37:二人きりで
マイルズに手を引かれ中央広場を離れると、アルテナは思う存分建国祭を楽しんだ。
祭りは国中で行われているが、最も規模が大きいのが王都だ。それを目当てに近隣の町や地方から多くの人が訪れており、普段目にしない珍しい品々も露店に並んでいる。
中には貝殻や珊瑚など海由来の品を扱う店や、異国からもたらされた変わった料理を売る屋台などもある。元は港町で暮らしていたというマイルズはそれらにも詳しく、様々な話を聞きながらアルテナは興味深く見て回った。
(このまま夕方まで楽しめたら良かったけれど……そろそろ時間よね)
アルテナが思う以上に、建国祭のデートは楽しいものだった。けれどそんな時間ほど、あっという間に過ぎてしまう。
そろそろ叔母たちも城へ向かう頃合いだろう。いよいよ今日の本題に進まねばと、アルテナは緊張に身を強張らせた。
「アルテナ、どうかした?」
「ええ、その……少し疲れてしまって」
「そうか。そろそろ帰った方がいいかな」
マイルズはいつだってアルテナに優しい。そんなマイルズを騙す事を心苦しく思いつつ、アルテナは縋るようにマイルズの肩に頬を寄せた。
「わたくしは、もう少し一緒にいたいわ」
「アルテナ……」
「今日は寄宿舎ではなく、叔母の屋敷に帰るの。だから送って行ってくださらない? 叔母様たちはもう出かけていると思うけれど、使用人はいるはずだしお茶ぐらいは出せるわ」
「そうだね、それぐらいなら」
上目遣いで問いかけると、マイルズは微笑んで頷いてくれた。快く了承してもらえた事に安堵して、アルテナは男爵家へ向かう。
護衛と御者には事前に話を通してある。宿泊のための荷物も屋敷に下ろしてもらうと、護衛だけを乗せて馬車は去って行った。
「これはお嬢様、お早いお着きでしたね」
「ごめんなさいね、お祭りを見て来たのだけれど疲れてしまって、送って頂いたの。部屋の用意は出来ていて?」
「はい、もちろんでございます」
「ではそちらで休ませてもらうわ。お茶の用意もお願い」
男爵家には、執事と若い女性使用人が一人だけ残っていた。先触れも出さずに突然やって来たアルテナに驚きつつも、執事は穏やかに微笑む。
きっと執事はアルテナが連れてきたマイルズを何者かと不思議に思っているだろうが、何も聞かずに客間へ通してくれた。
「お嬢様。私はこれから少し出かけて参りますが、メイドは残っておりますので、何かありましたらベルでお呼びください」
どうやら執事はこれから出かける所だったらしい。茶の用意を済ませるとアルテナだけに耳打ちして、客間の扉を少し開けたまま部屋を出て行く。
扉を開けておくのは妙齢の男女を部屋に二人きりにしないためだが、アルテナの目的には不要な気遣いだ。アルテナは手洗いに立ったフリをしつつ使用人も仕事に戻ったのを確認して部屋へ戻ると、そっと扉を閉めて鍵をかけた。
(いよいよだわ……)
バクバクと心臓が早鐘を打つのを感じながら、アルテナはゆっくり振り返った。
客間は二間続きになっており、今アルテナがいるのは廊下側にある居室だ。先ほどまで興味深げに部屋を見回していたマイルズは、今はソファに腰を下ろし、のんびりとカップに口を付けている。
そんなマイルズの向こう側には奥の寝室に繋がる扉がある。どうやって向こうへ誘うか、アルテナは逡巡した。
「アルテナ? 戻ったんだね。このお茶、味も香りもいいよ。まだ温かいし、あなたも座って飲んだら?」
「……もちろん頂くわ」
急に振り向いたマイルズに、アルテナは必死に平静さを装って頷いた。マイルズの隣に腰を下ろし、カップに手を伸ばす。
けれど喉を潤したはずなのに、口は緊張で乾いたままだ。手まで震え出しそうな自分が情けなくて仕方なかった。
(ええと……まず脱がなくてはならないわよね? 自然にするにはこのお茶を溢すべきだけれど、どこにかけたらいいのかしら。せっかく用意した下着まで濡れたら困るわ。そもそもこの下着でマイルズはその気になってくれるかしら)
事前にいくつか考えていた案がグルグルと脳内を巡るが、緊張しているからかうまく考えがまとまらない。その上、これからの事を想像してしまい、恥ずかしさから自然と頬が熱くなってくる。
そもそもアルテナは、積極的な性分ではないのだ。だからこそ前の人生で想いを告げられなかった事を悔やむ事になったし、マイルズと再会しても二年近く喋れずにいた。
そんなアルテナだから、意気込んだところで恋人をベッドに誘うのはあまりに困難だった。
「アルテナ、大丈夫かい?」
「え、ええ……」
様子のおかしいアルテナに気付いたのか、マイルズが心配そうに眉根を寄せる。ぎこちない笑みを浮かべたアルテナの手から、マイルズはそっとカップを取り上げた。
「顔が赤くなってるよ。熱があるの?」
コツンと額を合わせられて、アルテナはカァッと全身の熱が高まるのを感じた。思わず俯くと、視線の先で贈られたばかりの腕輪がキラリと光った。
(……やるのよ、アルテナ。せっかくまたこれをもらえたのだもの。この機を逃すわけにはいかないでしょう?)
マイルズの瞳と同じ紫色に染められたガラス玉を見つめ、アルテナは決意を込めてマイルズに抱きついた。




