23:言えなかった理由
「店主の妻のローナと申します。マイルズ……先ほど応対させて頂いた私の息子のことですが、あの子から話を聞きまして。よろしければお化粧直しのお手伝いをさせて頂ければと」
ローナと名乗ったマイルズの母親は、にこりと微笑んだ。
(まさかお義母様にまでお会いする事になるなんて……!)
前の人生では会う事の叶わなかった姑の登場に、アルテナは呆気に取られて声も出ない。
するとローナが「ダメでしょうか?」と困ったように小首を傾げたので、アルテナは慌てて頭を振った。
「良かった。お客様のような可愛らしいお嬢さんにお化粧が出来て、光栄ですわ。当店の品がお肌に合えばいいのですが」
緊張に固まるアルテナの前で、ローナは壁際の棚から試供品を選び取っていく。そうしてアルテナの隣に腰を下ろすと、あれこれと商品の説明をしながら化粧を施していった。
(ああ、もう……。マイルズに気付かれただけでも恥ずかしいのに、お義母様にお化粧直しをさせてしまったわ)
マイルズが先ほどアルテナの顔を見ていたのは、どうやら化粧崩れを気にしての事だったらしい。マイルズに引き続き、姑にまで初対面からみっともない顔を晒しているのかと思うと羞恥で頬が熱くなる。
けれどそんなアルテナの心を知らないローナは、実に楽しそうに手を動かした。
「はい、出来ました。これでいかがでしょうか」
寄宿舎で暮らす間は自分で化粧をしているが、やはりその道に詳しい人物に頼んだ方が良いようだ。鏡の中に映る顔は、いつもより何倍も綺麗に仕上がっていた。
(もう失態は犯さないわ。今度はきちんとお礼を言うのよ、アルテナ)
軽く目を閉じて自分に言い聞かせると、アルテナは鏡を下ろしてローナに向き直った。
「す、素敵です……! あぁりがとうございま、した!」
意気込んで出した声は予想外に上擦っており、さらに吃って噛んでと散々だった。あまりの恥ずかしさに俯くと、頭上からローナの優しい声が響いた。
「ふふ。喜んで頂けて良かったです。お客様はお声も可愛らしいのですね」
柔らかな声音で告げられた言葉は、純粋な好意から発せられたものだろう。
しかし羞恥に震えるアルテナは、それを理解しながらも不安を感じずにはいられなかった。
(今のが可愛い? お世辞ではなく? わたくしの声は、本当はどうなのかしら)
アルテナは喉がひり付くような感覚を感じて、そっと喉元に手を当てた。それを見たローナは、どうやらアルテナの喉が渇いていると誤解したようだった。
「お疲れでしょうね。よろしければもう一杯、お茶を飲んでいかれてください。すぐにご用意しますから」
ひっそりと冷や汗を滲ませて下を向くアルテナを置いて、ローナは部屋を出て行く。それに何も反応出来ないまま、アルテナはただ過去を思い返していた。
前の人生でアルテナがマイルズに「好き」と言えなかったのは、「女性から気持ちを伝えるのは、はしたない」という令嬢時代に培った価値観を捨てられず、照れたり恥ずかしがった事が大きい。
けれどそれ以外にも、もっと根本的な理由があった。アルテナは人買いに攫われた際、助けを呼べなくするために喉を潰されて声を出せなくなっていたのだ。
そのためマイルズから「君が好きだ」「愛してる」などと愛を告げられても、「わたくしも」というたった一言すら返せなかった。声を失ったかつてのアルテナは、ただ照れて微笑みを返すしか出来なかった。
(マイルズ……あなたはどんな声が好みなの? もしわたくしの声を気に入ってもらえなかったら……)
二度目の人生を生きるアルテナの望みは、今度こそ自分の口でマイルズに気持ちを伝える事だ。
醜聞や追放という不名誉な事実を隠すため、前回は筆談ですら告げる事も出来なかった「アルテナ」という本名も教え、互いに「アルテナ」「マイルズ」と呼び合い愛を伝え合えたらどれだけ幸せかと何度も夢想してきた。
だが、果たしてマイルズには自分の声がどう聞こえるのだろうか。未成熟な容姿だけでなく声までマイルズの好みから外れていたら、嫌われてしまわないだろうか。
そんな不安に飲み込まれ、アルテナの喉は恐怖に引き攣った。
「お待たせしました、こちらをどうぞ」
一人で考えに耽っていると、和かな笑みと共にローナが現れ新しいカップを差し出した。心中には嵐が吹き荒れているが、だからといって未来の姑の好意を無下には出来ない。
アルテナはどうにか不安ごと二杯目のハーブティーを飲み干すと、謝礼を渡そうと財布を取り出した。
「あら、お代金は必要ありませんよ」
「い、いえ、ですが」
「今日一日それで過ごして頂いて、気に入ったならまた来て下さい。それで充分ですから」
「あ、ぁりがとうございます」
緊張で震える声は相変わらず酷いものだった。それでもどうにか必要最低限の言葉を交わすとアルテナは部屋を出る。店内ではマイルズと店主が数人の客の対応をしていたが、マイルズはアルテナに気付くと歩み寄ってきた。
「良かった、もう大丈夫そうですね。お帰りでしたら辻馬車をお呼びしましょうか」
忙しい中、わざわざマイルズが声をかけてくれたのだ。きちんと答えるべきだと思うが、また上擦ったり噛んだりしたらと思うと何も言えなかった。
アルテナは顔を赤くして、ふるふると頭を振った。
「お一人……ではないのですね。馬車はお近くに?」
失礼だとは思うが、アルテナはどうにか頭の動きだけで返事をした。情けなさにまた泣きたくなるが、せめて他の印象はこれ以上悪くならないようにと、アルテナは必死に口角を上げる。
真っ赤になりつつも見上げるアルテナを、照れて何も言えなくなっているとでも思ってくれたのだろうか。マイルズは優しい微笑みを浮かべた。
「よろしければ、またお越しください。いつでもお待ちしております」
アルテナは何度もコクコクと頷き、マイルズとローナに見送られて店を出た。
(何とか乗り切れたのよね? 変だったとは思うけれど、たぶん不快にはなっていないはず。客向けの笑顔なのかもしれないけれど……今のわたくしは子どもにしか見えないでしょうし、お義母様も微笑ましそうにしていたわ。きっと大丈夫よ)
不安な気持ちを必死に抑え込みつつ、少し離れた場所で護衛と落ち合い振り返ると、二人はアルテナを案じるように店先に立っていたため、軽く会釈を送った。
安心してくれたのだろうマイルズたちも笑みを浮かべて礼を返してくれた。
「お嬢様、良かったですね」
「……ええ、そうね」
無言を貫いた事でもし嫌われていたのなら、あそこまで丁寧に見送りはしないだろう。笑った護衛に頷きを返し、アルテナはホッとして帰路についた。




