2:死に戻ったという現実
「これは……どういうことですの?」
確かに自分は死んだはずだというのに、豪奢な寝台の上で目を覚ましたアルテナは、呟いた自身の声にハッとして喉元に手を当てた。
「まさか、わたくしは……」
響いたのは、もう何十年も前に聞いたきりの鈴が鳴るような瑞々しい自分の声だ。驚きつつもアルテナは、ベッド脇にあったランプに火を灯す。
揺れる炎に照らされて見下ろした手は小さく、足も短い。手触りの良いシルク地のネグリジェに遠い記憶を呼び覚まされ、アルテナは部屋を見回した。
「間違いなくあの家の部屋ね」
もう二度と思い出す事もないと思っていた記憶と全く同じ懐かしい調度品の数々は、どれも贅を尽くした逸品だ。そこはかつてアルテナが暮らした、グラナダ王国のサーエスト公爵家にある自室だった。
死の間際には、これまで過ごした人生を一気に思い出すという。これが走馬灯というものなのかとアルテナは首を傾げたが、それにしては柔らかなベッドの感触といい部屋に飾られた花の香りといい、感覚があまりにも現実的なものだった。
アルテナはそっとベッドを抜け出し、姿見の前に立つ。光り輝くような金髪は流れるように美しく、つぶらな瞳は透き通った湖水のような碧眼だ。
その色味は確かにアルテナと同じだが、身長は低く肌は艶やかで、頬もふっくらとしている。まだ少し幼さの残る顔立ちは自分でも愛らしいと思えるほどで、骨と皮だけのようになって死んだはずの自分とは対極にある。
けれどその姿はどう見ても見覚えのあるもので、何より身に付けているネグリジェが強く印象に残っていた。それは誕生日に贈られた品で、アルテナのお気に入りだったものなのだ。
「これを着ているなら、たぶん十歳の頃かしら。わたくしは確かに死んだはずなのに、過去に戻ったというの?」
アルテナはある種の確信を抱きつつ、つい先ほど終えたはずの六十年余りの人生を思い返した。
アルテナの人生は波瀾万丈なものだったが、幼い頃は公爵家の令嬢として穏やかに暮らしていた。
厳格な父と優しい母の間に初めて生まれた子として愛された日々は、ほとんど記憶には残っていないものの、間違いなく心地良いものだった。
けれどアルテナが四歳の頃、弟が誕生してから程なくして母親が儚くなると、幸せな日々に翳りが見え始めた。
屋敷の者たちは皆、生まれたばかりの後継となる弟にかかりきりとなり、アルテナには決められた世話をするだけで、誰も目を向けない。父親も母の死を振り払うように仕事に勤しむようになり、アルテナには淑女としてよく学ぶよう言うだけになった。
アルテナは寂しく思ったが、心優しい子に育っていたためその気持ちを閉じ込めた。まだ赤子の弟に手がかかるのは仕方ないと諦め、父親の悲しみにも寄り添おうとしたのだ。
かくして非常に聞き分けの良い、淑女の手本となるような小さな令嬢が形作られていった。
そうしてアルテナが十歳になった時、その評判を耳にしたグラナダ王家から婚約の打診がもたらされ、アルテナは一歳年上の王太子ゲルハルトの婚約者となった。
ゲルハルトは癖のある人物だったものの父親が喜んだため、多少の不満は目を瞑り妃教育にも熱心に取り組んだ。
小さな不幸は色々とあったが、そこまではおおむね順風満帆と言っていい暮らしだったと思う。
それがまた大きな転換を迎えたのは、アルテナが十七歳となった時だった。当時、貴族学校に通っていたアルテナは、卒業生を送るダンスパーティーの最中、突然冤罪を被せられ、ゲルハルトから婚約破棄を言い渡されたのだ。
ゲルハルトと懇意にしていた男爵令嬢を嫉妬のあまり手酷く虐げ、その命まで脅かしたという話は、全く身に覚えのない話だった。
しかし冤罪だと訴えても聞き入れられず、多くの人の前で突き付けられた婚約破棄は撤回される事もなく。これまでの評判の良さから一転して醜聞に塗れたアルテナを、父親も許しはしなかった。
悪評の影響を最小限に抑えるため公爵家から追放すると父親はアルテナに告げ、アルテナは修道院へ入れられる事になったのだ。
だがアルテナの不幸はまだ終わってはいなかった。修道院へ向かう途中、馬車が賊に襲われたのだ。見目麗しいアルテナは男たちに攫われ、人買いの手で隣国オルレア王国の娼館に売られてしまった。
過去を失くしたアルテナは、このまま身体まで奪われるのかと恐怖に怯え絶望し、もはや生きる気力すら無くしていった。
そんな時だった。愛する夫となるマイルズと、アルテナが出会ったのは。