2-8 偽りの国へ
白い国 2-8 偽りの国へ
「さあ、着いた。陛下のご尊顔を拝もうとしようか。」
ローレンスは手前にいたテレスを押し出すと、馬車の外へと出る。
押し出されたテレスは玄関を前の目に倒れそうになる。しかしどうにか顔面から地面に挨拶する事は避けられたらしい。
それでも迎えに出てきた執事の左の眼窩にはめ込む片眼鏡からは侮蔑的な鋭い視線が飛ぶ。
加えて四つん這いになったテレスを見て公邸の侍女達はクスクスと笑いの的になっている。
この光景を見たローレンスは
「おや、テレス君はいつまでそんな赤ん坊みたいな姿勢を取る気かな?あまり、周囲の視線を道化師みたいに集めるのは私の助手に相応しくないのだけれど?」
そう言って起き上がるように手を貸すが、そもそもこんな姿勢になって、注目を集める事となったのはローレンスのせいなのだ。それを何も悪くないかの様に振る舞う、この性根がテレスにはやはり気に食わない。
「ちょっと!先生が押したんじゃ‥」
テレスが文句の一つも言ってやろうと起き上がると、すぐにローレンスの目線は玄関正面に待つ執事に移っていた。
こう言った事は何も今回が初めてではない。テレスはローレンスが怨み言を聞く耳など持ち合わせていないことをこういう状況になると嫌というほど思い出される。
故にテレス自身もそういった事があっても数えるのは現在のところは、とりあえずやめている。(以前は回数と時刻を正確に記録し、裁判に持ち込もうと画策するほどにローレンスをどうやって懲らしめてやろうかと満腔の憎しみをたぎらせている時もあったが‥)
「あっ!これは執事のエーリッヒ殿!これはお出迎えありがとうございます。」
「いえいえ。そのようなお気遣いの言葉を頂きこちらこそありがとうございます。ローレンス様。ドルフ様は?」
「もちろん教授もいらっしゃりますよ。」
「それはよかった。外はだいぶ騒がしいようですが。」
「ええ。お陰でこちらに来てしまいましたが、どうやらローレンス君の情報は正しかったらしい。」
ローデシア・ロックウェルの直属の上級執事であるエーリッヒの姿を見て確信したドルフ教授は、杖を片手に馬車を降りて玄関口に歩みを進める。
「ドルフ様。お忙しい中ご足労頂き感謝申し上げます。どうぞ、陛下がお待ちです。」
ドルフ教授を先頭に案内された公邸は左右の階段で挟むように鎮座する大きな花瓶に、豪華な生花が飾られている。
建物自体は、レンブランドの上流階級では一般的なモダン建築だが、所々に王家の家紋、「鷲が剣と王笏を持つ」レンブランド国民なら誰しもが一度は目にする家紋が見受けられる。
手摺に施された紋様、絨毯の刺繍など王家の繋がりを示す物が視線に入る。
バトラーのエーリッヒに案内された部屋は、おそらく王家専用の執務室だ。
そこには、窓から外の景色を眺めては、足の裏を踏み鳴らす。その光景はそんなに頻繁に床を踏み鳴らしていては床が抜けるのではないかと思えるほどだ。そんなあからさまに機嫌を損ねたこの国の王、ローデシア・ロックウェルの後ろ姿があった。
「国王、ドルフ教授、並びにローレンス教授そのお付きの方が到着致しました。」
名前も聞かれないでエーリッヒに、そのお付きの方で紹介されたテレスは内心ムッとしないワケはない。しかし、自分の立場上仕方ないと、腹の虫の収めどころを探る。
そんなテレスの心持ちを知る由も、興味も一切ないローレンスは、親しげな友に会うかの様に後ろ姿の国王に話しかける。
「これはロックウェル国王!お元気でしたか?」
その言葉に足の裏を鳴らす仕草をパタリとやめたかと思うと、振り向いたロックウェル国王は目を見開いて快哉を叫ぶ。
「おお!クリストファー!我が友クリストファーじゃないか!会えて嬉しいぞ!よくここだと見当がついたな。宮殿前の状態を見てか?」
ロックウェル国王は40歳にして即位10周年を迎える王で、周辺国のリーダーとしてはかなり若い部類に入る。整えた口髭を長く伸ばし、ターコイズブルーの瞳に金色の髪、スッと通った鼻筋。すらりと高い背丈はこの国の象徴的な国王の姿と言って良いだろう。
「ええ、その通りでございます。兎角、陛下がご無事そうで何よりです。」
「ああ、ありがとう。とりあえずはな。」
互いに抱擁を交わすと、次にロックウェル国王は招いた客人であるドルフ教授に目をやる。
「これはドルフ教授。電報を受け取り来てくださったのだな。感謝する。早速こちらに座って話そう。」
ロックウェル国王は執務室隣にある応接間に三人を通す。
「さて、話は大体説明せずとも分かっているのかな?」
応接間の豪華な金の装飾を施したソファに腰を据えて話を始めるロックウェル国王。
すかさず執事が飲み物を給仕すると、それを一口含むドルフ教授に対して、ローレンスは矢継ぎ早に、話を始める。
「ええ。今回の任務は私めにお任せください。必ずや、陛下のお望み通りに。」
「それは頼もしい限りだ。」
「いえ!陛下のお気持ちを理解しようともせず、無知!無能!無価値!を惜しげもなく曝け出す大衆に正義の鉄槌を下す所存であります。また、陛下がお望みとあらば、宮殿前の愚民共を血祭りに上げることも厭わない覚悟でございます。」
その言葉に心からの笑みを浮かべて感謝するロックウェル国王とローレンスは、気持ちは常に通じ合っている仲なのだろうと、テレスは推察していた。
まあ、およそ国民を血祭りにあげると言ってる人間を笑顔で受け入れる国王というのはどうなのだろうか?正直言ってその態度で、その性根の悪さがこのローレンスという人物と共通していることは否めない。
何よりこのローレンスと仲が良い人など、ろくでなしか、変人か、傾国の王に違いないだろう。
「その言葉!我はその言葉を待っておったのだ!我の側近や大臣、宰相までもが弱腰で貧弱な政策しか弄する事が出来ぬ。その批判を我が全て受けているにも関わらずにだ!その苦しみを分かる者はクリストファー、君を除いて他はいない!」
「陛下!何と有り難きお言葉。私クリストファー・ローレンス。このレンブランド王国、いやローデシア・ロックウェル国王の為、粉骨砕身、忠義を尽くす所存です!」
「よろしい!さすが我が友。頼むぞ!」
「陛下、お話のところ恐縮ですが、陛下が署名なされたと言うことはこの作戦内容は全て承認なされたということでよろしいのですね?」
二口つけた紅茶のカップをソーサーに置くと、ドルフ教授はロックウェル国王の視線がこちらに向くのを待つ。