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6-7 錯綜する都 追想編 



白い国 6-7 錯綜する都 追想編 


 その言葉は男の意識を明確にさせるには十分過ぎるほどの言葉だった。


 男が死ねば、女はこの家では用済みなのだ。


 だから無事で良かった。


 私の人生の安泰が、無事で、それは良かった。


 女もまた下賤の類いだったのだから理解できる。その階層からこの生活をする事は到底不可能であり、女であるこいつが、今の世の中で自力でこの様な生活は決して出来得るものではなかったのだ。


 この男の母親として居られるうちはこの生活が出来る。それだけがこの女の人生の生きる意味であり喜びなのだ。


 だからそれが万が一にでも死ぬ事になって、生活が脅かされるのを心配して「それは良かった。」と言った。


 或いは、施しに対してした愚かな、まさに愚行に対して、凄まじい暴力による「死」が与えられた事態が因果応報であるとでも言いたかったのかもしれない。


 いずれにせよ男はその場に留まってはいられなかったのだ。本に読んだ理想や思想にはその様な言葉を発する事は下賤のする事であると、認識していたからだ。


 そうして歩いていた庭園では飼い猫が前を横切った。


 いつか読んだ御伽噺に、うさぎが不思議の国へと誘うというストーリーの御伽噺があったことを思い出す。


 男はこれでもまだ何かを信じたかった。


 横切った飼い猫の後を追いかけて小走りになる。庭園の端の方へと来ると、敷地を区切る高い生垣がそびえている。本来なら生垣の下をくぐり、森へと入っては、不思議の国の扉を開く所であろう。


 しかしその前には、幻想や夢、希望や喜びはなく。


 非常なまでの現実だった。


 飼い猫が必死になって追いかけていたのは、鼠だった。


 その飼い猫の口に咥えられた1匹の鼠はだらんとして既に息絶えていた。


 猫には十分な餌が与えられ、およそ浮浪者達よりも素晴らしい寝床が用意されていたにも関わらずにだ。


 その鼠を食べるわけでもなく、腹が空いたわけでもないのだ。


 本能のまま、狩る側として、狩られる側を狩ったのだ。それは何も、およそ高尚な意味など皆無であり、本能だからだとしか表現しようがない事なのだ。


 動く物を捕らえて齧り付いた。そしたらその物は死んだ。ただそれだけだ。


 飼い猫は何か主人に貢物を持たせるかのように、目の前に鼠の死骸を置く。


 男はその息絶えた鼠を手に取り、その様子をまじまじと見つめた。


 その鼠は罪を犯したのだろうか?あったとしても、多少の食糧を頂いては、飼い猫の安眠を邪魔した。おそらくそんな程度だろう。


 つまりあの時の少年のように、つまらない貴族の自分を突き飛ばして、生きる為にお金を奪った事と同じ。


 だからこんな目にあったのか?


 ならばしょうがないのだろうか?


 この鼠はおそらく生きたかっただけなのだ。


 あの少年もそうだ。


 生きたかったのだ。


 私を突き飛ばして、財布を奪ってでも、誰も助けることのないこの世界を恨みながらも、

生きていたかっただけなのだと。


 だがあの時の自分があの少年に憐憫の情とも言われる感情を一瞬持ち得た為に、あの少年は死んだ。


 この世界はどうしようもなく残酷だ。


 それを確信した男はこの時から何かが変わった。


 そうして男は周囲の期待を背負って成人し、一アルバース国民としてこの国の繁栄の為に尽力を尽くすこととなる。スパイだ。諜報員として活躍した男は数々の任務でもあの時の様な憐憫の情を抱くことは無かった。


 そしてこの世の真実を知る事となる。


 そして世界を変える必要を感じ、ある結論に至る。


 それは支配すること、畢竟それは力であり、恐怖だ。


 それを一番に理解するこの男は、残酷だが、力とは恐怖とは何であるかを一番知っていた。


 命を奪う力。


 富を生み出す力。


 世界を見通す力。


 そして


 見えない恐怖。


 未知への恐怖。


 死への恐怖。


 これらを組み合わせた男の世界を統べる戦略は既に始まっていた。国同士を戦わせ、一方に融資を、一方には武器を。そして折を見て、勝敗を決める。


 そうして一つの国は既に瀕死状態になっている。


 もう片方も時期に積み重なる債務に再び我々に泣きつくだろう。


 そうなれば、我々の言いなり。


 あとは邪魔な新興国家を潰すだけ。


 これはプレリュード(前奏曲)であり、レクイエム(鎮魂歌)だ。


 男は、黒煙の上がる街を見て歩き出す。


 シルクハットで目線を隠しては、そのステッキは一定のリズムを刻んでいた。そうしてその黒煙の元へと一歩。また一歩近づいていく。


 すれ違う群衆の悲鳴、嘆き、悲しみ。


 それは男にとっては取るに足らない事だった。むしろこの事態を引き起こした張本人であった男はこの犠牲は必要なもので、完璧な世界へ向かう過程に生まれた滓の様に思えた。


 滓であってもそれは非常に有用な滓だ。普段息をしていては地球上において有害でしかない生物。およそ選ばれ得ようもなかったもの(物)達。それがこの奇跡の様な世界へのプレリュードに、参加出来たことはこの上ない喜びであったであろう。


 群衆の騒めきの中、一人の青年が道端に倒れている姿を見つけた。


 男は近づくと、一言、二言この青年に感謝の意を述べる。


 意識もはっきりとしないこの青年の左腕に着けられていた腕時計をサラリと外して、自らの衣嚢へと滑り込ませる。


 そうして男は元いた場所へと帰っていく。


 世界は変わる。


 この残酷な世界は、理想的な世界、醜さなど一切ない極致へと昇華し、奇跡の世界へと生まれ変わる。



 男はそう確信していた。








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感想もお待ちしております。 (*- -)(*_ _)ペコリ


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