21:一目だけでも
章タイトルを追加しました!
「アルテナ、大丈夫? どこか具合でも悪いの? 私もやっぱり残った方がいいかしら」
「大丈夫よ。わたくしのことは気にしないで行ってらっしゃい」
「そう? 無理はしないでね。もし辛い時は医務室に行くのよ」
「ありがとう」
六年生になって最初の休日が訪れた。顔色の悪いアルテナを心配しつつも、リメルは友人たちと町へ遊びに出かけて行く。
アルテナはそれを見送ると、ぐったりと机に顔を伏せた。
第二王子から直接想いを告げられてからというもの、アルテナは気まずい日々を過ごしていた。何せ同じ部屋では、第二王子に想いを寄せるリメルが寝起きしているのだ。
あの日以降も第二王子はこれまでと変わらず適度な距離感を保っているためリメルは何も気づいていない。だがアルテナは心優しい友人を裏切っているような気分で、眠れない日々が続いていた。
(あんなにハッキリ断ったのに諦めないなんて……。これ以上、どうすればいいのよ)
無理強いはしないと第二王子は明言したし、父親からは卒業まで猶予を得ている。第二王子が何をしたとしてもアルテナの気持ちは変わらないのだから、時間稼ぎが出来た事だけでも良しとするべきなのかもしれない。
けれどアルテナにとって、リメルは二度に渡る人生で初めて出来た親友だ。リメルの気持ちがどうしても気に掛かった。
(リメルはどう思うかしら。あの子とは違うと思うけれど……もし前のようになったら?)
アルテナの脳裏に浮かぶのは、一度目の人生で男爵令嬢に陥れられた時の事だ。嫉妬に駆られた女性が何をするのか分からないという恐怖は、何十年と経ったにも関わらず今もアルテナの心に染み付いている。
あの時のアルテナはゲルハルトの婚約者という立場にいたが、ゲルハルト自体には全く固執していなかった。そしてゲルハルトの心も男爵令嬢に向けられていたのだが、それでも男爵令嬢はアルテナを妬み追い落とした。
今のアルテナは第二王子とは婚約を結んでいないが、王子の気持ちはアルテナに向けられている。いつか必ずどこかで知られてしまうだろうそれを、リメルはどう思い、王子の隣に立つためにどう動くのか。アルテナを憎まないと言えるのか。
可愛らしい友人が豹変すれば、男爵令嬢に陥れられた時以上にアルテナの心は傷つくだろう。無意識のうちにそれを想像しては、アルテナは恐怖に震えていた。
(いけないわ。嫌なことばかり考えてしまう……)
男爵令嬢と違って、リメルは明るく優しい子だ。きっと正直に話して困っているのだと伝えれば、協力してくれるだろう。
けれどアルテナには、どうしても言い出せなかった。
(マイルズ……。もしまた前のようになっても、あなたはもう一度わたくしを助けてくれる?)
机の端には、マイルズの父親の店から購入した香油の小瓶が置かれている。縋りたい気持ちでそれを見つめるが、小瓶に映り込むアルテナの顔は今にも泣き出しそうだ。
どうしようもない不安を少しでも紛らわせたいと、アルテナは立ち上がった。
(会うわけじゃないわ。ほんの少し見るだけよ)
十五歳になって体つきもかなり変わってきたとはいえ、未だマイルズと対面する勇気を持てないアルテナは、自分に言い訳をしつつ寄宿舎を出る。そうしていつも世話になっている護衛を伴い、マイルズのいる店へ向かった。
マイルズは商家の跡継ぎとして店に立ち、経験を積んでいる最中だ。頑張っているはずのその姿を見て元気をもらったら、きちんとリメルに話をしようとアルテナは自分を叱咤して馬車を降りた。
「あなたはここにいてちょうだい」
「ここですか? 店の前でお待ちしますが」
「中に入るつもりはないの」
「お嬢様……」
アルテナが店から少し離れた場所に待機するよう護衛に命じると、護衛は呆れたような目を向けてきた。
ここまで来てなぜ入らないのかと、その目は訴えている。けれどアルテナは、外からほんの一目だけでもマイルズを見られればそれでいいのだ。覗き見るには、体の大きな護衛は目立ちすぎた。
物言いたげな護衛を黙殺して、アルテナは店の前に木陰を作る街路樹の陰へ移動した。マイルズとその父親である店主だろう、店の小さな窓越しに二つの銀髪が揺れ動く。
(もうすっかりお父様と同じ身長なのね。どちらがマイルズなのかしら)
こっそりと見つめていると、やがて銀髪の一人が店の扉を開けた。化粧品を購入したのだろう女性客を、爽やかな笑顔で見送る青年の姿に、アルテナは瞳を滲ませた。
(マイルズ……)
記憶にある栗色の髪とは違うが、清潔感を出すように額を出し後ろに流した銀髪に残る癖は、アルテナが愛した夫と同じだった。かつて何度もアルテナに愛を囁いた薄い唇に、優しげな印象を与える僅かに垂れ目がちな目元も変わらない。
前の人生で出会ったばかりの頃より若く、健康的で溌剌としているが、その顔は確かに愛するマイルズのものだった。
その後ろから、母親だろう栗色の髪の女性と店主が顔を出し、何やらマイルズに語りかけた。
肩を寄せ合う両親と和やかに話すマイルズの姿は、下男として苦渋を舐めた前回と違い、遠目に見ても幸せそうで輝いて見えた。
(何を話しているのかしら。分からないけれど、楽しそうにしてるわ)
アルテナの胸に様々な想いが込み上がる。そのどれもが温かく熱を持ち、アルテナに力を与えた。
(きっとあなたに、今度こそ気持ちを伝えるから。その日まで待っていて。マイルズ)
両親はすぐに店内へ戻ったが、マイルズはそのまま入り口付近に並べてある品を整え始める。ひとしきりマイルズの姿を堪能したアルテナは、この気持ちが萎む前にリメルと話をしようと、街路樹から手を離した。
だが帰ろうと足を踏み出した矢先、数人の男がアルテナの前に立ち塞がった。
「お嬢ちゃん、一人かい?」
突然現れた男たちに、下卑た視線で舐めるように全身を見られ、アルテナは嫌悪感でいっぱいになった。とはいえ、少し離れた場所にはアルテナの護衛がいる。男たちが手を出す前に助けに来るだろう。
アルテナはそう思って、表情も変えずに男たちを見据えていたのだが。
「ああ、お客様! お待ちしておりました!」
不意に背後からかけられた声に、アルテナの胸が跳ねる。
店先で不審な男に絡まれるアルテナに気付いたのだろう。振り向けば、マイルズが駆け寄ってきていた。




