予言の女【真】
主人公まったく出てこない。
二章の最初に少しだけ出てきた予言者と、その知人のなんでもない小咄。
西の国境まで続く長い道のりを、人々は《夜へ続く道》と呼ぶ。
サーリヤ国で代々商売を営む老人の、祖母の、そのまたご先祖様の手記にも、その名前が記されていたというのだから、きっとずっと昔からそうだったのだろう。
王都からその道へ進むには、まず廃墟と化した旧市街を通り抜ける必要がある。
治安は特に悪くない。この道は、航路を除けば主要な貿易路の一つなのだ。国軍の見回りが定期的にやってくる。
ただ、朽ちた道だった。
もはや王都として栄えた頃の面影はなく、あらゆる創造物が砂に埋もれて斃れ果て、また新たな砂漠を作り出す。
そんな捨てられた街だ。
道のど真ん中に、大きな男が一人、幽鬼のように佇んでいる。
顔を薄汚れた布でぐるぐると巻き、襤褸い砂避けの外套が全身を覆う。今のようなかはたれ時では、どちらが表か裏かわからないような様相だ。
如何にもまともな風体でない。ただでさえ薄気味悪い通りなのだ。普通ならば、誰しも男を迂回して、やり過そうと考えるだろう。
「 《星宿師》 」
独り言にしては、よく通る声だった。
女は思わず息を止める。
──魔族には名前という習俗がない。
代わりに、個体を識別するための呼び名がある。ある程度長生きすれば、だいたい、それぞれの《業》に沿った適当な名称で呼ばれるか、人に認知されれば──即ち大勢殺せば──人に名前をつけられることもある。
《星宿師》は、己の識別名であった。
「……はい」 ──呼ばれた以上、彼を無視するだけの度量は無い。
止まっていた息を、細く吐き出す。
布面積より肌色の方が多い、薄衣を纏った女が、瓦礫の裏から歩み出た。
気づかれていたことに疑問はない。目の前の男が想定している人物と相違なければ、己如きの尾行に気づかぬ筈がないのだから。
ただ、わざわざ呼ばれたことに驚いた。
視線を上げると、男の一つきりの眸が、凝とこちらを見つめていた。
「なんです……?」
「本物じゃな」
「? はぁ……」
女が怪訝な顔をすると、男は、「行くとこなきゃ一緒に来るか?」と尋ねた。
突然の提案に、女はゆっくりと首を傾け、憂いた表情を浮かべた。
「……あるじさまは、」
「ア゛? ……あぁ、アレか。気に入っとったんか?」
男は不思議そうな声色で尋ねる。「たぶんもう息無いわ。すまん」
まったく悪いと思ってなさそうな、おざなりな謝罪だ。
しかし、女も謝罪は求めていなかった。
数日前から行方の知れない商会の主に、憐れみはあるが、しかしそもそも、予言が出た時点で解っていたのだ。何も見えない、ということはつまり、そういうことである。
彼は運がなかったのだ。《天災》と出会してしまったことも、更に言うなら、己を奴隷にしたことさえ。彼は運命の岐路で選択を誤り続け、遂にその身を砂に沈めた。
「金なら幾らでも払う……好きな女を奴隷にしてやる──」
それは、誰かの言葉をなぞるようだった。
男が喉の奥を鳴らした。顔の布を解けば、さぞ凶悪な笑みに唇を捻じ曲げていることだろう。
女は、あら……と口許をほっそりした指で覆った。
「──知らん言葉じゃ。ヤツの神の名前か何かか?」
その一言で、主人が死んだ理由は察した。
言葉が通じないと、命乞いは通用しないと聞く。獣がどれだけ鳴いたところで、人が屠殺の手を緩めないのと同じように。
ただ──目の前の男に関しては、解せぬ言葉があるとは思えないし、そもそも、二人の今話してる言語も、主人の使っていたのと同じ、この大陸の共通語である。
つまり、主人は彼の機嫌を損ねたのだ。
女は肩を竦めた。ならば死ぬのは道理である。
「どうする?」
男が首を傾げたので、女は問われていたことを思い出した。
「……一緒に、というのは……アナタが今、どこかに所属してらっしゃるということですか……?」
「なんか不思議か? 東の国でな、《ミスティリオン》って──」
「遠慮いたします」
いつもゆったりとした口調で話す彼女には珍しい、即答であった。
「なんで? ワシのこと嫌っとるから?」
「……そんな、まさか」
《ミスティリオン》と呼ばれるそこに、行きたがる魔族は少ないだろう。世にも珍しい希死念慮に囚われた魔族か、もしくは、目の前の男のような規格外だ。
人間側の認識はともかく、こちら側じゃ、枕詞に《悪名高き》がつく。そういう国だ。
何故己を誘ったのかは知らないが、揶揄われているか、もしくは尾けられていたことに対する、男なりの腹いせなのかもしれない。
「素朴な疑問やけど、ワシなんかした?」
男が重ねて尋ねる。
何故だろう。男の中で、嫌われていることは揺るぎないらしい。
女は困った。先の言葉に嘘はないし、彼の前で嘘をつくほどの理由もない。そもそもお互い、好きや嫌いがわかるほど、言葉を交わした記憶もない。
ただ──何も含むところがないかと言われれば、そうでもない。
「厭っては……でも……腑に落ちないのかも、しれませんね……」
「マジでなんかしとったんか」
「愛する人を殺されました」
「お〜…いつの話?」
「数百年ほど前でしょうか……?」
「心当たり有りすぎるわ〜」
そんくらいの時が一番やんちゃしてたし、と男がケロッと答える。
これに関しても、女は特に謝罪を求めているわけではなかったので、何とも思わなかった。
聞きたい言葉は、聞かせて欲しい言葉は、他にある。
「……先ほどの方は、お知り合いでしたの?」
布で巻かれた頭部が微かに揺れる。男は、どうやら首を横に振ったようだ。
「んや。大した仲じゃあない」
「それにしては……随分肩入れなさるのですね……?」
「阿呆。おどれの借りを返したんじゃ」
「……なんのお話です?」
「酒場で助けられたんじゃろ?」
女はホッと息を吐きだしたいところを堪えた。代わりに、「あら、私のためでしたの……」と吐息交じりに呟く。
実際見ていたわけではなさそうだか、よくそんなことを知っている。
「でもなぜ、私のために……?」
「……なんとなく?」
「まあ……なんとなくで、こちらの国まで……」
「違うわ。オドレやらあの娘に会ったんは偶々」
男曰く、サーリヤは帰りがけに通りかかっただけらしい。それにしては随分ゆっくりな気もするが、道程としては無理のない経路だ。
男は続けて、「つーかワシが目的じゃないなら、オドレ何しにこの国に来たんじゃ」と首を傾げた。
「……主様に連れられて、ですわ」
「誘導したのはお前じゃろ」
ワシに助けを求めに来たか、もしかしたらあの娘に借りを返しに来たか、どっちかだと思ったわ。男が言う。
それを気紛れに手助けしたと言うことか。まあ主人に関しては、彼の機嫌を損ねたのが大きな理由だろうが。
「……なんとなく、ですわ」
意趣返しのように答えた。
男は大した興味もなさそうに、「ほーん」と声を漏らす。
「じゃマジでワシに用ないんか。なんかフラレた気分」
「それなら……」
ないわけでもないですが、と女は言った。
確かに、二人がこの国で出会したのは互いの意思によるものではない。しかし、それもただの偶然とも言い切れまい。
二人の縁が同じ処に結ばれているのなら、この出会いも必定なのだから。
「望みを叶えてくださるなら……私の愛する人を、二度と奪わないと約束してほしいですわ……」
「じゃ新しい恋人出来たら連れてこい。顔覚えて殺さんよう気ィつけるし、なるべく寝盗らんようにもするわ」
「まあ……新しい恋人だなんて……私、一途ですから、他の人の魂なんて愛しませんわ……」
「死人に奪うもクソもあるか阿呆」
男が呆れた声色を出すと、女は、「約束してくださいますか」と重ねて尋ねた。
男は目を細める。
──魔族という生き物は、人よりよほど言葉に親しい。
生まれた瞬間から絶えず《言葉》は《力》であると理解し、行使し続けるからだ。
だから、彼等が少しでも思いを込めて発した言葉は、ただの《口約束》ではなくなる。
無礼だと、その身を粉砕される可能性もあった。彼の機嫌を損ねた主人のように。彼は同族でも、気に食わなければ、きっと容赦しないだろう。
しかし、その隻眼に籠められた執着を思えば、沸き上がる敵愾心を無視できない。改めて、己は意外に情熱的な女なのだと自覚した。
暫しの間、二人の間に沈黙が横臥する。
先に折れたのは、男の方だった。
「肝が据わっとる」
男は愉しそうな声音で、ええ女じゃ、と笑った。
それに女が、「私には、心に決めた人が……」と答えるので、更に腹を抱えた。
「わかったわかった」
男は両手を上げた。
「死人に懸想する趣味はない。オドレが心に決めた人とやらには手ェ出さんわ。向こうが出してこん限りはな」
「……それで、構いません」
女が答えると、男は何も言わずひらひらと手を振り、《夜へ続く道》に背を向けた。
それはそうだ。この道は《ミスティリオン》へは向かわない。道なりに王都へ戻る気もないようで、彼は廃墟の群れに飲み込まれていった。
彼ならば、道を外しても危険に襲われることはないだろう。
彼自身が、危険そのもののような男だ。
──聞きたい言葉は聞けた。
女はもう少し、この国に残るつもりだった。
運が良ければ、素敵なパフォーマンスを、見られるかもしれない。
あの男は、このまま、何も気づかずこの地を去るのだろう。
女は、くるりと身体を翻し、つい、口許からまろび出た微笑みを隠すように手を上げた。
シャラリと、重なり合ったブレスレットが音を立てる。
褐色の足がすらりと伸び、地面を踏む。我ながら上機嫌のあまり、飛び上がりそうなステップだ。
嫌いではない。嫌いではないが──ざまあみさらせという気持ちがないかといえば、嘘になる。
何も知らない男を後目に、愛する人へと続く道を歩む。これを愉快と言わず、なんと言おうか。
女は声を上げて笑い出したい気持ちを抑えながら、王都への道を歩いた。
可惜夜が更けようとしていた。




