえすれば水準をクリアしてくれる。
人なら、ややもするとうっかりトチリそうな、長さ、大きさ、タイミングその他……それらを寸分の狂いなく、再現しうる。
これが持つポテンシャルは、ときに恐ろしいものを呼び起こすことがあるかもしれない。
少し前の話なんだけど、耳に入れてみないかい?
祖父は、オルゴールの収集と製作を趣味としていたという。
亡くなられた際の遺言に従い、それらのオルゴールたちはもろもろの処分がなされ、何台かは血縁者の手に渡ることになった。
祖父作のオルゴールはいまも残されている。自分たちが暮らす一軒家の中ではなく、ほど近くのアパートの一室に専用の保管部屋が用意されているのだとか。
ほぼトランクルーム、セルフストレージといったあんばいだ。部屋の代金などは、祖父の遺産でまかなわれている。
そのアパートの持ち主も祖父の知人とのことで、祖父本人の意向にそったものであるらしかった。
祖父はオルゴール好きであるのみならず、アマチュアの作曲家でもあったらしい。
遺され、保管されているシリンダーオルゴールは、いずれも祖父のオリジナルの音楽。譜面はあるものの、祖父は他者もみずからも、それをじかに演奏することを望まず。
もっぱらマシンによるもので行うことを願ったそうだ。いわく、「マンパワーによるブレが許しがたくなってしまうから」と。
テープなどに録音したものも、好まなかったらしい。「生演奏で空気を振るわせてこそ、音楽たりえる」とも。
そのこだわりによって、白羽の矢を立てられたのがオルゴールであり、祖父は当初は職人の手を借り、晩年には手ずから作製に打ち込むようになったらしいのさ。
その祖父の遺言に、ひとつ頼みごとがある。
それはオルゴールを保管している一室に、月に一度出向いて、オルゴールを奏でてほしいとのことだった。
各々のオルゴールは、本体をケースの中に入れたままゼンマイ部分のみ外へ露出させていて、そこに手を入れれば回せるようになっている。
僕自身も小さいころに、「いざとなったら頼むことになるから」と、親に連れられて件の一室を訪れたよ。
とある工場の倉庫の裏手。少し陽が傾くとたちまち多くの部屋が、影の中へ沈んでしまう立地だ。あまり長居はしたくなく、できれば午前中に用を済ませたいと、つねづね思っていたよ。
僕と住民がブッキングすることは、ずっとなかった。
ときおり、閉め切ったドアの向こうに気配を感じることはあるが、積極的に見知らぬ人の部屋をノックしたり、チャイムを鳴らしたりはしないだろう。
僕はオルゴールのある部屋の隣人の顔も知らないまま、忙しくなっていく両親に代わって、月イチのオルゴール役を仰せつかることが増えていったんだ。
正直、僕は音楽に関するセンスはあまりないと自覚している。演奏するのも、鑑賞するのもだ。祖父の曲のよしあしを、僕の口から語るのはおこがましいだろう。
ただ、祖父の曲はときおり、極端に伸ばす音を入れる箇所がある。
オルゴールで奏でるにあたり、これを実現するため同じ音程を、素早く何度も鳴らす攻勢をとっている。マンドリンによるトレモロ奏法というらしいけど、僕が知っているのは名前くらいのもの。
30分近い演奏曲の後半になるにつれ、この伸ばす箇所は増える。
門外漢としては、締めに近づくなら逆に畳みかけるような音色でもいいはず。それがどうしてこうも、間延びする構成をとっているのだろう。
疲れているときのお役目だと、眠気さえ誘われる。オルゴールのための部屋だけに、人用の家具は運び込まれていない。ふとん一枚すらも。
演奏が終わったら、速やかに部屋を去るように言われている。へたに横になると、一時間や二時間、簡単に熟睡してしまいそうだ。
――完全に横になるとまずいな。
ほんの軽い気持ちで、僕は背中を壁に預けながらうとうとし始めて。
うつら、と一度、首がうつむいたところで。
背中を突き飛ばされた。いや、厳密には突き飛ばされるかと思う、音がした。
背後は壁。そこには足はおろか、半紙一枚はさまるスキもない。衝撃のでどころは、壁の向こう。
またひとつ、壁が揺らされた。本当に背中をはじき出され、そのまま畳にころけてしまうほど。
これまで壁ドンをされた経験は、何度かある。オルゴールがうるさいのかもしれないが、こちらにとっては故人の遺言。30分程度だし、我慢してもらおうと思っていた。
いまは曲の終わり5分前。例の伸ばす音がいよいよ密度を増すときだが、僕は気づく。
この壁叩き、音が伸びている間だけ来る。
それこそ最初は、壁ドン。次は壁ダンダン。更にその次、壁ズダダ。
回数を経るごと、音と音との間隔が短くなっていく。それこそオルゴールの歯のごとくだ。
すっかりおっかなびっくりの僕は、ラスト1分にはもう部屋の中央へ退避していたよ。こうして気配を広く見ると、自分が背を着けた側だけでなく、反対側の壁もまた揺れていた。
――これ、音が止んだら部屋に乗り込まれやしないか?
想像しながら肝を冷やす僕は、今すぐ逃げ出す選択をとれなかった。
演奏が終われば速やかに去れ、とは言われたけれど、演奏の間はずっと部屋にいろとも言われていたからだ。
そして、最後の伸ばす音。
たっぷり20秒ほどの間で、最初の10秒は壁も砕けよとばかりの連打。それが秒を追うごとにどんどん、どんどん弱まっていく。
落ち着きを取り戻してきていた僕は、その様子にうっすらとイメージが湧いてくる。
これは助けを求める音なんじゃないか、と。
この伸ばす音のときだけ、壁の向こうの誰かは暴れる。この紡がれる長音を模した連打音。その間、ひょっとしたら壁の向こうでは耐え難いことが起きているのではないか、と。
そう考えをめぐらせた、曲の終わり3秒前。
これまでの衝突とは違う、引っかくような音。それと共に、僕が背を着けていた側の壁紙へ、右上から左下。
袈裟懸けに浮かぶ、ミミズばれのような隆起。壁紙がヨレたなどとは、考えられないだろう。
なぜなら、その「腫れ」の中ほどは、本来の紙が持つべき白でなく、黒色に染まっていたのだから。
――穴!
演奏が終わる直前、僕は飛びつくように隣室をのぞき込んだ。
明かりはついておらず、カーテンも閉めているけど、完全じゃない。
差し入ってくるひと筋の光にさらされる畳には、墨汁のような黒い跳ねが飛び散っている。なのに、音を立てていただろう張本人らしき姿はない。
代わりに、墨汁にくわえて見えるのは、部屋中を覆う無数の切り傷。
大型の刃物を、乱暴に振り回したかのよう。床といわず、角といわず、天井といわず、長短浅深の溝たちが、思い思いに口を開けていたんだ。
そして音が、途切れる直前。
光の入る畳の一部が、おのずと裂けた。同時に、僕ののぞく壁全体も大いに揺れたんだ。
それを見て、僕はひとつ思いつく。
祖父の曲が成す長音。あれは、旋律によってのみ生まれる刃。それが振るわれるのに必要なのだと。
この部屋にいる、姿の見えない何者かを刻んでやるために。
すでに僕も実家を出て久しい。役目は弟が継いでいるんじゃないだろうか。
やぶ蛇になりそうだから、あの日に見たことは家族には話していない。でもオルゴールが鳴らされないときがきたら、何が起こるだろうね。