5:逃避行
泣き止んだアリーに、マイルズは昼食のスープを飲ませた。食欲がなくても食べておかなければ体が持たないからだ。王都を出た後は追手を避けるために乗合馬車には乗らず、辺境の町まで野宿をして向かう予定だった。
すっかり胃の小さくなってしまったアリーはほんの僅かしか食べられなかったけれど、それでも気が楽になったのかその表情は柔らかかった。マイルズはホッとして、食べ終えたアリーに着替えを渡した。
「僕の服だけどサイズは直してあるから、これに着替えて。終わったら出てきてね」
女物の服も用意しようと思えば出来たが、マイルズはあえてそうしなかった。男装していた方が、面倒事に巻き込まれる可能性は低いからだ。
アリーは痩せてしまったけれど、胸は大きいままだし髪も長い。それらを隠せるように晒しと髪紐も渡して、マイルズは部屋を出る。
そうして着替え終えたアリーが出て来ると、マイルズは思わず息を呑んだ。
「参ったな……。男の格好でも可愛いなんて」
ポロリと溢れたマイルズの呟きに、アリーの頬が照れたように赤く染まった。
長い金髪はまとめて帽子に入れられており、アリーの見た目は少年のようだ。けれど美貌は代わりなく、男装した事でかえって危うい色気が漂っていた。
「フードをしっかりかぶっておいて」
アリーには少し大きいローブを着せ掛けてフードを下ろせば、どうにか顔は隠す事が出来る。マイルズは気を引き締め直すと、腕輪が嵌められたアリーの細い手を取り歩き出した。
マイルズが仕込んだ眠り薬はしっかり効いたようで、誰にも邪魔されずに娼館の外へ出られた。そのまま多くの人波を縫って、王都の外門を目指す。
門のそばには貸馬屋がある。早馬にも使われる貸馬屋は町ごとにあるため、行く先々で乗り換えていけば遠くまで速く進めるのだ。そこで馬を一頭借りて、マイルズはアリーを引き上げた。
「慣れるまで辛いかもしれないけれど、僕に寄りかかっていいから。少し我慢してね」
まだ両親が健在だった頃、大人になったら行商も出来るようにと様々な事を教わっていたため、マイルズは馬に乗れる。
アリーは乗馬は初めてのようで戸惑っていたが、マイルズが声をかければ大人しく背中を預けてくれた。マイルズはアリーを抱き込むようにして手綱を握り、馬を走らせる。
腕の中に収まる柔らかな温もりに幸福感が湧き上がるが、まだ気を緩めるわけにはいかない。用意していた荷物も途中で拾い上げると、街道を避けてそのまま森の中を進み、王都を離れた。
「今日はここまでにしようか」
日が落ちる頃、小川のそばに差し掛かったためマイルズは馬の足を止めた。
野宿は久しぶりだが、火起こしはお手の物だ。焚き火を起こして小鍋を取り出し、マイルズは川で汲んだ水を沸かす。慣れた手つきで動くマイルズを、アリーはしばらく興味深げに見ていたが、やがてうつらうつらと船を漕ぎ出した。
「アリー、眠っちゃった?」
ただでさえ体が弱っているのに、慣れない乗馬までさせてしまった。そのまま寝かせるべきかと悩んだが、食べられるうちに少しでも胃に入れた方がいい。
スープが出来上がった頃合いで声をかけると、アリーは「うー」と唸り声のような声を漏らし、目を覚ました。
喉を潰され声を奪われたアリーだけれど、こうして何らかの音は発する事が出来る。マイルズはそれが愛おしくて仕方ない。小さく欠伸をしながら猫のように目を擦り伸びをしたアリーの姿に、自然と頬が緩んでしまう。
そんなアリーにスープを手渡せば、ふぅふぅと息を吹きかけてゆっくり口を付け美味しそうに微笑んでくれる。その顔をこれからも見続けたいと願いつつ、これだけは聞いておかなければならないと、マイルズは口を開いた。
「アリー、これからのことだけど。僕は東の国境に近いオラニエの町に行こうと思ってるんだ。弟と妹がそこで待ってるから」
マイルズは簡単に、自分の生い立ちや家族の事を話した。こういった個人的な事を話すのはこれが初めてだ。というのも、アリーが娼館に連れて来られた経緯が分からない中で、家族の話題を出すのは躊躇われたからだ。
けれど、これから逃げる先について話さないわけにはいかない。ただ、だからといってアリーの事情まで聞き出すつもりはないから、マイルズは淡々と自身の事について語った。
アリーは、まさか弟妹も逃がしているとは思わなかったようで、驚いた様子で話を聞いている。そんなアリーに、マイルズは緊張しつつも問いかけた。
「僕はアリーと一緒にオラニエで暮らせたらと思ってる。でも全て一からになるから、楽な暮らしとは言えない。だから……もし君が他に行きたい所があるならそこに連れていくよ。アリーはどうしたい? 僕たちのことは考えずに、正直な気持ちを教えてほしい」
どこから、なぜ娼館などに連れて来られたのか分からないが、もし連れ去られてきたのだとしたら、アリーは帰りたいと思っているかもしれない。
マイルズはアリーに想いを告げたが、それをアリーがどう思っているのかは分からない。娼館から逃げ出すためだけに手を取られたのだとしても、アリーの幸せを思えば咎める事は出来ないし、選択肢を与えずに無理やり連れて行くのも違うと思えた。
果たして、どんな答えが返ってくるのか。心臓の音が妙に大きくなるのを感じながら神妙な面持ちで待っていると、アリーはそっとマイルズの袖を掴み、見上げてきた。
「アリー?」
アリーは自身を指差し、次にマイルズを指し示す。そうして腕輪を嵌めた手を、腕輪ごと大事そうにそっと胸元で包み込み、にこりと微笑んだ。
「もしかして、僕とオラニエに行ってくれるの? 僕と一緒に、これからも暮らしてくれる? ああ、アリー。ありがとう……!」
間違いのないように問いを重ねると、アリーははにかみながら頷いた。感極まったマイルズは、その想いのままにアリーを抱きしめる。
安心出来る場所まではまだまだ道のりは遠いが、想いは伝わったのだ。込み上げた愛しさに突き動かされ、マイルズはアリーに唇を重ねた。




