5-8 どこにもいない、誰でもない
白い国 5-8 どこにもいない、誰でもない
そう言って水筒を返却する女は外見だけならそう悪くはない。というかはっきり言ってスタイルもいい。以前会った時は軍服であったため、そこからの想像ではあるが、押さえ切れていない女性らしい丸い膨らみと腕まくりした腕には、細いが確かな上質な筋肉も兼ね備えていた。
改めて見るとやはり、政治家の娘とあってか、人気取りには不可欠な、その顔立ちも整っている。僅かに肩にかかる金色の髪、紺碧の吸い込まれるような双眸。
そのどれもとっても、一級品。紛れもなく美人の類いに分類される。その存在感だけ見れば、見るものを魅了する。そういう路線を極めて、惜しげもなくその恵まれた体躯を生かせば、簡単に情報を取ってくる。そんな優秀なスパイになれる素質はあるのかもしれない。
しかしその性格と言動は女性なら気品を持ってお淑やか。などという概念を根本から否定しそうな輩。と称すべき人物だ。
故にファイブスは初めて出会った時から正直好かない。
歳は3つしか変わらないのに上から目線の態度。しかし階級も上、親も政治家で身分も上で、加えて金持ちである。唯一勝てる要素としては、彼女は高校を卒業した段階で、軍の幹部養成学校に入学しており、学歴では勝っている。ということくらいだが、それもこれもどれも含めても、やはりこの女は好かないのだ。
女という者は然るに、第一に男を立てて、男の出世を支援する者である。
そして家庭を守り、子供を育てる。自分の母も、祖母もそうやってきて、今日の家がある。
本来ならディビィティアという新しい国ではブロード(欧州)などの古典的な固定観念は捨て去るべきだが、彼女の存在がその固定観念を堅持すべきと思わせるのである。
何故なら彼女は、自分に様々な悪影響をもたらしては、任務遂行を阻むのだろうと確信していたからだ。
「そ、そうでしたか。それはよかった。ではしばらくの列車旅を満喫してください。私は定時連絡をしてきます。何かあればこいつを盾に使って身を守ってください。じゃあ、ごゆっくり。」
そう言ってファイブスの肩を叩くと、ドックは小さなハンドサインで無言の指示をする。
そうして鞄を持って列車のデッキへと向かう。
この指示はつまり、「要人警護しつつ、周囲の警戒を怠るな。」ということだ。
要人とはもちろん目の前の彼女だ。
同じ軍人で、同じ任務を任されているはずが、結局彼女はお客様なのだ。
「ええと、ヴォルター・ヴルフ少尉?それともバズ・グレンブリー君って呼ぶべきなのかな?」
唐突に自分の名前を読ばれたファイブスは困惑し、明らかに今までとは違う次元で彼女を注視する。
「どうしてその名を?機関の諜報員ファイルでも覗き見したんですか?」
「違うわよ。お父様がみんな調べて教えてくれるの。万が一の時は、娘の近くにいる男はみんな殺せるように。」
その顔には冗談めかしておきながら、話の本質を避けていると、ファイブスは感じていた。
「まぁ、いいですよ。あなたのことなら自分も知っています。ウォーレン・オルフェ議員のご息女、ノーススクエア海軍士官学校を卒業後、広報官として軍の広報誌の作成、活動の周知等の任務を経験された後、レンブランド、フレトリア戦争のおりには、終結後の海上の機雷掃海任務に従事なさったんですよね?アニ・オルフェ大尉。」
「ふーん。経歴は既に把握済みって言いたいんだ。まあこっちとしても、いつも、いつも有名人扱いされるのは慣れっこだけどね。で?それで私の事知ってるなんて本気で思ってる?」
先程までとは明らかに違う鋭い眼光に思わず慄いた(おののいた)青年がいた。その眼光は荒野の中で獲物を狙う肉食獣の目だった。彼女の中に獣を見た青年は彼女への認識を改める。それでもおよそ自分の3分の2程しかない体躯から発せられた、 その気迫に気おされたファイブスは自己を律する為に左太腿をぐっと握りしめる。
「いいえ。そんなことはないですよ。先程は無礼を申し上げました。お詫びします。」
青年は屈辱にも頭を下げざるを得なかった。それ程の威圧感だった。内心とは違う、形式的な謝辞を受ける様な性格には思えなかったが、それを素直に認めた彼女は、また普段の表情へと戻る。
「いえ、こちらこそ無礼を申し上げました。で、結局何て呼べばいいんです?」
「任務中はファイブス。つまりコードナンバーでお願いします。フォース。」
「ああ、それがそこのやり方なんだっけ?あなたの上司も本当の名前なんてないって話らしいしね。」
「ええ。私達は機関に入った時点で別の名前になり、別の人生を与えられます。そして死んでも残るのは従事した任務と、功績、偽りの過去と、仮初の名前での人生です。私達の過去を調べても機関が用意した、偽の経歴や写真が連綿と出てくるだけです。それがNIAのやり方ですから。」
「ふーん。過去のない人、名前のない人かぁ。つまらないし、人間味がないね。あだ名とかないの?」
「あだ名というか、愛称としてはビビと呼ばれたりしますが。」
「君の顔でビビ君か…微妙だね。どう見てもビビ顔じゃないんだよねー。やっぱりさぁ。うーん…君は…やっぱりファイブスでいいや。うん。そしたら私のあだ名も付けてよ!とびっきりカッコいいやつ!」
内心顔で名前が決まるのか?と訝しげでもあったし、彼女基準ではビビ顔という抽象的表現の中にも明確なイメージ像が存在する。というのも可笑しな話である。しかし、彼女にとっては、名前は重要なファクターらしく、軽妙さの中にも真剣さが窺える。しかしこの言動から得られた確かな情報が挙げられるとしたら、どうにも彼女のイメージするビビ顔には適合しなかった事。それは確かだ。
そんなファイブスにとっては取るに足らない呼称決めに、無論やる気が起きる訳は無く、唐突というか、直感というか、思いつき、いや、そのままを表現した、つまりありのままの彼女の呼称を提案する。
「そうですね‥そしたら‥グッドガール‥とか?」
直感や思いつきの割には満腔の皮肉を込めたことが露見しては不味い。と青年は咄嗟に目を逸らす。
「はっ?ふざけてる?」
一瞬にして鋭い眼光がぶつけられ、その鋭い眼光がファイブスの体躯に当たる度にチクチクと痛い。致し方無く、代替案を即興で考える。ものの数秒で一聞きすれば瀟洒な響きと意味合いをもつ呼称を脳内細胞を活発化させては、思考する。すると、ラテン語分野で、それらしい響きと意味合いをもった言葉を思い出す。
「申し訳ない。そしたらえっと‥ステラとかはいかがですか?」
その呼称の提案を聞くと、若干首を傾げたものの、その数秒後には両手をポンと叩く。
「うーん。ステラ、星とか惑星って意味かぁ。まあいいか!そしたら私はステラで行こう!フォースとか数字で呼ばれるの好きじゃないから、ステラで統一ね!」
「は、はい。」
「んで、ファイブス君は私の事みくびっていたでしょ?どうせ偉い所娘だから大したことないだろうってね?」
「いいや、そんなことはないですよ。」
それは本当の心内を言えば、半信半疑だ。先程の獣のような存在を秘めた目がプライドの高い青年にあの様な行動を取らせたのだから只者ではない事は確かなのだが。
「まー、軍での実戦がないからしゃーないかぁ。まっ!いざとなったら実力を見せてあげるから楽しみにしといてよ!」
政治家のご息女とは思えないほど大っぴらげで、ざっくばらんなしゃべり口は、むしろファイブスの方が気にしてしまって、戸惑うほどだ。故に周囲の目線に気を配っては、逐一警戒しながら会話を続ける。
「それならあまり期待したくないですね。―何せあなたが実戦をやる時は、切羽詰まった時でしょうから―」
「あれ?その口振りだと君達はもう既に計画された作戦があるみたいな話だね。」
その問いに対して青年は沈黙で答えると、
「そっ―どうせ私には聞かせてくれないんだろうとは思ってけどね―」
と彼女は少し拗ねた様に腕を組んで足を交差させ、青年とは違う車窓方向を向く。
沈黙でお茶を濁したファイブスは詰め寄られて情報を聞き出そうとしてこなかった事に安堵していた。そうしてそのまま少しばかりの無言という名の平穏が過ぎていく車内で、デッキに行った男が戻ると、真剣な面持ちで彼女とファイブスに小声で話しかける。
「紙を見てくれ。確認次第廃棄する。」
男がそう言って、彼女に紙を渡す。それを見た彼女は少し表情が歪んだかと思うと、その紙を数秒たらずでそのままファイブスに渡してくる。受け取った紙にはこう書いてあった。
「大使館爆破。敵の可能性。緊急行動必要。」
それを見たファイブスは、その文字の意味に驚く。そして男にその紙を戻すと、男はライターを取り出してその紙を燃やしていく。
そうやって黒く燃えた紙片は、灰となって車窓から飛んで行く。
知らされたその事実は既に大きな思惑が走り始めていた事、そうして、その影は既に喉元まで迫って来ていたという事実を、無常にも彼らに突きつけた。
第5章終わりです!!
果たして次はどうなるのか!
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よろしくお願いいたします。 (*- -)(*_ _)ペコリ




