洗礼1
「《風属性》でございます」
──だろうな。
そう思った。シンプルな感想であった。しかしそのまま口に出すわけにはいかないので、キッカはとりあえずニコリと笑った。
最近のキッカは困ったら笑うことにしている。よくわかんないから、という理由で笑っていても、顔がカワイイのでなんとはなしに様になるのだ。何も知らない大人はこれを見て笑顔になるので、キッカはかつて身につけなかった【笑って誤魔化す】を今生で覚えた。そもそも昔は【殴って黙らす】が一手目にあったため、それで上手くいかなかったことが少ないから、身につける必要がなかったのだ。
「これでハイネンヴァルトの御子息は皆魔力持ちですなぁ。侯爵様も鼻が高いでしょう」
白髪混じりの男が言う。
キッカは一番上の兄のことをよく知らないので、彼が魔力持ちであることを初めて知った。
──そんなことより、キッカには気になることがあった。
道具を片付けたり、ハイネンヴァルトの威光を褒め称えたりしている男たちの様子を伺いながら、キッカは首を捻る。
これは、大丈夫だったのだろうか?
キッカが安堵の息をつこうかというところで、男が大仰に両手を広げた。
「ああ──しかも、《枷》をご自身で解いてらっしゃるとは! 流石ハイネンヴァルト、騎士の才はお嬢様にも受け継がれていますな」
あ駄目だったぽい。
#
ハイネンヴァルトのお屋敷は、侯爵邸にしては調度や装飾が控えめだ。
濃紺の壁紙に白い柱と床材。目立つものといえば壁に並ぶ肖像画くらいで、歴代領主だけでなく、ハイネンヴァルトが輩出してきた騎士たちの姿も飾られているから、絵だけはかなりの数がある。
ただ、質素ではあるが広さはそれなりだ。
その割に人が少ないものだから、いつもどこか静けさが漂っていた。
それは、屋敷の子供たちが帰省する長期休暇でも変わらない。
「あれ? オニイサマじゃないですかぁ」
七三くらいの割合で帰省しない方が多いディスカードだが、ここ暫くは珍しく帰省を続けており、となると、滅多に見かけない人物に出会す機会も増える。
廊下の先に見つけた珍しい男の姿に、ディスカードは通り過ぎようとしていた角を、わざわざ数歩戻って声をかけた。
「……ディスカードか」
長男──《ラーディクス・ハイネンヴァルト》も、丁度帰省していたらしい。
彼はとうに学園を卒業しているが、今は王都の騎士団に籍を置いているため、呼び出されない限り屋敷には顔を出さない。
帰省時期の決まっている学生三人より、よほど稀な人物であった。
「ホリデー期間だからね。キッカちゃんとラームスも帰ってるけど、会った?」
「いや」
ラーディクスは、手元の書類から視線を外すことなく返事をした。
相変わらず、ピクリとも動かない仏頂面だ。
怒っているわけではないのだろうが、彼はいつも、「おまえを殺す準備はできている」という顔をしている。何がなくてもその顔なのだ。つまり人相が悪い。侯爵の血が一等濃いのだろう。
「マ、侯爵もオニイサマも煩わしいの嫌いそうだもんね」
「……特段、気にしたことはないが」
そう言いながら、ラーディクスは眉を顰めた。
「キッカは、居ないほうが気楽だな」
(……あの人名指しで避けられてるじゃん)
ディスカードは思わず鼻で笑ってしまった。
ラーディスクは気づいていないか気にしていないのか、そのまま言葉を続けた。
「あの二人──特に娘のほうは、いると侯爵がピリピリするしな」
「二人って……もしかしてロッカ夫人のこと?」
「…………」
ラーディクスはなぜか黙った。そしてまた「お前の両手両足の骨を一本ずつ砕いていく」と言いたげな顔をした。
「……俺の用は終わった。もう行く」
「あ。はーい」
ディスカードはなんとなく解せない気持ちのまま、何も言わずに見送った。
年単位で久しぶりの再会であるが、ハイネンヴァルトの男達はいつもだいたいこんな感じだ。こういうところも屋敷の沈黙に一役かっているのだろう。
「……ふぅん」
侯爵がキッカを避けているのは、新入りでもない限り屋敷の皆が知っていることだ。
元々あまり口を開かない男だが、キッカを前にすると輪をかけて口を開かないので見ていればわかる。邸内の使用人に、キッカが嘗められている原因の最たるところだろう。
しかし──
(ロッカ夫人の話は、初めて聞いたな)
夫人はキッカがいると騒がしいが、そうでなければ完璧な淑女だ。使用人からの信頼も厚いし、侯爵との関係で悪い噂も聞かない。とはいえ、仲睦まじいのかと言われると──
……いや。侯爵のそんな様子は誰が相手だろうと想像つかないので、そこは仕方がないだろう。
しかしもし、もしもだが。
侯爵が夫人をよく思っていないとして。
ならつまり、二人の関係は政略結婚ということになる。
じゃあ、ロッカ夫人の実家ってどこ? という話にもなるのだ。ハイネンヴァルトと政略結婚が成立するということは、夫人の出身は侯爵家に並ぶ地位か資産、もしくは資源を持つはずで。そんな家はそう多くないし、あれば名が知れている。
なのにディスカードは、使用人からも、周りの貴族からも、勿論侯爵からも、一切彼女の出身について聞いたことがなかった。
まあこれは、ディスカードが必要最低限の社交しか熟さないせいもあるかもしれないが。にしても夫人の帰省する姿どころか、話すら一度も聞いたことがないのは違和感である。
──キッカは何か、知っているのだろうか?
そうこう考えている内に、目的地に辿り着いた。
ディスカードはガチャリと扉を開ける。
「キッカちゃんは?」
「オイ、勝手に入ってくるな!」
ラームスの部屋である。
彼は武器の手入れをしていたようで、抜き身の剣を握ったままディスカードを怒鳴りつけた。
ディスカードは勿論丸腰であるが、平然と扉を開けたまま、「キッカちゃん知らない?」と繰り返した。
ラームスは「ぐぬぬ」という顔をしたが、ディスカードが出ていかなそうなことを察すると渋々「今日は洗礼の日だろう」と答えた。
「あ〜…そういえば」
日付はすっかり忘れていたが、休暇の初日、キッカとその件で話したことは覚えていた。
何故かって、「もっと早く言え」と怒られたので。
彼女の中身を知って、まだひと月も経ってないのに。無茶を言うなと思ったのだった。
《洗礼式》というのは、ユグエンの貴族の子供が一人前の家門の人間として認められる日であり、淑女に於いては、これを終えてやっとデビュタントを迎えられる重要な日である。
これについてはキッカも知っていたようだが、彼女が怒ったのは、それに付随するあるものについてだ。
「なら客間の方か。じゃ、」
「待て」
用がなくなったディスカードは、あっさり踵を返そうとしたが、意外なことに後ろから呼び止められた。
「え〜なに〜…? 入ってくるなって言ったり待てって言ったり……」
「お前、随分キッカを気にかけているようだが」
──なんのつもりだ?
そう言ったラームスの顔は、疑念と警戒に満ちていた。家族にする顔ではない。
ディスカードは驚いて目を丸くした。
「気にかけてる?」
「狩り大会の日も、キッカを案じていただろう」
「…………はあ?」
ディスカードは本当に驚いていた。一瞬何を言われてるのかわからず、反応が遅れたくらいだ。──覚えがなさすぎる。そもそも、学園に彼女の身を案じるような事態はそうない。
しかしラームスは、怪訝な顔をするディスカードに納得いかないようだった。
「知らない人間に話しかけてはいけないと、キッカを制止していただろう」
ラームスには具体的な覚えがあるらしい。仕方なくディスカードは、記憶から該当エピソードを探った。
そして、思い出すと同時に、思わず吹き出した。
「えぇ? アッハッハ……はぁ〜…心配?」
莫迦云え──ディスカードは思いながら、口角を吊り上げた。「アレは、呆れて口を挟んだだけ」
「呆れ……?」
狩り大会の時の話だろう。とんだ勘違いだ。
少なくとも、ラームスのように心配したからではない。
ディスカードは、「お前も知ってるでしょ」と、手元の万年筆をくるくると回した。
「何をだ?」
「ホラあの人、いぢめられてるじゃん?」
「……虐め?」
ラームスが不可解そうな顔をしたので、まさかそこからか、と弟の鈍さに眉を顰めかけたが、途中で気がついた。
「キッカは……虐められるのか?」
事実の確認ではない。
遂行可能なのか──ラームスの問いは、そういうニュアンスだった。
(なるほど……?)
ラームスは、どうやらキッカの力を知っている。
つまり、彼にとってキッカは、圧倒的な《強者》なのだ。
大の男が数人がかりでも屈伏させられない女を、細腕の女たちがどうにか出来るはずがないと思っているのだろう。
それは実際その通りで、腕尽くでどうにかすることは常人に不可能だ。それこそ、学園の誰にだって。
しかし、女の争いと騎士のそれじゃ遣り口が違う。
「出来るよ」
まあキッカちゃんが堪えてるかは別として──ディスカードは内心付け加えて、続けた。
「ラームスはさ、ボクが止めようとした時、キッカちゃんが声かけた生徒のこと知ってる?」
「よく見てなかったが、おそらく知らん」
「だろうね」
キッカも知らないだろう。
そして、彼女の周りの女たちは、それが気に食わないのだ。
貴族社会で《無知》とは《罪》である。
貴族の女──キッカの目指す《淑女》というものは、社交の華であるが、綺麗なだけのお飾りではない。
彼女の中ではどうも、《キラキラのパーティ》と《社交》が等号で結ばれていないようだが、実際パーティも茶会も、やってる当人たちからすれば仕事の一貫である。
着飾った女も、教養を披露する女も、地位をふりかざす女も、みな自分が家や領地の豊かさを象徴する良い宣伝材料だと自覚している。特に、情報の収集と、それに伴う立ち位置の調整は、彼女らの責務で日常だった。
だからこそ、責務を果たさず何も知らないままでいようとするキッカを排斥しようとする。
イジメが起こる理由は様々だが、キッカのそれは単純に「劣っているから」に他ならない。正直、キッカに友達が出来ないことも、裏で悪口を囁かれていることも、ディスカードは自然な流れだと思っていた。
《社交》は貴族にとって、ある種の戦場だ。
言葉一つ、振る舞い一つに神経を張り詰め、相手の情報を海馬に詰め込み、どれだけ会話の主導権を握れるか、情報を引き出せるか、自分を優位に印象づけられるか──マァ様々な話術が求められる。
彼女が漠然と憧れているキラキラの中身は、大抵が泥臭い腹の探り合いで、思うほど可愛らしいものではない。
しかし──
(泥臭いが言葉通りの戦場を住処にしていた《あの人》にとって、そうは見えなかったんだろうな)
そう。彼女は知っているはずなのだ。
戦場の印象が強く忘れがちだか、彼女はかつて、王族の護衛に上り詰めた騎士である。
そこらの平民よりずっと貴族の生活を識っているだろうし、その責務だって身近で見てきたはずなのだ。本当の無知ではない。
ならば何故、キッカはそれらを理解しないのか──
ディスカードはとうに、おおよその答えを出していた。
それは彼女の《淑女》に対する、並々ならぬ執着と憧憬のせいに他ならない。
「ほんとに欲しかったのは、地位じゃないだろうに……」
「……? 何か言ったか?」
ディスカードは肩を竦めた。
彼女が曖昧な称号を求める理由に思い当たる節があったとして、この男に言ってもしょうがないし、そもそも、キッカがコイツにどこまで話しているか知らない。
ディスカードはかぶりを振ると、ラームスを納得させるに必要な言葉だけ選んで、口を開いた。
「や。キッカちゃんが声をかけようとしてた生徒、同級生の婚約者を奪ったって最近話題の生徒だったんだよね。マァそれ以前からも男子生徒との噂がアチコチあって、貴族令嬢の中じゃ要注意人物なワケ」
「そうなのか」
「そうなの」
まあお前は興味ないだろうけど、と声には出さず思った。
それはきっと、キッカも同じことで。
けれどそれが、貴族の女たちにとっては、どうにも我慢ならないことなのだ。
「──じゃあやっぱり、気にかけてたんじゃないか」
ラームスが言った。
「…………は?」
ディスカードは言われた内容少し考えて、飲み込んでから、「今のどこを聞いてそう思ったんだよ」と答えた。
「呆れて口を挟んだのは、アイツが目指しているものに相応しくないことをしようとしたからなんだろ?」
「……はぁ?」
ディスカードは遠慮なく眉を顰め、嘲笑いを浮かべた。
勘違いも甚だしいと思った。気にかけていないし、気にかけなければならないような女でもない。
あの女は、一人でなんだって、どうにだってしてしまうのだ。
それは崇高な自己犠牲の精神とかそういうものでは決してなく、ただの面倒くさがりだとディスカードは思っていた。
彼女は馬鹿ではないが、考えることを面倒がる節がある。たびたびロウを【脳筋】と腐す姿を目にしていたが、彼女自身も大概だ。
ディスカードは歪めた唇のまま吐き捨てた。
「都合のいい頭だな。一回脳みそ出して洗ってこいよ。ボクはただ、あの人の傲慢ぶりに苛ついただけで」
「お前が洗え。俺だって、その身を守るよう誓わせた癖に、本人に本気で守られる気がないのは腹が立っている」
莫迦が。そんなもの、昔からそうだ。
他の人間に頼る前に、自分がやったほうが早いと結論づけてしまう。相談もしない。それでなまじ人より出来ることが多いから、問題なく解決出来てしまう。大抵の事件は彼女の前に些事であり、彼女で駄目なら誰でも駄目で、だから誰も彼女を案じない。止めない。それで──
「何かあってからでは、遅いのにな」
──その延長線に、《魔王殺し》があった。
「……はは、」
ディスカードは渇いた声で笑った。
コイツ、何もわかっていないようでよく見ている。──そうだとも。
弱くなりたいと吐いた口で、一人の男の命のために、国を敵に回すのを躊躇しない。
そんなキッカを見て、ディスカードは悟った。
「今も昔も……何も変わっちゃいない」
ベッドに腰を下ろしたラームスは、俯くディスカードを怪訝に見つめた。
「お前は、キッカに上手くやらせてやりたかったんだろ」
ラームスが言った。
ディスカードは苛々と頭を振ったが、もう否定の言葉は吐かなかった。
「あっそ……腹立って声上げたのが、ラームスにとっちゃ気にかけるの範疇になるワケね」
「お前のような外道にとってはそうだろう」
「無礼ってレベルじゃねーな」
ディスカードが弟の悪口雑言に顔を顰めていると、ラームスは嫌そうな顔で、「キッカがいた日、俺の部屋に入り込んだだろ」と言った。
ディスカードは驚いた。気づいていたとは思わなかったので。
「へえ……なんでわかったの?」
「匂いがした」
そんな筈はない。自分の跡はすっかり消していった筈だ。匂いだけではなく触れた跡、体組織、そういった痕跡を全て無かったことにする術だ。
(……《ギフテッド》か)
ただ感覚が鋭いだけかと思っていたが、そうではないらしい。
ラームスは相変わらず顰めっ面で、「お前、キッカのなんなんだ」とまだ文句を繰り返している。
ラームスは、ディスカードがキッカに嫌がらせをするのも、キッカのために何かするのも、同じように嫌らしい。
ディスカードはニコリと笑った。
「数百年来のトモダチだよ」
「何わけのわからんことを……嫌われてるようにしか見えんが」
「アレは一種の甘えだよ」
──オマエも気づいてるでしょ。
ディスカードが言うと、ラームスはぐっと黙り込んだ。
ディスカードは実際嫌われてるのに違いないし、キッカのことをよく知る人間からすれば、ラームスに対する態度──怒られて黙ってしおらしく頷いているキッカなんて、おそらくかつての同胞が見たら泡吹いて倒れるだろう──の方が、よほど特別なものだろう。
しかし、そんなことをわざわざ教えてやる義理はない。
悔しそうに黙り込むラームスを背に、ディスカードはほくそ笑みながら、今度こそ部屋を後にした。




