2-2 偽りの国へ
「ええっと、私はこの講義を担当するクリストファー・ローレンス。専門は歴史学。よろしく。早速だけど、君達は何でこの講義を取ったの?適当に誰か答えてくれる?」
男が挙手を募ると、大教室は静まり返る。
すると一番前の博学茂才を感じさせる金髪の青年が挙手し、萌葱色の双眸で男に対峙する。
「では、君。答えてくれ。」
「それはもちろん、聡明な人物は歴史を学び、その教訓を生かしてきたからです。ですから私もそれに倣ってこの講義を取りました。」
もっともらしく、また普通の教授なら喜びそうな発言に、男は眉一つ動かすことなく話を進める。
「そうかい、君は伝統の継承、前例踏襲、復古主義と言うことかね?」
容赦のない男の追及に怯む事など一切なく。むしろ堂々と意見を交わす金髪の青年は余程場慣れしている感がある。
「いえ、そう言う訳ではありません。むしろ自分はそう言った悪しき前例踏襲主義等には反対です。自分は歴史を学ぶ事はその悪しき歴史も含めて学ぶ中で、今後にどうやって生かすか?その点において歴史学から学ぶことは多いと考えます。我々レンブランドが先のフレトリアとの戦争において敗北したのは、フレトリアの物量や兵力が上回ったとの考察が多いですが、実際にはフレトリアは新型の速射機関銃や、塹壕戦など、戦術と技術革新によるところが大きい。
そこに我々レンブランド軍は古びた騎馬部隊を鉄条網の張り巡らされた戦地へと派兵して悪戯に兵と馬を無駄死にさせたかと思えば、王政はその責めを負わず国民に負わせてばかり。このような悪政を正すには過去にあった出来事を知らねば出来ないことです。」
その堂々たる発言内容を受けて大教室の半数ほどから拍手が上がる。その反面苦々しく見つめる生徒も少なくない。
「ふむ。その発言から分かったことは、君は貴族出身じゃない。そして、王政打倒を掲げるなんちゃってデモクラシー活動団体にご執心のようだ。」
男は教壇から見下げて青年の袖を指さして言う。その発言を受けた学生は思わず左袖につけた女神を象ったカフスボタンをさっと隠す。
「まあ、いい。昨今流行りの民主主義や共和主義とやらに学ぶことは大いに結構。しかし!そのような団体に所属していることを大っぴらに宣伝されたんでは、不愉快な先生方もいる。ちなみに私もその一人だ。気をつけたまえ。」
周りの学生達も周囲の目を気にしてか、すぐにカフスボタンを外して、鞄等にしまい込む者の姿が教壇からもチラホラ見える。
「でだ、私はこんなことを聞いて何が言いたいのか?諸君はそう思うだろう。君達は入学して間もなく、向学精神も旺盛だが、この話を聞けばその向学精神も、高邁な理想も失せることだろう。私の講義では学期末の課題をクリアできれば、講義の出席などして貰わなくても結構。
また、講義の内容は学期末の課題とはリンクしておらず、完全に別物である。故にこの講義に出席していれば、単位を頂けるとの安直な考えによってこの講義を選択した者は誤りである。よってすぐに講義を変更するようにお勧めする。結論から言えば、私は仕事柄休講が多く、定期的な開催は不能と思われる。よって個人的趣味による参加、若しくは余程時間を持て余した暇人以外は参加をお断りする。以上。」
それだけを述べた男は開きもしなかったテキストで教卓をトンと叩くと、颯爽と大教室を後にする。
教授のいなくなった教室にはざわめきと動揺が広がっていた。その一部始終を目撃していたテレスは男を呼び止めるか、学生を呼び止めるか迷った挙句、右往左往した結果、慌てて教壇に立つ。
「ちょ、ちょっと、待ってください!皆さん!さっきの発言は少し訂正させて頂きたい!確かにローレンス教授は出張が多く、休講が多いのは事実ですが、その際には代わりの先生(研究室の学生だけど)が教えてくれますし、むしろ丁寧でわかりやすい講義であるともっぱら評判の講義なんです!(殆ど学生がメインで教えてるから丁寧でわかりやすんいんだけど)どうか、皆さんそのまま履修してくださいね!あ!講義で困ったことがあったら、私、スチュアート・テレスに言ってくださいね!研究棟の三階!歴史文化研究室の隣、研究室302に大体いますので!」
テレスの必死の弁護も虚しく、続々と教室を後にする学生達。残ったのは後方に居眠りする学生と、ポツリポツリと残った個人的趣味による参加者と、格別の思いを刻まれた前列の金髪の青年だけだった。
テレスはローレンスの代わりにザックリとしたレンブランドの歴史とブロード(欧州)における各国の関係性からくる対立の歴史的背景を講義すると、講義を終える鐘が鳴り響く。
「えーと、とりあえず今日はここまで。次の講義は私じゃないといいけど‥それについてはわかりません。もう一人、いや二人、三人目くらいまで新しい先生が登場するかもしれないですけど、ちゃんと講義はやりますので、安心してください。ではこれで。」
黒板に書いた内容を消していると、さっきの博識茂才の若人が話しかけてくる。
「あのぉ、テレス先生でよろしいですか?」
「えっ?あ、はい。えっと、君は先生が指名した‥」
思いもよらない学生から話しかけられて困惑したテレスはラーフルを落として教壇を白い粉まみれにしてしまう。
「あっと!大丈夫ですか?すぐ雑巾持ってきます!」
迅速な対応と気遣いに博識茂才な印象だけでなく、好青年であることがテレスの中に印象付けられ、その好青年を大教室の大勢の前で恥をかかせたあの男の性根の悪さを実感する。
「あ、ありがとう!」
すぐに戻ってきた好青年は教壇を濡らした雑巾で掃除すると、白い粉の跡は一切消えた。
「いえ!これくらいなんて事ありませんよ!自分は、ヴォルター・ヴルフと言います!仲間内ではビビとかって呼ばれてます。これからよろしくお願いします!」
好青年のハツラツとした態度に思わず仰け反り倒れそうになるが、腹筋と腹斜金に力を入れて何とかその圧力にどうにか耐える。
「ほ、本当にありがとう。さっきは申し訳ない!教授があんなことを言って。気分を悪くしなかった?」
「いえ!こちらこそ自分の意見を主張するばかりで、愚かな行動だったと思います。すいません。今回の出来事は相手の立場にたって物事を考える重要性を再認識させて頂き、むしろ感謝してるくらいです!」
教授の非礼をかえって謝られるとは。その出来すぎた精神に敬服したテレスは、彼にはその場で単位を与えるくらいのお詫びがあってもいいと、本気で思えた。
「そんな!君が謝ることないよ!それより、次の講義の時間は大丈夫かい?移動の時間もあるだろうから急いだ方がいいよ。」
「お気遣いありがとうございます。ではお言葉に甘えて失礼します!どうぞ一年間よろしくお願いします!」
丁寧なお辞儀でテレスには爽やかな風が吹くのがわかった。真に快いとはこと事だ。わずか90分前までいたあの劣悪な研究室にはない、爽やかさに気分も上がる。
教授から頼まれていた、事務室への連絡をしようと一般学舎へと歩みを進めていると、向こうから何やら性根の悪い男の声が聞こえてくる。