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2:心奪われて

 これまでマイルズは、何人もの新人娼婦の世話を任されてきた。今でこそ苦しい生活に疲れやつれているが、元々マイルズはそれなりに整った顔をしていたため、女受けが良いからだ。

 目立つ銀髪こそ娼館主の指示で地味な茶色に染めているものの、珍しい紫眼は変えられないというのもあるだろう。垂れ目がちな目元は優しげな印象も与えられる。

 だから娼館主から、連れて来られた娘たちの警戒心を解くよう言い付けられていた。


 元来、マイルズは真面目な性格だ。仕事を上手くやれば、手当てを弾んでもらえる事もある。マイルズはその僅かな収入のために、丁寧に娘たちに接した。

 すると娘たちは、娼館の生活に慣れてくると待遇改善を目指して媚を売るようになっていった。最初は怯えていても、どの娘も男を誘うように変わっていく。そしてマイルズが靡かないと見ると、他の下男や用心棒に対して積極的にすり寄っていくのだ。


 それは娼婦としては正しい姿なのだろう。娼館が生きる場であり安全な家だと受け入れたからこそ、環境を少しでも良くしようとしているのだから。彼女たちの変化は、マイルズが与えられた仕事を上手くこなせた証でもある。

 だが、だからこそそんな娘たちをマイルズは受け入れられなかった。

 生きるために歪んでしまった娘たちを憐れに思い、そうさせる片棒を担いだ自身を嫌悪する。そうしてマイルズは痛む胸を見ないようにする代わりに、だんだんと女性を苦手に感じるようになっていった。


 だからきっとアリーもそんな娼婦になっていくのだろうと思いつつ、マイルズは仕事だと割り切って世話をする。けれど意外にも、その予想は大きく外れる事となった。


「アリー、まだ食べていないのか」


 アリーは、マイルズがこれまで世話したどの娘より難しい相手だった。どれだけ優しく声をかけても、全く心を開かないのだ。

 ここへ連れて来られてからもう三日が経っており、腹が空いているはずなのに、アリーは水にもスープにも手を付けない。こんな事は初めてで、マイルズは途方に暮れた。


「いい加減、食べないと死んでしまうよ。ほら、口を開けて」


 懸命に声をかけて食べさせようとしても、アリーは口を閉じたままだ。

 危険な相手ではないと判断はされているようで、怯えた表情は出なくなったのだが。それでもアリーは頑なにマイルズを拒絶している。

 まるでそれは、自ら死を望んでいるように見えた。そんな娘に出会ったのは初めてで、気付けばマイルズはアリーから目が離せなくなっていた。


「……仕方ないな。恨まないでくれよ」


 アリーは体にも力が入らない様子でぐったりしているし、せめて水ぐらいは飲ませなければ早々に死んでしまう。嫌がるアリーを押さえつけ、マイルズは無理矢理口移しで水を飲ませる。こんな事をするのも、アリーが初めてだ。

 このまま見捨てたとしても、多少折檻を受けるだけで終わるだろうが、どれだけ拒絶されてもアリーだけは死なせたくないと思った。それは、マイルズの胸に初めて湧き上がった気持ちだった。


 水を飲み込んだアリーは、力の入らない手で必死にマイルズを押しのけようとする。マイルズは、そんな彼女の手を掴み押さえた。


「君はきっと良い所のお嬢さんなんだろうね」


 顔を覗き込んで言ったマイルズの言葉に、アリーは動揺の色を浮かべた。マイルズは言い聞かせるように言葉を継いだ。


「こんな目にあって辛いのはよく分かる。でもこれから君は、ここで生きていかなきゃならないんだ」


 もう涙も枯れるほど泣いたはずのアリーの瞳に、じわりと涙が滲む。けれどアリーは、泣きそうなその瞳でマイルズを強く睨んできた。

 その視線からは、どれだけ落ちぶれようとも決して好きにはさせないと言うような強い意志が感じられる。下男としての仕事を考えたら困ってしまう事だというのに、マイルズは不思議とそれが好ましく思えた。


「生きていれば、きっと良いこともあるよ。でも死んだらそこで終わりだ。だから苦しくても生きてくれ、アリー」


 自分で言っておきながら、一体何を言っているのかと自嘲が浮かぶ。

 こんな場所で生きたって、何も良いことはない。むしろ今言った言葉は、挫けそうな自分に言い聞かせるためのものだろう。

 けれど、こんな騙すような事を言ってでもアリーには生きてほしかった。無理は承知で、その凛とした心のままこの汚泥の中で咲き続けてほしいと思ったのだ。


 そんなマイルズの内心を見透かしたのか、アリーは拒むように背を向けてしまう。けれどその華奢な背中は、小さく震えていて。

 静かに泣いている彼女に無意識に伸ばしかけた手を、マイルズは咄嗟に押さえ込んだ。


(……何をしようとしているんだ、僕は)


 抱きしめたい衝動に駆られた事に、マイルズは驚く。仕事以外で女性に触れたいと思うのは、これが初めてだった。

 それが同情なのか何なのか、マイルズには分からなかったが、仕事を放棄する事も出来ない。

 それからもマイルズは、アリーの世話を変わらず続けていった。


(生きて欲しい。笑ってほしい。もう一度、僕を見てほしい)


 世話の内容は変わらないが、仕事のためだった働きかけはいつしか心の籠ったものになり、やがて願いに変わっていく。

 あの日、胸の内に灯った小さな光は、日を追う毎に大きくなっていった。


 そんなマイルズの変化に気付いたのだろうか。ある日アリーは、初めて自分から食事の皿を受け取った。


「アリー、食べるの?」


 驚きつつ尋ねると、アリーは気まずげにしつつもスープをそっと口に含んだ。それに心底安堵して、マイルズは微笑んだ。


「良かった……。ゆっくり食べるんだよ。お腹を痛くしないようにね」


 顔を上げたアリーは、マイルズの顔を見るとまた睨んできたが、その頬はほんのり赤く染まっていた。変な趣味はないはずだけれど、睨まれたというのにどうしようもなくそれが嬉しく感じられる。

 胸がポカポカと温かくなるのを感じながら、マイルズはまたスープを口に運び始めるアリーを見つめる。それは、娼館に来て五年目にして初めて感じる安らぎの時間だった。

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