2-12 偽りの国へ
白い国 2-12 偽りの国へ
旧市街を抜けて、路地裏へと入る。
街灯もないこの辺では多くの盗人達や娼婦が闊歩する治安がお世辞にも良いとはいえない地域だ。
そんな暗闇を抜けて、唯一と言ってもいいほど、明るく家の前を照らす灯りが眩しい。
その家の前に来ると玄関の扉をコンコンコン。とノックする。
「なんだ?」
「私です。ローレンスです。」
その言葉を聞いた老人は扉を開けて、夜の訪問者を迎え入れる。
「なんだ。お前ぇか。てっきり娼婦の誘引か、ギャングの御礼参りかと。」
「デュルケム爺さんは相変わらず、物騒な生活をなされているのですね。」
百戦錬磨のローレンスでさえ、苦笑いを浮かべるのも無理はない。
齢80に近づこうという一人暮らしの老人が住むには似つかわしくない場所に、ライフルを片手に防弾チョッキを着て過ごす。まさに海千山千の強者とは彼のことだ。
「なあに。ここいらの娼婦が奴等のせいで仕事が出来んと言うもんでな。散歩がてらに、事務所に行ったらお茶も出さんと、弾を放ちおったからの。お礼に何人か病院送りにしたんじゃ。」
「さすがですね。しかしまだそんな事をする奴らがいるんですか。国王陛下に言って一掃しましょうか?」
「いいや。そこまでせんでええ。どうせここいらはこの国の闇や。みんな何かを抱えておる。ここをどうにかして明るくしても、またどこかが暗くなるだけや。そうやったらここで一人、助けが欲しいもんだけ掬い取ってやるのが、丁度ええんじゃ。」
穏やかな口調には何か人を落ち着かせる治療効果があるのではと、あの理論的なローレンスが思うほどだ。
「そうでしたか。相変わらずお優しい。そんなお優しいデュルケム爺さんにお願いなのですが‥」
「やっぱりか。お前が人を褒める時は大抵裏がある。」
「そう言わないでください。今回はお国の為に働かなくてはならない。その間、大学の講義をお任せしたいのです。」
「そんな事をわざわざこんな夜に押しかけて言いに来たのか?」
「ええまあ。それと、今回の任務は長くなりそうです。しばらくはお会い出来ないかと。」
「そうか。じゃあ、お前の理想に近づいてるんじゃな?」
「ええ、なんとか。デュルケム爺さんこそ、お元気そうで。あ、もちろん講義の方は‥?」
「ああ。いいだろう。学生から文句を言われても知らんぞ。」
「ええ。問題ありません。どうせなら歴史学だけでなく、この国の社会についても講義してあげてください。うちの学生達には目から鱗のような事実ばかりで、少しは眠気も吹き飛ぶでしょうから。」
ローレンスのいつもの口調に、デュルケムは頬を少し動かしただけで、それ以上は何もしなかった。
ローレンスはその様子を見て、黙って玄関の扉を開ける。
外の世界へ出る時は、いつも明るい場所であって欲しい。そんな願いを込めたこの灯を眺めては、再び夜の暗闇に消えて行った。
そんな男を付けている若い青年がいた。
黒いコートに身を包み、フェドーラハットで視線を隠すその青年は、この路地裏の居心地の悪さを感じる。
青年は公邸から大学に戻って来たところから全て監視している。
研究室内には盗聴器も忍び込ませ、会話も録音した。
ハシビロ埠頭、明日15時に貿易船に同行してアルバース国に入国せよ。
この情報は既に現地入りしているディビィティアの秘密諜報機関、NIAには知れている情報だ。
故にこの機関員の有能さを示すには不十分と言える。
それ故に青年はアルバースへ渡る前に何か有力な情報が得られないかと躍起になっていたのだ。
表向きの万国博覧会の大使は明日の夕刻、17時の船便で正規のルートで入国する。
おそらく何処かのタイミングで入れ替わる算段だろう。
しかし予想外だったのは、助手の同行を認めたことだ。
事前の情報ではスチュアート・テレスは民間人で、兄こそ軍役に就いている経歴があるが、既に死亡して退官している。
故に情報元として近づくには最適。との分析だったのだ。
青年は言われた通りに助手に近づき関係性を築こうとしていたが、今回の同行で変更になった。
大佐は作戦の変更と、自分のアルバース行きを認めてくれた。
青年は何とかその期待に応えたいが、男はなかなか尻尾を掴ませない。
その後は、歓楽街を歩いて娼婦の誘引に従うように宿屋に入っていった。
しかし翌朝になっても現れない男の影を追って宿屋を調べると、既に男は消えていた。
仕方無しに、追跡の失敗を大佐へと報告する。
「こちらファイブス。マルは消失。トレース不可。」
暗号化したモールス信号で打電して連絡を終えると帰路に就く。そしてようやく眠りに就く。
消えた男の影を追って。
次章からは船の旅。何か起きる予感…
乞うご期待!




