36:建国祭
それから程なくして、リメルの言った通りマイルズは建国祭にアルテナを誘った。アルテナはもちろん喜んで誘いを受け、その日に向けて準備を進める。気合いを入れて新しい下着を揃えてみたり、体型維持や美容にも今まで以上に気を使った。
そうして一ヶ月という時間はあっという間に過ぎて、とうとう建国祭の日がやって来た。
(いよいよだわ。でも叔母様たちが城に向かうのは昼過ぎだから、お屋敷に行けるのもそれからよ。そこまでは普通にするの。普通に)
アルテナは馬車に揺られながら、高鳴る胸をそっと押さえた。自分で決めた事ではあるが、やはり緊張してしまう。
けれど変に意識しすぎてマイルズに怪しまれても困ってしまう。アルテナは何度も深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けた。
「アルテナ、ありがとう来てくれて」
「わたくしこそ誘ってもらえて嬉しいわ。今日はお店は閉めるのね?」
「ああ。ついこの前まで知らなかったけれど、城で舞踏会があるらしいからね。アルテナもそっちに行くはずだったんじゃないかって心配だったんだ」
「わたくしは関係ないから大丈夫よ。招待もされていないの」
「それなら良かった。父さんが広場で露店を出してるんだ。少しそこにも顔を出して行こうか」
「ええ」
王宮で舞踏会が開かれるため、貴族向けの店は祭りの間どこもお休みだ。マイルズたちの店も同じく閉まっているが、顧客は貴族ばかりではない。そのためマイルズの父親は、特別に広場で露店を出すらしい。
いつも通りマイルズと店で落ち合ったアルテナは、マイルズと手を繋いで下町へ向かった。大店の集まる通りはいつも穏やかだが、今日は特に人が少なく静かなものだ。
少し離れた場所を護衛がついてきているが、まるで二人きりで世界に取り残されたかのように感じてしまう。マイルズの手を握りながらこれから自分が何をしようとしているのかをつい考えてしまい、アルテナは頬を赤らめた。
けれどそんな緊張は長くは続かなかった。庶民街へ近づくにつれて様々な音楽や喧騒が聞こえてきて、アルテナの意識も自然と引き寄せられた。
「すごいわね」
「そうだね。王都の建国祭は僕も初めてなんだ。やっぱり地方とは全然違うな」
常に賑わっている下町だが、今日はいつも以上の人混みだった。屋台から美味しそうな香りが漂う中、祭りの特別価格だとそこら中の店から呼び込みの声が上がり、露店にも多くの人が集まっている。
音楽がそこかしこでかき鳴らされ、吟遊詩人が建国にまつわる詩を唄う。それに合わせて自然と踊り出す人の輪もあり、アルテナは呆気に取られた。
「父さんがいるのは中央広場の方なんだ。そこまで行くのも大変そうだけど、どうしようか」
「せっかくだもの行きましょう。わたくしもご挨拶したいわ」
「分かった。でも疲れたら言ってね。それから、僕から離れないで」
「ええ」
指を絡めてしっかりと手を繋ぎ直し、二人は祭りの賑わいに飛び込んでいく。露店を冷やかしながら先へ進めば、やがて一際大きな噴水のある広場に出た。
「おじさまはどこかしら」
「あの辺りのはずだよ。……すごい人だな」
マイルズの父親が出した露店には、多くの女性客が詰め掛けていた。ただでさえ人気のある化粧品を扱う店だ。それが祭りだからと安売りしているのだから、当然ともいえる。
挨拶など到底出来る雰囲気ではないその様に、マイルズは苦笑を浮かべた。
「これは近づいたら終わりだな。手伝いに駆り出されて祭りを楽しむどころじゃない」
「それは……困るわね」
「父さんには悪いけど、向こうに行こうか」
「そうね」
マイルズに手を引かれ、人の流れを避けるように広場から一本裏路地に入り込む。そこにもいくつか露店が出ているが、そこまで人が多いわけではないため、アルテナはホッと息を吐いた。
「こちらの方がゆっくり見れそうね」
「置いてあるのは安物ばかりだけれどね」
「それはわたくしが貴族だからでしょう?」
「まあそうなんだけど。アルテナ、気になるの?」
「ええ、見てみたいわ」
安物とはいえ露店には小物や装飾品も並んでおり、平民の男女が肩を並べて楽しげに覗いている。
彼らと同じようにアルテナも一軒の店を覗き込み、ハッと息を飲んだ。
「これって……」
そこにあったのは、色付きのガラス玉を繋げて作られた腕輪だった。それに見覚えがあったアルテナは、思わず辺りを見回した。
(ここは、あの娼館の近くなんだわ。そういえばあの日も、こんな風に音楽が鳴っていた……)
アルテナの脳裏に過ったのは、前の人生で娼館から逃げ出した日の事だ。その日マイルズは、アルテナを連れ出す前に熱烈な告白をしてくれたのだが、その時に愛の言葉と共に贈られたのがこの腕輪だった。
(あの時のお祭りは建国祭だったのね。そしてこれを買って、マイルズはわたくしを連れ出してくれたんだわ)
ガラス玉の腕輪を見つめ、アルテナは懐かしい記憶に目を細めた。そんなアルテナを見て、マイルズがふっと笑った。
「それ、気に入ったの? じゃあ僕から贈るよ」
アルテナが止める間もなく、マイルズはさっさと会計を済ませて腕輪をアルテナの手に嵌めた。
「うん、似合ってる。さあ、もっと楽しいところに僕と逃げようか」
「……ええ」
マイルズの微笑みが、記憶の中でアルテナを連れ出してくれたマイルズと重なる。胸がジンと熱くなるのを感じつつ、アルテナは差し出されたマイルズの手を取った。




