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スライムとシュン1

過去編。スライムとの馴れ初め。

続き物になりますが、今回の閑話ではこの一話だけの投稿になります。






 視界を覆う翠蓋。断末魔じみた獣の哮り。針葉樹と広葉樹と名も知れぬ大樹が、かつては都市の一部だった瓦礫に根を張る。

 ──陽の届かぬ魔境。

 そんな(おおよ)そ人の立ち入らぬ場所で、二人は顔を突き合わせて話していた。

 長い黒髪を背中に垂らし、唇に緩く笑みを浮かべた男は、興味深そうな顔で目の前の人物を眺めており、

 もう一人の、景色の緑からは浮いた鈍い赤色は、目の前の男を睨みつけて唸りを上げていた。


「お前を殺したいと夢にまで見たことは数知れないが、今日で現実になる。死ね」

「ごめんて〜」


 顔の前に両手を合わせ、コテンと首を傾げる男に、溜飲が下がる筈もなく。本当に殺してやろうかと、女の指先を殺意が掠めた。

 今が魔王討伐の行軍の最中で、この男──《D・サンクトゥス》が、唯一この状況を打破できる可能性のある人物でなければ、嬉々として剣柄を握っていただろう。


 すると突然、腕の中のふにゃふにゃした生き物が、男に何か吐きつけた。


「おっと」


 男はそれを、指先一つ振るだけで難無く防いだ。

 しかし、生き物は性懲りも無く、何か吐き出し続けている。


「おい、やめろ」

 シュンが止める。無論、目の前の男を心配してではない。「無駄だから」と付け加えると、生き物は漸く腕の中で大人しくなった。


「あ~…なるほど、」

「なんなんだ」

「シュンくん、何か、いつもと違う感じする?」


 違うも何も、お前のせいで命の危機に晒されている。

 そう言ってやりたい気持ちを抑え、シュンは考えた。

 これは、男なりに現状把握に努めているのだろう。状況が解らなければ、解決方法も浮かばない。シュンは渋々口を開いた。


「……コイツと、俺は繋がってる。感覚的にわかる」


 こんな経験初めてなのに、それでも解った。

 自覚できただけ幸運かもしれないと、シュンは絶望しながら思った。


「んん〜なるほどなるほど? 強い感情に反応してるのか……それとも条件があるとか?」

「一人で喋るな。いい加減()()()()()()か、説明しろ」

「いやぁ、まだ確証あるワケじゃないし。でもほんと、ボクもわざとじゃなかったんだよ。魔術師に好奇心はつきものというか、それがあるから魔術の進歩があったというか、一端の研究者としてこれもまた正しい行動と言えなくもなくなくない──」

「説明」

「ハイ言います〜」


 頸に剣を沿えられて、Dは両手を上げた。


 ──曰く、遺跡の中で珍しい魔術を見つけた。

 それは喪われた古い言葉──魔術師の言葉で《呪術》と呼ばれるもの──で記されており、読み解いてみると、【異なるモノの意思疎通を円滑に行う】ような魔術だったらしい。ようなってなんだ。

 活用の仕方は色々思い浮かぶが、遺跡に残る文献を見るに、遠くにいながら指示を出したり、言葉を発さず情報を共有したりが実際に出来たそうな。

 そしてDは、「おお! これは今の状況でも何か役に立つのではないか?」──という建前で、面白そうだから試してみたそうな。


「俺で試すな」

「自分に試しちゃうと何かあった時解呪出来ない可能性あるじゃん? ボクはリスクヘッジの出来る魔術師」

「リスクわかってるなら手を出すな」

「あ、キリエくんちょっといーい?」

「話聞け」


 Dが手を振って、近くで薪にする枝を素手で割っていた──枝といってもシュンの腕くらいの太さがある──男を呼び止めた。

 男はこちらを見ると、ノシノシと近づいてくる。


「なに」

「このスライムにちょ〜っとだけ傷つけてくんない?」

「…………」

「あっ、本気でやっちゃ駄目だよ! ほんのすこーし、薄皮に傷つける程度ね」


 キリエが剣を抜いた。

 スライムは危機を悟ったのか、必死に逃れようとするが、生憎シュンの腕から逃れるには力不足だ。


 キリエの剣が静かに空を切ると同時に、シュンの腕から、ブシッ、と血が吹き出した。

 直ぐに魔力で止血する。──キリエの剣は、確かに、スライムだけを斬った筈だが。


「おい、ディー…」

「いや実際見たほうが早いと思って」

「だから俺で実験すんなよ!」


 騒ぎを聞きつけてか、野営の準備をしていたロウとアニスもやってきた。

 捕らえられて身をよじるスライムと、剣を抜いているキリエ。そして腕から血を流すシュンを見て、まずアニスが声を上げた。



「何をやっているの!?」





#





 全員集まったところで、丁度いいとDが事情を語り始めた。

 結構なことをやらかしてくれたと思うが、語り口には微塵の感情も挟まれず、悪びれなく客観的に事のあらましを述べていくところは学者然としており、つまり魔術師としては信頼出来る。

 代わりに、人としての信用は地に落ちたが。アニスの顔が引き攣った。


「つまり……なに? シュンの命が、この、プルプルふにゃふにゃのスライムに繋がっているってこと?」

「おそらく……いえまだ検証の段階ですが」

「検証?」

「一度試しただけでスライムのどこの部位がシュン殿の四肢(パーツ)接続(リンク)しているか解らないので。どこまで感覚を共有するのか、表皮だけのものか、スライムは無脊椎のため骨に影響が出ることがあるのか、スライムは分裂するため一度切り分けてもまた融合することがありますが、その場合シュン殿の体にどのような反映(リフレクト)があるのか、くっつくのかくっつかないのか、一度解体してみないことには──」

「…………」

「姫さま、俺がパズルにされる前にコイツを鰐王(セベク)の沼地に沈めてきていい?」


 絶句しているアニスの肩を叩き、シュンは言う。


「……だめよ」

「なんで? ユグエンにはバレないようにするし。ロウには珍しい魔物を解体して毒にあたって死んだって言っとく。アイツなら信じるだろ」

「シュン、俺隣にいるんだが」

「聞いた? 隣国の大魔術師に殺害予告。国際問題待ったなし」

「だめよ。野宿の質が下がるでしょう?」

「それはそう」


 ぐう、と黙り込んだシュンを見て、アニスを見て、Dが悲壮な顔をした。「ボクの魔術が目当てだったのね!!」

 実際そうだ。Dの能力(ちから)はアニスと並んで利便性が高い。戦えるだけの他三人と違って貴重なのだ。


「とにかく、検証はもういりません。スライムが傷つけば、シュンも傷つく。それが分かればじゅうぶん。だって、つまり、スライムが死ねば……」

「ディー! テメーせめて竜種(ドラゴン)と繋げや!!」

「竜相手だったらこんな簡単にいきませ〜ん」


 シュンがDの胸ぐらを掴んだのを見て、アニスは頭痛を堪えるように、ぐっと眉間を指で押さえた。


 魔物の中で最弱も最弱──それが不定形生物(スライム)だ。

 地域や環境により大きく性質変えるのが特徴だが、基本的に脅威となり得るのは一般人に対してくらいであり、武装した騎士にとって、スライムの対処は【討伐】というより【処理】の扱いだ。

 そして最弱と言われる所以は対人に限ったことではなく、魔物の世界においても、かれらは最低のヒエラルキーにいる。

 スライムはどこにでもいる。こうして魔物が跋扈する樹海を歩いていると、魔物同士の争いに出会すこともあるのだが、そんな時、視界の端でプチッと潰れているスライムをよく見かける。

 意識して倒さなくても戦闘の余波で死ぬ。それがスライム(最弱)だ。


「……大丈夫なのか、それ?」

「大丈夫なワケねーだろ」


 シュンは怪訝な顔をするロウの頬を抓り上げた。


「でも見た感じ、素直に言うこと聞いてくれるみたいだし。勝手に死ぬようなことはないでしょ」

「俺スライム守りながら魔王と戦うの? なあ姫さま、やっぱ生皮剝いで女王雀蜂の巣(クイーンズ・コロニー)に投げ込んじゃだめか? 声帯と手が無事ならいいんだろ? ディーお前いざとなったら足で陣書けるよな」

「この流れでボクがウンって言うと思う?」

「……それなら」

「すみません。すぐ解呪方法探します」


 シュンの言葉を肯定したアニスに、Dは畏まって謝罪した。

 なんかもうシュンは、怒りを通り越して呆然としてしまった。命の危険がすぐ隣で覗き込んでくる場所(ココ)で、何が悲しくてこんな柔い生き物に己の生き死にを左右されなきゃならんのだ。


「ハァ……私に謝ったってしょうがないでしょう。顔に傷がついていたらどうするつもりだったの……」

「アニス、の護衛?」


 キリエが口を開いた。

 大して知っているわけでもないが、基本的に無口な男だ。突然なんだ、と誰もが思ったが、アニスは平然と、「そうよ」と答えた。


「私の大事な騎士なの。元凶はディー様だって解っているけれど、あなたも、スライムに傷をつければどうなるかくらい、予想がついていたでしょう? 軽率な行動は控えて下さい」

「? ……コイツの顔が好きだから護衛にしたの?」


 アニスが絶句した。Dすらも「うわ」という顔でキリエを見た。

 まあ、キリエからしたら現状の確認のため、Dに従ってスライムを斬りつけたのだ。彼に非はない。実際、この男にしては撫でるような攻撃であった。

 自分がアニスのように傷つけるのを憚る見目をしていないことは自覚しているし、それに、生きるか死ぬかの旅路に於いて、騎士である己に、顔の傷がどうとか言うのはナンセンスだ。


「アニス、大丈夫だ。いやディーは許さないけど」

「なんで? 憶測で動くより、実際に結果が目に見えたほうが実感湧くでしょ?」

「先に俺に許可取れよ。勝手にやんな」


 アニスがキリエを見上げ、「あなた、もしかして──」と怪訝な顔で言いかけた。

 しかし、結局最後まで言葉は続かず、彼女は一つ首を振ると、「シュンも! ぼーっとしてたんでしょ!」と怒りの矛先をこちらに向けた。


「いや被害者……」

「やろうと思えば止められたでしょ!」

「……うん」


 確かに、ぼうっとしてたのは否めない。

 今回の件は流石に、己も動揺していたのだ。





#





 呪いを受けてから幾日も経たず、それはやってきた。


「……わかる?」

「見られてるな。姫さまちょっと離れてて。右から来る」

「魔獣の群れ? 五十はいる」

「いやなんで風属性(ソード)魔力無し(ノーマジック)が解るんだよ」


 Dが呆れた声を出した。

 お前が聞いたんだろ、とシュンは言葉を返す。

 シュンのような風属性は基本的に知覚能力過敏だし、キリエに関しては、ここ数日で規格外の個体であると理解した。なんで出来るかは知らないが。


 相手はしっかりこちらを認識しているようで、真っ直ぐ五人の元へ向かってくる。

 アニスが辺りに結界(ブラインド)を張った。

 シュンは一瞬だけ眉を顰めたが、仕方がない、とすぐ切り替える。

 こちらがどれだけ厄介な状況に陥っていようと、敵には関係ないのだから。


「アニス」


 シュンは、頭に乗っていたスライムを空へ投げた。

 アニスが受け取って、スライムは大人しく、彼女の《時と空間(ちから)》の庇護に入る。


 森の奥から飛び出してきたのは、黒い(しし)の群れだった。

 何世代にも渡り、魔力の過剰干渉を受けた生物は、その姿を大きく変える。最早魔物と言っていい有様だ。

 ただ、この大陸では、そうしなければ生き残れなかっただろう。これも進化の一種だ。


 シュンは背中から幅広の直刀を抜いた。

 片手で容易く扱うが、成人男性でも振り回すのに苦労するサイズだ。

 今は近くにそれより巨大な両手剣(ツーハンデッドソード)を片手で振り回す男がいるので、あまり目立たないが。


「ロウ、アニスに魔獣を近づけるなよ」

「任せろ!」


 普段なら、彼女に守りは必要ない。その点に関して、この中で誰より強い女だ。

 しかしどうやら今日の彼女は、腕の中のスライムにかなり意識を割いている。止めろと言って止める女ではないし、シュンだって、彼女にスライム(己の命)を守って貰えるなら願ってもない。

 まあ意識を割いたところで己を守れなくなる水属性使い(チャリス)ではないが、ロウを置いておけば万が一も無いだろう。

 

 突進してくる巨猪を踏みつけ、シュンは跳んだ。

 同時に先頭の何匹かが、爆ぜるように吹き飛ぶ。

 あの男()にしては地味な攻撃だが、効率を考えれば仕方ない。(魔術師)シュンやキリエ(わたしたち)では汎用性に差があるし、アニスの目晦まし(ブラインド)があろうと、大っぴらに魔力を動せば、魔族の目がこちらに向く。

 この寡兵で生き残るには、本隊に合流するまでの間、隠密に徹するべきだ。魔術師(万能)の力を温存するためにも、風属性のシュンと、無魔力のキリエが主力を担うのが丁度良かった。


 シュンはそのまま木の幹へ横ざまに着地し、巨木を揺らす勢いで猪の群れへ突っ込んだ。剣を逆手で振り抜き、猪の首を両断する。返す刀で別の猪の頭を貫き、刺した剣を起点に宙返りする。

 また別の猪の背に着地して、脳天を貫いた。暴れる背中を蹴り、また一体、一体と、同じように命を刈りとっていく。寡兵といえど、彼等に魔獣は脅威ではない。


 魔力を纏った剣は、並大抵の武器では通らないような硬い毛皮もものともしないが、しかし一際大きな猪が二体、がぱぁと口を開いて飛び込んできたその時、筋肉の反射で肉が締まったか、それとも最後の足掻きか、猪の体から素直に剣が抜けなかった。

 シュンは、躊躇なく刀を手放した。

 一匹を蹴り飛ばす。──シュンは風属性というのもあってか、多少の程度はあれ、どんな武器も無難に扱えた。しかし代わりに突出したものもなく、また執着もなかった。

 何故ならシュンにとって最も信頼できる武器は、己の肉体と身の内の魔力である。

 ただの蹴りも彼女にかかれば必殺となり、蹴られた猪は体内の主要な臓器を一瞬で潰され、絶命した。


 同時に、一匹には、顔色一つ変えず片腕を差し出した。

 トラバサミのようにガチン、と容赦のない牙が彼女の腕に喰い付く。

 シュンは、剣を放して空いたもう片方の拳で、猪の頭部を殴り抜いた。

 ぐるり、と目を向き、力を失った身体がどさり、と地面に倒れる。

 がぱ、と口をこじ開け、引き抜いた腕にも、服にも、傷一つついていなかった。

 ──これが風属性(ソード)だ。スライム事件で負った傷が、彼女にとってどれだけイレギュラーかよく解る。


 辺りには、あっという間に魔獣の死体が積まれた。

 半分はキリエの功績だ。魔力無しでこれはバケモノじみているな──と、シュンは息も切れていないキリエを見遣りながら、死体から剣を抜く。

 ──同時に、意識の外から何かが飛来した。

 咄嗟に身体を捻ると、それはシュンの腹のあたりで、バチリと何か弾かれたように向きを変えた。

 一瞬遅れて、パカ、と肉の代わりに服が裂ける。


「シュンくん!?」

「……わかってる」


 Dが、魔術で軌道を逸したらしい。

 元々、身体の中心を風通し良くしてやろうという軌道だった。避けはしたが、彼の魔術がなければ脇腹の肉くらいは持っていかれてただろう。


 シュンは真っ直ぐ、一つの方向を見た。


「意識を読むのが上手いな」

 シュンが言う。独り言にしては、張り上げた声だった。

 Dも、そしておそらくキリエも、その存在には気づいていた。シュンもそうだ。なのに避け損ねたのは、相手がこちらの呼吸や、意識の揺らぎに敏感であったからだろう。


「……臆病だからか?」


 シュンは、片方の口角を引き上げた。

 分かり易い挑発。どんな反応をするか、無視するにせよ、姿を表すにせよ、そこに相手の輪郭が見えるだろう。


「王殺しを企てる命知らずが」


 ──存外、素直な魔族であった。

 それは人と大差ない姿をしており、唯一の違いといえば、頬から耳の辺りまで、鮮やかな色合いの線が伸びていること──装飾ではなさそうだ。シュンは剣を握り直した。


「俺らの王じゃないからな」

「もうすぐそうなる」

「一対五で勝てると思うのか?」

「数は関係ない」

「そう──」

 

 キンキンと、続けて金属を強く叩いたような音がした。

 いつの間にか、魔族が剣を抜いている。

 Dが、「すごい速いよ」と、こちらを見ながら小さく報告した。見ればわかる。


「……そうみたいだな」


 シュンは肩を竦めた。

 Dの魔術が防がれた。大きく魔力を動かす魔術は使えなくとも、手数は十分であったが、しかし、魔族はそれを全て防ぎ切った。不意打ちも、数も関係ないらしい。

 シュンはひとまず、魔族の能力にアタリをつけた。

 視界の端で、キリエの筋肉が軋むのを見て、声を上げる。


「お前、キリエ」

「なに」

「下がってろ」

「は? でもアレ、魔族」

「知ってるわ。俺がやる」


 キリエが困惑の表情(かお)を浮かべている内に、シュンが前に出る。

 出来るのか、という疑念の表情にも見えた。

 五人になってから、魔族と会敵するのは初めてのことだ。

 キリエを除いた四人は、わりかし戦場では馴染みのメンツで、お互い何が出来るのか、ある程度承知している。

 そんな中、キリエと共闘するのは完全に初めてだった。何かと有名なので、シュンは噂程度に聞いていたが。


(──ただ、キリエの方は、ただの一兵士の話なんて、聞いたことないだろう)


 なら、すぐ本隊に合流出来るとは思えないし。出来ることを見せておいた方がいい。

 シュンは何か言いたげなキリエを無視して、ゆったりと歩みを進めた。

 歩きながら外套と、ジャケット、二の腕まで覆う指貫のグローブを、するりと脱ぎ捨てる。


 アニスは目を眇めた。

 アニスは、シュンのこの戦い方が好きではなかった。

 シュンは目に見えた装甲を持たないが、風属性にとって──正確には彼女レベルの風属性にとって──身に纏うものは全て鎧になり得る。

 しかし、シュンはそれを捨てていった。


 二人は一定の距離で立ち止まり、剣も構えず向き合う。


 名前を呼びかけるのも憚るような静寂。

 アニスは細く息を漏らし──終わったら説教だ、と思った。

 この戦い方は嫌いだが、止められないし、どうせ止まらない。

 シュンの肌は鱗粉を纏うように、時折パチパチと瞬いた。

 防御を犠牲にする代わり、シュンの体表は魔力による知覚を極め、魔力光がチカチカと燦めいている。

 今の彼女なら、魔族の指が剣柄を数ミリなぞることさえ知覚するだろう。


 瞬きの間に、二人の姿は消えた。

 剣戟の音は無かった。

 倒れていたのは、魔族の方であった。





「初見で一太刀いれられたのは初めてじゃ」

「わ、喋った」


 死体が喋りだしたので、シュンはそちらを見下ろした。


「剣を取って十数年そこらの小童にやられるとはのぉ〜…老いって怖い」

「まだ生きてんのかよ。胴体別れてんぞ」


 シュンは警戒したまま、倒れた魔族に歩み寄った。

 策を弄する集団戦や、魔術師同士の戦いに比べ、一対一の騎士の戦いは、至ってシンプルだ。

 攻撃を避けるか、防御出来なかったら死ぬ。

 シュンは男の一太刀を避けた。頬の裂傷がその証だ。避けなければ首が落ちていただろう。

 そして魔族は避けられなかった。否、正しくはシュンより上手く避けたが、それを見越した二撃目に身体が間に合わなかった。

 おそらく、見えてはいただろう。()()()()()()()()()()に、肉体が追いつかなかったのだ。

 勿論魔力を使って防御したが、大半の魔力を二撃目に託したシュンの剣を防ぐことは出来なかった。

 言うは易し。実際、この攻防を辛うじて目で追えたのは、キリエくらいのものだろう。


「未来でも見えるのか?」

「まさか」


 魔族の方がきっとシュンより目が良かったし、反射神経も並外れていた。近づいてみて、一つの眼球に収まる複数の瞳孔と、頬に走る複眼を見て確信した。

 しかし、シュンの限界まで強化された知覚は、相手の数手先を筋肉の動き、目線、呼吸、魔力の偏り──そんなものから予測する。

 それが魔族の反射を上回っただけだ。一介の風属性に、未来視など出来る筈がない。


 シュンは、そっと身を屈めた。


「魔王の弱点は?」

「オドレここは最期に言い残すこと聞くところじゃないんか」

「お前の最期の言葉とかどうでもいい」

「人の心無いんか。……無いわ」

「お前が決めるな。あるわ」

「違う。魔王の弱点。無い」

「じゃあ魔王って恋人とか家族とかいる?」

「鬼畜生か貴様」

「つかお前まだ死なないの?」

「もうすぐ死ぬぞ」

「ならいいけど」

「ア゙〜…これで終わりとかいやじゃ。こんなやつに殺されるの? ワシもっとカッコいい勇者が良かった」

「ワガママ言うな」

「オドレ一撃目で剣下に投げたじゃろ。それ取って二撃目で腹薙いだよな? アレめっっちゃ下品。あんな下品な剣技見れたのに己の剣にフィードバック出来ないとか命五つくらい欲しい」

「五つあったら五つ殺してる」

「楽しくなることを言うッ゙ガ」


 ──軽口の応酬を遮ったのは、冷たい剣の落ちる音だった。


「何呑気に喋ってるの?」

「お……まえッ、」


 キリエは首を傾げ、シュンを見下ろした。

 シュンは、目を見開いて、頭蓋を砕かれ、今度こそ意識の途絶えた死骸を見下ろし、奥歯を噛んだ。


「話の途中だったろ!」

「魔族と話すことなんてない」

「情報が聞き出せるかもしれなかった」

「魔族の言葉を信じるの?」


 シュンはキリエを睨み上げた。

 しかしその不思議そうな顔に悪意がないことを見て取ると、俯いて「ハァ〜〜……」と長い溜息を吐き出した。


「…………ディーの魔術なら、嘘見破れるかもだろ」

「そうなの?」

「エ゛ッ? あ、うんまあ……準備があれば」


 Dが急に振るなとシュンを見遣る。キリエは、「そうだったんだ」ととりあえず納得した顔をした。

 しかし、魔族は死んでしまった。これ以上終わったことで言い争っても仕方ない。

 シュンはくるりとキリエに背を向け、アニスの元へスライムを回収しに行った。「姫さんに変な液かけたりしてねーだろうな」「大人しかったわよ」「アニスに懐いてるんじゃないか?」「動物だけじゃ飽き足らず魔物にも好かれるのうちの姫さま……? プリンセスじゃん」「プリンセスよ」「そうだわ」「シュンは小動物には避けられるし、獣には襲いかかられるもんな!」「うるせえ」

 


 その後ろ姿を、榛色の双眸が(じっ)と見つめているのを、魔術師だけが見ていた。





#





 野営の見張りは二人ずつ、交替制で行われる。

 その晩、シュンは初めてキリエと二人きりになった。

 見張りと言っても歩き回るわけではなく、起きて周りを警戒しておくだけだ。なるべく目を瞑って休んでおいたほうがいい。


 ──にも関わらず、目の前の男の視線が痛い。

 シュンは目を瞑ったまま、その視線の意図を探った。警戒されているのだろうか。昼間に実力を示した筈だが、それが何か拙かったか。

 無言のキリエは、気まずいというより、怖い。

 例えるなら凶暴な獣が、隣で凝とこちらを見おろしている感じ。自分は無防備に視線に晒されているのが、なんとなく、怖い。何考えてるかわからないし。

 それならなんでもいいから会話が出来る獣のほうがまだ気が紛れる。そういうわけでシュンは珍しく、会話を振った。


「……なんか、用かよ」


 目を開いて、真向かいの木に凭れ掛かる男を見る。

 彼は少し首を捻って、口を開いた。


「あのひと、顔に傷があると嫌なの?」


 視線を横に移し、キリエが言う。

 その先を見れば、Dの拵えた土塊の天幕(テント)があった。中には三人が眠っている。

 まだ言っているのか、と呆れて声を上げようとしたが、もう一度こちらを振り向いた男の顔を見れば、斜めに奔る大きな切り傷があって、シュンは一度口を噤んだ。


「……ま、確かに。お姫様の護衛が傷顔だと、周りの心象は悪いかもな」

「俺の傷も気になる?」

「別に、姫さんは気にしねーよ。……ただ、心配したんだろ。あの人優しいから」


 変なこと気にするやつだな、とシュンは顔を顰めた。


「つーか、お前は傷があっても関係ねーだろその顔じゃ」

「? その顔?」


 キリエは不思議そうな顔をしながら、何故か立ち上がって、こちらに向かってきた。

 シュンは思わず腰を上げかける。こっちを凝と見ていただけの獣が、近づいてくればそうもなる。

 しかし、キリエはシュンの目の前で静かに膝をついたので、身体を強張らせるに留まった。


 女の中ではかなり長身の部類に入るシュンだが、それ以上に巨大なキリエからしたら、目を合わせるのに苦労するのだろう。男は、覗き込むようにシュンを見た。

 至近距離で見た男の顔は、遠目で見た印象と変わらない。

 整い過ぎるほどに整った、寧ろ傷があることによって美貌の行き過ぎにならずに済んでいるくらい、綺麗な顔だ。ここが戦場でなければ、見惚れていたかもしれない。


「その顔ってなに」

「……なんでもない」


 目を逸らそうとすると、無理やりぐい、と顔を持ち上げられた。「なにすんだテメー」と声を上げようとして、口を開いたところで、息を呑んだ。

 男の顔が、思いの外近すぎる距離にあった。


「……」

「……」

「……」

「なんだよ」

「……戦ってるとき、」


 男の親指の腹が、シュンの眦をなぞる。


「目が、キラキラしてた。あれ、なに」


 男はそう言った。どうやらそれが気になったらしく、この不可解な状況に答えが出たことに、シュンは些かホッとする。行動が突拍子もなく、考えていることがわからない上、埓外の力があるというのはそれだけで怖い。

 しかし、目の輝きのことなら説明できる。それは別に感覚的なことではなく、証明出来る現象であった。


「魔力光だよ」

「まりょくこう」

「そう。お前も戦場で魔術とか、魔法陣とか、光ってんの見たことあるだろ。魔力は一所に一定の濃度になると光を発する。俺は風属性だから、身体の一部に魔力を集めるとそこが光る」

 皮膚やら目やらの体表に近い部分はわかりやすい。シュンとしては、自分の魔力の動きが筒抜けになるので、嫌な現象だった。

「戦ってる時に相手がどう動くか、魔物や魔族が相手だと特に、魔力をどう動かすか常に見てるから。集中しすぎるとチカチカするらしい。自分じゃわかんねーけど」

「ふぅん」


 男はやっとシュンの顔を離した。

 そして興味がなくなったのか、のそのそと離れていった。図体はでかいが、なんとなく歳下だろうなと思った。



「……なんだあのクソガキ」





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