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38:誠実な恋人

「アルテナ、具合が悪いの?」


 アルテナは勇気を出して抱きついたものの、マイルズはごく普通に心配してくれるだけだ。それが嬉しくもあり、歯痒くもある。

 マイルズの胸元にしなだれ掛かりながら、ドキドキと跳ねる鼓動を必死に堪えて、アルテナはマイルズを見上げた。


「いえ、その……」

「横になった方がいいんじゃないかな。あと医者を……っ!」


 使用人を呼ぼうとして気付いたのだろう。薄く開いていたはずの部屋の扉が閉まっているのを見て、マイルズが息を飲んだ。

 アルテナは咄嗟にマイルズの顔を引き寄せ、目を瞑って唇を押し付ける。一瞬だけ口付け出来たものの、マイルズは振り払うように立ち上がった。


「きゃっ!」

「ご、ごめん!」


 ソファに倒れ込んだアルテナにマイルズは手を伸ばそうとしたが、その手がアルテナに触れる事はなかった。マイルズは顔を赤くして、目を泳がせている。

 いつも落ち着いているマイルズが動揺するのは珍しく、アルテナの緊張は不思議と解れていった。


「マイルズ」

「いや、少し待ってくれ。今、扉を」

「いいえ、お願い。このままで」

「アルテナ……」


 慌てて扉に向かおうとするマイルズの手をアルテナは掴み、潤んだ瞳でじっと見上げた。マイルズはゴクリと唾を飲み、何かを堪えるように眉根を寄せた。


「それは良くないよ。先に扉を開けないと」

「お願いよ、マイルズ。わたくしを奥の部屋に連れて行ってほしいの」


 そっと手を離そうとするマイルズに、アルテナは縋りついた。

 奥が寝室である事は、マイルズにも察せられたのだろう。マイルズはハッとして、真剣な眼差しでアルテナの前に跪いた。


「アルテナ、何を言ってるか分かってる?」

「……ええ」

「分かって言ったのか。どうしてそんなことを」


 なし崩しにベッドへ誘いたかったのだが、上手くは行かなかった。真正面から咎めるような厳しい視線を向けられ、アルテナの胸が痛む。

 はしたない女だと嫌われてしまったかもしれないが、ここで逃げてもどうにもならない。アルテナは覚悟を決めて、震える口を開いた。


「あなたが好きだからよ。わたくしは、ずっとあなたと一緒にいたいの」

「それは僕だって同じだ。でもこんな方法は間違ってる」

「わたくしもこれが正しいとは思わないわ。けれど、もう時間がないのよ」


 アルテナは侍女から来た知らせの事を話して聞かせた。父親から与えられている猶予は、卒業までの半年しか残っていない事も併せて伝える。

 きっとこれで抱いてもらえると思って話したのだが、意外にもマイルズは柔らかく微笑むだけだった。


「そうか。それで焦ったんだね。でもそれはいけないよ、アルテナ」

「マイルズ、どうして……?」

「あなたを傷付けたくないんだ。僕はこんな形じゃなく、あなたを大切に愛したい」

「でもそれでは、わたくしは……」


 優しい声音で告げられた想いに、アルテナの目から涙が溢れる。これほど大事に思われている事が嬉しいのに、それでマイルズと引き離される事になるのは耐えられなかった。

 するとマイルズは慈しむようにアルテナの涙を指先で拭うと、そのままアルテナの目元や頬に口付けを落とした。


「大丈夫、心配しないで。待ってほしいと言ったのを忘れてしまった?」

「いいえ、覚えてるわ」

「それなら僕を信じて待ってほしい」

「でも」

「僕に考えがあるんだ。お父君のことなら僕も知っているから」


 宥めるように顔中にキスを降らせながら言われた言葉に、アルテナは目を瞬かせた。


「知っているって?」

「黙っていてごめん。実は調べていたんだ。あなたのお父君や公爵家のことを。どんな方か分からないと、動きようがなかったから」


 マイルズは、アルテナに想いを告げられた時からすでに将来を見据えて動いていたのだと話した。どうしたら求婚を認めてもらえるかを探るべく、アルテナの父の人となりや考え方、公爵家やグラナダ王国の政情に至るまで幅広く調べていたのだ。

 まさか実家に探りを入れられていたとは思わず、アルテナは唖然とした。


「わたくしはてっきり、爵位を得ようとしているのだとばかり思っていたわ」

「もちろんそれも考えたよ。でもそれがどれだけ難しいかは簡単に想像がつくし、それで納得してもらえるのかも分からなかったから。それを知るためにも、調べさせてもらったんだ」


 マイルズの家は、叔父が捕まってからの数年で勢いが一気に伸びた。マイルズ自身、両親から任されている事業も複数あるため、動かせる金も伝手も充分にあった。それらを使って、マイルズは様々な方法で調べを進めていたらしい。


「なぜ公爵閣下があなたの縁談を急いでいるかは知ってる?」

「いいえ、そこまでは分からないわ。何か分かったの?」

「まだハッキリとは言えないけれど、公爵家の財政状況が傾いてきているみたいなんだ。だから僕は、そこからお父君の信用を得ようと思う」

「お金を貸すということ?」

「それもあるけど、それだけじゃない。その辺りはもう少し調べないといけないから、まだ言えないんだ」


 公爵家が傾くなど信じられない話だが、マイルズが嘘を言っている様子はない。

 不安を感じるアルテナの手を、マイルズはそっと握った。


「本当はもう少ししてから言うつもりだったけれど、近いうちに僕もグラナダに行こうと思うんだ」

「あなたが?」

「現地にいた方がもっと早く動けるし、直接見ることで分かることもあるから。だからアルテナ、良かったら紹介状を書いてくれないかな」

「それは構わないけれど……」


 下手をすれば、あと半年しかマイルズと共にいられないというのに、マイルズがグラナダ王国へ行けば会えなくなってしまう。

 寂しさや不安を感じて俯きかけたアルテナの頬を、マイルズが包み込むようにして顔を上げさせた。


「必ず認めて頂くから。僕を信じて、アルテナ」

「マイルズ……」

「待っていてくれるね?」

「……ええ。分かったわ」


 マイルズは前の人生でも頼りになる男だったが、正しく商人としての経験を積んできた今回のマイルズはさらに頭が回る。そんなマイルズがここまで言うのだ。何か勝算があるのだろう。

 不安を飲み込んだアルテナの唇に、マイルズの温もりが重なる。甘い口付けの余韻でアルテナがぼんやりしている間に、マイルズは閉じられていた扉を開けた。

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