淑女と狩人2
約一月にも及ぶ旅を終え、キッカがまず初めに目にしたのは、第九塔の前で仁王立ちするラームスの姿だった。
眠い顔で暫し怪訝に首を傾げていたキッカだが、不意にハッと顔を引き攣らせた。
不味いことを思い出したのだ。
「キッカ」
「お……おにいさま」
こちらに気づいたラームスはずんずん近づいてくる。
腰が引けた様子で吃るキッカなんて、なかなか見ない姿だ。隣のディスカードがもの珍しそうな顔をした。
「ええとその……お久しぶりですわね」
「どこへ行っていた」
「あぅ、あうてぃんぐに……行ってましたけど? みんなそうでしょ?」
「何をしたんだ?」
ラームスが淡々と尋るのが、尋問のようで尚更キッカには恐ろしかった。
これならいつもみたいに大声で怒鳴られたほうがマシである。
(…………手紙出すの忘れてたッ!)
そう。
ラームスからは、行先が決まったら伝えるよう言われていた。
キッカだって、それを無視するつもりはなかった。ミスティリオンに着いたら、手紙で上手く誤魔化しておこうと思っていたのだ。
──しかし、蓋を開けてみればミスティリオンには行かなかったし、魔物と鉢合わせ、王子が仲間に加わり、内乱に巻き込まれた。
そんなことがあって、さっぱり思い出すタイミングが無かったのだ。
「手紙も寄越さず、家族の誰にも行先を告げず、どこで何をしていたんだ?」
ラームスはゆっくり、一言一言、言葉を発した。
キッカは追い詰められたように黙り込んで、背中を冷や汗で濡らした。
(……い、言えない)
他国の王子を助け、人攫いのアジトを潰し、反乱軍の祭に参加して、魔物の根城で魔法陣を壊した──なんて。
とてもじゃないが、言えない。
何故か?
ラームスに怒られるのがやだからだ。
「ねえ、ちょっと」
まごついていると、ディスカードがぐいとキッカを押し退け前に出た。「オマエ、ボクのこと見えてなかったりする?」
その言葉に、今までキッカしか見ていなかったラームスが、やっと隣の男を瞳に映した。
「……なんでお前がキッカと一緒にいるんだ」
「あ見えてないワケじゃなかったのね」
そりゃ良かった、とディスカードは煽るような口振りで言った。
「質問に答えてやるけど、キッカちゃんとアウティングに行ったのはボク。つまり家族同伴てワケ。だからオマエが心配する必要もナシ。オーケーわかったらそこ退いてくんない?」
「お前と一緒に?」
ラームスがギロリとキッカに視線を戻した。
キッカはたじろいで一歩下がり、ラームスは一歩進んで、その距離を縮めた。
「コイツと、行ったのか。アウティングに」
「う〜…ん」
キッカは微妙な返事をした。怒られるかな。ダメだったかな。そんな不安が透けて見える返事だった。
キッカだってディスカードと行きたかったわけじゃない。元はと言えば、ディスカードとラームスを一緒にしないために承諾したのだ。
次兄の正体を知った今となっては、正しい判断だったと思う。予想していた以上の危険人物だったので。
「ラームスさぁ……妹が心配なのは解るけど、帰って早々コレは配慮なさすぎじゃない? こっちも疲れてんだよね。キッカちゃんも福祉への貢献で最高評価貰って、今年は進級出来そうなんだからそれでいいじゃん。めでたしめでたし世は事もなし。ハイオワリ解散」
ディスカードが間に入って、ラームスを遠ざけようとする。
今はありがたいと思ったが、ラームスを見てギョッとした。ちょっと殺気すら感じられるような形相で、ディスカードを睨みつけていたので。
何故かディスカードが庇えば庇うほど余計にキレている気がして、キッカはディスカードの耳にそっと唇を寄せた。「──お前ラームスになんかした? 殺すぞ」ディスカードからは、「え酷くない? 庇ったのに」とまた小さく返って来た。
心当たりがないのか、話す気がないのか。キッカがディスカードから聞き出すのを諦めて、チラ、とラームスの方に視線を向けると、何故かそちらはブチギレ大噴火寸前という様相になっていた。
ヒエ、と声を上げて、キッカがディスカードの後ろに下がる。
そして実際ラームスはブチギレ大噴火した。
「キッカ・ハイネンヴァルト!!!」
「あぃ」
ついにラームスのクソデカ怒鳴り声が響き渡り、キッカは身体を小さくした。
めちゃくちゃデカい声に、身構えていても吃驚したのだ。なんなら遠くに通りかかった生徒も皆こちらを見ている。
「俺はお前を守ると誓った!」
「はひ」
「しかしお前が俺の剣の届く範囲にいなければ意味がないだろう!!」
「はえ……」
「次、学園から出るときは必ず俺に声をかけろ! わかったな!!」
「で、でもわたし、一人でだいたいなんとかできる……」
「お前は! 守られる!! 令嬢に!!! なりたいと言わなかったか!!!!」
「い、言ったぁ……」
「自分の発言に責任を持て!!!」
「はわ……」
キッカはしょんもりと視線を落とした。
なんでこんな怒られてるんだろう……そりゃ危ないことなんてしたくないし、守ってもらいたいのもその通りだけど。
でも、今回は事情が事情だ。我ながらわりと働いた。評価もちゃんと貰ってきた。
……なのに、なんで怒るんだろう。ラームスにとって、強いことはいいことなんじゃないのだろうか。それとも、やっぱり約束を破ったことを怒ってる……?
「今後はどうすればいいかわかったか」
「遠く行くときラームス呼ぶ……」
「そもそもあちこち行くなと言いたいが、お前は聞く気がしないからな。ちょっとでも学園から離れたいと思ったら俺を呼べ」
「わかった」
「よし」
「重〜ッ……ま、ラームス居なかったらボクに声かけてもいいけどね」
ディスカードがキッカの頭に顎を乗せ、「貸しで良ければ手を貸すよ」と言った。キッカは背負投げで振り払おうか逡巡したが、生徒がチラチラこちらを見ているため止めた。
ラームスがまた、ディスカードを睨む。
「ディスカード、おまえ自分が何をしたか忘れたのか?」
「えっ?」
少し考えて、ディスカードは、「あ〜…あのときはゴメンて! ちょっとゴカイがあったっていうか。もうやらないやらない」と答えた。
キッカはちょっとどれのことかすぐには頭に浮かばなかったが、とりあえず、「そもそもディスカードには頼みませんわ」と答えた。
キッカがバッサリ斬り捨てると、頭の上で「ひどーい」と泣き真似をする声がした。
それを見たラームスが、なんだか微妙な顔をする。
キッカは首を傾げた。
ラームスは、ディスカードに頼るのは反対する態度をとるのに、その通りにしたらしたで変な顔をする。
「……おにいさま、なんかあった?」
「? 俺のほうは何もないが。ただお前がなかなか戻ってこないから……」
「あ。寂しかったんですの?」
「は……さッ、は!? いやそういうわけじゃ」
「一緒に寝る?」
「へ?」
ラームスがぽかんと口を開けた。
ディスカードは引き攣った声で、「……ご、ごめんキッカちゃん今なんて?」と尋ねた。
「今日一緒寝よっか」
キッカは口をあんぐり開けた二人の前で、同じことを繰り返した。
寂しかったんでしょ? アウティングの話でもしようよ。
キッカがそう言うと、ラームスは唖然とした顔でキッカを見下ろした。
ディスカードはキッカの前に回り込み、わたわたと慌てた身振りをした。
「待ってキッカちゃん早まらないでコイツそんなタマじゃ──」
「寂しかった」
「ほらやっぱりそうですわ」
「ラームス!!」
ディスカードが振り返ってラームスに吠える。さっきとはまるで逆だ。そんなに仲悪かったっけな、とキッカは首を傾げた。
「ディスカードうるさい。一人寝が寂しいときだってあるでしょ」
「いやコイツのはそーいうんじゃないでしょ……」
ディスカードはなおも苦言を呈したが、キッカは無視して一旦自寮に帰った。
残された男二人は、黙って顔を見合わせた。
#
基本的にどの寮に入るのも、第九塔を経由する必要があるのだが。
侵入するとなれば話は変わる。
「……ほんとに来たんだな」
「? 行くって言ったじゃん」
皆が寝静まった夜半。キッカは約束通り、騎士寮までやってきた。──窓から。
別に他科の学生が寮に入ることを禁じられてる訳ではないが、正規のルートで行くと入口で目的を検められるし、時刻なども記録される。
キッカの方から出向くと言い出した理由も単純で、三寮の中で一番侵入し易いのが騎士寮だからだろう。
騎士寮は唯一、侵入者に対し魔術的な細工を施していない寮である。先輩からは、「騎士科生は全員警備員みたいなもんだからな。その自負によるものだ」と聞いたが、本当かどうか知らない。
キッカはなんの躊躇もなく、ラームスの布団に潜り込んだ。
「きて」
キッカが舌の足らない声を出す時は大抵、眠たかったり、動揺していたり、はたまた頭に血が昇っていたり──今回はどれだろう。
……現実逃避だ。
ラームスは自分の部屋にも関わらず、入口の近くで固まっていた。
キッカが頭の半分だけ布団から出し、怪訝な顔で「はやく」と言うのを聞いて、やっと操られたようにふらふらと、寝台の横まで足を進めた。
しかしそこでまた、足が縫い留められた。
彼女の許しを待つように、寝台の脇でだんまり頭を俯けているラームスを見て、キッカは不思議そうに首を傾げた。
「? おいで」
ちょいと布団を持ち上げて、キッカが笑いながら言う。
その声が脳みそを揺らすと同時に、ラームスの額に青筋が立った。
この女には警戒心がない。何故か? ──彼女にとって、己が警戒に値する脅威ではないからだ。
ラームスは血管が切れそうになりながら、感情とは裏腹に、体は素直に布団の中へ収まっていた。
「なんでそんな顔してるの」
「どんな顔だ」
「恐い顔」
キッカはそっと、寝台の中でラームスに近づき、耳許でこしょこしょと「まだ怒ってる?」と尋ねた。笑いを含んだ声であった。
ラームスの顔にまた、青筋が立った。
「……お前、なにして来たんだ」
「え。……教会で、色々やったり?」
キッカはあからさまに目を逸らした。
いつもは怖いほど真っ直ぐに目を見て喋るのが癖なのに、何かやましいところがあるとこうなるからわかりやすい。
どれだけ強くても、家族に怒られるとこんな子供みたいな態度を取るのだな、とラームスは思った。嫌なら力で平らげてしまえばいいのに。
キッカがもぞもぞと布団に潜り込んだので、脇の下を掴んでずるずると引っ張り出した。
「ら。ラームスのはなし! ラームスのはなししよ!」
「さっきの髪飾りはどうした?」
慌てて話を別のところに移そうとしたキッカを無視し、ラームスは尋ねた。
キッカは一瞬きょとんと目を開いて、頭に手をやり、あ! と声を上げた。
「はずしてきた」
「そういうことじゃなくて……」
さっきあったものが無くなっていれば予想はつく。
そうではなく、ラームスが聞きたいのは、その髪飾りをどうして手に入れたのかということだ。
アウティングの報酬にしてはやけに高価そうだし、それと関係なく、個人から貰ったものなら尚更だ。
「……アウティングで」
「ああ」
「出来た、友達に。もらったの」
「……友達が出来たのか」
「うん」
今度は、キッカは目を逸らさなかった。
おそらく本当の話なのだろう。しかし、その目は、ラームスではないどこか遠くを見ているように感じられた。
「……良かったな」
ラームスは何を言うのが正解か測りかねて、とりあえず無難な言葉を口にした。
キッカはホッとした顔をして、そして視線を彷徨わせた。何か言いたげな顔に見えたが、キッカは結局、「……うん。良かった」とだけ口にした。
「ラームスは、どうだったの」
「む……そうだな。凄かったぞ。《ヘリファルテ騎士団》の訓練生として受け入れて貰った。訓練も普段より厳しいものだったし、鍛えられたと思う」
「うん」
「でも、まったく通用しないというほどではなかった。俺も訓練を積めば届く強さだと思う。あそこはかつて父上も所属して──」
「でもちょっと、オーバーワークだったんじゃない?」
キッカが布団からずり上がり、ラームスの髪を引っ張りながら言った。「痛い」と言って引き摺り降ろそうとすると、抵抗してラームスの頭を抱え込むので、顔に夜着越しの柔らかい何かが触れてふにゃりと形を変えた。
ラームスは動くのを止めた。
「毎日無茶して魔力を使ってたとか」
「……なんでそう思う」
キッカは返事の代わりに旋毛の髪を引っ張った。
目の前の身体に触れないよう、小さく「いたいぞ」とぼやく。
「わたしにはわかるから誤魔化しても無駄。魔力の過剰行使は下手したら死ぬよ。やめたほうがいい」
「……以降気をつける」
ラームスが苦々しい声で答えると、キッカは納得したのなもぞもぞと布団に潜っていった。
ラームスは緊張から解放され、首を緩く振った。
なんとなく下を見ると、潜り込んだ布団の中から、丸い目が二つ、こちらを凝っと見ている。
「……わたしの髪、どう?」
「? 伸びたか?」
「ん〜…まあ、多少……?」
キッカの口振りからして、聞きたかったのはそれじゃないらしい。
それに実際、キッカの髪は伸びるのが遅い方なのか、最後に見た時と大して変わっていないように見える。
ラームスは、自分がこの手の質問に疎いことは自覚していたので、唸りを上げながらキッカの頭を見た。キッカが呆れた顔で笑う。
「わたしの髪、どんな色かなって」
「? ……銀色だ」
「好き?」
「す、……まあ、美しいんじゃないかとは、思う」
雪みたいだ、とラームスは言って、髪に触れた。
雪はハイネンヴァルトに馴染み深い。領地の最北は、雪降る山が連なっている。それを越えた先に人類圏はない。
「わたしも、おかあさまに似たこの髪が好き」
「……黒髪は嫌いか?」
「そういうことじゃない」
キッカはまたくふくふと笑って、布団に顔を埋めた。
じゃあどう言うことかと思ったが、とりあえずキッカが楽しそうなのでいいか、とラームスは考えることを止めた。
ラームスは早朝も筋力トレーニングを欠かさないので、明日の朝も早い。寝る時に疲れたくないが、キッカと話しているとやたら頭に血が上る。
「……おやすみ」
「うん。おやすみラームス」
もう寝ろという気持ちを込めて挨拶をすると、キッカからも素直に返事が返ってきた。
彼女はもぞと動くと、こちらの胸に頬をぺたりと当てて眠りについた。
ラームスは黙って動かなくなった。
勿論寝たわけではない。
──翌朝。
起きたら、ディスカードがいた。
「あ、れ……? ディスカードになってる……」
「同じ血が流れてるんだからどっちでもいいでしょ」
「そういうもん……?」
寝起きでぼんやりした頭で辺りを見回すと、机の上に寝巻きが綺麗に畳まれていた。
ラームスは一足先に出て行ったようだ。
「キッカちゃんって《狩り大会》出るの?」
「……は?」




