5-7 どこにもいない、誰でもない
白い国 5-7 どこにもいない、誰でもない
「私はアニ・オルフェ。馴れ合いは嫌いです。上司に媚びるのも好きではありません。それでもよかったら仲良くしてください―」
「馴れ合いは嫌い」「媚びるのは好きじゃない」「仲良くしてください」そんな奇怪な挨拶をする軍人がいるだろうか?
否、普通ならいるはずもない。いやそれならば普通ではないからであろう。
それはこの国の歪みか、それとも燦然とした輝きか、その恩恵を受けた彼女は目の前にはっきりと存在している。
「大尉どうしてここへ?一足先に大使館におられた手筈では?」
驚きと同時に怪訝な表情を含ませたドックは目の前にいる彼女に質問する。
すると彼女は悪びれるどころか、あっけらかんとして、終いには青年の方を見遣っては、その紺碧色の双眸でじろじろと観察している。
「まあ、その、うちも人手不足でしょ?少佐だって任務があるのに、私は日がな一日を書類整理で過ごすだけ。それじゃ勿体ないじゃない。だからこうやってお二人を迎えに来てみた訳。」
余程大使館での作業が退屈だったのか、肩をすくめてはその光景を思い出すだけでも嫌になってしまうわ。とでも言いたげな表情と動作だ。
その明らかな任務に対する命令違反及び背信行為と、反省の色をみせず、かつ不遜な態度に、日ごろは自らの態度を諫められる事が多いファイブスであったが、こればかりは見逃せないと、語気を強めて進言する。
「あんた、それは理由になってないぞ?自分で言ってて、おかしいと思わないのか?加えて言うがな、相手は中佐だぞ?あんたは大尉だろうが。礼儀ってのがないのか?」
「え?それって任務に必要?それにそれを言うならあなたは少尉でしょ?私に礼儀を持って敬語を使うべきじゃない?違う?」
青年と彼女の間にある軋轢から、見えない摩擦、所謂「バチバチ」が起きていた。そうして目から放たれる火花がいずれ大きな爆発を起こさんとしている。
それを見かねた男がざっくばらんな口調と敬語混じりで仲裁に入る。
「まあ、まあ。確かに階級はあるけど、同じ隊の間なら敬称などは略していいし、普段はそう言った会話口調はしないのが決まりだからね。いいよ。しかし、大使館はこれでは大慌てでは?連絡は取られたんですか?」
「いいえ。でもそれも問題ないですよ。この列車は午前11時23分には到着予定ですし。大使館には今日は遅れて出勤することを伝えてありますし。」
作業服の袖で巧妙に隠した腕時計を見て確認する女の腕はやはり細く、およそ人殺しなどしたこともない、所謂未経験者だろう。この女は何も知らないヤツ。そう認識するとやはり青年の気持ちはどうにも抑え難いと、青年は代償行動に足を小刻みに揺らしていた。
「あんた勝手なことして任務がどうなってもいいのか?それに不要な接触は避ける前提だろうが。」
腕を組んでそっぽを向いて話すファイブスに対して、彼女は全く意に介さず、淡々と事実を述べる。
「あら?私はあくまで不要な接触は避ける予定だったんだけど、そちらが気づいたからこうなっただけでしょ?まあ、あなたは気づかずに麻酔を私に打とうとしたみたいだけど?」
一転してその言葉には、青年は返す言葉がない。正しい。この女が言うことはとても正しいのだ。それ故に青年は内心、はらわたが煮え繰り返る思いだった。その事実の提示に対してファイブスは容易には認めがたく、車窓から外を見ては、彼女とは目も合わせようとはしなかった。
しかしその怒りの矛先はこの女に対してもだが、多くは自分自身対してだった。悔しいがその変装の違和感に気づきながらも、最終的には麻酔で眠らせる安全策を取ろうとしたことは事実だ。
「瞬時の判断の誤りは死を招く。」機関で言われた言葉が脳裏をよぎり、唇をギィと噛み締めては悔しさが募る。
「で?大尉、私達をわざわざお迎えに来てくださったのだから、何も情報がないわけではないんですよね?」
男が女の話を元いた場所に戻す。すると女は変装を次第に解いていく。髪留めを外すと、頭の後ろに団子状に纏めていた金髪をサラリと放つ。
「ええ。取り急ぎ伝えた方がいい情報が一つ。現アルバース国王、エルンスト・リード国王が退位するかもしれない。表向きの理由は高齢と持病の悪化って事らしいわ。それで、ここからは内部からの情報だけど、どうも国王と馬の合わない首相のチャールズに対しての、一種の対抗策としての退位って情報もあるわ。こうなれば国内情勢が一気に動いて、秘宝の在処も判明するかも。」
「それはありがたい情報だ。敵対する者は常に敵の敵を探している筈ですからね。」
男が先程飲んだアルミ製の水筒を女に差し出すと、なんの躊躇もなく、グビリと飲んでいく。
青年にはおよそ受け入れ難い光景だ。
脳内で無数の細菌の受け渡しが行われた映像が補完されて見えてきて、体全体に虫唾が走る。
「ぷは、ありがとうございます。これ美味しいな!レモンスカッシュですか!」
「ああ。アルバースの売り子さんが一生懸命作ってくれたらしいからレシピはわからないですがね。何ならもう一つ分ありますがいかがです?」
「あ!頂きます!」
もう一つあるという事実に何よりも驚愕したのは青年だろう。青年が「あっ、」と言いかけてその女を止める前に女は勢いよくその水筒に口付ける。その瞬間に青年は思わず、女の口元に目が行く。水筒に吸い付く女の潤う唇に妙な感覚を覚えては、自らの体がかさつく口腔内との差異に何かしらの衝動を煽動しているように感じていた。
ようは内心ガッカリさせられたというより、最悪その味を想像しては口腔内を潤す錯覚を得られそうだったのに、雑念が入って集中出来なかった。という乾燥させられた気持ちの方が重篤だったという事なのかもしれない。
「いやあ!うまい!アルバースは紅茶かと思ってたけど、ここいらは紅茶よりもこう言うのが似合いますね!」
「それはよかった。で?大事な情報はそれだけですか?」
「え?それだけですよ?だって最重要機密事項ならこんなところじゃ話せないし。そもそも最初にお二人を迎えに来た。って言ったじゃないですか。」
その返答は当然と言えば当然だろう。しかしその返答に男が苦笑いを浮かべるのが精一杯であることからも心中を察する。
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