8:幸せな日々
商売が軌道に乗るまで、ジョシュアの家に世話になる事になったマイルズたちは、翌日から熱心に働き始めた。
無理のきかないアリーには療養に努めてもらうが、弟妹は果樹園の手伝いに励む。そしてマイルズは早速、父親仕込みの行商を始めた。
亡くなった父親は香油や香水を扱う店を営んでいたが、それと同じ商売ではどこかで叔父に知られてしまうかもしれない。そのためマイルズは、父親とは違う商材を扱う事に決めていた。
マイルズは路銀の余りやアリーから預かった金を元手にオラニエ名産の果実や畜産物を仕入れ、南に下った先にある砦町で売り捌く。そうして帰りは、帝国から流れてきた品々を仕入れてオラニエの町で売る事にした。
オラニエから砦町までは荷馬車で片道二日かかる。取引の日にちも含めてマイルズは六日仕事をし、一日休む事を繰り返した。
元々、逃亡先にオラニエを選んだ時から考えていた商売だったが、予想以上に上手くいった。半年と経たないうちにある程度まとまった金を稼ぐと、町中に店舗兼自宅を構える事が出来た。
「うわぁ、可愛い! ここが新しいおうち?」
「一階が店なのか。兄ちゃん、俺たちの部屋も上にあるの?」
「あるよ。一番大きな部屋は僕とアリーの部屋だから、残りは二人で好きな方を選んでおいで。これからはジョシュアさんたちはいないから、みんなで協力していこうね」
ジョシュアにたくさんの礼を伝え、アリーや弟妹と一軒家へ引っ越すと、ようやくこの町へ根を下ろせた気がした。
けれどマイルズは仕入れや販売で砦町と行き来する必要があるため、週の半分は家を離れる事になる。マイルズ不在の間、店は弟に任せるし家事は妹が引き受けているから生活に不安はないが、アリーが寂しい思いをしていないか気にかかる。
だが幸いな事に、それも杞憂に終わった。この町に来て初めて会った宿屋の女将や、ジョシュアの妻や娘たちが時折アリーを訪ねてくるようになったのだ。家の中から滅多に出られないアリーにも、友人といえる相手が出来た事がマイルズは嬉しかった。
そしてアリーの居場所は、意外な所でさらに増える事になった。
「ねえ、お兄ちゃん。お義姉さん凄いのよ。計算が得意みたいなの!」
「俺より間違いがなくてさ。これからも義姉さんに頼んでもいい?」
「アリーが負担じゃないならね。アリー、どうしたい?」
ある日、仕入れから帰ってくると、店の奥でアリーが帳簿と向き合っていた。どうやらアリーは、計算が合わないと悩む弟を見かねて手を貸していたらしい。
救いの神を見つけたとでもいうように、キラキラと瞳を輝かせた弟に苦笑しつつアリーに問いかけると、アリーは微笑んで頷いてくれた。
「やった! ありがとう、義姉さん!」
「アリーに頼りすぎてもダメだよ。アリー、計算の仕方も教えてやって」
「えー! そんなぁ!」
飛び上がって喜ぶ弟に苦言を呈すると、アリーはクスクスと笑った。そんなアリーの笑みを微笑ましく思いながらも、マイルズは切なさを感じた。
(文字は綺麗だし計算も出来るし。やっぱりアリーは、良いところの娘さんなんだろうな。でも僕と結婚してくれたし、家族に会いたいとも言わない。一体どんな家にいたんだろう? 何があって、あんな目にあったのか……)
共に夜を過ごす時、アリーはどんな声をしていたのかと、ふと思う事がある。時折痛みを感じるらしい骨折は治ったはずの足だって、元は元気に歩けたはずのものだ。
アリーから話さない限り詮索はしないと決めていたが、こうした時にはどうにも気になってしまう。今更どうにも出来ない事をマイルズは心苦しく思った。
とはいえ、そんな悲しい気持ちも長くは続かなかった。結婚して一年が経つ頃、アリーが妊娠していると分かったからだ。一度体を壊しているアリーの体が出産に耐えられるか心配だったが、アリーは無事に元気な男の子を産んだ。
世間では、隣国グラナダの国王が急逝し王太子が即位したとか。ここオルレア王国の第二王子が海を渡った異国へ婿入りする途中、船の事故で行方知れずになったとかで騒がれていたが。そんな噂を気にする余裕もないほど、マイルズとアリーは初めての子育てに奔走する事になった。
(アリーと僕の子ども……。新しい家族だ)
生まれた子の顔立ちはマイルズに似ていたが、髪や瞳の色はアリー譲りだった。目立つ銀髪や紫眼でなかった事に安堵しつつ、マイルズは我が子にも惜しみない愛情を注ぐ。
そしてその後も仲睦まじい夫婦は、多くの子宝に恵まれた。成長した弟や妹もそれぞれ思う相手と結婚し、マイルズたちの家のすぐそばで暮らし始めた。
賑やかになっていく家で、アリーは常に幸せそうに笑っている。それがマイルズの活力となって、マイルズの店は少しずつ大きくなっていく。
隣国グラナダでは政変が起き、愚王を倒して王弟が即位したという物騒な噂も流れてきたりもしたが、グラナダとの国境とは正反対に位置しているオラニエの町には大して関係ない事だった。
辺境の田舎町で過ごした日々は、六十歳を迎えたアリーが倒れる日まで、マイルズに多くの幸せを運んでくれた。




