2-4 偽りの国へ
白い国 2-4 偽りの国へ
「しかしだな、ここ数年は戦争もあって論文どころではなかったろ?愛国者である私が論文にかまけて国の存亡をかけた戦いから目を背けるなどあってはならないからね。」
いつものペースが出て来たローレンスはどうやって詭弁を弄しようかと、そのずば抜けた頭脳をフル回転させては、ティースプーンをグルグルと回していた。
「先生。冷静に考えてください。先生はなーんにも功績を残していません。対して文学部の国文学科は何人もの官僚を輩出、加えて名高い文学賞を受賞する学生もいるほどです。加えて怠惰な講義に、休講も多い。前年度後期の開講日数を知ってますか?15回中3回しか先生は登壇してないんですよ!それでクビにならずに研究費減らされるくらいなら温情采配にも程があると思いますけどね!」
耳が痛いローレンスは縮こまってより意固地になっている。
「そんなこと私の知るところではないね!学生が何残したかなんて教授の実力じゃない!そんなの評価に値しないね!」
「先生。大学は優秀な学生を求めてます。優秀な実績を残す学生をです。先生はその学生を指導するのが仕事なんです。ただ休憩室で一人チェスをやったり、ジグソーパズルを組み立てるのは仕事ではないんです!論文書くか!講義をやって優秀な学生を輩出するか!そのどちらなんですよ!」
テレスの咆哮に目を丸くしたローレンスはようやく物事を客観的に考える回路を働かせる。
5分ほど唸りながら、思考を巡らせると結論が出たようだ。
「わかりました。今回は諦めます。ドルフ教授、ご迷惑をおかけしました。教授、学生時代を含めて大変お世話になりました。私は責任を取って‥」
急転直下の態度の変貌ぶりには悍ましさすら感じる。しかしその言葉の続きを言われると大変迷惑を被る。と直感で判断したテレスはローレンスを羽交い締めにして一旦研究室の外へと連れ出すと、扉をピシャリと閉める。
「うぉ!なな、に?」
「ちょっと!何?じゃないでしょ!何いきなり言おうしてるんですか!」
「いやぁ。だってもう論文とか書きたくないし。学生を教えるのとかダルいし。そろそろ後進に道を譲ろうかと。」
「いや、先生まだ35歳でしょ!譲るの早すぎ!道を譲る前に道がまだ出来てないですよ!まだ草ボウボウの野原状態ですよ!せめて草刈って、石を敷く!それぐらいしてください!」
「いやぁ、ぶっちゃけ道路って舗装しなくてもいいでしょ?最近石畳みとかって言って舗装してるけど、無駄金だと思うし。まあそろそろ親の遺産で隠居生活しようかと。」
内心羨ましいほどのブルジョワ気質だとはテレス自身も感じていたが、この発言でやはりこのローレンスという男は性根が腐っている。そう確信した。
「先生考え直してください!正直言って、今辞められてもみんな困ります!私も困りますし、ドルフ教授のメンツも丸潰れです!ここは一年、いやあと3年は頑張りましょう!(あと三年あれば、大学院まで卒業し、博士号が取れて晴れて助教や准教授の道が開けるのだ。そうすればこの碌でなしの、穀潰しの教えを請わなくて済むのだ。)」
「ねぇ、それって君の都合でしょ?」
こういう観察眼や考察力はローレンスの比類なき才能だ。内心テレスの舌打ちが表に出てないことを祈る。
「チッ!」
「あ!今舌打ちしたよね?え?それってどうなの?君助手だよね?いいの?こっちはクビにだってできるんだからね?」
「あーあ。さっき言いましたよね?労働組合入ったって。そんなん不当解雇で裁判ですよ。いいんですか?うちの法学部出身者のほとんどが法曹に入る連中ばかりです。無論私も順調に行けばそのレールに乗る言っちゃ悪いけどエリートでした。負ける気なんて更々ありませんけど?」
法律の知識に関しては確かなテレスに言われると専門分野でないローレンスには分が悪い。単なる口喧嘩やソフィスト(詭弁屋)としての戦いならば百戦錬磨を誇るローレンスには自信があったが、法廷となると話は別だ。
あの自らの学門に近しい者の考えしか聞かない裁判官と、悪意しかない弁護士達と一戦を交えるのは、後で恨みを買うので控えていたのだ。
(ちなみにローレンス自身、過去の離婚裁判において相手弁護士を個人批判したせいで逆訴訟を提起させられた経歴を持つ。)
何かと因縁が多い裁判所は出来れば近寄りたくない場所であり、このテレスを助手にしたのも、あわよくば子飼いの個人弁護士を手に入れられるとの算段もあったのだ。その算段はテレスの転学によって呆気なく崩れたが。
「うむむ、仕方ない。君の案に乗ろう。」
「よかった。流石です、先生。判断力だけは優秀だと昔から思っていたので、その判断力が鈍っていなくてよかったです。」
チクチクと刺さる言葉を向けるテレスだが、これが普段なら立場は逆だ。これはほんの少しだけの仕返しタイムであり、余談に過ぎない。
ドルフ教授の待つ研究室への扉を再び開けると、
待ちかねたドルフ教授が本を片手に紅茶を嗜んでいた。