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2-1 偽りの国へ

白い国 2-1 偽りの国へ


 大学の構内を抜けて、ルネサンス建築の絢爛な意匠を誇るこの研究棟に辿り着くと、青年は迷う事なく三階へと小走りに上がって行く。階段を上がり切って左手すぐ、歴史文化研究室の看板がぶら下げられた部屋を三度ノックする。


 しかし、中から返事は聞こえない。


 痺れを切らした青年は強行に扉を開こうとする。


「先生!どこなんですか?先生!」


 ドアノブを回すと幸い鍵はかかっておらず、扉は容易に開く。


 しかし扉を開けた青年は早速、目の前の乱雑に置かれた研究資料や、本の数々に進行を阻まれる。


 加えて見事に掃除の行き届いていないこの社会不適合な部屋だ。極度の埃とカビ好みの湿度、総じて空気の悪さが、青年の心持ちはおろか、青年の体内に侵入しては体調を崩させるレベルの劣悪な環境だ。青年は足を踏み入れては思わず眉を顰める。


 ハンカチで口と鼻を覆いながら、目下の資料や本を片付けては道を作り、ようやくカーテンで閉め切られた窓を開けて空気を解放する。


 久しく入っていなかったであろう新鮮な空気が研究室の資料を巻き上げて、新たなる埃をボウっと舞い上がらせる。


 その惨状を目の当たりにした青年の、この部屋をどうにかしようというやる気は削がれたのは言うまでもない。


 青年は散らばった資料を纏め上げるのは後回しにして、この部屋に来た最大の目的を果たす事とする。


「先生!隠れてるんですか!教授会にも出てないみたいですね!ドルフ教授も流石に心配されてましたよ!先生!」


 再三再四の呼び掛けにも答えないその男は研究室の奥にある、休憩室で惰眠を貪っていた。


 男はこの、子煩い小姑のような助手を今までいいように使ってきたのだが、今日に限ってはお呼びでない。

なぜなら今日という日は男にとっては疲労の一途を辿る体調を、昼まで眠るという健康な成人男性に推奨されるごく一般的かつ合法的な健康法を実践していたまでの事で、とやかく言われる筋合いのない事なのである。


 にも関わらず、この自分よりも一回り以上年下の青臭い、まさに青年に呼び起こされるのは気分が悪いのだ。


「先生!いい加減にしないと、講義遅れますよ!事務室のスカーレットさんが事前の休講申請無しの休講は減給になりますので、注意してください!って言われたばっかですよね?」


 残された聖域がこの休憩室であることを突き止めた青年は扉を開けようとするも、鍵がかかり開ける事が出来ない。故にノックを繰り返しては、中にいる「高貴なる惰眠」を標榜する男。青年の上役とも言える教授先生の起床を促す。


「そうだった‥。」


 惰眠を阻害された男には辛い役目が課されていた事を思い出しては、現実との格闘が始まる。しばらくクッションをギュウギュウと締め上げて、二三度のフックをお見舞いする。


 そうして男は仕方なくマカボニー製の寝椅子から飛び起きると、扉を少し開いては、やんややんやと騒ぐ青年を諫める。


「テレス、スチュアート・テレス。間違いなく君だね?」


「ええ、もちろん。誰かこんなカビ臭い部屋にノコノコ入って来て先生を叩き起こす。なんて面倒なことをする物好きが他にいるとでも?」


 その口調からは青年がこの男に師事していることなど露程感じさせない。むしろ、叔父と甥のような砕けた関係性を窺わせる。


「ああ、君ねぇ、仮にもだよ、私が午前の教授会をサボり、こうして午後から始まろうという、未来ある若人達への薫陶(くんとう)の機会を逸してまでもやらねばならない事もある。そうは思わんかね?」


「先生。戯言はいいので、早く講義の準備を。まさかその格好で行かれるつもですか?」


 男は青年に指摘されて気が付いたが、純白のシルクのネグリジェを着て、完璧なる就寝を試みていた事を思い起こす。


「ああ、この格好かい?最近は家に帰ることもないからね。ここで寝泊まりさ。羨ましいだろ?独身貴族ってのは。」


「そうですかね?先生みたいに研究室に籠るか、国外で調査するかの二択で、家庭を顧みずに奥さんに三行半を突きつけられ、尚且つ大学の講義をすっぽかす人を羨ましいとは微塵も思いません。」


 その言葉に(へそ)を曲げた男は再び扉を青年の鼻先でピシャリと閉めてガチャリと鍵をかける。


 そうやって男は昨日やり残したジグゾーパズルを完成させようとデスクの資料をどかして思考を練る。


「先生!先生!ちょっと本当にいい加減にしてください!人生遊びじゃないんですよ!それに、さっきは言い忘れましたけど、減給だけじゃないんです!午前中に行われた教授会で、この歴史文化研究室の研究費が減額されることが承認されたんです!いいんですか!このままだと、いずれそうやってパズルで遊んで暮らせなくなりますよ!」


 男は扉を介して休憩室の中は見えないはずが、その様子を見ているかのような発言に思わず耳を疑う。


 それと同時に推測であっても自らの行動を言い当てられたこと、加えて自分の欠席をいい事に研究費を削られたことに無性に腹が立った。


 男はすぐさまシャツにブルーと白のストライプのネクタイ。講義用に仕立てた紺のジャケットとスラックスの上下に着替える。最後に金の懐中時計を内ポケットに忍び込ませると休憩室を出る。


「テレス君!教授会のやり直しが必要だな。後で事務室に行って予算案を作成するのは待つように言っておくこと。加えて、私は遊びで生きてるわけじゃない。遊びを人生に生かしてるんだ。そこを履き違えないように!」


「先生!よかった。とりあえず出て来てくれて。はいはい。もういいから、今日の講義は大講堂の102大教室です。学年は1年生が殆どですから、しっかり薫陶(くんとう)の機会を生かしてくださいね!ローレンス教授!」


 男は出て来てすぐに講義用のテキストを胸元に押し付けられ、強制的に研究室の外へと連行される。


 逃げる機会を阻むように、青年に背中を押され続けてそうして大教室まで来てしまう。


 時計を確かめると既に午後の講義の始まる時間に差し掛かっており、中を窺うと多くの学生が大教室を埋め尽くしている。


 同じ教室の中でも各々その時間の過ごし方は異なる。雑踏の中でテキストを開く者、友人と談笑する者、はたまた教室の後方では、南窓から差す光に意識を奪われたのか、顔を伏せてこの講義への参加意欲を感じられない学生もいる。


「先生?どうしたんですか?入らないですか?言っておきますけどね、教授会での研究費の減額は先生自ら招いた事ですからね。今更騒いだところでどうとなる話でもないと思いますよ?それより、今は講義をまともにやって、学生のご機嫌を取るのが先決です。さっ!頑張って!」


 青年にポン、と背中を押された男は大教室へと入る。大教室の教壇から見る学生達を改めて見て、男は自らの学生時代をふと思い出す。


 しかし久しく見ない、いつもよりも僅かばかり若い蕾達は、この知性と品位の洗礼をどれほど浴びたいのか、男には計りかねるところがあった。それ故に男は自己紹介もそこそこに、学生達に問いかける事から始めた。



最初から最後までお読みくださりありがとうございます!


少しでも面白そう!気になる!


と思われた方はブックマークに評価、感想もお待ちしております。


作者の励みになります故、何卒よろしくお願いいたします。



 (*- -)(*_ _)ペコリ


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― 新着の感想 ―
[良い点] 渋かったりくたびれたりする、 中年の話は大好きですよ。 [気になる点] ネグリジェの部分で気になって調べてしまった。 昔は男女ともに来ていたんですね。 (今の一般人は女性用となっていますが…
[一言] なんともまあズボラな感じの先生ですが、どのような講義をするのでしょうか?
[良い点] こちらでは、はじめまして! あらすじ通り、主人公を取り巻く環境が厳しいですね。 でも主人公のスペック自体は高いみたいので、 今後の活躍に期待です♪
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