41:婚約の許し
「アルテナ、待たせてごめん。僕の色を着てくれたんだね。嬉しいよ」
「マイルズ……会いたかったわ」
「僕もだよ」
振り向いたマイルズに肩を抱き寄せられ、アルテナはうっとりして身を委ねた。
マイルズは、まるで貴族のように立派な正装に身を包んでいる。誰が見ても平民などと思えないその堂々とした姿に、どこの国の貴族なのかと注目が集まった。
なぜマイルズがここにいるのか。今言った婚約者という宣言通り、本当に父親に認めてもらえたのか。尋ねたい事は色々あるが、ここにいれば先程とは違った意味ですぐに囲まれて質問責めにあうだろう。
二人きりで話すにはダンスに誘うのが手っ取り早い。しかしいくら見た目を整えたとはいえ、マイルズは貴族ではない。夜会のダンスを踊れるとは思えないから、テラスにでも誘えばいいだろうか。
嘆く男子生徒たちを横目に見つつアルテナが考えていると、騒ぎを聞きつけたらしい王太子カシュテトがやって来た。
「アルテナ嬢、婚約を結んだのか。おめでとう」
「王太子殿下……ありがとうございます」
「良かったら詳しい話を聞かせてくれないか。もちろん、婚約者殿も一緒に」
「はい、ぜひ」
謎の婚約者にこの場で挨拶をさせる事なく移動すると知り、聞き耳を立てていた者たちが残念そうに視線を落とす。
どうやら王太子は、好奇の視線からアルテナたちを救い出してくれるつもりらしい。有り難く好意を受け取り、アルテナはマイルズと共にホールを出る。
去り際、視界の片隅に叔母夫婦の姿が見えた。嬉しそうに微笑む二人を見てマイルズに視線を向けると、マイルズは苦笑して頷いた。
(叔母様がマイルズを連れて来て下さったのね)
叔母夫婦はアルテナを驚かせようと、黙っていたのだろうか。不思議に思いつつ王太子に続いて控えの間に入ると、王太子は楽しげに微笑んだ。
「驚いたよ。アルテナ嬢はきっと一人だろうから、助けてやってほしいとレヴィに頼まれていたんだが。まさか婚約していたとは」
「殿下、彼は」
「知ってるよ。彼には良い買い物をさせてもらってるからね」
王妃と王太子妃は、マイルズの店の化粧品を気に入っている。だから王太子もマイルズを知っていたのだろうか。にこりと笑みを浮かべ、王太子は言葉を継いだ。
「それにリメル嬢からも聞いてはいたんだ。アルテナ嬢が難しい恋をしていると。相手がマイルズだとは思わなかったが、言われてみれば納得だ。公爵に認められて良かったね。改めて祝福するよ」
「は、はい。ありがとうございます」
まさかリメルが話していたとは思わず、アルテナは赤面した。王太子は珍しいものを見たとでもいうように軽く目を見張り、ふっと笑った。
「では私はもう行くよ。君たちはここでゆっくりしていくといい。私が認めたのだから、余計な手を出す者はいないと思うが。彼はこういった場は不慣れだろうからね」
「ご厚情に感謝いたします」
思わぬ形で助けられ、アルテナはホッと息を吐く。これも、第二王子とリメルのおかげだろう。まさかアルテナの男避けのために、王太子を引っ張り出すとは思いもしなかったが。
「助かったね」
「ええ」
王太子を見送れば、薄く扉は開けられているものの部屋には二人きりになる。マイルズはアルテナの手を取り、柔らかく微笑んだ。
「アルテナ。戻るのが遅くなったけど、無事に認めてもらえたよ」
「結局、どうなったの?」
「まだ全てに決着がついたわけではないんだ。でも、そう遠くないうちに全て終わるはずだ」
マイルズはアルテナと並んでソファに腰を下ろすと、何をして来たのかを話し出した。
まずグラナダへ向かったマイルズは、アルテナが紹介した侍女を通じて、公爵家が抱える負債について秘密裏に調べていった。その結果、負債は短期間で膨大に膨れ上がっている事が分かり、おかしな点が多い事にも気がついた。
そこでマイルズは、アルテナが渡した紹介状を使って公爵家に支援を申し出た。そうして正式に帳簿を見せてもらい不審な点を見つけ出すと、それを公爵に伝えたのだった。
「公爵閣下は、騙されていたんだよ」
「騙された?」
「グラナダのとある男爵にね。ただその後ろには、グラナダの王太子がいたんだ」
「もしかしてそれは、マルケ男爵家?」
「そうだよ。アルテナも知ってるんだね。王太子はマルケ男爵令嬢と懇意にしていたそうだから、それでだろうと公爵閣下は仰っていたよ」
アルテナが同行させた探偵の働きもあり、公爵とマイルズは巧妙に隠されていた金の動きを暴き、真実にたどり着いた。
負債の原因には、驚いた事に前の人生でアルテナを陥れた男爵家が絡んでいた。マルケ男爵は、多くの低位貴族を騙して金を巻き上げている男だったのだ。
そんなマルケ男爵が公爵家の懐に入り込めたのは、男爵令嬢に惚れ込んだ王太子の手引きがあったからだった。
話を聞いて、アルテナは愕然とした。
「わたくしのせいだわ。わたくし、王太子殿下との婚約を断ってオルレアへ来たの。きっとそれで目を付けられたんだわ」
「それはこれから分かるはずだよ。たぶん今ごろ王太子は、貴族議会で糾弾されているだろうからね」
マイルズの帰国にこれだけ時間がかかったのは、マルケ男爵だけでなくグラナダの王太子ゲルハルトの不正まで、証拠を集めていたからだった。それらを元に公爵は国王に直訴しており、今は貴族議会で全てを詳らかにしている所らしい。
まだ罪が確定していないうちに手紙に書く事は出来なかったため、アルテナに知らせる事も出来なかったようだ。
「マルケ男爵はすでに爵位剥奪が決まってる。娘は修道院に入れられて、男爵はグラナダの僻地で労役を課せられるそうだ。王太子も逃げられないから近いうちに廃嫡されて、第二王子が新しく立太子されるはずだよ」
「それなら、さっき殿下にも話せばよかったわね」
「それは伝えてあるから安心して。公爵閣下から親書を預かって来たから、もう渡してあるんだ」
先ほどアルテナたちを助けてくれた王太子カシュテトがマイルズを知っていたのは、王太子妃や王妃が化粧品を愛用しているからだけではなかった。マイルズはアルテナの叔父を通じて、親書を城に届けていたらしい。
「それっていつ?」
「昨日だよ。帰ってきてすぐ男爵家を訪ねて、城に行ったんだ。僕はそのまま男爵家のお屋敷にお世話になって、ここに連れて来てもらったんだよ。アルテナには知らせてあると思ってたんだけど、違ったみたいだね」
この二週間余り、マイルズから音沙汰がなかったのは、マイルズが帰国の途についていたからだった。帰国直前に公爵からは結婚の許しを得たものの、それは直接伝えたいと手紙には書かなかったらしい。
そして叔母には、アルテナの婚約とマイルズの帰国について父親から連絡が来ていたはずだが、あえてアルテナには知らせなかったのだろう。わざわざマイルズのために衣装を用意してまで、アルテナを驚かせようとしたらしい。
「本当に、父はあなたを認めたのね」
「ああ。これで言えるよ」
マイルズはふわりと微笑むと、アルテナの前に跪き、手の甲にキスを落とした。
「アルテナ。僕は平民で、あなたには色々と苦労をかけると思う。それでも僕の全力であなたを幸せにすると誓うよ。どんなあなたも永遠に愛している。どうか僕と結婚してほしい」
「ええ、喜んで」
マイルズにギュッと抱きしめられて、口付けを交わす。半年ぶりに唇に触れた温もりは、もう二度と離れないと言うように熱く、アルテナは喜びの涙を滲ませた。