4:運命を変えるために
思いがけず訪れたやり直しの機会を使って、二度目の人生で成し遂げたい事が出来た。となれば、次に考えるべきは具体策だ。
再びマイルズと出会うためには、まずオルレア王国の王都へ行く必要がある。だが今のアルテナは公爵令嬢で、政略結婚の駒とされる存在だ。好きな人がいるから隣国へ行きたいと言った所で父親が許可するとは思えない。
それに、グラナダ王国とオルレア王国は不仲というわけではないが王都同士はかなりの距離があり、気軽に旅行に出かけられるような場所でもない。真っ当な理由で隣国へ行く方法など考えられなかった。
そうすると、追放してもらうのが一番可能性が高いと思える。幸いオルレア王国には、今は亡き母の妹が嫁いでいたはずだ。
母親が存命だった頃に一度会ったきりで記憶はほとんど残っていないし、母が亡くなってからは二、三度手紙のやり取りをしただけだが、叔母は貴族令嬢にしては珍しく恋愛結婚だった。事前に話さえ通しておけば、きっと叔母はアルテナの恋の味方をして受け入れてくれるだろう。
追放先として修道院ではなく、叔母のいる隣国にしてほしいと頼み込めば、父も頷いてくれるのではないだろうか。
そうと決まれば叔母に手紙を書いて、後は婚約破棄されるのを待つだけ……と思った所で、アルテナはふと眉根を寄せた。
「あんな嫌な思いを、わざわざもう一度するのも馬鹿らしいわね。それに無駄な王太子妃教育をまた受けるのも嫌だわ」
一度目の人生で婚約破棄されたのは十七歳の時だった。これから七年間も、あの浮気者で大馬鹿者の王太子の婚約者として過ごすなんて全力で遠慮したい。
さっさと婚約解消してもらえるように動いて、公爵家から追放してもらう理由は他に用意するべきか……と考え始めた所で、アルテナは、はたと気が付いた。
「そういえば今のわたくしは、十歳のいつ頃なのかしら」
王太子ゲルハルトとの婚約はすでに結ばれているのか。それとも、これから結ばれようとしているのか。そこで最初の動きが決まる。
アルテナは記憶を頼りに鏡台の引き出しを開けた。もしすでに婚約していれば、婚約の証としてゲルハルトから贈られた髪飾りが入っているはずだからだ。
だがそこに髪飾りは見当たらず、アルテナはホッと安堵の息を漏らした。
「良かったわ。婚約はこれからなのね」
まだ婚約していないのなら、このままゲルハルトとは関わらずに追放だけされればいい。王家から婚約の打診が来たのはアルテナの評判が良かったからだから、それを覆すような行動をしよう。上手くいけばその結果、父親の怒りも買って、追放もしてもらえるかもしれない。
考えがまとまると、善は急げとアルテナは動き出す。まだ起き出すには少し早い時間だけれど、もう侍女は起きているようだし朝の支度を始めよう。
侍女には申し訳ないけれど、早速高飛車で我儘な娘になってみようかしらと思いつつ、アルテナは意気込んで呼び鈴を鳴らした。
「おはようございます、お嬢様。今日はお早いですね」
「あら、わたくしがいつも寝過ごしているとでも言いたいの?」
「え……? あ、いえ、そういうわけでは」
「まあいいわ。それより早く支度をしてちょうだい」
「は、はい。ただいま」
子どもの頃のアルテナはとても聞き分けが良く手がかからなかったから、使用人たちはいつも必要最低限のお世話しかしなかった。でもだからといって、アルテナとの関係性が悪かったかというとそんな事はなかった。
記憶に残る昔の自分は、いつもお淑やかに微笑んで「おはよう」と挨拶を返していたはずだ。それを省いてほんの少し嫌味のように返しただけで、侍女はかなり驚いた様子だった。
アルテナの胸は小さく痛んだがこれもマイルズと再会するためだ。心を鬼にして、精一杯傲慢な振りを続ける。
以前なら、選んでもらった服を黙って着ていたのに、次々に違うドレスを持って来させて文句を言いながら決めていく。髪型も細かく注文を付けて、手付きが下手だとか髪が引っ張られて痛いだとか訴えて、侍女の仕事ぶりを貶すのも忘れない。
そんな事を一生懸命やっていると、アルテナはある種自嘲めいた笑みが溢れそうになった。
(これではまるで、あの噂通りの悪女ね)
一度目の人生で男爵令嬢を虐げたと冤罪を被せられた際、悪の令嬢だと不名誉な噂を立てられた。その時のあり得なかった自分になっている事が、何だか情けなく思えてしまったのだ。
こんな自分の世話をしなければならない侍女には本当に申し訳ないと思いつつも、それを顔に出さないようにしながらアルテナは鏡越しに侍女の様子を窺った。
すると四苦八苦しながらアルテナの髪を結う侍女は、意外にも楽しそうに微笑んでいた。
「……何を笑っているの?」
「いえ、嬉しくなってしまいまして」
「嬉しいですって? 一体何が嬉しいというの」
「これまで何一つ我儘を仰って頂けませんでしたから。お嬢様にも色々とお好みが出てきたのだと思いまして」
「何よそれ。わたくしを馬鹿にしているの?」
「いいえ、そんな。滅相もございません」
「それなら余計なことは言わないで、さっさと仕上げなさい」
「はい、お嬢様」
怒りを込めて睨んだというのに、なぜか侍女は嬉しそうなままだ。頑張ったつもりだったのに悪の令嬢には程遠いのかと、アルテナは内心でため息を漏らし、もっと悪行を重ねなければと気合を入れ直した。
「言い忘れておりましたが、お嬢様。朝食を終えられましたら書斎へ来るようにと、旦那様が仰っておいででした」
「あら、そう。お父様がわたくしを呼び出すなんて、珍しいわね。何の御用かしら」
「詳しくは存じ上げませんが、王家からお手紙が届いていたようですよ」
「王家から……?」
それはもしかして、婚約の打診ではないだろうか。王太子との顔合わせを申し付けられるのなら丁度いい。
出来ましたと髪型の確認を促す侍女に、アルテナはニヤリと口角を上げた。