33:初めてのデート
マイルズは、移転前の店があった下町へアルテナを連れ出した。
いつもは馬車で移動する道を、アルテナはマイルズと手を繋ぎゆっくり歩く。もちろん二人きりではなく、少し離れた場所に護衛が付いていた。
大店の集まる通りへ移ってからも店の売上は好調で稼ぎはいいはずだが、マイルズたちの家は昔と同じ庶民街にあるらしい。そのためマイルズは、貴族街よりそちらの方が詳しいのだと話した。
「あなたに僕が暮らしている町を見せたいんだ。あまり楽しいものではないかもしれないけれど」
「そんなことはありませんわ。とても楽しみです」
アルテナにとって恋人と出かけるのは初めての経験となるが、貴族学校の友人たちからは様々な話を聞いている。
学生の令嬢たちが婚約者や恋人と出かける先は、劇場や貴族向けの店が多く、他には美術品を集めたサロンや庭造りに拘りのある貴族家での茶会に出かける事が多い。
そういった貴族のデートをマイルズは知らないはずだが、当然ながら庶民街へ出かける貴族などいないから心配しているのだろう。
けれどアルテナには、手を繋いで歩くマイルズしか目に入らない。マイルズと出かける先なら、そこがたとえ何もない荒野だとしても構わなかった。
「それほど遠くはないけれど、疲れたらいつでも遠慮なく言ってね」
「はい。ありがとうございます」
貴族街と違って庶民街には多くの人が行き交っている。それらを興味深く眺めるアルテナに、マイルズは歩きながら様々な事を話してくれた。
「僕の父は移民で、母とはこの国に渡ってから出会ったんだ。だから僕たち家族は元々、母の実家がある港町に住んでいてね。祖父母が亡くなったのをきっかけに、五年ほど前に王都に越してきたんだよ。その時、最初に店を出したのがこの辺りなんだ」
「そうでしたか」
マイルズの話にはアルテナも知っているものもある。けれどそれをアルテナは口にはしなかった。どうやらマイルズは、服役中の叔父の話はしない事に決めているらしい。
王都へ越してきてからどんな風に過ごしていたのか、近場にどのような店があるのかといった話で、マイルズはアルテナを楽しませてくれた。
「あそこのランチが美味しいんだ。アルテナの口に合うか分からないけれど、入ってもいいかな?」
「はい。わたくしも食べてみたいです」
庶民の食事は前の人生で食べたのが最後だ。もちろん貴族の食事は手が込んでいて美味しいのだが、アルテナとしてはマイルズや子どもたちと食べた庶民の味の方が好きだった。
またマイルズと食事が出来るというだけでも嬉しいのに、久しぶりに庶民の料理を食べられるとあって、アルテナの期待は高まった。
「おや、マイルズじゃないか。しばらく見ないと思ったら、今日はずいぶん綺麗なお嬢さんを連れてきたんだね」
「おばさん、久しぶり。彼女は僕の大事な人なんだよ。だから僕の好物を食べてもらいたくて」
「そりゃ良いね! あんたはあんまりにも女に興味がないから心配してたけど、ようやく良い人が出来たんだねえ。今日はサービスしてやるよ! お嬢さんにたんと食べさせてやりな」
マイルズと顔馴染みらしい食堂の女将は、上機嫌で話しつつ注文を取っていった。女将の話を聞いたアルテナは、まさかマイルズが女に興味がなかったとはと驚いた。
「あの、マイルズ様。今のお話は……」
「本当のことだよ。僕はずっと、店のことばかり考えてきたんだ。だからアルテナが僕の初恋なんだよ」
「そう、ですか」
前の人生と違って、銀髪で紫眼という珍しい色味を持つマイルズは、彼の父親と同じように女性の視線を集めがちだ。定期的に探偵から報告を受けていたから、特別な関係になった女性がいないのは知っていたものの、まさか初恋と言われるとは思わず、アルテナの頬がカァッと赤く染まる。
するとマイルズは、アルテナの手をそっと握った。
「あなたは? いつから僕のことを好きになってくれたの?」
「わたくしも、初めてお会いした時から……」
「良かった。それなら僕は、あなたの初めての男になれたんだね」
「はい」
嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになったアルテナの声は、囁くような小さなものだったけれど、ガヤガヤと賑わう昼時の店内でもマイルズはきちんと拾ってくれた。
テーブルの上で指を絡めて手を握られて、アルテナは顔を覆う事も出来ずに真っ赤になって俯くしか出来ない。
そんなアルテナに、マイルズは柔らかな声音で語りかけた。
「あなたの声も可愛らしいけれど、そうして照れて何も言えなくなるのも可愛いと思ってたんだ。前のあなたも今のあなたも、僕はどちらも好きだよ、アルテナ」
真っ直ぐに告げられたマイルズの言葉が、アルテナの心に歓喜をもたらす。マイルズは、アルテナが二度目の人生を過ごしているなど知るはずもないが、まるで前の人生の自分ごと今も愛されているように感じられた。
アルテナは何度も瞬きを繰り返し、滲みそうになる喜びの涙を必死に押し込める。そこへタイミング良く、女将が料理を手に戻ってきた。
「お待ちどうさん! いつもより肉団子を増やしてあるからね! ゆっくり食べておいき」
さすが庶民の食堂だけあって、料理の提供が驚くほど早い。アルテナはどうにか気持ちを落ち着けて、マイルズの好物だという肉団子と野菜のシチューを口にする。
アルテナに食べさせる事が出来てよほど嬉しいのか、マイルズは終始笑顔だ。その幸せそうな顔を見ながら、前の人生でも似たような味のシチューをマイルズが作ってくれた事を思い出し、アルテナは懐かしさを感じてまたしても嬉し涙を堪えるのだった。




