39:信じて待つ日々
それから程なくして出かけていた執事が帰ってきた。一人残っていた使用人も仕事をしていたため、密室に二人でいたという事実は誰にも知られる事はなかった。
決死の覚悟で挑んだ計画は失敗してしまったが、アルテナは落ち込む事なく、マイルズのためにその場で手紙を認める。
用意したのは、父親である公爵に宛てたものと公爵家の侍女に宛てたものだ。マイルズの意向で、紹介状には信頼出来る商人だとだけ書き記し、恋人関係にあるという事は伏せて用意した。
「まずは信用を得るのが先だからね。足掛かりを作ったら、アルテナとの事を伝えて許しをもらうよ」
よほど自信があるのか、マイルズはにこやかに笑う。それを見て、抱えていたアルテナの不安はほんの少し薄くなった。
そうして建国祭から一ヶ月と経たないうちに、マイルズはグラナダ王国へ旅立って行った。少しでもマイルズの役に立ちたいと、アルテナが依頼した探偵も同行している。
彼らならきっと上手くやれるだろうと思いつつ、アルテナは毎日欠かさずマイルズの成功を祈って日々を過ごす。マイルズからは三日と空かずに手紙が届けられたため、アルテナはそれほど寂しさを感じる事もない。
残りの学校生活も穏やかに過ぎていき、あっという間に卒業まで残り一週間となった。
「学校もあと少しね。アルテナは卒業パーティーのドレスは出来上がってるの?」
「ええ。つい先日、最後の調整を終えたの。当日までには届くはずよ」
卒業前最後の休日となったこの日。アルテナは寄宿舎の自室で、久しぶりにリメルとゆっくりお茶を飲んでいた。
オルレア王国の貴族学校は、様々な知識や技能を身につけるための場所だ。そのため八年間という長い学校生活の間も、特に大きな行事はない。そんな中で唯一あるのが、卒業生とその家族や婚約者のみが参加出来る舞踏会だった。
前の人生でアルテナが通っていたグラナダの貴族学校での卒業パーティーには嫌な思い出しかないが、こちらはグラナダと違って在校生は参加しない。そして何より、今のアルテナに婚約者はいない。冤罪を被せられ婚約破棄から追放などという自体にはならないから、アルテナは安心して準備を進めていた。
「どんなドレスなのかしら。アルテナのイブニングドレスは初めて見るから楽しみだわ」
「大したものではないのよ。見せる相手もいないから」
「あら。マイルズさんに見せられないからって、手を抜いてはダメよ。公爵様だってきっと残念に思われるわ」
「それは大丈夫よ。父は来ないもの」
「そうなの?」
「ええ。代わりに叔母が来てくれるの」
娘の卒業とはいえ、公爵という高い地位にいる父親が隣国へ赴くのは難しい。それにマイルズの話によれば、アルテナを使った政略結婚で援助を引き出さなければならないほど、公爵家の財政状況は逼迫しているのだ。旅費をかけてまでアルテナの卒業パーティーに顔を出すとは思えなかった。
「残念ね。アルテナのお父様にお会いしてみたかったわ」
「そのうち会えるわよ。結婚したら王子殿下とグラナダへ外遊に行ったりもするでしょう? 城で行われる歓迎パーティーには父も出るはずだから」
「それはそうでしょうけど、それだと王子妃としてお会いしなくてはならないでしょう? アルテナの話をあまり出来なくなってしまうわ」
「わたくしの話なんて言わなくていいのよ」
「ふふ、照れちゃって」
リメルと第二王子の婚約期間は一年間となっている。卒業して少しすれば、もう婚姻の儀が行われるのだ。そのためリメルは、結婚式の準備にも大忙しだった。
卒業するだけでも会えなくなるのに、リメルが王子妃になってしまえばさらに会うのは難しくなる。アルテナは寂しさを感じて視線を落とした。
「リメルともあと少しでお別れなのね」
「そうね。でもアルテナはこちらに残るつもりなんでしょう?」
「ええ。上手くいくかはまだ分からないけれど」
「きっと大丈夫よ。卒業したらお茶会に呼ぶわね」
「嬉しいけれど、それは難しくないかしら。わたくし、商人の妻になるつもりなのよ? 妃殿下とお茶だなんて畏れ多いわ」
「別に構わないじゃない。でも、そうね。もしダメだって言われても化粧品を売りに来て? そうすれば会えるもの」
「……そうね。そうさせてもらうわ」
マイルズは最近かなり忙しくしているようで、定期的に届いていた手紙もここ一週間ほどはなく、父親を説得出来たかどうかは不明なままだ。侍女からの報告も途切れており、公爵家の様子についても分からないためアルテナは度々不安に襲われている。
けれどその度にリメルがアルテナを励ましてきた。マイルズがアルテナとの結婚の許可をもぎ取って来ると、親友が完全に信じてくれているから、アルテナも大人しく待っていられるのだ。
とはいえ、一週間後には卒業となってしまう。心の内で焦りを感じながら、アルテナは精一杯の微笑みを浮かべた。




