3-3 船の上
白い国 3-3 船の上
「まあ、君はそう言ってくれるけどね。他の教授連中や庶民はそうは思ってないからね。はぁ、オリヴィア‥どうして君は‥はぁ‥」
そうしてローレンスはおもむろに取り出した金色の懐中時計を開いては、上蓋の内側部分を覗いては、嘆息を漏らす。
その動作が気になったテレスはその懐中時計を盗み見ると、そこには小さな写真が貼られてある。
おそらくこれが恋慕の情の相手、最愛の元細君の写真だろう。
一寸見ではどの様な人かはわからないが、その様子から見るに余程の思いがあるのは確かだ。
それが一番に分かるのは、その時計の上蓋に刻まれた言葉だ。
「愛しき君と、共に時を刻む。」
レンブランド語では恥ずかしかったのか、それとも単に自分の功績を世に知らしめたいのか、
聖刻文字で刻まれたその言葉は、離婚後に刻んだと言うのだから、もはや狂気である。
忌憚なくテレスの意見を述べさせて頂けば、「気色悪い」だ。これはテレス独自の意見と言うよりは一家言として通用する意見である。故に多くの人間が賛同するところであるだろう。大きな感情、並びにローレンスへの諫言も含めて、このような言動対しては二度言うべきと思われるのだ。故にもう一度付け足して言おう。「気色悪い」と。
そうは言ってもそれを直接的に意見する程テレスは愚者ではなかったし、そこは大人の対応を見せては、ローレンスの気分パラメーター回復を試みる。(見るにゲージは既に黄色から赤への変色が見られ。通常なら回復薬を用いたいところだ。まあ異世界魔法ファンタジーほどこの世界は便利ではないようだが。)
「先生、まだその元奥方のことで悩まれているのなら、いっそのこと新しい方でも探された方が‥」
「も‥と?オリヴィアがいつ元妻になったんだい?彼女は今でもこうやって私に微笑んでいると言うのに?」
押し付けるように懐中時計の細君を見せてくるのはまだしも、その重過ぎる思いまで押し付けてくるのはほとほと勘弁して欲しいところだ。
「先生、その色々な事があったのは分かりますけど、その奥方とは別々の人生を歩んでいるわけですから、そろそろ‥」
「はぁ。オリヴィア、どうして君はあんな奴と一緒に‥いや、いや、いかん!あんな奴を脳内であっても記憶から呼び起こすだけでも脳内が溶けてしまう!」
まったく人の話も聞かずに、一人で頭を振るローレンスはやはり気が触れたのかと容疑をかけられても仕方ない。それくらいの異常な状態だ。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ、私は大丈夫だ。しかし、こうしているとオリヴィアが心配だ。何か変な男に絡まれてはいまいかと心配でならない。」
その言葉の変な男とはおそらくローレンスのことではないか。とは口が滑ってでも言えない。
あまりに残酷すぎる事実になってしまうからだ。
「先生、正直そのオリヴィアさんって方なら大丈夫なんじゃないですかね。この新聞読みましたか?」
テレスは朝、たまたま露店で買った全国紙に
「オリヴィア・エヴァンズ女史、アルバース国においての女性参政権運動を支持。背景にはアルバース国内における経済活動の支援を目的か。」
との内容が書かれている新聞記事を読んでいたのだ。
その新聞をローレンスに渡すと、まさに食い入る様にその新聞の紙面を事細かく細見する。
「テレス君、写真がないじゃないか!これじゃ彼女が無事かどうかもわからない!」
紙面を叩いてはこちらに詰め寄ってくる。どうにもローレンスの怒りの矛先は新聞社の掲載方法にまで及ぶらしい。(とばっちりでテレスにも来ていたが…。)
「まあ、それは仕方ない事ですよ。所謂活躍する女性を妬む記者の、小さな記事ですから。」
レンブランドの女性ならば夫を支え、子供を産んで家庭を守る。それが最も正しい女性の生き方であり、それから外れる女性はしばしば好奇の目に晒されていた。
無論エヴァンズ女史も例外ではなく、むしろ格好の標的であった。離婚がそもそも好まれない上に、子供もおらず、加えて女性で不動産業を取り仕切る社長として活躍しているのだ。そもそもブロード(欧州)でみてもここまで活躍している女性はいないくらいだ。
そんな彼女を保守的なレンブランド人は好まない。
しかし、写真はないかと複数紙面を必死に探しては、しまいには元細君を中傷するような紙面でさえもその文字をなぞってはニヤける。という前進的で革新的。それでいて盲信的かつ重症なレンブランド人は例外のようだ。
「ふーむ。そうか、この記事から分かるように彼女を害する輩がいるようだ。明日の夕方にはこの記者は海の底で海藻と一緒に眠るだろう。クックッ。」
テレスから見れば、ローレンスの様子はどうにも元細君が誹謗中傷されて喜んでいる様にさえ思えてならない。
彼の脳内では窮地にある彼女を救うチャンスが出来たと勘違いしているのだろうが、それは大きな間違いであり、人を海の底で海藻と一緒に眠らせる事を通常、「人殺し(マーダー)」と言う。その事実にさえ気づけていなののでは?と心配なくらいだ。
そういった一連の出来事からテレスは自分が先生と呼んできた人間の恐ろしさ、狂気に、もうそろそろ「先生」という敬称をやめるべきかと悩まされた。
それでもあくる朝にはその悩みは、彼の非凡な才能に対する敬意で、払拭される。




